(2)師匠、おかえりなさい!
レイナートはさっと正装に着替え、玉座の間で三人の人物を出迎えた。
ベルセルカは軍装で、騎士としてレイナートのそばに寄り添って立つ。
「ご機嫌麗しゅう、国王陛下。
征北大将軍ネフェル・ローレンシウス、御前に帰還いたしました」
「長い期間ご苦労だった、ネフェル」
迎えられた人物一人目。
長身のすらりとした身体、濃褐色の肌に黄金の瞳の美女は、微笑んでレイナートに礼をする。
ネフェルは、ローレンシウス帝国皇女として生まれながらバシレウス家の臣下となった女性で、政治軍事両面において長年カバルスで活躍してきた。現在は王国軍の征北大将軍の任を務める、三十四歳。
レイナート配下のうちでもかなり上位の戦力の一人であり、火薬武器と組み合わせた魔法を使いこなす女である。
二人目は、隣国ノールトの王女アンフィデール。
ピンクゴールドに輝く、長い髪が腰まで届く。
先日彼女は、姉である女王に反旗を翻そうとしたが、そのクーデターの際、前世の記憶を取り戻した。
下級悪魔の淫魔からの転生者である。
そうして三人目。
亜麻色の髪をした、ネフェルよりもやや小柄な男が、一番後ろに控えている。
大きな目、それに比べて小ぶりな細い鼻は、美男というよりも幼い印象を与える。
全体的に、女の母性をくすぐるような顔立ちだ。
その彼だけは、一礼をすると、いったん後ろへと下がった。
すると、うずうずした様子のナルキッソスが、ぴょいっ、とジャンプして待ちきれないように彼を追いかけていく。
レイナートはかまわずつづけた。
「――――報告はもらっていたが、ノールトの内政はしっかりと安定したようで何より。ご苦労。
ネフェル。生まれたばかりの子とも引きはがして悪かったな。
しばらくは休んでくれ」
「ありがとうございます。
夫と子どもたちは、途中まで迎えにきてくれましたわ。
何か陛下の方に被害はありませんでしたの?」
「『早く母上を国に還してください』って毎回せっつかれたぐらいかな……」
「まぁ」
ネフェル・ローレンシウスは、カバルス軍の幹部グラッドと結婚し、3人の子どもをもうけている。
十一歳の男女の双子、それからまだ一歳になっていない赤ん坊である。
『母ちゃんが帰ってこないのは、陛下に文句言いな』
とか父親が言ったのだろう。
双子はレイナートがカバルス公爵邸に顔を出すたびに、母親を早くカバルスに戻せと直談判に及んできたのだ。
そうはいっても、ネフェルの替わりになれる人間はなかなかいないので、これまでかかってしまった。
引き続き、人材確保は急務である。
「アンフィデール王女、ようこそレグヌム王城へ。
極力快適な滞在となるよう務めます」
「良いわよ、そんな国王モード。
本音でいきましょう。
あたしも、あんたに敬語なんてつかったりしない」
「体裁は必要かと思ったが、それならお言葉に甘えてそうする」
王女アンフィデール。
以前、レイナートたちがノールトで会ったときに比べ、かなり痩せた。肌艶も、悪い。
ネフェルからの定期報告によれば、さすがに国王への反逆を咎めなしとはできず、出発までは一虜囚として牢獄に捕らわれた生活を送っていたようだ。
その青みを帯びたオパールのような瞳は、口には出さない不満を浮かべ。
喧嘩を売りたいのか、視線はベルセルカに対して無遠慮に向けている。
――――ただ残念ながら敵が悪かった。
侯爵令嬢兼騎士のベルセルカ・アースガルズ。
王国一の美女の一人とうたわれるこの赤髪の美少女は、まぁ、昔から恐ろしいほど男に言い寄られ続けたせいで、人の視線をガン無視するスキルは王宮随一なのだった。
そういうわけで、にこにこと可愛らしい笑みをベルセルカが絶やさないので、アンフィデールの眉がちょっとずつ真ん中に寄り始めている。
(敗北した悔しさがある上に、負けた相手に言うままにされているのは腹だたしいか)
そう、レイナートがアンフィデールの考えを推察した時、くっと、アンフィデールは顔を上げた。
「……レイナート・バシレウス。
あたしをレグヌムに呼んだのは、前世の記憶を頼りにしたいから、ということだったわよね。
悪魔の記憶なんて、何につかうの?」
「悪魔についての知識は、まずほしい。
俺たち自身が強くなるすべをさぐりたいのもある。
それから」
「それから?」
「これは三百年前の記憶、という意味で……。
うちの国の、欠けた歴史の一片を、意外とそっちの国が持ってたりするんじゃないかなと思ってな。
まぁ、あれば運がいいぐらいで考えているんだが。
刑罰を課せられるよりはマシだろう?」
「どうかしら、ね。
まぁ、ノールト王女とはいえ虜囚の身ですから、国王陛下の手でなら煮るなり焼くなりしてもらってかまわないでしょうよ」
心にもないことを、心にもないと分かりやすく、すべらせるように言い放つ。
レイナートは、アンフィデールの魔力を視る。虜囚生活ゆえか、かなり落ちている。
落としたまま維持するべきか、いやさすがに王女として遇するべきだろう。
「早速なんでも聞けばいいわ」
「いや、さすがに今日は一度休んでくれ。
明日以降また時間をもうける」
「……いいの?」
「ああ。ネフェルも、急いで俺に伝えたいことは何かあるか?」
「大丈夫ですわ、明日以降で」
「わかった。
今日はネフェルも休んでくれ。
グラッドたちと一緒にカバルス邸に帰ればいい」
「ありがとうございます、陛下」
それから、戸惑う様子のアンフィデールは国王親衛隊の女性兵士たちに連れられて、ネフェルは優雅な微笑みで一礼して、その場を去っていった。
「――――――――さて」
レイナートはすぐに居ずまいをただし、ベルセルカの表情が真剣なものに変わる。
ネフェルたちと入れ替わるように、先ほどの、亜麻色の髪の男が、玉座の間に戻ってきた。
首筋に黒猫をぶら下げて。
「ねぇねぇブルグル先生!!
早く、師匠を出してにゃ!!」
彼の首筋にかじりついているのは、もちろんナルキッソスである。尻尾をブンブンふっている。
ブルグルと呼ばれた男は、
「いや……まだ昼だぞ?」
と言って、ナルキッソスをなでておちつかせようとする。
この男、20代前半に見えるが、かつてのレイナート以上に顔色が悪い。
傷み切ったその肌は、彼が、彼らがめぐってきた旅路の過酷さが感じられた。
「おまえたちもご苦労さま。
……そういえば今回はもう、1年ちかくも各地を回ってたのか」
「ええ。
たびたび連絡係のカバルス騎兵とは接触していたので、国内のことは把握しております。
若が国王になられたと聞いたときは驚きました」
というブルグルの言葉。
そこに、被せるように、
「やぁー、てっきり『あのクソ国王ぶっ殺しちゃったんだぁ若やるぅ★』とか思いましたよぉ」
のんきな女の声が、ブルグルの背中から聞こえてきた。
「ししょー!!
起きてるのにゃ!
久しぶりにゃナルキッソスですにゃ!!」
はしゃぐ黒猫。
ブルグルは
「すみません、陛下、ベルセルカ様。この人、気まぐれすぎて本当に……」
とため息をつく。
「今ので旅路のブルグルの苦労の一端がうかがえました」
「でしょう? ご理解くださると幸いです、ベルセルカ様」
話しながらブルグルは、着けていた革の防具を外して滑り落とし、シャツのボタンを外して、胸元をはだけた。
ぐばり、と、彼の胸の中央に亀裂が十文字に走ったかと思うと……
初見の人間にはとても信じられないことが起きた。
人間の唇のように亀裂が肉色に縁どられると、ヒトデの口のようにねっとりと、その亀裂のふちが動き始める。
亀裂がくぱぁ、と開いた。
さらに、ブルグルの身体のなかに到底入りきるわけのない黒塗りの棺が、ぐわあああっっ……と、その口から吐き出されたのだ。
「はぁ……重かった」と、ブルグルは息を吐く。
その棺はぎいっと音を立てると、開き、その中から黒づくめのゆったりとした怪奇な服に、琥珀色の長い髪の女が身体を起こした。
ほこりにまみれた、とんがった真っ黒い帽子をフウフウと吹いたのち、かぷりと頭に被る。
そうして女は、ニイと笑うと、棺の上で礼をする。
「カバルス軍ゲア大陸調査部隊、イルゼ・ヴァルプルギス、及びブルグル・リー・レクタム。
ただいま御前に帰還いたしました」




