第九十五話 卒業式
自分の人生の中でまさか校長先生に謝罪される日が来るとは思わなかった。学校に来るとまず鶴見先生から校長室へと案内され、そして、目の前で校長先生がしっかりと腰を90度に曲げていた。そうして、担任の前沢先生を懲戒解雇にしたという事実を改めて聞かされた。
勿論、校長先生に教師を首にする権限はない。
だが、前沢先生のことを理事長に報告したのはこの人らしい。さらに理事長が教育委員会に探索者が虐めの被害にあったと報告する。そうすると、今の時代はどんな教師でも一発で教員免許まで剥奪されるらしい。世知辛い世の中だ。
「本当に申し訳なかった。私の監督不行き届きで六条君にはまことに不快な思いをさせてしまった。今後、私も含めて教師一同、このようなことが学校内で決して起きないようにつとめる」
校長先生はいっそすがすがしいほどに15歳の子供に頭を下げていた。
「今となってはもういいんです。それよりもさすがに首はやりすぎじゃ」
というより、前沢先生は人生が終わったと言ってもいいぐらいの処分を喰らった。虐めに対して自分で決着をつけたつもりだった俺は、むしろこの事には戸惑いしかなかった。
「いや、これは当然の処分だ。探索者相手に不用意なことをした彼の認識不足が悪い。いつまでも昔の考えに固執していてはいかんのだ。時代は急激に変わっていってる。そのことを子供を教え導く教師こそが認識していかねばならない。そういう意味では、前沢先生は悪い意味で、ほかの先生方への模範となったのだ」
「そうなんですかね」
いつまでも考えを変えない大半の教師に対する見せしめ的な意味があったのだろうか? 12英傑会議以降、時代は本当に変わってきている。伊万里もそんな話をしていた。
『最近はなんかダンジョンに行こうみたいな。番組が増えたよ。芸人がレベル3に挑戦してダンジョンに入る番組とかね。ちょっと前までダンジョンに行くことを反対していた人たちも、「ダンジョンに行ってレベルが上がれば、病気にならない」とか。「エリートになるにはいい高校、大学に行くより、ダンジョンに行ったほうが近道だ」とか。それでも死んじゃったら意味ないのに、もうそんなことも言わなくなったな』
俺がダンジョンに入る前はそんな番組はなかった。しかし俺がダンジョンに入っているたった二ヶ月の間に、急激に専門家やコメンテーターの意見が変わってきてるらしい。
そのことで、必ずしもDランに通う必要はないという風潮が生まれつつあり、ダンジョンにいきなり挑戦しようとする人も出ているらしい。校長先生が15歳の子供にでも頭を下げるぐらい異様に、急激に常識が変わってきている。
「君は先見の明があるよ。一般教師ではまだまだ反対するものは多いが、上に行けば行くほど、どんどんと探索者に逆らわないようにと、そういうことになってるんだ。かくいう私も探索者とはそんなにすごいものなのかと、ダンジョンに入ったことがあるんだよ。何しろ木森様は90のお婆様だったというのだから、私にもできるのではないかと」
「どうでしたか?」
「あ、いや、余計な話をしているね。すまない。それと例の池本君の件もこちらでちゃんと処理させてもらった。生徒にも教師にも緘口令を敷いている。君のクラスでも、もう君のことをネットに書き込むようなバカはいないと思うが、何を言ったところで、なんの問題にもならないと約束しよう」
「ありがとうございます」
校長先生が、汗をダラダラかいているのがわかった。まだ春先である。15歳の子供を相手にかなり緊張しているようだった。
校長室から出ると、外から春の日差しが差し込んでいた。そういえば季節もかなり巡ったなと青葉が多くなりだした外の銀杏の木を見て思う。ダンジョンに入り始めた時は寒かったのに、今はもう寒いと感じない季節になっていた。
「どうだった?」
校長先生は謝罪する姿を鶴見先生に見られたくなかったのか、鶴見先生が外で待たされていた。
「あそこまでペコペコされると、自分が悪いことをしている気分になりました」
「下心ありまくりだから気にしなくていいわよ。あわよくば私じゃなくて、あなたがこの学校で探索者関係の揉め事が起きた時の対処をしてくれたらって思ってるのよ」
「そんなことは言ってなかったけどな」
「あれで君よりは長生きしてる人だから、匙加減はわかってるわよ。学校側としたらレベルの高い探索者の出身校っていうだけで、学内で問題行動を起こす15歳の抑えになる。まあ、『君の将来に期待しているよ』って、感じね。割と本気でね」
「期待ですか……」
夢を見て探索者になった。その夢が徐々に形になってきている気がしたけど、形になればなるほど人間の醜さというか現実が見えてくる。子供じゃなくても大人でも、強いものに靡く。そして俺はその靡かれる側になりたいと思っていただけなのか。
「もっと夢があるものだと思っていたはずなんですけどね」
「この世は人の強欲が生み出した世界。夢のようにはいかないわ。現実が見えてきた時に、それをどう捉えるのか? それが下手な人間は生きるのが苦しいわよ」
「間違いなく俺は下手な人間です。生きるのが苦しくならないか、今から心配になってきました」
「ぷっ。本気で言ってる?」
「本気ですよ」
「はいはい。さあ、教室に行きましょう」
鶴見先生が廊下を歩きだした。なぜか俺の本気を取り合ってくれなかった。
「鶴見先生、いつから担任なんですか?」
「二週間前。まあ、今日、君たちが卒業するまでなんだけどね」
「いろいろご苦労かけて」
「いいわよ、教師を辞める最後の最後で担任になれたしね。こう見えて私、結構な熱血教師だったのよ。ダンジョンが現れるまでの私の夢は、クラス担任になることだった。クラス担任になって困ってる生徒を全部助けてあげようと思ってた。あなたのおかげでこの夢がほんの少しだけ叶ったかしら? まあ池本君のことは残念だったけどね」
「本当に……」
俺にとっての中学生活は池本との悪い思い出ばかりである。あいつから逃げる方法ばかりを毎日考えていた。俺は池本がいるから学校でトイレに行くことすら普通には出来なかった。どうしてかというと、いつも池本たちがトイレでたむろしていたのだ。
そうじゃなくても探索者をする前の俺は自信がなくて、人前でおしっこも緊張してできなかった。それでも生理現象だから、トイレには行きたくなる。そういうときにどうしていたかというと、いつもこの校長室の方に来た。
校長室の近くに誰一人として利用しない生徒用のトイレがあるのだ。誰もいないトイレ。これが俺にとっては最高の空間で、休憩時間になると、よくここのトイレを使わせてもらった。
「懐かしく感じるほど時間はまだ経ってないんだけどな」
俺は、自分がいつも逃げ込んでいた誰もこないトイレの前で立ち止まった。
「トイレ行きたいの?」
「いえ」
もう二度と、ここのトイレに入ることはない。しかし、随分助けてもらったトイレだった。一瞥して俺は歩き出すと、一度も相談することがなかったカウンセリング室の前を通る。これから先、学校というものに、もう通うことはない。
15歳で探索者になることを選んだのだ。15歳ではまだ早いという思いもあった。今更だが、頭の中で俺が学校を楽しんでいる姿がよぎった。
「そんな奴はどこにもいなかったよ」
ふと呟いて妙に教室の方が騒がしいと思った。俺のクラスではない。一年生の教室の前を歩いていた。教室の中からこちらへの視線を感じた。
「あの人よ」「めっちゃかっこいい」「六条先輩すごいよね」「俺もあんなに格好良くなれたらな」「Dラン入る前にレベル10越えしたら、俺もすごい人生になるのにな」「あんま期待するなって」「ダンジョンに入っても命かけた割には、レベル3の壁が越えられなくて平凡なのがほとんどらしいぞ」「あんなにイケメンになるのなんて、本当にごく一部らしいから」「ほとんどはちょっとイケメンぐらいらしいぞ」「最悪、何も変わらないパターンもある」「それだけは勘弁してくれ」「もしそれになったら泣ける」
ほとんど俺の顔に対する評価の声が聞こえてきた。
「ねえ、六条君」
「何ですか、先生?」
「あなた前とあんまり顔が変わってないわよね? レベル10まで魅力値は上がるはずなんだけど……」
「ああ、いろいろ問題があるので、変装してます」
「簡単に言うね。完璧な変装なんてストーンでは絶対に無理なはずなんだけど……」
鶴見先生もそれ以上深くは聞いてこなかった。自分のクラスの前に来た。まず美鈴に目線が向いた。相変わらずクラスメイトに囲まれて大人気である。榊さんもずっとダンジョンにいて学校には久しぶりにきたそうだ。
榊さんの現状に俺は詳しい。どうしてかといえば、彼女が自分の詳しい現状を俺に送ってくるからだ。
魅力52。
身長162センチ。
バスト105センチ。
ウエスト61センチ。
ヒップ87センチ。
体重50キロ。
性能が良くなった頭がその数字を完璧に覚えていた。俺はIカップだというたわわに実った胸部装甲に目を奪われながら、教室に入り、席へと座った。
「30分後に卒業式会場に移動だから、しばらく自由にしていいわよ。先生は十分前に戻ってきます」
鶴見先生はそういって教室から立ち去った。先生がいなくなるといつも俺は一人だった。まだ教師がしゃべっている時の方が、疎外感はなかった。クラスメート同士が仲良しグループで集まりだす。この瞬間が俺は嫌いだった。
しかし今日だけは違った。まず美鈴と榊さんが、すぐに俺のそばに来た。
「聞いてよ祐太。小春が、三階層でS判定取ったんだよ」
「へ、へえ、すごいね榊さん。ジョブはなんだったっけ?」
「呪師よ」
まるで榊さんのことを何も知らないようにしゃべる。榊さんもそれに合わせてくる。でも、実際は彼女の情報を隅から隅まで知っている。削除したけど裸だって知ってる。制服で隠された彼女の胸の形が、性能の良くなった頭の中で完全再現できた。
まあ、エヴィーの時とは違って浮気じゃないから美鈴にもそのことを言えばいいんだけど、エロ関係の情報まで送ってくることを抜いたとしてもやはり言いにくい。
「ちなみに二階層でもSだったからね」
「うぅ、この圧倒的敗北感。なんか顔までほとんど私と同じぐらいになってるし」
「ふふん。美鈴これからは私の時代よ」
「あ、あの!」
急に周りでキャーキャーいう声が聞こえた。ふと周りに目を向けると、クラスメイトがこちらに近づいていいのか、悩むように距離を保っていた。
「な、何?」
「近づいていいか?」
「も、勿論?」
一気にクラスメイトが群がってきた。
「六条」「すごい」「めっちゃ格好良くなったね」「というか眩しい、見ているだけで眩しい」「写真撮っていい?」「バカ、お前。写真NGだって言われてるだろ」「六条、お前すごいな。ダンジョンに最初一人で入ってたんだって」「どんなだった?」「ああ、俺も挑戦してみたいな」「はい、お前、死にました」「今はパーティメンバー何人なんだ?」「桐山さんと付き合ってるん?」「お前、顔変わり過ぎだろ」「なんだ、その超絶イケメン」
すさまじい勢いで喋ってこられた。俺は池本を殺している。だから今日来たところで怖がられることも覚悟していた。しかし、そんなことがまるでなかったかのように扱われていた。
「あんた達、落ち着きなさいよ。六条がしゃべれないでしょ」
「小春はいいわよ、知らない間に同じステージにまで登っちゃったんだから」
「でも、私たちはこの機会を逃したら、もう六条としゃべれないじゃない」
「そりゃそうかもしれないけど」
「なあ六条。俺、本当にダンジョンに入ってみたいんだけど、どんな感じか教えてくれないか? 他にも入りたいって言ってる奴も3人集めてるんだ」
そんな中で妙に真剣に一人の男子が喋り出した。たしか黒木という名前だ。陸上部で都大会で大会記録を出すようなやつだ。スポーツ刈りにしていたのを覚えている。今は髪が少し伸びて、イケメンというわけではないが、眉が太くて男らしい顔をしていた。
みんなはその黒木の質問にだまった。ダンジョンに対する興味が今の中学生の最たるものである。Dランに通うクラスメイトもかなりいる。だからみんな興味があるようだった。俺もダンジョンのことならいくらでも喋れるから口を開いた。
「本気でダンジョンに入る気なら、レベル3までなら十分準備すれば無理なことではないと思う。でも俺は最初、本当に死にかけた。危険な場所なのは間違いないよ」
「だろうな。でも六条は最初一人で入ったんだろ? 4人で入れば一階層はそこまで危なくないか?」
「4人で自衛隊とか、米軍使用の防護服を着てたら、そこまで危なくないかな。あと、最初はポリカーボネートの盾を持っておくことだね。矢を躱すとかはまず最初は無理だ」
「矢が一番のネックだって話は聞いたことあるぞ。どれぐらいレベルが上がれば躱せるようになるんだ?」
「レベル3になると、矢も躱せるよ」
「レベル3で? マジか?」
「けど、本当に最初は無理だ。ゴブリンが怖くて体が動かなくなってしまうんだ。それにレベル3になっても、そこからの階段探索を怪我せずに行うのが結構難い。ゴブリンは草むらの影に隠れて、急に襲って来たりするし」
「やっぱ死ぬか?」
「まあ、どれだけ気をつけても死ぬときは死ぬ。それぐらい覚悟を決めて挑戦したほうがいいと思う。ただ、レベル3になると、体の動きが格段に変わるんだ。だからとにかくレベル3になるまでは安全重視がいいと思う。そこからは二人一組で階段探索をするんだ。どれだけかかっても一ヶ月以内には階段を見つけられると思う。ただ、探索者用のスマホがないなら、もっと時間かかるよ」
「探索者用のスマホか。今までに存在しなかったはずの高度な技術が使われているとかいうやつだよな。あれ、高すぎるんだよ。50万だろ」
「これが買えないなら、階段探索は二ヶ月ぐらいかかるかもしれない」
「スマホ絶対買わなきゃだめか?」
「あの広大なフィールドで迷子になりたくなかったら、探索者用スマホは買った方が良いと思う」
「初期費用が結構いるな」
「少なくとも一人100万円ぐらいは持ってないとやめといた方がいいかも」
「100万……」
ダンジョンショップで、安く買い物をする例の方法を教えてあげようかと一瞬思った。しかし、あれはどう考えても表沙汰にしていい方法ではなかった。噂が広まってその方法をみんな使うようになれば、ダンジョンショップも方針を変えてしまうはずだ。
「親に頼むしかないかな」
「でもそれだと」
「ああ、間違いなく『Dランに行け』って言われるな。でもあそこに入るとなかなかレベルが上がらないって言うだろう。まず間違いなく高レベルどころか低レベル探索者になることもできないとか言うし、できれば行きたくないな」
「その辺のことを話して、なんとか親を説得して100万円、いや、出来れば300万ぐらい出してもらったら、いいんじゃないか? それならいざという時の拳銃とかアサルトライフルとかポーションとかも買い揃えられるし、4人パーティーでなんとかなる気はする」
「なるほど……やってみる」
Dランに入らずにダンジョンに入る。その事に興味のあるクラスメイトもいたんだと思う。もっと早くこいつと知り合ってたらいい友達になれたかもしれない。
「真剣にやる気ならまた相談に乗るよ」
「それは嬉しいんだが……連絡方法が」
「連絡先交換する?」
黒木にその言葉を言うとき、俺はなぜかひどく緊張して、思わず声が震えた。
「いいのか? 鶴見先生からお前の連絡先を教えてもらうのは絶対にNGだと言われているんだが」
「俺から教える分には問題ないだろ?」
「あ、ああ、まあ、それはそうだろうが、ちょ、ちょっと待ってくれ! 普通のだけどスマホを持ってくる」
そう言って慌てて黒木が、スマホを取りに行くと、連絡先を交換した。そこでタイミングよく鶴見先生が再び現れた。
「はい、時間よ! あなたたちクラスで最後の別れは済んだの?」
「「「「「「は!?」」」」」」
何人かのクラスメイトが、そういえば今日で、もう学校に来ないんだと思い出したように、ほかのクラスメイトと別れを惜しんだ。鶴見先生は温情でもう少しだけ待ってくれて、そして俺たちは体育館へと移動することになった。
卒業式の会場に入ると、みんな自然と黙った。
国家斉唱。校歌斉唱。どこにでもあるありふれた卒業式。女子の一部からすすり泣く声が聞こえた。俺からしたら泣く必要はどこにあるのかよくわからない。
いや、先ほどのほんの数十分程のクラスメイトとの語らいが、俺の日常だったら涙が出てきたのかもしれない。演台で校長先生が、少し長めにしゃべっていた。そして卒業証書を演台に登って受け取る。
最後に卒業式でよく聞く歌を在校生が歌ってくれた。感情が昂ぶって号泣する女子もいたが、ほとんどのものはいつもと変わらない顔をしていた。時計を確かめると11時だった。
「誰もいないよな」
俺はふいに後ろを向いた。それは保護者席の方向だった。この期に及んで親父の姿を探していた。あの男には何も期待するなと言い聞かせて生きてきたのに、いつも肝心なところになると期待してしまっている自分がいる。
俺は親父が来ているかどうかを確かめた。
『父親にも連絡したんですか?』
『もちろん複雑な家庭事情なのは聞いてるけど、学校側としては当然の対応よ』
鶴見先生がそう話していて、自分はそれに期待しているのか、してないのか、よくわからない感情を抱いた。そして後ろの保護者席を見るとスーツ姿の父親がいた。





