(9)黒猫の飼い主
◇ ◇ ◇
家、もとい小屋の周りは当然のように土の地面で、湿っぽい苔の匂いがした。
さらに少し行くと池があり、水辺には、綺麗な水仙が咲いていた。
魚を釣ろうとする少女についていき、黒猫は、おそるおそる水面をのぞいて、そこに映る自分の姿を見てみる。
(おおおおおお…………初めて見たけど、なんか、めっちゃくちゃ美人!!)
猫だからある程度は当たり前なのかもしれないけれど……
黒々と綺麗な毛並み。ぱっちりと大きな目に、まあるい無垢な瞳。いとけないながらも上品な鼻筋のライン。小さな口。
もしも前世自分が人間だったときに、こんな猫を見かけたら悶え転がっていただろう。それぐらい可愛い猫の姿が、水面には映っていた。
(やばい! やばい!
超可愛い猫じゃん!!
…………あれ?)
思わず水に映った自分の姿に見とれてしまって、前のめりになった黒猫はそのままバランスを崩してとぷんと池のなかに落ちてしまい、少女にあわてて救出されたのだった。
――――落ちてしまって怒られるかと思ったらそんな素振りは一切なく、少女は心配する様子で、黒猫を丁寧に拭いた。
冷えた猫の身体を温めようと、そのまま少女は、黒猫を胸に抱いて眠った。
(あれ。女の子って、こんな優しいものだっけ……?)
…………前世で学校に通っていた頃、同じ年頃の少女たちから向けられたのは、嘲笑と罵倒だった。少女の残酷さだけが心に残っていた。
――――でも、いま思いだしてみれば、女子生徒全員が全員残酷さを向けてきたわけではなくて……中でも目立っていた少女たちが印象に残っていたわけで。
それに、男子だったら自分に優しかったかと言えば、決してそんなことはなかった。
ただ、彼らは自分には何かをしてこなかっただけ。
別の誰かに残酷さを向けていたのかもしれないし、自分が知らないところでこちらの陰口を叩いていたかもしれない。
(うん、あれだ。主語を大きくしちゃいけないってやつだな。
ところでこの子、お父さんやお母さんはいないのかなー)
小さなお墓らしいものが森のなかに作られていたから、二人とも死んでしまったのかもしれない。
そんなことを黒猫が思っていた、ある日。
少女は森で罠をかけて、一羽の鳥を捕まえた。
いつになく興奮した様子で、古い本を引っ張りだし、テーブルの上に、雑多なものを並べていく。
薬草。鉱石。何かの骨。
すりつぶした黒炭で、テーブルの上に何かの紋様を丁寧に描く。
(…………魔法陣?)
複雑な図形がたくさん入った円を描きあげる。というか、彼女は字が読めるのか。
さらに少女は、本を見ながら、さまざまなものを並べていき、おもむろに黒猫を抱き上げると、魔法陣の真ん中においた。
(な、なに??
何をされんの!?
い、いけにえ!!??)
慌てた。その黒猫の頭の上で少女は躊躇なく鳥の首を切り落とし、その血を黒猫の頭からかけて、何かの呪文を唱える――――――――
最後に少女は指先にナイフをいれ、自分の血を黒猫の口に含ませた。
「…………な、……なに!?」
声が出てから、驚いた。
自分の喉から、人間の声が出ている。
「よかった、成功したみたい」
微笑む少女。驚くほどクリアに、少女の言葉の意味がわかる。
自分が、ついさっきまでとはまったく違う存在になってしまったことを、黒猫は知った。
「あなたは、私の使い魔になったの。
動物に魔力と知能を付与する魔法、初めて使ったけど、成功してよかったわ」
「使い魔…………?」
「改めて自己紹介させて。
私はノワ。ここで独り暮らししながら、我流で魔法の修行をしてるの。
1か月前、生まれたばかりのあなたを拾ったのよ」
――――なら、彼女は魔女ということか?
それにしてもここがリアル剣と魔法の世界だったとは。剣はまだ見かけてないけど。
「あ。使い魔っていうのはね、魔力を与えられて、主人のための仕事をする魔物とかをさすんだけど……」
「どうしてオレを使い魔に?」
少女の目的がわからず、警戒した。
少なくとも、自分を慈しむために拾って優しくしてくれていたわけではないということか。残念ながら。
「……相棒がほしかったの」
「相棒?」
「私、魔力を強めて、魔女になるつもりなの。叶えたいことがあるから。
その修行の、相棒がほしかったの」
「ふうん……」
何か今すぐ自分をどうこうしようというわけではなさそうだ。
もっとも、ここから逃げても自分一匹で生きていく術はないわけだが。
「…………ああ、そうだわ。
あなたに名前をつけてあげないと」
「名前?」
「ええ。
お話しできるようになってから、あなたの意見を聞いて名前をつけようかなと思ってたの」
……それは良心的だ。
じゃあ、せっかくなので剣と魔法の世界っぽい名前がいいか。
それともあの漫画の大剣を背負った主人公の名前とか、あのゲームのクールなイケメン主人公の名前がいいか。いやそれは、万が一おんなじ転生者に会ったとき、ちょっと恥ずかしいか……。
少し悩んだあと、少女に言った。
「ナルキッソスがいい」
「ナ……なんて?」
「オレの名前、ナルキッソスがいい。
水仙って意味がある」
残念ながら猫の身体だけど、せめて名前だけでも神話クラスの超イケメンがいい、と思った。
神話のなかでは悲劇的な結末を迎える人物だけど、水面に映った自分の顔に見とれて落っこちた猫には、わりと合っている気がする。
「ナルキッソス、ね。
改めてよろしく」
少女は微笑んだ。
◇ ◇ ◇
それからしばらく、ナルキッソスと少女のつつましく幸せな生活は続いていた。
少女は古びた魔法の書を持ち、そこに書いてある魔法をいろいろなやり方で試していた。成功することもあり、失敗することもあり。
少女の試行錯誤は、ナルキッソスの目から見ても、いかにもこどもらしく稚拙で、あぶなっかしかった。
それに、ナルにはひとつ、気になることがあった。
「あのさぁ、ノワ。神様のかわりに、何にお祈りしてるの?」
壁に貼り付けられた妙な絵にいつもお祈りしているノワが気になり、ナルは尋ねてみた。
手書きではなく活版印刷?をされたようなその絵には、二本足をもつ奇怪な人外が三体描かれている。
いずれも少しずつ違った角と牙を持ち、こちらを射抜くような鋭い目をしていた。
「これ?
これはね、この国の闇を支配する魔王様よ」
「ま、……魔王??」
また意外なところで意外な言葉を聞いた。
魔王。普段のナルキッソスなら胸ときめかせるワードだったが、ノワの口からそれが出たとき、一気に胸に不安がひろがった。
「どうして魔王様に祈るの?」
「助けてもらいたいことがあるから。この魔王様はね、悪魔を支配しているのよ。
日々お祈りを重ねて大切にしていれば、願いを叶えてくださるの。魔女にとって大切な方よ」
「……魔女と、悪魔崇拝者は、違うものじゃないの?」
「違うものなの?
村の人が言っていたわ。魔女は悪魔とつながっているものだと」
ナルキッソスがかつていた世界の魔女は、魔女狩りというものに遭ってしまった。
魔女を異端とみなした聖職者や人間たちは、悪魔とのつながりによってあらゆる邪悪を成す存在だという濡れ衣をかけたのだ。
本当の魔女は古来の信仰と知恵を大切にした人々だったのに。
(この世界の魔女はそうじゃなくて、悪魔の手下なのか?
いや、ソースがノワだけだから、よくわからないな……)
「神様じゃダメなの?」
「ダメよ。神様はお母さんを殺したんだもの。魔女は悪魔とつながってるから殺すと言って、焼き殺したんだわ」
「……村の人が?」
「村の人に指示して、神様が殺させたのよ。
だから、魔王様にお祈りして、悪魔を呼べるようになって、お母さんを生き返らせてもらうの。
そのために私、立派な魔女になるの」
――――たぶん、だけど。ノワはやっぱりめちゃくちゃ勘違いしているのじゃないだろうか。
ノワの母親が魔女のような存在だったのか、そうじゃなかったのかはわからない。
ただ、この世界にも魔女狩りが存在し、ノワの母親が犠牲になった。
ノワは、自分の聞きかじった範囲で(それも自分の母親を殺した連中の勘違いをそのまま吸収し)魔女とはこういうものだと理解しているだけではないのか?
どう話したらいいだろう。
自分が転生者なことを打ち明けるべきだろうか? そうして、自分がかつていた世界の魔女はこうだったんだがと話すべきだろうか?
いや、まだ話していい確証がない。それに、剣と魔法の世界の魔女や悪魔が、地球の世界と同じだとは限らない。
悩みながら、ナルキッソスは、それ以上なにも言えなかった。
――――あのとき、彼女を自分が止めていれば。
後にナルキッソスは、死ぬほど後悔することになる。
◇ ◇ ◇




