(6)「最悪!」
***
城に到着し、入浴して土埃と汗を流した一行は、フェレス城の上層階にある会議室に来た。
(ただし、馬に酔ってクラクラのアンフィデールだけは、部屋のベッドに倒れこんでいる)
重厚な円卓の席につくレイナートとベルセルカの目の前に、文献が運ばれてくる。
ナルキッソスは、テーブルの反対側に座ったイルゼに抱かれ、ゴロゴロ喉を鳴らしている。
「今から二百三十年前の日記か」
「ええ。
当時のドラコ公爵夫人のものです」
金髪碧眼の声代わり前の少年が、丁寧に説明する。
十三歳ながらカバルス軍の幹部の一人、前世では名高い冒険者だった転生者、ペルセウスだ。
「ドラコは、領主代行のメサイア様が早々に、城じゅうの日記や手紙の資料を整理してくださっていました。
ですのでドラコのものは真っ先に確認することができました」
「へぇ……!
それは、メサイア様の意外な一面を見ました!!」
「いえ、意外ではないですよ?
がさつだと評価される方もいらっしゃるようですが、メサイア様は、自ら冒険者になられるぐらい、ドラコの郷土史や人の営みに対して関心を持ち、敬意を払っていらっしゃるのです。
……と、すみません、脱線してしまいました」
脱線の理由は、ペルセウスがドラコでの国教会聖騎士団との戦いに加わっており、メサイアともかなり懇意にしていたからだろう。
かなりメサイアを評価しているようだ。
レイナートは二百三十年前の日記の紙が傷まないよう、革手袋に包まれた指を慎重に走らせながら音読する。
「……“本日は大変おめでたい知らせを受け取りました。
国王陛下に第一子となる王子が誕生されたとのことです。
王妃様は初産ながら大変幸運なことに安産で、お健やかでいらっしゃると。
将来の国王となられる方がお産まれになり、まことに嬉しい限り”」
「同じ年の記述を皆で今、確認していますが、確かに同様の記載がございます。
国王の第一子を王妃が産んだ、と」
「この時の王が、ガイウス十六世……。
普通なら、記録に残っている次の代の王、アントニウス一世が産まれた時の記述、と言いたいところだが」
レイナートは、年表の記述を指差した。
「王城の日記史料でおおよそ一致しているアントニウス一世の誕生年よりも、三十年も早い」
「なら、これがウルティオに当たるのでしょうか?」
ベルセルカが身を乗り出して、古い日記を覗き込む。
「でも、王妃様がお産みになられたなら少なくとも嫡出であって、婚外子扱いではないはずですよね?
しかも第一子。
普通に考えれば王太子のはずです」
つまり王位を継ぐはず。
教会に入れられることなど、よっぽどのことがない限りありえない。
「――――そこなのです、ベルセルカ様。
この謎の王子に関する記述を拾っていきました」
しおりを挟んでいるページを、ペルセウスが次々に見せる。
「誕生から、毎年、ドラコ公爵が誕生祝いを贈っている様子がわかります。
しかし、ここからが各地の貴族の記述と、王家に残っている歴史書との記述とが合わなくなるのですよ。
ドラコ公爵夫人の日記によれば……ガイウス十六世と思われるこの国王は、王子が十歳のときに若くして亡くなっています」
「王城の歴史書よりも三十年前になるな、ちょうど」
「ええ。王城の歴史書では、ガイウス十六世は、老齢になって『十歳になる王太子アントニウス一世を遺して』亡くなったことになっていますよね。
しかし、このフェレス城に集められた圧倒的多数の貴族たちの日記は、こちらのドラコ公爵夫人のもののほうと合致しています」
多くの信頼できる(改竄の手が入る可能性が少ない)一次史料の記載内容が合致しているならば、おそらくは、事実はそちらに近いはずだ。
ではなぜ改竄が起きたのか?
「この日記の書き手であるドラコ公爵夫人は、ガイウス十六世の死後、“王城での悲しい闘争”ののちに夫のドラコ公爵が亡くなったこと、それから“新しい国王陛下”が即位したことを記述しています」
「記録に残っていない国王ということになるのか。
だとしたら、この王子が一度は即位して、けれど廃された、とか?」
「その可能性は大いにあるかと。
この日記の主の公爵夫人はまもなく亡くなっていますが、同時代のほかの人々の日記を突き合わせれば、この前後、国内でかなりの動乱があったのが察せられます。
宗教改革も含めてのことと思いますが……。
引き続き精査を続けたいと思います」
「はい質問です」と、ベルセルカは手をあげた。
「その王太子は、ガイウス十六世が死んだときも王太子だったんでしょうか?」
「ん?」
「たとえばですが、十年ほど前にサクソナ王国で起きたみたいなことはなかったのかと。
あちらの王太子は、父である現国王が最初の王妃と無理矢理離婚しようとして婚姻無効を主張したせいで、それに巻き込まれて庶子扱いにされて、廃嫡のうえ王位継承権も奪われたんですよね?」
「ベルセルカ、よく知ってるな?」
「あ、えーと……たまたま人に教えてもらったところだったので!
もしも同じことをガイウス十六世がやっていたら、本来王太子だった人が、庶子にされて教会に入れられてっていうことも、ありうるかなーって…」
「少なくとも、この公爵夫人の日記の記述とは反しますね」
「うーん……」
「教会の文献も欲しいところだな。
国教会の首長が国王になったのなら、普通に考えて国王と宗教が対立した上で国王側がねじ伏せたことになる。
……そのあたりの詳しい記録は」
レイナートが問いかけると、ペルセウスは、「それが……」と、顔をしかめた。
「イクソドイデアに、かなりの日記等一次史料が集められているようなんですけど、過去の宗教者の行動記録を開示して神の名誉を汚すぐらいなら、すべて焼き捨てる、と……」
「なんかいろいろ間違ってる!」
レイナートが素直な感想を言った時、彼らを夕食に呼ぶ声がした。
***
(………ほんっとう、最悪……)
夕食時、ふらふらのアンフィデールは、意地で晩餐の席についたものの、ほとんど何も食べられなかった。
魔力は多少回復し、体調もマシになったものの、気分は相変わらず最悪だ。
――――食べられなかっただけじゃない。すべてが最悪な夕食だった。
国王と、騎士と、隣国王女と、カバルス軍・国王親衛隊の面々が、当たり前のように同じテーブルに着く。
猫までもだ。
(いや、おかしいでしょうよ!?)
おかしすぎるのだが、この場にいるアンフィデール以外の人間がそれを受け入れていて、それにひどくイライラさせられた。
黒猫なんて、国王のそばに置かれた皿からむしゃむしゃ肉を食っている。
身分秩序とか、分をわきまえるという言葉を、彼らは知らないのだろうか??
しかも。
国王と騎士が隣同士だ。
席次は気をつけたのか、アンフィデールはテーブルの逆側の上座についたが、その分テーブルを挟んで二人の仲の良さを見せつけられた。
『レイナートさま、鹿肉一切れ要ります?』
『要る。ありがとう。代わりに卵と果物どっち欲しい?』
『果物で!』
お互いの好物の把握ぶりなんて、どうでもいい。
ああもう、最悪、だ。
一対一で向かいあったときには思わず見とれてしまったほど美しい(それでいて何か懐かしい)国王の紫水晶の瞳が、あの女騎士を向いているとそれだけでむしゃくしゃして、気持ちのやり場がなくなってしまった。
どうして、私を向かないの。
理屈で説明できない感情が、胸の内をぐるぐるしていた。
夕食を終えたアンフィデールを、女兵士が部屋まで送った。
けれど気分が荒れていたアンフィデールは、部屋を抜け出し、城の中を歩く。
姉の夫テセウス・プリームスが暮らしたというこの城。
……姉フィリは、アンフィデールがテセウスの愛人にされたことを嘆いた。
守れなかったと謝ってきた。
真相は違う。
徐々に凶悪な本性を見せて、好き放題にやらかし始めたテセウスを恐れ、止められない弱い姉を見て、失望した。
(いずれは自分も身体を奪われ蹂躙されるだろう)
だから、先に〈魅了魔法〉をかけた。
欲情を満たされたあと戯れのように殺されるよりは、相手を魅了したうえで、身体だけ差し出したほうがマシだったから。
あれしかなかった。
あれが最善だった。
そう思っているのに……ほかに道はなかったのかと思っている自分が、いる。
心を奪おうとした童貞(推測)は、手は血に染まっているが身体は清らかな乙女から、目を離さない。
自分も無垢な身体なら、勝負の場に上がれたのだろうか?
断じて恋などではない。
むしろ憎しみに近い感情だ。
純潔は二度と戻らないのだから。
(――――〈魅了〉)
通りすがりの城の使用人の男たちに、〈魅了魔法〉をかけてみる。
手ごたえを感じたと思ったら、たちまちに熱っぽい視線をこちらに向けてきた。
(――――〈服従せよ〉)
すっと、自分の前にひざまずく。
うん、魔法の腕は衰えていない。
すぐに魔法を解くと、不意にゆめから覚めたような顔をして、彼らはサッと立ち上がり一礼して去っていく。
(カバルス軍の連中に効くかも実験したいのだけど、下手にかけてみて、国王に言いつけられたら嫌ね……)
……アンフィデールは、次第に冷静になってきた。
いくら相思相愛の相手が国王のそばにいると言っても、結婚していないという事実がすべてだ。
それは、結婚できない理由があるということだ。
(だって……国王と貴族の令嬢じゃ……)
アンフィデールは足をとめた。
どうやら一番立派らしい客人用の部屋。
そこがレイナートの部屋だった。




