第七話 ゴブリン殺害
「じゃ、まずは」
南雲さんが周囲を見渡した。陽炎の浮かぶ草原の中、ちらほらと確認されるゴブリンの姿。たいていが3体~6体ぐらいで徒党を組んでいる。一体だけでうろついているものはいなかった。
「あれがいいな」
言葉と同時に南雲さんの姿が消えていた。南雲さんが見ていた方向に目を向けると、米粒ほどに見えるゴブリン3体の目の前に南雲さんがいた。そして南雲さんが背負っていた大剣を軽く振ったように見えた。
「そっち行くぞ!」
南雲さんが叫んだ。俺は何のことなのかよく分からず戸惑った。しかしすぐにわかった。身長140cmぐらいのゴブリン。上空を見上げるとその体が南雲さんのさっきの一振りで空高くに舞い上がっている。
太陽が眩しくて目を眇めた。野球でフライを打ったみたいにゴブリンの体が弧を描いて緑色の血液を撒き散らしながら、どんどん大きくなってきて、俺の上に落ちてくる。慌てて避けた。
「ちょ、ちょっと! 危ないじゃないですか!」
「とどめを刺せ!」
「え?」
「その槍でブっ刺せって言ってるんだよ!」
「刺すも何も、もう死んでるんじゃ……」
俺は緑色の血を撒き散らしながら落ちてきたゴブリンの方に目を向けた。米粒ほどにしか見えないぐらい遠くから吹っ飛ばされたゴブリンは、体の骨がボキボキに折れてしまって、肋骨が腹の中からはみ出ていた。
「グゲギャ……」
見るも哀れな姿で、これが最も人間を殺しているモンスターとは思えない哀れさだ。それでも、まだかすかに息をしている。
「早くしろ!」
とどめをさす。これに?
「や、やらなきゃダメだよな……」
俺は南雲さんからもらった十字槍を構えた。手が震えた。生き物を殺す。しかも弱って身動きできない相手。ゴブリンは醜悪な見た目で人間には見えない。それでも確かに生きてる。確かに息をしていて、こちらを怯えたように見ている。
俺は十字槍をしっかりと握った。死にかけの犬に槍をさせるかといえば無理だ。猫だってネズミだって無理だ。だがゴブリンにはしなければいけない。
「俺はこのためにダンジョンに来たんだ。ゴブリンを殺して自分がレベルアップするために」
ダンジョン内のモンスターは常に殺し続けないと、ダンジョンから溢れ出てくる。食肉用の豚よりも殺さなければいけない相手だ。
しかしそんな理由はどうでもよくて、俺は池本に怯えながら生きてるような現状から抜け出すためにレベルアップしたいのだ。生き物を殺してでも自分がレベルアップしたいのだ。
口の中が酸っぱくなってくる。もう一度十字槍をしっかりと握る。体を震えさせながらそれでも俺は槍を前に突き出した。
「ガ、ガギャァ……」
甲高くも弱々しい断末魔の声。ゆっくりとゴブリンの胸部に十字槍の刃先が入り込んでいった。最後までしっかりと刺した。ゆっくりとゴブリンが息をしなくなっていく。1分ほどだろうか。ピクピクと動いていたゴブリンの体が全く動かなくなった。
「死んだか!!?」
再び離れたところにいる南雲さんの大声が響いた。
「は、はい! 死にました!」
俺は吐き気がこみ上げてくるのを何とか我慢して返事した。生物を殺すことが、どれほど残酷なことか。そして探索者が絶対に必要な職業なのに、どうして世間で嫌われているのか分かった気がした。
「じゃあ、さっさとこっちに来い!」
「は、はい!」
だが立ち止まるわけにはいかない。俺はやると決めたのだ。ダンジョン内で死んだものは1日もすればダンジョンの中に取り込まれていくらしい。俺は明日になればなくなっているはずのゴブリンの死体に頭を下げて走り出した。
ゴブリンを殺したということを忘れるように必死になって南雲さんだけを見て、走って、
「前を見ろ!」
南雲さんに叫ばれた。
「え?」
「ガギャギャッ!」
気づくと目の前にゴブリンがいた。
そしてゴブリンが手に持っていた日本刀を振りかぶって、こちらに振り下ろした。
やばい。完全に南雲さんしか見てなかった。死んだ。そう思った。自分はこんな間抜けな死に方をするのか。特別な何かになれるはずだったのに、こんな路傍の石ころみたいな死に方するのか。
「いやだ」
自分が、こんな間抜けな死に方をするなんて。死ぬことよりも嫌だった。もっと意味のあることで死にたい。
ギンッ
しかし、何かに引っかかったようにゴブリンが振り下ろした日本刀が俺の脳天の手前で止まった。
「追撃が来る! その首飾りは10分以内に100以上のダメージをもらうとバリアが壊れる! 回復に10分かかるから、いくらでも攻撃食らってたら死ぬぞ!」
「え!?」
「さっさと動け!」
南雲さんが叫ぶが、そんな事は先に教えといてくれよと言いたかった。しかしよく考えたらそもそも最初の一撃で死んでいるのかとも思った。そうか俺は最初に南雲さんからもらったアリストという首飾りのおかげで助かったのか。
そんなことを考えている俺をゴブリンは見逃してくれなかった。ゴブリンが再び振りかぶった二撃目。
「ぐうっぅ!」
避けようとするのだが、避けきれずにお腹を切り裂かれる。本来ならもう2回死んでる。ちゃんと首飾りが攻撃を防いでくれているのに、それでも腹に激痛が走った気がした。
「痛い!」
「気のせいだ! ちゃんと首飾りが防いでる! 来るぞ!」
ゴブリンとはこんなに恐ろしいのかと思った。
全力でこっちを殺そうとしてくるし、攻撃が弾かれているのに何度も襲いかかってくる。どこかの探索者から手に入れたのか、刃こぼれした日本刀で、やたらめったら振り回してきて、俺は今度は草の上を転がって、泥まみれになりながらよけた。
「よ、よけれた! 避けられました!」
「次! 十字槍構え!」
「はい!」
俺は這いつくばってゴブリンから距離を何とか開けて槍を構えた。
「刃を当てる必要はない! 柄の部分でぶん殴れ!」
そう言われるままに十字槍を振りかぶった。刃を当てることを考えずに柄の部分でゴブリンを日本刀ごと殴り飛ばした。へっぴり腰だったが、ゴブリンは少しひるんだ。ここで逃してはいけない。俺は再び手に力を入れてしっかり握る。十字槍を突き出した。
「グギャッ!?」
ゴブリンの胴体に刺さる。散々勉強してきた記憶をなんとか掘り起こす。大抵のモンスターは一撃を入れただけでは死なない。追撃がいる。すぐに槍を抜くと今度は首めがけて槍を突き出した。再び刃がゴブリンの肉の中へ入り込んだ。
「はあはあ!」
むちゃくちゃ息が上がっていた。ゴブリンがゆっくりとうなだれていく。地面に血を流しながら横たわっていく。暑さか、冷や汗か、汗で滲む視界で見つめた。
「こ、殺した」
「よくやった。まあこんな感じだ。やれそうか?」
南雲さんが俺の頭をポンポンと叩きながら尋ねてきた。まだ距離が離れていたように思ったが、音もなく真横にいた。
「お、思った以上に怖かったです」
相手が本気で俺を殺そうとしてきた。何の躊躇もなく俺を殺すことだけに集中していた。それが恐ろしかった。一歩間違えば殺される。本当にそういう場所なのだ。
「そうだろうな。俺も最初はションベンちびるほどビビった」
「よく死ななかったんですね」
「俺は結構運が良いからな。言っただろ結構早く仲間が揃ったって。お前もダンジョンでの縁を信じてみることだな」
「そうですね」
多分この人と出会ってなかったら、あのレジのお姉さんの目的どおり探索者を諦めてたと思う。そうならなかった自分は運が良かった。死ぬかもしれない探索者。生きていられる普通の人生。それでも今の方が運が良いと思う。そんな自分が健全だと思った。
「一体倒したら基本的には10分は休憩しろ。その首飾りはダメージを受けると10分回復するのにかかる。100%、完全に首飾りが回復してから次に行くようにするんだ。慣れるまでこのやり方で行くぞ」
「分かりました」
明日までには一人でダンジョンに入れるようにならなきゃいけない。本来なら今日からそうだったのだが、改めて無茶をしようとしてたんだと思う。担任の先生の言ってた通り本当なら今日死んでたかもしれない。
「ゴブリンが徒党を組んでても俺が一体だけの状態にしてやるから、この調子でお前一人でやれ。俺は絶対にお前を助けに入れない距離まで離れる。まあ10㎞離れるとダンジョンはお前を一人だと認識してくれるだろ」
「今、10㎞も離れましたか?」
「いや、今は1㎞も離れてなかった。だが、俺とお前とじゃレベル差がありすぎる。それぐらい離れないと誰かに助けられてるとダンジョンに判断されて、お前のレベルが上がらなくなってしまう。だからそうする。いいな?」
全然良くないが「いいです」と言うしかない。明日からは一人なのだ。無理なら『もうやめておけ』という話だ。
「――ふう」
あれだけ激しく乱れていた息が、整ってくる。腕時計を見ると10分経っていた。
「次!」
南雲さんが動いた。またその姿が消えていた。離れたところで4体で徒党を組んでいたゴブリンの群れが、一体を残して、首から上がなくなってしまう。そのことが俺の目に確認できただけで、南雲さんの姿自体がどこにも見えない。どうなってるんだこの人。
ドンッ
という音が真横で響いた。隣を見ると南雲さんが立っていた。
「さっさと行けよ。一体だけになったゴブリンは、放っておくとすぐにまた集団になるぞ」
息一つ乱れることなく、気楽そうに頭に手を組んでいた。
「わ、分かりました」
もうちょっと親切に教えてもらえると嬉しいのだが、言わず、走り出した。ゴブリンを見ると自分の状況がまだ把握出来ず、仲間が死んでいることに慌てている。突然仲間が動かなくなったのがどうしてかわからないのか、体をゆすって、
「ギャアッ、ギャッ」
と声をかけていた。その姿が仲間を心配する人間と同じように見えた。やめてくれ。殺しづらくなる。俺はゴブリンに人間らしい感情などないと自分に言い聞かせた。
「はあはあ」
そして必死になってゴブリンのところまで走った。槍とバックパックが重くてドタドタ走っていくものだからゴブリンがこちらに気づいた。
「ギギッ!?」
仲間を殺したのお前?というような顔で、怒り狂った目を向けてきた。ゴブリンの生態など知らないが、仲間意識があるのか仲間を殺されたゴブリンが、怒りの形相を浮かべて向かってきた。
今度のゴブリンは金属バットを持っていた。殴られたら間違いなく死ぬほど痛い。ダンジョンが現れた最初の頃、ゴブリンは棍棒しか持っていなかったそうだ。だが、探索者がここで死ぬたびにゴブリンの武器が増えていった。
「今では銃を持ったやつもいるって言うんだから、シャレにならないよ!」
俺は槍を構えた。これ以上無駄に体力を使わなくても、ゴブリンの方から向かってくる。100m、80m、50mどんどんと近づいてくる。5mの距離まで来て、ゴブリンが金属バットを両手で構えて、走る速度も加えてそのまま振り下ろしてきた。
「落ち着け」
池本に拳を振り上げられて震え上がっていた俺である。池本は俺を殺す気なんてない。それでもビビりまくってた。それなのに首飾りのおかげで今は落ち着くことができた。きっと自分はツイてる。南雲さんと知り合えた。そして、
『ダンジョンに好かれそうだ』
そう言われた。俺は大上段から振り下ろしてくる金属バットを強引に槍で受け止めた。
ガギンッ
槍の柄が折れないか心配なほどの音が鳴る。勢いをつけて殴ってきたゴブリンがまともに受け止められてバランスを崩した。しかし俺も腕がしびれる。なんとか踏ん張って押し込んだ。ゴブリンが体重差で俺の勢いを殺せずに仰向けに倒れる。
ゴブリンがすぐ起き上がる。それでも隙ができた。起き上がるために手をついたから、金属バットを構えることができない。
「悪いな!」
「グギャ!!!」
「お前も生きてる。それを殺すんだから、どれだけ言ったところで恨むんだろうな」
それでも俺は十字槍を再び突き刺す。何とも言えない生き物の肉に刃が入り込んでいく感触。
「ギギッ!?」
「何言ってるか知らんが! 俺のために死んでくれ!」
お前を殺せば俺のレベルが上がる。世のため人のため死ねとは言わないから、俺のために死んでくれ。モンスターは死んだと思っても必ずもう1回急所に刺せという。俺は中学の授業で教えられたその知識の通り、首に十字槍を突き刺した。
「殺った……」
「上等上等、十分だ。俺の最初よりだいぶマシだ」
「はは……お、俺には南雲さんがいてくれましたから」
南雲さんがまた気付いたら真横にいて、そこから10分の休憩をとり、10分経つとすぐに南雲さんが動いた。同時に、次はもう少し体格のいいゴブリンを殺さずに残していた。そうやって俺はゴブリンを4体なんとか順調に倒した。大きな怪我もしなかった。
これなら10匹もそこまで難しくないと思った矢先に、南雲さんが生き残らせたゴブリンに二の足を踏んだ。弓を構えたゴブリン。ゴブリンアーチャーだ。
「ゆ、弓持ち?」
「このぐらい何とかしてみせろよ。じゃないと、お前、明日死ぬぞ」
南雲さんはニヤニヤして言ってくる。確かに南雲さんの言うとおりだ。拳銃を持ったやつも少数ながらいるというのだから、いくらゴブリンアーチャーが相手でも、一体を相手に怯えてるようでは話にならない。俺は怖気づく心を奮い立たせて足を前に出した。
パシュウッ
と、ゴブリンが矢を放つ。
ゴブリンアーチャーの矢は目にも留まらぬ速度で向かってくる。
俺は急いで横に飛んだ。
そこにさらにゴブリンアーチャーが矢を放った。今度は転がりながらよけた。ゴブリンアーチャーがだんだん近づいてくる。30mぐらいで避けることが難しくなって、20mほどで、
ガギンッ
首飾りに弾かれた。つまり首飾りがなければ体に当たっていたのだ。俺は恐怖した。
ガギンッ
ガギンッ
ゴブリンとの距離が近すぎて弓矢が避けられない。首飾りの耐久度がダメージ100と言っていたが、ダメージ100がどれぐらいのダメージになるのか分からない。
おまけに連射速度が速くてすぐに次が飛んでくる。危なくて近づけたもんじゃなかった。
「はい。もう1回」
結果俺はゴブリンアーチャーの弓矢にビビってしまい近づけなくて、そうしている間にゴブリンアーチャーは他の集団に取り込まれてしまう。
しくじったと思った瞬間、南雲さんがゴブリンアーチャーが逃げ込んだ集団に向けて動いた。
次の瞬間、ゴブリンアーチャー以外のゴブリンの首から上が無くなっていた。
「さっさと行け!」
「ま、また行くんですか!? まだ首飾りのダメージ回復してませんよ!?」
「当たり前だ! 一体倒すまでは10分の休憩はない! このくらいできなきゃ明日死ぬだけだ!」
「うぅっ」
本気で泣きたかった。
だって矢を射ってくるんだぞ。
池本がよく殴るふりをしてきたが、こっちは本当に殺すために射ってくるんだぞ。木を尖らせただけの矢だったが、十分な殺傷能力を感じるし、矢切れを起こすことがないよう大量に背中に背負っていた。
「もうやめるか?」
俺が躊躇してると妙に優しく南雲さんが言ってきた。またいつの間にか真横にいるのはビビるのでやめてほしいです。
「や、やります!」
泣き言は言ってられないと俺は、ゴブリンアーチャーに向かって走った。
今度は首飾りの耐久度を信じる事にして、とにかくがむしゃらに向かっていく。1発、2発と体に矢が当たる。そのたびにバリアのような膜がガギンッガギンッと弾ける。
弾いてくれてるのに体が痛むような気がして、いつ首飾りの耐久度を超えるかと緊張した。それでも走ってゴブリンアーチャーに近づいて、十字槍の間合いにやっと入り込んで、殺せると思った瞬間、パリンッと何かが砕ける音がした。
「ぐうっ!」
見えない膜が砕けて、首飾りの耐久度を超えてしまった。木を尖らせただけの矢が俺の腹の中にめり込んだ。腹が死ぬほど痛い。胃袋の辺りだ。吐き気がこみ上げてくる。
「ごぼっ!」
咳き込んでしまう。口に血が混じる。これ、死なないだろうな。恐怖で足が止まる。
「殺せ!」
南雲さんの叱咤が飛んでくる。
ゴブリンアーチャーがもう少しのところまで来ていた。腹に力が入らないがなんとか槍を構える。しかしゴブリンアーチャーが背を向けて逃げようとする。再び弓矢の間合いまで離れようとしている。
「もう一度、距離を取られたら殺されるぞ!」
確かにそうだ。
それに明日からあの人がいなくなる。
ダメージを受けてうずくまっていても誰も助けてくれない。俺は口から溢れそうになる血の味を我慢しながら、全速力で逃げるゴブリンの背を追いかけ、痛くて転びそうになる。
草原に手をついて踏みとどまって、飛び跳ねてゴブリンの目の前に迫る。
向こうも殺されまいと焦るのでゴブリンの足がもつれた。殺すチャンスだ。槍を突き出した。振り向いたゴブリンが転げながら一撃目を避けてくる。向こうも必死だった。
「ごふっ、うえ、マジで血を吐いているぞ俺。南雲さんこれマジで死ぬ」
「さっさと殺せ!!!!!」
腹が痛くて意識が朦朧とする。それでももう一度槍を突き出した。
ズブリッ
ゴブリンアーチャーの腕に刺さった。
そこからゴブリンアーチャーの動きが鈍った。俺は慌ててもう1度今度は外さないように十字槍の横に突き出た刃で、腹に突き刺す。もう一度引っこ抜いてもう一度刺した。
「グギャッ……」
ゴブリンがピクリとも動かなくなる。
「ぐうっ」
なんとかゴブリンアーチャーを殺せた。俺は蹲った。腹が痛すぎる。腹部を見ると血がドクドクと出ていた。





