第七十話 監視櫓
美鈴は俺から少し離れてついてきている。完全に離れた位置で待機しているのはエヴィーだけだ。俺とリーンは亀のような歩みで進み、丸太を重ね合わせた塀まで到達する。
静かに。と、口に人差し指を立ててリーンに合図を送るとうなずいた。
俺は丸太の隙間から中を覗き込む。しかし、意外と綺麗に隙間が塞がれていて見えない。だから耳を押し当てた。耳を澄まして塀の向こう側の音を聞く。何者かが動いている気配がある。
リーンにまだ動くなと手で止めた。
しばらく気配が遠ざかるのを待った。離れていく足音がした。リーンと頷き合って、2mある塀を越えた。静かに着地する。鎧などは音が鳴るので、今回は脱いでいた。ゴブリンもレベルが上がってくると五感が鋭くなってくる。
3階層にいるゴブリンだと、人間並みの五感があると言われていて、鎧をガチャガチャ言わせていると普通に気付いてくる。だから防御力は下がるけど、装備しているのは枯れ草色のギリースーツと短刀だけだった。
リーンも今身につけているのは俺がガチャから出した無銘の短刀だけである。あとはすべてマジックバッグに収納している。ここからはどこまで素早くできるかだ。もう集落の中に入ったから声は出せない。ハンドサインでリーンに合図を送った。
(リーンはそっち、俺はこっちに行く)
すぐに理解してリーンが俺から離れていく。
幼女はいつも躊躇なく歩いていて、怖がりもしない。
勇気があるというか、無鉄砲というか。
死なないでくれよと心で思いながら、自分だってそこまで余裕があるわけじゃなかった。俺はギリースーツを相変わらず着たまま、塀沿いに動く。と、
「ギャギャ」
声がした。少し目を向けると。ゴブリンソルジャーが近くによってくる。いくらギリースーツを着てても、人型の草など間近で見られたら気づかれる。急いで建物の陰に隠れた。
「ギャッギャ」
何かしゃべっている。2体居た。顔が醜悪なことは変わらないが、ゴブリンもここまでレベルが上がると、体格がかなりしっかりしていた。肌は緑色のままで、1階層で見た大人ゴブリンよりもソルジャーはまだ一回りデカい。
そして筋肉質で、ボディビルダーのようだった。素手で簡単にリーンの頭ぐらい握り潰しそうだ。ゴブリンライダーよりも軽装で、動きの方を重視しているような軽鎧の装備。
それらがこちらへと歩いてくる。これ以上近づかれると、ほかのゴブリンの目のあるところまで逃げなきゃいけなくなる。
見回り?
普通に生活している集落の中でもこんなに丁寧に見まわりをしているのか?
心臓がどきどきしてくる。
今、バレたら速攻で逃げるしかないが、リーンを見捨てられないから、回収しに走らなきゃいけなくなる。
「ギャー」
「ギャッギャッギャ」
緊張していたらゴブリンソルジャーが、丸太の塀に向かっておしっこをし始めた。
ほっ。
連れションか。
何気に友達いなかった俺はしたことがない行為だった。それにしても本当に普通に生活してるだけなんだ。食事したり、飼っている雌の生き物に餌をやったり、遊びのようなものをしている者までいた。
その行動だけを見ていれば、人間との違いはあまり分からない。
許せよ。
それでも人間とは相容れない存在が、ゴブリンなのだ。俺はゴブリンソルジャー2体が遠ざかるのを待った。距離が開いたのを見て、再び塀沿いに移動する。次は一気に目的地に到着することができた。そこかしこに体格の良いゴブリンがうろうろとしている。
周りが敵だらけの中で動くことはかなり緊張する。
リーンは上手くやれてるだろうか?
騒ぎが起きていないところをみると、集落内で発見されたということはなさそうだ。俺の所からではもうリーンの姿は見えなかった。目的の建物を見上げる。監視櫓だ。
周りに目を走らせた。
集落の中でこちらを見ているゴブリンはいなかった。こいつらは普段、侵入者のことなど気にも留めていないはずである。ただただ自分の本能のままに生きるだけのはずだ。だから、ダンジョンに与えられた役目以外のことは気にしないはずだ。
監視櫓の骨組みを掴んだ。
足音すら鳴らないように裸足だった。これで枯れ草色のギリースーツを着ていたら、ゴブリンの五感はごまかせる。自分でも驚くほど静かに、まるで忍者のように監視櫓を登っていく。
物見台まで到達した。監視しているゴブリンメイジは2名。いつもその数は決まっているらしい。大抵は集落の外側を見ているから、集落の中側から覗き込むとバレないらしい。少しだけ頭を覗かせた。
「ギャッ」
「ギャ〜」
「ギャーギャー」
「ギャ〜〜」
完全に気が抜けて楽しげに話し合ってるゴブリン。ソルジャーと違いメイジの体格は、普通のゴブリンである。赤い色のローブを着ていて、丸い帽子をかぶり、小さな杖を持っている。顔は1階層のゴブリンに比べて理知的である。
『人間の女でも楽しくゴブリンと暮らしているケースもある』
米崎が発言した言葉だ。あながち嘘ではないのかもしれない。こいつらに優しく対応されたら気を許してしまう女はいるかもしれない。相手のレベルは16。殺し損ねたらまずいことになる。短刀に手をかける。静かにスキルを唱える。
「【加速】」
向こうはこちらをどこまで認識できるだろう。俺は少し頭をのぞかせた状態から手に力を込めて、監視櫓の上に立った。真後ろに居るのに、メイジはまだ気づいてない。それほど静かに動いていた。
仲良くはできないんだよ。
こんなタイミングで襲撃されて、反応できないのは人間と同じなのだ。短刀を引き抜く。絶対に声は出させない。右のゴブリンメイジの首を刺した。そして引き抜いた。緑色の血が流れてくる。左側のゴブリンメイジが杖を上げようとしていた。
さすがレベル16だ。これだけの不意打ちなのにもう反応を見せてる。それでも間に合う。俺の短刀の突き!
「ギャッ」
しかし体をひねって躱される。
嘘だろ。避けたぞ。
急いで動けないように腕をつかんだ。しかしレベルが高いだけに抵抗して動かれると、振り回されそうになる。
「【剛力】」
俺はレベル10になって新たに生えたスキルを唱えた。強引にゴブリンメイジの体を監視櫓の床に押さえ込む。そしてもう一度短刀を振り下ろした。それも寸前で躱される。まずいグダグダだ。叫ぼうとしているのがわかって、喉を押さえ込んだ。
そのまま、両手で首を押さえつけた。メイジの右手が動いている。こちらに魔法を唱えようとしていた。それを足で踏みつけ、指の骨を折る。
首をがっちりと両手で絞めた。このまま絞め殺すしかない。なんという嫌なシュチュエーションだ。人殺しでもしてる気分だ。ごきっと首の骨が折れた感触が伝わって来た。ゴブリンメイジの体は急に力が入らなくなって、手を離すと床に寝そべったまま動かない。
口がパクパクしているから、多分まだ生きてる。しかし、首の骨が折れると中枢神経が切れてしまう。生物はこの状態になれば動けない。いくら生命力があっても、しばらくすれば死ぬ。
なんとなく池本を思い出してしまう。
「あいつも少しぐらいは生きてたのか?」
いやいや、もうこの考えはやめようと決めた。それよりも不意打ちをしても、俺が少し苦戦した。リーンは大丈夫だろうか?
監視櫓からリーンが向かった方角を見る。リーンも監視櫓の上まで到達しようとしていた。見ていたいが、リーンのフォローは美鈴がしてくれるはず。俺も次へと向かわなきゃいけない。監視櫓は東西南北に四つある。
ダンジョンの中に東西南北があるのかという話だが、磁場があるのか、地図アプリではその割り振りがある。集落へと潜入する場合、この監視櫓四つを気づかれる前に全部殲滅しなければいけない。でなければ他のゴブリンに気づかれる。
そうなるとゴブリン軍を相手にするのとあまり変わらないぐらいの劣勢に立たされる。俺は素早く監視櫓を降りた。下で少し離れた位置から、集落へと潜入してきていた美鈴が待っていた。
目の前に美鈴がくる。
声を出さないようにお互いうなずきあって交代する。
(もうリーンが襲撃してしまうから、早くリーンのフォローを頼む)
そう伝えたつもりだが、上手く伝わったかわからない。しかし、美鈴は急いで俺が制圧した監視櫓を上っていってくれた。中でうろつくのは目立つ。俺は一旦、塀の外に出た。塀の外だと監視櫓からは死角になる。
だからより速く動くことができる。俺は駆け足で次の監視櫓へと近づく。中で音がしていないか確認する。なんの音もしなかったが、なんとなく嫌な予感がした。俺は塀の上に手をかけて、中を覗き込んだ。
「はあ」
塀沿いに寝てるメスのライオンがいた。集落の中にはまだゴブリンライダーもいるようだ。静かに降り立って、躊躇なくメスライオンの首を掻き切る。本当にひどい事を平気で出来るようになったと思った。
次の監視櫓を登っていく。集落で静かに仲間が死んでいっていることに気づいているゴブリンはまだ一体も居ない。俺は物見台に手をかけて、先ほどと同じく少しだけ顔をのぞかせた。
ゴブリンメイジが2体。
パターンは何も変わらない。静かに実行した。
「——ふう。鎧を脱いでてもやっぱり暑いな」
リーンが向かっていた監視櫓を見た。そうすると死体が2体転がっていた。1体はリーンに殺されたんだろう。こちらからは傷跡が確認できなかった。ただ、もう一体の頭には矢が刺さっていた。
美鈴がこちらを見て軽く手を振ってくれる。俺もそれに応えた。最後の監視櫓に目を向ける。リーンが潜入しようとしていた。美鈴が弓を構えて集中している。リーンが踏み込むのとほぼ同時だった。
美鈴が矢を放った。
ゴブリンメイジの後頭部に命中する。リーンが遅れてゴブリンメイジの首を突き刺した。
ここまで予定通りに事が運んだ。監視櫓を制圧、そっと監視櫓から顔をのぞかせた。サバンナの草原を見渡す。ギリースーツを着ているエヴィーたちの位置はこれでもわからなかった。
でもこちらを見ているはずなので、エヴィーに合図を送った。離れた位置のエヴィーがいると思われる場所。景色のように思われた草の塊が動きだしたのがわかった。
「やっぱりかなり油断してたんだな」
しっかり見ていたら、それは人サイズの動きでも多分気付いたと思う。それでも俺たちが近づいた時にここから監視していたゴブリンは気づかなかった。毎日同じ繰り返しで、明確な脅威が現れなければ、油断してしまうんだろう。
エヴィーは監視の目がないうちにラーイを移動させていた。エヴィーは塀沿いでまた待機だ。美鈴を見るとこちらを見ておらず、リーンに集中していた。ただ日常を暮らしているゴブリンを殺すために俺たちは必死だ。
テレビで米崎が言ってた。
『ゴブリンが残酷な生き物? 違うね。彼らは生物としての本能に忠実で、ダンジョンから与えられた役割以外ではとても穏やかな生き物だよ。僕から言わせれば、人の方がはるかにひどい。自分の利益になることなら、あらゆる卑怯な手段で、他者を絶滅させることだってお手の物さ』
『それはさすがに言い過ぎでは?』
『そうかな。きっとダンジョンの意思が軍隊を規制していなかったら、今頃、人はストーンエリアを自分たちの住居にするぐらいのこと、やってのけてたよ。そして人は言うのさ「これは我々が獲得した新たなるフロンティアだ!」ってね』
本格的な不意打ちによる間引きの開始だった。





