(2)皇帝陛下来訪
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ローレンシウス帝国とは、この征魔大王国レグヌムを含むゲア大陸の南東に位置する『ローレンシウス大陸』まるごとひとつを統治する、恐ろしいほど巨大な国だ。
帝国領の他に15の王国を統治しており、本気を出せばレグヌム程度の大きさの国など簡単にひねりつぶせるだろう……。
だが、レイナートの父である先代カバルス公爵バルバロスの策と、皇女ネフェルがカバルス軍のグラッドと結婚したこともあり、奇跡的にも『友好関係』を築くことができていた。カバルスは、だが。
先日ネフェルとともに王都に来た使者たちから、レイナートの国王就任への祝いはもらっている。
しかし、なぜいまこのタイミングで来た?
◇ ◇ ◇
「こ、皇帝陛下って、去年交代されたんでしたっけ!?」
バタバタとレイナートの衣装を準備するベルセルカは、動揺丸出しの上ずった声で聞いてきた。
走り回るベルセルカとレイナートを、黒猫ナルキッソスが呆れたように見つめている。
「ああ、昨年11月、現皇帝陛下が17歳の誕生日を迎えた折りに即位した。
レグヌムからはユリウス王子と俺が、祝典に出席しにいっただろ?」
シャツのボタンをはずしていくレイナート。
ベルセルカの手が、サイドテーブルに、身につけるものたちをおいていき、それを合いの手を打つように取っていく。
「ユリウス王子にまったく寝かせてもらえなかったんでしたっけ……」
「ファランが、あの人に、枕投げなんか教えるから!」
「お言葉ですが魔法攻撃よりだいぶマシですにゃ?」
こういうとき、前に出てくるのはオクタヴィアであることが多かったので、レイナートも、てっきり彼女が出向くものと思っていたのだが。
どうやら、枢密会議としては、少し前に18歳になったユリウスを、次期国王として存在感を高めておきたい狙いがあったらしい。
何せ、オクタヴィアは、美貌で聡明な王女だと異国でも有名だ。
是非お輿入れをという話も何度かあった。
本人が嫌がったことと、どの国に嫁がせても敵に回したら危険だと国王や貴族連中が警戒したことから、そのいずれも実現はしなかったが。
それに比べてユリウスの印象は、比較的薄いらしかった。
「……まぁ、若くして皇帝の地位につくのはローレンシウスでは珍しくないらしい。
“院政”とでも言えばいいのか。
まずは上皇が実権を握った状態で、徐々に権力を移行させていく。
皇帝にしか教えることが許されない秘伝とかもあるんだそうだ」
「前の皇帝陛下が、ネフェルのお兄さんでしたっけ。まだ40代ですよね?」
「ネフェルの父上である先々代の皇帝も健在だったぞ。うちの父と同い年だったかな。
家族仲がいい家は強いな」
「――――でも、その皇帝陛下が、今回どうしてカバルスに??」
「しかもアポ無し訪問にゃ。
皇帝とはいえそういうの許されるにゃ?」
「普通、ない。絶対」
力関係を確認させる行為と取るべきか。
しかし、それでもむげにできないのは確かなのだ。
いったん、『国王として最低限人前にでても大丈夫な服』に着替え終えたレイナート。
ベルセルカが頭に手を伸ばし、薄く伸ばした椿の油で、黒髪を整える。さらに、骨ばった彼の手首に練り香水をちょっぴり塗り込んだ。
「――――すまん、ありがとう助かった。
見られるようにはなったかな」
「ちゃんと国王っぽくなりました!!
オクタヴィアさまも大丈夫でしょうか?」
「ドレスだけをさっと着替えると言っていたが」
と、レイナートが言うか言わないかのタイミングでドアがノックされ、オクタヴィアが顔をのぞかせた。
「もう、行けるわね?」
「ええ、大丈夫です。
ナルキッソス、おまえも来てくれ」
「にゃ!?
ベルさま留守番でオレおともにゃ!?」
「――――おまえの知る異世界の情報が必要になるかも知れないからな。
おまえは、俺たちが存在を捕捉している話せる異世界人のうち、最年少だ」
「わ……わかったにゃ!!」
「ベルセルカも……一応あとでカバルスに来ていて待機していてくれ。
できればあの人とは、おまえは会わせたくないんだが……」
「了解しました!!
支度は正装と武装どちらで?」
ぷっ、とオクタヴィアが吹き出したが、レイナートは大真面目な顔で、「武装で頼む」と返事をした。
「――――では、行きましょう、オクタヴィア」
肩の上にナルキッソスを載せたレイナートはオクタヴィアをうながし、戦場に出向くときよりもはるかに厳しい顔をして、王城の転移ポイントである神樹の分け樹へ向かった。
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王城とカバルスは、普通どんな駿馬を乗り継いでも5日はかかる距離だ。
しかし、王城には、カバルスの海をのぞむ崖の上に生えている神樹の、分け樹が植えてある。
その神樹の力を借りることで一定以上の腕の転移魔法の使い手ならば、神樹と分け樹を一回の転移で行き来することができた。
レイナートとオクタヴィアたちが木の下に転移するとすでに馬車がスタンバイしていた。
そして引くのは、たった一頭。レイナートの四頭の愛馬の一頭、黄金の馬クサントスだ。
乗り込んだ馬車は恐ろしい勢いで走りだし、城門で囲まれた街の中に入っていく。
防衛重視で、城までまっすぐにはつくられていない坂道をクサントスはものともせず駆け上がり、馬車のなかからでも聞こえるほど鼻息荒く、カバルス城の中に駆け込むと、正面玄関の前で、止まった。
馬車の扉が外から開かれる。
待機していた使用人たちだ。
したたかに打ち付けた尻の痛みを我慢しながら、レイナートが馬車の外に出た。
「おや、意外と遅かったな。
レイナート」
上から、ほんのりと聞き覚えがある、透明感のある中性的な声が降ってきた。
城のバルコニーから身を乗り出した、褐色の肌の、太陽のような笑顔。
しかし、この笑顔に騙されてはいけないとレイナートは肝に銘じている。見た目どおりの無邪気では、決してないのだ。
「…………普通、今日中には来れませんからね?
皇帝陛下」
「貴様の着替えの時間など知らぬわ。
早く上がってこい。
余は待ちくたびれたのだ」
肩ほどまでの黒髪の少女は、クスクスと笑い、来い来いと手招きしてみせた。
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