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【幕間2ー1】 伝えることのない恋心

     ***



「起きないねぇ、若」



 朝。征魔大王国レグヌム国王レイナート・バシレウスの執務室にて、17歳の女兵士レマがしゃがんで、蜂蜜色の大きな瞳で、机に突っ伏して眠り込む国王の寝顔を覗きこんでいた。


 レマは今日は軍装ではなく、侍女風のドレスを着ている。


 首もとをほぼ隠す、折り返しのある高めの襟がついて、喉元にはリボン飾り。足元までふわりと広がるスカート。この恰好でいると、とても兵士には見えない。


 もちろん、いついかなる時でも弓を射れるように、ドレスのうえからベルセルカがプレゼントした胸当てを着けているのだけど、きれいに染めた革をピカピカに磨いてあるそれは、まるで侍女の衣装小物のひとつのように見えてしまう。



「むー。これは普通の寝落ちじゃないにゃ」



 レマに答えたのは、黒猫ナルキッソス。



 机の上に乗り、レイナートの鼻をしっぽの先でくすぐって、その反応のなさを見て、断言する。



「くすぐり耐性ゼロの陛下が、脇や首筋をしっぽでくすぐっても反応なかったにゃ。

 これは、徹夜で仕事しているうちに、本人でも気づかずに魔力残量が少なくなって寝ちゃったやつにゃ」


「寝室までお運びする?」


「レマの体格じゃ難しいにゃ。

 少し眠れば自然に起きるにゃ」



 そう言って、机に上半身を預けて国王の寝顔をじっと見ていたレマの鼻を、肉球でテシテシとする。

 レマは笑って、ナルキッソスを抱き上げた。

 猫の特権とばかりに肩に前足をおき、顔に頬をすりつけて甘えるナルキッソス。くすぐったいよ、とレマは笑う。



「ナルはずっと猫でいればかわいいのにね」


「どういう意味にゃ」


「ひなたぼっこしてた? おひさまのにおいするよ?」


「ひとを、お布団みたいにいうにゃ!」


「ひとだっけ?」


「悪かったにゃ、猫にゃ!」



 しゃべりながら、レマの目線が再びレイナートに向いたことに、ナルは気づいた。


 寝癖のように広がる短い黒髪、耳のかたち、頬、鼻筋、わずかに開く唇、まつげ、呼吸。憧れの人を見るときの、味わうかのような見つめ方。


 執務中だったからだろう、レイナートは軍装でも普段着でもない。貴族向けの高めの襟のシャツに、詰襟の上着。長めのズボンにブーツをはいている。

 この国の男性貴族たちは、髪は長く優雅に伸ばし、ときに小麦の粉で髪を染める。

 服ももっと動きにくいほどに華美だ。


 実用重視の国王の恰好は、この国の貴族や令嬢たちから見れば『芋臭い』と陰口をきく対象になるようだけれど、レマはいつも、カッコいいと言う。



「これからオクタヴィア殿下の警護に入るから、先に若にご挨拶してからと思ってたんだけど、仕方ないね。

 でも最近、若とお話しする機会がなかったから、近くでお顔を見られてよかった」



 そう言いながら微笑み、レマは、ナルキッソスを抱いたまま、ゆっくり部屋を出た。

 レマの腕に身をゆだねながら、ナルは尋ねる。



「……レマは、陛下のこと、好きにゃ?」


「若? もちろん大好きだよ?

 お顔を見るのもお声を聴くのも全部幸せ」

 


 レマは、ナルを落とさないように、何度も抱きなおしながら廊下を歩いていく。


 身分的につりあう貴族令嬢たちには皆目モテた試しのないレイナートだが、それでも、身分が低かったり元奴隷だったりするカバルスの少女からは、しばしば思いを寄せられている。


 ただ、その好きになる理由は、

『身分が高い人なのに優しい』

とか、

『領主さまなのにお強い』

とか、

『身分が低い私のことも気にかけてくださる』

とか、けっこう身分バイアスがかかってるようにナルキッソスからは見える。


 あるいはレマのように、忠誠心と恋愛感情の境目がややあいまいになっているパターンなど。


 どのみち、レイナートの横に誰がいようと、貴族に生まれなかった彼女たちのその想いが叶うことはない。



 いずれはこの世界の社会規範のなかで『ふさわしい』相手と結婚していくために、その思いは決して伝えられることはない。



「あ、オクタヴィア様のお部屋だ。じゃあ、またね。ナルキッソス」



 レマの腕からぴょい、っと飛び降り、手をふるレマに、にゃあ、と鳴いて、歩きだした。

 歩きながらナルは、だんだん切ない気持ちになっていた。



 恋する気持ち自体は、どういうきっかけでも大切なものだと思う。


 『恋は不道徳なもの』

 『純潔を守り親の決めた相手と結婚しなさい』

 『恋は結婚してからお互い(夫婦ともに)後腐れのない相手と楽しむもの』


 そんなこの国の道義は、異世界人の基準で評価してはいけないとわかっているけれど、人を幸せにするもののようにはとても思えない。



(どんな身分差があったって、本人にとっては、恋が叶うのが一番いいに決まってる……)



 だから本当なら、カバルスの女の子たちの恋だって、応援したい。


 たとえ、10年付き合った幼なじみと戦場の相棒以上の関係になれていないヘタレ少年が相手でも。


 でも、自分たちが生きているのはこの国だ。

 ナルがかつていた世界とちがって、自由恋愛が許されないこの国だ。

 恋を恋として叶えようとすれば、苦しみしかないこの国だ。

 ましてや相手はいまや国王陛下。



(……どうか、若が、レマたちの感情に気づきませんように)



 そう願って、ナルキッソスは廊下の窓から空を見上げた。

 狭い窓枠からやっと見える、青い空だった。




【幕間2ー1 了】

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