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(16)正しい打算と間違った愛




   ◇ ◇ ◇



 ―――征魔大王国レグヌムの南端。

 海に面する地、カバルス公爵領。



 名馬、医師、豊富な海産物、柑橘類はじめ果物類、それに転生者たちが続々作り始めた新たな作物……。レグヌムの中でも一、二を争うほど食料に困らない、豊かな地である。

 そこにこの春、『国王のお膝もと』という称号が加わった。



 この地は、もちろん王都からは遠く離れている。

 馬で5日はかかるほど遠いのだが、〈転移魔法〉を使っても一度に移動できる距離はたかがしれているので、かなりの回数繰り返さないとカバルスまではたどり着かない。



 しかし、移動にはひとつ抜け道がある。



 カバルスの、海を見下ろす崖のうえにそびえる神樹がある。


 ここでの『神』は、国教会がただ一柱の存在であり他にはありえないと言っている唯一神のことではなく、一神教が入ってくる前に信じられていた土着の信仰の神だ。

(ただしレグヌム国教会は、そういった“神”を、精霊の誤認だと言ったり、時には異端とか悪魔と呼ぶ)


 その神樹からの分け木が、王城のとある一角に植えてある。

 王城とカバルス。2か所に分かれたその神樹の力を借りて、〈転移魔法〉を強化し、それらの樹々のもとを往復できるのだ。



 レイナートがレグヌムのはるか東で赤い(ドラゴン)に絡まれていたよりも少し前。

 その樹々の力を利用して、王城からカバルスへ〈転移〉してきた、2人の男女がいた。



 そのうち一人は侯爵令嬢エレナ。

 〈転移〉にはまだ慣れないのか、突然連れてこられた見知らぬ場所に目を丸くし、きょろきょろと見まわす。

 そして、王都よりも強く照る太陽に、まぶしそうに眼を細め―――



「カバルスは初めてっスか?」



 彼女をここに連れてきたファランクスに問われ、「え、ええ…」と答える。

 答えたのち、気の強そうな目を、そのまま海に向けて。



「…………こ、これは………?」



 しばらく絶句して、それからようやく言葉を絞り出すように言った。



「――――な、なんですの、あれは……」


「……えっと。

 なんですのって、何を指して?

 船っスかね、それとも漁師が珍しい?」



 ブンブン、とエレナは首を振る。

 はて?とファランクスは疑問に思いながら、しばらく青い青い海を見つめて、ああ、とうなずいた。



「そっか。エレナちゃん、海を見るのも初めてだったんスね!」


「海? これが……?」


「ええ、海っスよ。

 俺たちが住むこの大地は、周りを、この海に囲まれてるんスよ。

 んで………」



 ファランクスは、眼下に広がる海を指さした。



「若はこどものころから、オレたちとこの海で泳いで育ったんすよ。

 あのひとすげー泳ぐのうまいって、言ったでしょ?」


「陛下が、ここで………」



 感嘆したような声を漏らして、エレナは思わず一歩前に出る。



「あ、ダメ!そこ踏んじゃ!」


「え、こ、ここが、どうしましたの?」


「そこ、若のお父さんとお母さんのお墓!!」


「こ、ここが!?」



 エレナは足元を見る。

 こじんまりとした石の碑が、確かに地面から飛び出ていた。



「これが、先代カバルス公爵と、……陛下を出産して、すぐ処刑されたという女の……」



 国教会の教えのもとで育ち“転生者は大罪人”と刷り込まれて育ったエレナは、どうしても処刑されたその女性のことを『陛下のお母さま』と言えなかった。

 言えない自分に、ちくりと胸が痛んだ。



   ◇ ◇ ◇



「自己評価が高くて、何が悪いのでしょう?

 だってわたくし、家柄も美貌もあらゆる素養も兼ね備えていますもの。

 求婚の際あなたさまもそうおっしゃいましたわよね?」



 勘違いした殿方の求婚を断り、態度が高慢だと言われるたび、エレナは胸を張ってそう言い返した。


 父も母も、貴族の常で外に愛人をくっていたのは知っているが、それでも、エレナにはとことん、惜しみなく愛情を注いでくれた。

 容姿を褒めてくれた。寄り添ってくれた。

 駄々をこね我がままを言った時には、こんこんと、じっくりと話を聞いてくれた上で諭された。

 両親だけではなく、兄も使用人たちもみな優しかった。


 成長して、ほかの貴族の家の内情を漏れ聞くたびに、ああ、わたくしはなんと恵まれているのでしょうとため息をついたほどだ。


 しいて言えば、気に食わないのは、常にエレナよりも社交界の噂の的になっていた、同い年の同じ侯爵令嬢ベルセルカの存在ぐらい。

 エレナを差し置いて、王国最高の美女とうたわれているとか。

 エレナに求婚してきた殿方の8割が、先にベルセルカに振られていたりとか。

 ……決して軽くはないけれど、それぐらいだ。


 それ以上に優先したいこと、がんばりたいことがエレナにはあった。



(わたくしは、家族に恩を返したい。家を繁栄させたい。

 だから、王妃になるのですわ)



 今は同盟国に留学している兄が継ぐ、オストラコン家。

 その家の繁栄のために、エレナは未来の国王、ユリウス王子を射止めると心に決めた。


 ユリウス王子のことを、素敵な殿方だと評価していた。

 “恋”などという個人の汚い欲望や劣情ではなく、貴族の家に生まれた娘としてあるべき正しい打算のもとで下した、評価だ。



 その正しい打算のもとで、手練手管をつかい相手にも自分を評価させるか、あるいは相手にだけ自分に疑似恋愛めいた感情を抱かせて、ユリウス王子を“堕とす”。

 自分こそがそれをやり遂げてみせる。と、



 ――――それは、あの“血の結婚式”の夜、粉々に打ち砕かれた。



(…………ああ、わたくし、もうこのまま死ぬのですわ……)



 あの夜。あこがれていたユリウス王子の剣で切り裂かれ、大聖堂の中で、空を見上げていた。

 意識を手放そうとした、その時だった。

 ほほをいきなり叩かれて、


「………生きているな!?」


と乱暴に問いかけてきた男がいた。

 うっすら目を開けると、見覚えのある、黒髪。

 カバルス公爵レイナート・バシレウスがそこにいた。


(……やめて、その穢れた手でわたくしに、)


「……触らないで……」


 王族と言っても異世界人の血を半分引いている。エレナは、ベルセルカが主と仰ぐレイナートのことを、おぞましい存在だと思っていたのだ。


 痛みが引いていくのが悔しかった。

 本当なら奴隷のはずの男に助けられている。

 このわたくしが。どうして。


 レイナートはエレナの身体に治癒魔法をかけ続け、いつしか、痛みはすっかりなくなっていた。

 しかし、血を失ったせいか、意識を保てない。


 最後にレイナートに何か罵倒の言葉をかけてやろうとしたエレナは、大きな手に、うっすら開いた目をふさがれた。



「――――少し眠っていろ。

 貴女(あなた)は助かる」



 穏やかな低い声は、とたんにそれまでのエレナの悔しさと攻撃性を奪い去った。

 と、同時に、今までにない胸の高鳴りを、ほんのひと時だけ、感じた。

 胸に宿る熱は、夜が明けてから、エレナに現実を思い出させた。

 今まで蔑んできたレイナート・バシレウスが、エレナの命を救ったのだということを。


 そして、そのレイナートが国王になり、“王妃になる”というエレナの目標をかなえるということは、つまり、彼を“堕とす”ことだということを。



 それを知ったとき、なぜか動揺してしまった。

 何も今までと変わりはないのに。

 自分が王妃にふさわしい女性であるという自信も、何一つ傷ついてはいないのに。


 ユリウスの時と同じように、レイナートにアプローチを試みてみる。

 すると、近づくと、どうしてだかドキドキしてしまうのだ。

 腕を組んでみる。心臓が高鳴る。冷静でいられなくなる。なのに嬉しい。


 そのうち、遠くからレイナートの姿を見かけるだけでも、話せなくてもなぜか嬉しくなるようになってしまった。

 執務室の近くに行くのが嬉しい。贈り物を選ぶのが、嬉しい。



 だけどあのお方は、幼なじみだというベルセルカと、いつも一緒。ずっと一緒。



(わたくしは、どうしてベルセルカより先に、あの方と出会えなかったのですの?)



 そう自分に問いかけるたびに、思い出すのだ。

 レイナート・バシレウスの血を蔑んでいたころの自分を。


 思い出しては――――エレナは完全無欠だと思っていた自分を、嫌いになりそうに思うのだ。



   ◇ ◇ ◇



「……海が見える場所に、眠られていますのね」


「まぁ、神樹の下っていうのがでかいっすけどね、きっと」



 その場でひざまずき、しばらく神妙な顔でお祈りを捧げていたエレナだったが、やがて立ち上がると、


「――――で、どこに行けば良いのか、エスコートしてくれるのですわよね?」


 と、いつもどおり、可愛らしい声で若干横柄な態度で、手をとれ、とばかりに突きつけるのであった。




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