第九十四話 外側
『もしもーし。六条君ですか?』
「そうですけど」
担任と喋ると思い難しい顔で電話をしていると、伊万里がこちらを気にして見てきたが、大丈夫だという仕草をすると直ぐに立ち上がった。そして、夕飯の用意をしてくると仕草で伝えてきた。そういえばお腹がすいてきた。
時計を見ると、午後5時48分を指している。
『ああ、よかった。やっと連絡が取れたわ』
「女の人……」
担任は男だったはずだが、スマホから聞こえてきた声はどう聞いても女性の声だった。そして、声には聞き覚えがあった。
「もしかして鶴見先生ですか?」
今年度で教師をやめて再び探索者をすると話していた鶴見先生の声に間違いなかった。鶴見先生が担任のスマホに出ているということは、担任が横にいるんだろうか?
『そうですよ』
「これ、担任のスマホですよね?」
『正確に言うと違うわね。このスマホは学校から支給されているものだから、学校に返却されて、今、私が預かってるの。私はあなたとなんとか連絡をとってほしいって、校長から泣きつかれて、このスマホを使わせてもらっているだけよ』
「俺と連絡? というか担任の先生はどうしたんですか?」
鶴見先生は英語の教師で、俺のクラスの担任でも副担任でもない人だった。担任が連絡を取ってくるわけではなく、鶴見先生が連絡を取ってくるのは、本来の筋としてはかなり微妙な話だった。
『あなたの担任だった前沢先生は教師を首になったわ』
「首ですか?」
何か問題行動でも起こしたか? 女子生徒に手を出したとか。いや、特に女生徒に評判が悪い先生でもなかった気がする。ただただ探索者が嫌いというだけの先生で、その理由も一応、生徒を死なせないためだった。
『そうよ。ちなみに首になった理由はあなたね』
「俺ですか?」
『今はどこも探索者とのトラブルを一番嫌うの。特に15歳でダンジョンに勝手に一人で入っちゃって、気に入らないクラスメートを殺しちゃうような探索者に、大人は特に気を使うわけ』
「まるで俺が悪いみたいな言い方だ」
『勘違いしないでね。前沢先生をクビにした人たちは、あなたのことをそう思ってるってこと。私はそう思ってないわよ。実際の経緯も見てるしね』
「なるほど」
『でもまあ私は「さすがに前沢先生の首は過剰反応だ」って言ったんだけどね。校長も理事長も全然聞かないから仕方ないわ。きっと、大人は気味悪いのよ。15歳でダンジョンに勝手に入った人間なんて、普通ならダンジョンで死んでくれるのに、生き残ってどんどんレベルアップしていってる』
「そんなに気味悪いですか?」
『そりゃもう。これで、もしレベル100を超えた日には、警察でも下手には手を出せなくなるもの。「これは大変な事だ」って校長とかが大慌てよ。3週間前ぐらいに校長が指示して、あなたの学校での身辺調査を開始したぐらいにね』
「ぷっ、馬鹿馬鹿しい。何か見つかりました?」
きっとすごく平凡で冴えない生徒でした。ということが解っただけだろう。
『ええ、あなたが池本君に虐められていたって情報がクラスメイトから多数寄せられたわね。結果、虐めを放置して、あなたに嫌われているであろう前沢先生の首がとんだ』
「それはお気の毒に」
まあ、虐めを黙認していたり、問題行動のある教師だったから首になったのだ。自業自得である。
『ふふ、全然動じてない。度胸が据わってきたわね。まあ、そんなことより』
鶴見先生にとってもそれはどうでもいいことだったようだ。
『連絡を取った用件なんだけど、校長があなたに是非とも謝罪をしたいから学校に来てほしいんだって。それと卒業式に出てくれないかって』
「卒業式は終わってるんじゃないんですか?」
美鈴が中学の卒業式は3月13日だと言っていた。美鈴にとって卒業式は結構大事なことだっただろうし、間違えているとも思えなかった。
『その点は大丈夫。伊万里さんから3月15日にはあなたが帰ってくるってことを聞いてたからね。だから3月15日に卒業式は変更になったわ』
「なんで?」
『将来有望そうな探索者に少しでも良い印象を持ってほしいから』
「俺のために卒業式の日程を変えるんですか?」
正直、そういう対応は嬉しいというよりも不快でしかなかった。自分が大した存在ではないのは、自分が一番よく分かっている。何より、ご機嫌取りをされないと、暴れるとでも思われているのか?
『あなた、ダンジョンで順調にレベルアップできてるでしょ?』
「まあ、そうですね」
『六条君。大人の目から見れば、それはとても怖いの。できれば関わりあいたくない程にね』
「じゃあ関わらなきゃいいのに」
俺の中に少しすねた気持ちが湧いた。
『そんな訳にもいかない世の中になってきてる。それを大人たちも分かってきてる。大きな事で言えば、12英傑会議が開かれて、そこで決まったことにどの国も逆らえなかった。あれは大人たちにとってとても衝撃的な光景だったのよ。国が個人になにも文句を言えないなんてね』
「でも実際は、何が決まったかなんて情報、出てませんでしたよ」
12英傑会議が開かれて、それが大々的に報道はされた。誰もその決定には逆らえない。という報道もされた。でも実際、何が決まったのかは、ほとんどの人間が知らないままである。
『だからこそ余計怖いの。順調にレベルアップして行く探索者に、“探索者になれなかった大人たち”はとても怯えるの。特に今の時期、五年前のとある中学生を彷彿とさせる存在はとても目立つわね』
Dランが出来る前の話だ。その頃にはまだ俺のような中学生がいたのだ。その話には興味が湧いた。
「とある中学生ですか?」
『ええ、南雲友禅っていうの。とても有名人だから覚えておきなさい。この名前にだけは絶対に逆らっちゃだめよ』
「その人、何をしたんですか?」
『当時もほとんどの中学生はダンジョンに挑んで死んでいくだけだった。でも、その南雲だけは大人の探索者たちよりも遥かに優秀だった。まだ探索者というものが理解されていない時代。偉い人たちは自分たちが理解できない力をどんどんと身につけていく中学生が特に気になった』
「……」
『そして全力で排除しようとした。それこそ警察や自衛隊、果ては米軍まで協力したのよ。そして南雲はその全員を殺した。南雲の通う学校の教師なんて関わっていない人間まで死んだって噂よ』
「南雲さ、いや、南雲って人はなんでそこまでしたんですか?」
『まあ実際、そこまでの事になった経緯は詳しくは知らないけどね。南雲が相当やばいっていうのは探索者の中では有名よ』
「それはまた……」
『あなたもその当時の中学生、南雲友禅君と同じぐらい異質に見えた。本来ならあなたも怖がられて過剰に反応されることも考えられた。でも、あなたには有力な探索者に知り合いがいるんでしょ?』
「え、ええ、いますね」
真っ先に頭に思い浮かぶのはその南雲さんだった。このマンションの一室がタダになった理由がなんとなくわかった気がした。
『誰かは知らないけど、その人がかなり周りに騒ぐなって抑え込んだみたい。相当いろんなところが脅されてるみたいよ』
「はあ……」
思わず間の抜けた返事になってしまう。6億円のマンションを用意してくれたり、余計な面倒事が起きないように先回りしてくれたり、なんというか、南雲さんはかなり過保護な人のようである。
『学校側は排除できない相手なら嫌われるわけにはいかないってことで、職員会議でかなり問題にした。あなたは全然喜ばないでしょうけど、前沢先生の首が飛んだわ。で、私があなた担当にされた』
「なんか迷惑をかけたみたいで」
『私は全然いいわよ。あなたにいろいろ教えておいてあげたかったこともあった。それも今教えられたしね。それで卒業式は出てくれる? 明日の3月15日に設定してるわ。学校側としては17日までは待つつもりらしいわ』
生徒たちはなぜ卒業式を待たされてるのか知らないし、保護者もなぜ待たされてるのか知らないんだろう。それなら早くしたほうが良いのは確かだった。幸い伊万里の誕生日は15日の夜だ。卒業式は午前中に終わるだろうから問題ない。
「わかりました。明日出ます」
気に入らない部分はあるが、それは南雲さんの厚意のようにも思えた。だから俺は卒業式に出ることにした。
『よかった。それと桐山美鈴さんもできれば一緒にってことなの』
「分かりました。美鈴は俺が参加すると言えば、参加すると思います」
『本当に変わったわね。正直、以前は大丈夫かなと思ってたのよ。なんだか冴えない感じでクラスにいる子だなって。その他大勢の中に埋もれて、自分だけの何かを見つけられず生きてる感じ』
「まあ根本的にはあまり変わってませんよ。あと、俺からも先生に言っておきたいことがあるんです」
これから先生がDランに行くと思い、言っておきたいことがあった。米崎が言っていたことである。鶴見先生ならある程度わかっているとは思う。だが、念のためにDランが外の探索者にどういうふうに見られているのか伝えておこうと思ったのだ。
「鶴見先生、4月からDランに行くんですよね」
『そうよ。受験にはもちろん合格してるわ。まあ校長と理事長にいなくなられたら困るって泣きつかれてるけどね。おかげで籍だけは置いておくことになった。しばらく先生と生徒のかけ持ちよ』
「これは外の探索者が言っていたことなんですが」
俺はDランの授業に合わせたら、卒業して外のダンジョンに入ったときに、外の探索者からカモにされかねないという話を鶴見先生に説明した。
『——じゃあ明日待ってるわ』
やはりと言うべきか、鶴見先生は米崎の話を把握しているようだった。それでも旦那さんが一緒だから仕方ないのだそうだ。それに鶴見先生が卒業するのは、まだ三年後である。
『最初の卒業生には悪いけど、その人たちがどうなるかを見て対応を決める』
とのことだった。
鶴見先生の方から電話が切れた。俺はスマホをソファーの上に投げた。そしてふかふかの背もたれに凭れかかった。カーブを描く大きな窓から、夕焼けの赤い光が差し込んでくる。高い位置から見下ろす東京の街並みはなかなか爽快だった。
「ユウタ。電話なんだったの?」
「明日が俺の中学の卒業式になったんだって」
「ああ、担任の人、なんか私にもそんなこと言ってた。詳しくは直接喋りたいって言うから聞かなかったんだけどさ」
伊万里はしゃべりながらも、夕飯の料理を後ろにあるテーブルに用意してくれていた。
『将来有望そうな探索者に少しでも良い印象を持ってほしいから』
「……」
鶴見先生との会話を思い出す。
レベルが上がって自分は偉くなったのだろうか?
周りは俺が偉くなったと思っているんだろうか?
それが面白くないやつもいっぱいいるんだろうな。
俺は少なくとも教室にこんな変貌を遂げたやつがいたら、嫉妬心に駆られる自信があった。
でも嫉妬しているなら強くなるしかないんだ。そのままでいるのが悪いんだ。そう思ったが、その考え方は、自分が虐められてどうしようもできなかったあの毎日の……あの情けなくも頼りない自分の否定のようにも思った。
俺はあの時の自分が一番愛おしかった。あの時の俺も一生懸命になって生きていた。だから頑張れない人間を否定する気にはなれなかった。
「ご飯ですよー」
伊万里の機嫌の良い声が聞えた。
夕飯を食べおわると、伊万里に寝室へと案内される。ベッドがキングサイズのもの一つしかなかった。ほかの部屋も見て回る。どの部屋もクローゼットや物置になっていて、広すぎて空のままの部屋もあった。
前のマンションからある俺と伊万里の私物は同じ部屋にあった。部屋はたくさんあるように思えるが、それぞれの部屋は無いようだ。
「俺の部屋はないの?」
「だって一緒に寝るから必要ないかなって。嫌?」
「嫌だよ。伊万里と別の部屋も用意しておいてほしい」
「むう。言われると思った。インテリアデザイナーの人に頼んでおく」
そんなものに頼まなくても、私物をそれぞれの部屋に放り込んだらいいだけじゃないのか? でも伊万里は6億円のこのお高すぎるマンションの一室が気に入っているらしく、インテリアも崩したくないそうだ。
「伊万里って意外と俗っぽいんだな」
「い、いいじゃん。祐太と二人だけの新居だから大事にしたいの」
「……」
いや、でも、なぜパーソナルスペースが必要ないと思うんだ。伊万里と一緒に寝ることは別にいやじゃないし、むしろ嬉しいけど、ひとりの時間が何もないのはしんどい。伊万里だってそのはずだ。
「でも二人で四六時中一緒なんて嫌だろ?」
「は?」
その日はお風呂に入って寝た。不機嫌になった伊万里の機嫌を取るのが大変だった。





