第九十六話 親子
卒業生退場で体育館から出て、教室に帰ると黒木が話しかけてきた。でも、すぐに家族の元に行かなければならないようで、
「また絶対連絡するからな」
とだけ残してすぐにいなくなった。
「親父のやつ来てたな」
体育館で保護者席に座っていた親父。でも親父が俺と直接しゃべるわけがない。もう帰ってるんだろうなと思う。モヤモヤした気持ちになる。親父のことを嫌いながらも、俺と違って頭が良くて弁護士でもある親父に憧れてもいた。
『六条の親父って弁護士だろ。すっげえな』
『俺ん家の親父なんて普通のサラリーマンだぜ。やっぱ弁護士は頭いいの?』
『はは、まあ、聞いたことはなんでも知ってたりする』
そういえばよく学校で親父のことを羨ましがられた。小学生の頃の俺は、それが嬉しかったのだ。ただ、その頃からもう俺と親父の仲は悪くなっていた。というより、俺が一方的に親父から煙たがられるようになった。
親父はいつも家に帰って来るのが遅くて、俺はいつも寝てしまっているから親父の声が聞きたくて電話したこともある。でも『電話は用事があるときだけにしろ』と言われてからは、それもやめた。
自分はどうしてあんな育て方をされたのだろう。
体育館で親父の顔を見たせいか、最近考えなくなっていた昔のことを思い出してしまう。
『伊万里。なんで二人とも帰ってこないんだろうな』
『……そんなこと私に聞かないでよ。あんたが嫌だからでしょ』
まだ伊万里との仲もうまくいっていなかった時。伊万里も俺と一緒にいたくないのかよく出かけて家にいなかった。
俺は頭を振って思考を切り替えた。
今から伊万里とダンジョンに入るか?
最初に伊万里の面倒を見るのは俺だから、俺が早くしなきゃなと考えて、美鈴の方に声をかけようと探した。美鈴がクラスメイト達と泣いている。こういうとき、何故人は泣くのかとふと考える。最後の別れを惜しんでいる。
でもそれで泣く必要があるのかわからなかった。
こういう時、俺の感情がびっくりするほど揺れないから理解できない。
美鈴はその後、俺の所へと涙を一生懸命拭いてから寄ってきた。美鈴が横に来るとなぜか安心して、声をかけてくるクラスメイトに軽く返事だけして、教室から出た。最後になる廊下を美鈴のためにと思ってちょっとだけゆっくり歩いた。
「私ね。結局今日も学校用のキャラ作ってた」
「今更変わったところで仕方ないよな」
「今日で終わりだもんね。でも、最後に祐太とこの廊下を歩けてよかったよ。学校での祐太との思い出が一つだけだけどできたもん」
玄関で靴を履き替え、内履きも持って帰るのだと手提げ袋の中に詰め込んだ。外へ出ると美鈴のところに両親が、真っ先に歩み寄ってきた。
「祐太。私、男の子とダンジョンに入っていることを両親に言えてなくて……」
美鈴が情けない顔でこちらを見ていた。先ほどまで泣いていたから、目が真っ赤だ。さすがにこの美鈴に『これからダンジョンに入ってくる』なんて言うことが、どれほど場違いかはわかった。
「いいよ。行きなよ」
「ちゃんと言っとけばよかった」
「反対されてるのにそんなこと言えなかったんだろう?」
「いっそ今言おうか?」
「駄目だよ。こんなところで両親と言い争いになったらどうするんだ。それより早く行かないと俺との仲を怪しまれるよ」
「うぅ……すまぬ!」
最後の『すまぬ』が思わず笑えた。やはり美鈴がいてくれて良かったと思う。美鈴はかなりこちらを気にしていたが、おとなしく両親のもとへと歩いていった。
「『こんな日に一人は寂しい。俺のそばから離れるな』って言えばいいのに。そうしたら親と喧嘩してでも美鈴が一緒にいてくれたわよ」
榊さんが歩み寄ってきた。
「こんなところで喧嘩とかありえないよ」
「六条。あんたは人間関係を我慢しすぎ。そんなにイケメンになったんだから、もっと思うがままに振舞いなさいよ。だいたいあんたの顔に『寂しい』って書いてるわよ」
「……」
自分の顔をベタベタと触る。寂しいなんて言葉が書いてないことだけは間違いなかった。
「ねえ六条」
「なんだよ」
「この後、ホテルにでも行こうか? 卒業式の日にイケメンとしっぽりなんて、きっと忘れられない思い出になるわ」
「榊さんは自分に正直で羨ましいよ」
「あんたがひねくれ過ぎてるのよ」
「それは自覚してる」
「ねえ、しばらくダンジョンの外なんでしょ?」
「まあ」
美鈴にでも聞いたか。何を言いたいかは言われずとも分かった。
「いつでもいいから、私とどこかで会えないの?」
グイッと距離が近くなる。105センチの巨乳が当たりそうだった。この少女にクリスティーナさんたちとパーティーを組まないかと提案したい。俺のサブパーティーになれと、命令したら聞いてくれるんだろうか。
「……会えないことはない。俺とのエッチが報酬じゃないなら、榊さんに頼みたい事もある」
「エッチ無しで、お触りはあり?」
「まあ、少しぐらいなら……変なとこ触るなよ」
なんだかこの顔を使っていけない商売でもしている気分である。
「分かってるってば。私は六条の顔が見れるだけで幸せだから、顔を触らせてくれるだけでもいいの。エッチなことは他とするわ。で、いつ会う?」
「バイクの免許も取りに行きたいから1週間後」
「バイク免許? 確かあれって2、3週間は必要よ」
「レベル10以上だと一日で終わるらしい」
「へえ、探索者の優遇制度ってそんなことにまで及ぶんだ。まあ、確かになんか物覚えが、すさまじくよくなったし、バイクに乗るぐらい簡単だろうけど。あ、そうだ。六条」
榊さんが甘えるような声を出した。容姿レベルが上がっているせいで、それだけでゾクリとする。
「私もそれに一緒に行くわ。その後、カラオケでも行きましょうよ」
「か、カラオケ!?」
「何よ? 嫌? それならまあ喫茶店とかでもいいけど」
「いや……まあカラオケでいいぞ」
カラオケ。行ったことがない。リア充しか行けないという聖地。そこでは歌を存分に歌うことができて食事もできるらしい。ちゃんと歌える歌を練習して行かないと、かなり恥ずかしいことになるとも書いていた。
「分かってるってば。じゃあバイク免許はいつ?」
「平日は申請したらいつでも講習をしてくれるらしいから、来週の金曜日ぐらいかな。朝の10時から免許センターだ。ああ、あと、特別習得費用で50万いるらしい。調べたら書いてた」
「世間は相変わらず探索者にふっかけてくるわね」
「まあ値引き交渉する探索者はあんまりいないからな」
「まさに成金の鑑ね。じゃあ金曜の朝の8時に銀の鈴ね」
「銀の鈴?」
どこだそれは? 銀の鈴なんていっぱいあるだろう。
「知らないの?」
「知ってないとダメなのか?」
「駄目じゃないけどさ。六条、あんた本当に遊んだことないのね」
「……ああ、ない。自分でもびっくりするほどない」
「ふふ、まあイケメンになったことだし、これからしっかり遊びなさいよ。銀の鈴は東京駅にあるからネットで調べればすぐ出てくるわ」
「わかった。ちゃんと調べておく」
「家まで一緒に行こうか?」
「親は?」
どの道、一緒に行くつもりはないが気になって尋ねた。
「私の親はその辺、ウェルカムな人たちだから気にしないわよ。むしろこんなイケメンと一緒の方が喜ぶんじゃないかな」
「そうか。でも、もういっていいぞ」
ふと後ろから人が近づいてくるのに気づいた。なんだ。まだいたのか。
「急にどうしたの?」
「いいから」
「……まあいいか。一人になって泣いちゃだめよ。寂しくなったら私に電話してね。いくらでも話に付き合ってあげる。もちろん呼んでくれたら飛んで行くわ」
この女、弱っている男の籠絡の仕方がわかっているな。勘違いなんてしないからな。この女は俺の顔が目的なだけだ。
「祐太」
後ろから声がした。振り向くと父親の姿があった。
「親父……」
「いや、祐太で間違いないんだよな?」
直接会うのは数年ぶりになる。ダンジョンに入ってなくても、この人は俺だと気づかなかったんじゃないのか。
「祐太だよ。ダンジョンでかなり姿が変わった。それだけ」
「そうか」
「捨てた子供の顔が良くわかったね」
まず嫌味な言葉が出た。親父はきっと俺と喋りたくない。だからそのままお互い喋らなくなった。あまりに喋らないので、暇で、周囲を見渡す。美鈴は親御さんと一緒で、幸せそう。どういうわけか桐山芽依の姿も見えた。
有名人の姿に周りが騒ぎになっている。本人は全然気にしてないようだ。目が合うと軽く手を振られたが無視した。それぐらいこの親父の前にくると、俺の機嫌は最悪になる。会いたいと思って期待しているのに、会うとやられた仕打ちを思い出して腹が立ってくる。自分でも実に面倒な性格だと思った。このままずっと喋らなくてもいいぐらいだが、親父が口を開いた。
「もうあのマンションの部屋は引き払ったそうだな」
「ああ、もうない」
この人と久しぶりに会えて、その時、この人の世話に一つもなっていないことが幸せだと思えた。親父は眉毛が太く、笑うと人柄が良さそうな人に見えた。スマートな体型で、きっと俺がダンジョンに入らずに自信を持って生きていたら、こんな姿になっていたかもしれない。
「歩くか?」
「ああ」
親父には俺たちの住所を教えてなかった。伊万里が教えているかもしれないが、そんなことはどうでも良い。俺から教えるのが嫌で、家の方には向かわず、真逆の方向に歩いた。それなのに親父が横に歩くペースに合わせてゆっくりと歩いた。
「祐太」
「……」
「お前、自分の母さんに会いたいか?」
急にそんなことを言われた。伊万里の母親のほうではなく、実母のほうだろう。少し考えてから口を開いた。
「気にならないことはない」
会いたいと思ったことは何度もある。しかし、親父は一度も俺に実母との連絡をさせてくれたことがなかった。そして向こうから連絡してきたことも一度もなかった。
「それなら祐太。私はお前ともう会うこともないだろうから、これだけは渡しておく」
俺は紙切れを受け取った。妙に古びた紙切れで、そこには沖縄の住所が記載されていた。
「まだそこに住んでいるかどうかは知らんが、会いたいなら勝手に会いに行けばいい。だが、なんの期待もするな」
「どういう意味だよ?」
「考えてもみろ。いくら私が弁護士でも母親から子供の親権はめったなことでは奪えない。あの女はお前を置いて出て行った。後で調べて分かったことだが、見た目のいい男と一緒にいるのが、近所で何度か目撃されていたらしい」
「この住所はどうやって分かったんだ?」
「書置きに書いてあった。【祐太がどうしても母親と住みたいと言うなら、ここに連れてきてください】とな。ふざけるなと思ったよ。なぜ私が不倫相手と住んでいる沖縄にまで行って、息子を引き渡さなきゃいけないんだっとな。それでも、それだけなら連れて行ったかもしれん。だが【できればあなたが育ててほしい】とも書いていた。【その方がきっと幸せに育つ】ともな」
親父はいまだにその書き置きを取っておいたのか、渡されたこの紙はその当時のままのようだった。住所以外の部分は自分の方に置いておきたいのか、綺麗に切り取られた紙だった。
「親父はお母さんが好きだったのか?」
「そうだな。当時はあいつのことしか考えられなかった。なぜだったんだと思って寝れない日も何度もあった」
「どんな人だったか聞いてもいいか?」
幼心に残っている母の姿はおぼろげで写真一つ見たことなかった。声も姿も考えれば考えるほど頭の中で曖昧になっていく。
「一度も語ったことがなかったか。母さんはな、天真爛漫で私が仏頂面をしているとよく笑わせてくれた。私はあの女がいたから笑うことを覚えた。一緒に居ると楽しかった。どうして……。私は、あの女に捨てられ自分のプライドがひどく傷ついた。私の何がダメだったのか……教えてくれることもなかった」
「だから俺を捨てた?」
「私はお前がそばに居るとたまらない気持ちになる。お前はあの女をどうしても思い出させるんだ。見た目とかではない。何か根本的な部分が似ているんだ。それでもずっと堪えていた。しかし、再婚した伊万里の母親まで、俺を捨ててほかの男に走った」
「……」
この親父、女に逃げられる何かがあるんだろうか?
「今の相手には逃げられてないの?」
「逃げられてない。子供も二人出来た。お前よりも可愛い」
「だろうね」
きっと以前なら、この場で喧嘩になっていた。でももういいのだ。新しい妻とその二人の子供と幸せに暮らしてくれたらいい。今でも弁護士のくせに自分の処理できない気持ちを子供にぶつけたことが許せなかった。でも俺も変わった。俺は俺で生きていく。そう思える程変わった。
「俺はお前が生まれなければ良かったとずっと思っていた。お前が優秀でないことがいやなのではない。あの女の子供で、俺の汚点だと思うのが嫌だった」
「そうなんだ」
「私に怒らなくていいのか?」
「何を期待してるんだよ」
「きっと以前のお前ならもう怒りだしていた」
「今の俺はもうそんなことで腹が立たないんだよ。親父、俺は探索者なんだ。レベルも23になった」
「探索者になったお前ももう私のことなど、どうでもよくなったか?」
確かにそうだ。どんどんと親父に感じていた期待が醒めていくのがわかる。むしろお母さんが本気で好きで、今でも未練タラタラで、俺は今の話を聞いて親父に同情心が湧くぐらいの余裕があった。
「かもな」
「……」
「親父。探索者は15歳で成人と認められる。もう頼ることも話すこともない」
「……」
「あの時あんたが俺を捨てたように、今度は俺があんたを捨てる。今まで育ててくれてありがとう。感謝もしてる。これは皮肉じゃなくて本当の気持ちだ。今、俺は生まれてきて良かったと思ってる」
「そう思えるのか?」
「ああ、思える」
「そうか……努力したのか?」
「それなりにしたよ」
「可愛げのない息子になったのだな」
「ああ、だからさようならだ」
「祐太」
呼び止められたが、止まらずに逆方向へと歩いていく。それ以上、後ろから声が聞こえてくることはなかった。親父に対する期待が少しだけまだ自分の中に残っていたのが、本当に終わったのだと消えた。
「達者でな」
最後にそんな声が聞こえた気がした。





