第六十九話 ゴブリン集落
「2人とも切り替えるよ」
「でも祐太」
「ミスズ、私たちは人としては強くなったけど、探索者の世界では弱すぎる。現時点でほかの探索者と敵対することなんて絶対できないわ」
「うん……それは……そうよね」
南雲さんに頼むことはできない。俺はダンジョンの中でのことを南雲さんに頼む気はなかった。米崎が理由もなく、敵対してくるならともかく、自分の意思でダンジョンに入った人間がゴブリン集落で共同生活をしている。
そのこと自体には俺も問題を感じなかった。もちろんこれが美鈴たちならば問題ありまくりだ。命を賭して助ける。でも世界中でそんな人がどれだけいると思うのか? 全部助けて回るのか?
そんなことは無理だ。でも人としてはどうなんだろう? ここで助けないのは人なんだろうか? いや、そうじゃない。そうじゃないぞ。問題はそれができるかどうかだ。どう考えてもできないんだから考えても仕方ないだろ。
「無理だよな」
「祐太、ごめん。どう考えても無理だから仕方ないよね」
「ああ」
「でも、なんだか祐太ならどうにかできるんじゃないかって気がして」
美鈴の中での俺の評価はどうなってるんだろう? 俺がスーパーマンでないことだけは自分で一番よくわかってる。漫画の主人公にもなれない。何よりも俺は少し米崎のことを理解できると思ってしまった。
あの気の狂った男を理解できる。きっと漫画の主人公なら、さぞ嫌われることだろう。
「無理よ。あの男、こっちが敵対したと思った瞬間にあらゆる手を尽くしてくるわよ。きっと卑怯とか卑怯じゃないとか関係なくやってくるタイプだわ。完全に敵対されたら同じレベルでも多分勝てない。そういう人だと感じたわ」
「俺もエヴィーの言うとおりだと思うし、そんな気はない。俺にとっては赤の他人の不幸より2人の方が大事だ。だから、米崎を刺激するつもりもない」
米崎にはそれぐらい危ないものを感じる。なんというか常識とはロジックが違うのだ。だから敵対したと判断されたら、その瞬間に詰将棋のように追い詰められ、殺されていくような恐怖を感じる。
米崎は再度、俺と接触してくるだろうか?
いや、やめよう。
切り替えないと、ここからはまた命がけなのだ。美鈴も現状で何かその女の人達に出来ることがないのはわかっていたのか、それ以上は何も言わなかった。そしてゴブリン集落へとまず行くことにした。
俺たちはギリースーツに身を包み、そして、マーク特製の糞尿香水を使うのは、あまりにも気が進まなかったので、ダンジョンショップで売っているものがないかとマークさんにお願いして購入してきてもらった。
「臭い……」
それは天然の獣臭がするもので、ダンジョンショップに行ったらちゃんと売っていたそうだ。
「我慢しなよ。私、マーク製ので3時間以上頑張ったんだから」
「今までで、一番、心が挫けそうだわ」
この中で匂いが一番苦手なのはエヴィーのようだ。
外国人は体臭がすごいと言うけど、エヴィーからはそういうものはあまり感じたことがなかった。もちろん一日が終わって。水浴びをする前とかならエヴィーでも汗のにおいはするけど、基本的に、なぜかいい匂いがする。
逆に美鈴は匂いフェチなところがあって、俺の匂いでもよく嗅いでくる。だからって、さすがにこの匂いは嫌だろうが、エヴィーほどではないようだ。俺はといえば、そこまで気にならなかった。
まあ、ずっと野生児みたいな生活してるもんな。
「じゃあ、行こうか。美鈴、先行頼む」
「了解」
ゴブリン集落に関しては、150体からなるゴブリンの集団住居で、すべてが俺たちよりレベルが上である。モンスターは人よりも基本的にレベルが高く、基礎能力の部分で上なのだ。その反面、人よりも知能や魔法やスキルで劣っている場合が多い。
また集落といっても幼体のゴブリンがいるわけではないらしい。ゴブリンは生まれたらすぐに成長を始めて、母体によって異なったゴブリンになる。人間から生まれると強いゴブリンになることが多く、そういう意味でも人は生かさず殺さずになる。
それらすべての情報は米崎が学会で発表した内容で、おそらく間違いないだろう。米崎を一目見て、そのことだけは信用できる人である気がして、複雑だ。俺たちは米崎が言っていた集落を避けて、別の集落へと向かっていた。
現状、あの人と対立しても始末されて終わるだけだ。穂積の時に感じた無力感が蘇る。あの時より、俺も2人も強くなった。
でもまだ弱いから米崎は放っておく。
実に合理的な考え方だ。
そんなの関係なく、どうにかしようとするのが人なのか?
だからってどうすれば?
駄目だ。考えようとするな。池本の時とは違う。考えても向こうの方が強い上に賢い。たぶん、あの人は南雲さんの名前を出しても、それを問題なくしてしまう方法をいくらでも思いつくはずだ。
何しろ俺だって強いバックがいる相手を追い詰める方法ぐらい、すぐに一つは思いつく。ダンジョンの中で誰の仕業か分からないように殺せばいいだけだ。米崎だったらもっとうまい方法を思いつくんだろう。
「はあ」
目まぐるしく頭が回転して、それでも何も思いつかなかったことに安堵した。あんなおっかない人と敵対することだけは絶対にしちゃいけない。
「【探索】」
美鈴がレベル7の時に生えたスキルを唱えた。俺にはよく分からないが、周囲の状況が、以前よりもクリアに見えるようになるらしい。美鈴の話では五感の性能が飛躍的にアップする。そういった類のスキルらしい。
10分間有効なものだそうで、これを唱えると、美鈴はゴブリンライダーの偵察部隊と接触しないで、探索することが可能になる。そしてその逆もできる。
「ううん。昨日狩り尽くしたと思ったけど、やっぱりまだいる。西のあのアカシアの木の向こうにゴブリンライダーの集団がいるね。他は……問題ないかな?」
俺たちでは見えない豆粒のような集団。この距離だと地面から立ち上る熱気に紛れて、ほかの動物の集団との見分けがつかない。それでも美鈴は見えているようだ。俺たちは昨日と同じ段取りで、まずそいつらを始末した。
「よし、ミスズ、こんなもの?」
それ自体はあっさりと終了した。1騎の漏れもなくゴブリンライダーは血の海に沈んでいた。
「うん。たぶん、これから向かう集落にはもうゴブリンライダーは居ないと思う」
「OKだ。じゃあ行こう」
「祐太、しばらく走っても大丈夫そう。近くにほかのゴブリンもいないよ」
案内する形で美鈴が駆け出した。地図はあるが、ゴブリン集落の場所はしめされていない。というのもダンジョン崩壊を起こさないために、この階層に間引きの探索者が来てゴブリン集落はそのたびに殲滅される。
そして殲滅されるたびに、次は違う場所にあらわれる。
間引きをするような探索者は良識がある探索者であると言われていて、おそらく、くに丸さんと米崎が対立したのは、その時だったんじゃないかと思った。
そして、また思った。
ああ、また考えている。
「くに丸さん、死んだのか……」
思わず声が漏れた。俺はくに丸さんが好きでよく動画を見ていた。あの人はレベル3の頃から配信を始めて、安全第一に行く人だった。最初の動画のタイトルは、
『ヘビー級チャンピオンより強くなってみた』
だった。その頃には、そのネタはもはや使い古されていて、あまり人気は出てなかった。何事も計画的にやる人で、慎重すぎて面白くないとよく叩かれていた。それでも、コアなファンが多くて、以前の動画でその人たちに向けて、
『あとひと月ぐらいでレベル200になる予定』
と、報告していた。しかし、先日、外に出た時は動画の更新がなかった。探索者は、ダンジョンの中に入れば配信などできないので、動画間隔があくことはよくあった。
だからそれほど気にしてなかったのだ。くに丸さんがようやく低レベル探索者を卒業するということで、いろんな人が応援するメッセージと共にくに丸さんに対する課金をしていた。
俺はエヴィーから渡されたお小遣いをつい衝動的に使って、100万円分の応援メッセージを送った。4年頑張ったくに丸さんが、ダンジョンから次に出てきたときは、レベル200に到達している。
なんだか一緒に歩んできたような思いすらあった。今のくに丸さんには100万円は端金だろうが、それでも喜んでもらえるかなと思った。
「無駄になっちゃったじゃないか」
よりにもよって、あんなおっかなそうな人と喧嘩するなんて、そんな人じゃなかったのにな。パーティメンバーの安全も考えて、決してほかの探索者とは喧嘩しないようにしてきた人だ。
動画でもほかの探索者と揉めないようにとよく注意していた。それなのに、自分が最後の最後、もうちょっとってところで喧嘩してどうするんだよ。何か理由があったのだろうか?
「ユウタ。大丈夫?」
「くに丸さんってファンだった人だよね?」
2人とも覚えてくれていたのか、心配そうに聞いてきた。40度にもなる気温の中。凄まじい勢いで太陽が照りつけていた。俺たちは一旦ギリースーツをバッグの中に戻して走っていた。
「大丈夫」
ダンジョンに入れない頃からくに丸さんの動画の内容を何度もメモ書きした。自分が探索に出た時に役に立つようにと思って動画も何度も見た。くに丸さんがゴブリン相手に死にかけた話とかはドキドキしながら聞いてた。
何度もメッセージだって送った。俺のメッセージに反応してくれた時、とても嬉しかった。だから昔から1000円でもいいから、応援したいといつも思っていた。
『僕はお金持ちだからね。応援したい気持ちはわかるけど、探索者をやりたい子たちは、自分にお金を使った方がいいよ。でも本当に探索者になって、お金持ちになれたら100万円ぐらいくれると僕は喜ぶよ』
冗談で言ってたのは分っていた。だけど本気でやってみた。
「くっそ」
くに丸さんはめちゃくちゃいい人だったんだぞ。米崎。お前、やっぱりちょっとムカつくな。あの余裕そうな顔、いつか思いっきり殴ってやる。
「俺たちは例えレベル200になったとしても、調子に乗らないようにしないとね」
「う、うん」
「ユウタ。どうしても米崎が許せないなら、レベル200になったら協力するわよ」
「うん。私も協力するよ」
今はどう考えても無理だとエヴィーは言ってくれている。
「大丈夫。不思議と頭にはきてないんだ」
「本当?」
「2人に言っておくけど、俺は伊万里も含めて美鈴とエヴィーが大事だ。正直、それ以外のことで命をかけようとまでは思えない。だから、人間としてはおかしいかもしれないけど、今は何もしないつもりでいる……」
見下げ果てた根性だ。本気になって考えたら、何か思いつくかもしれない。でもどの道、命がけだ。池本の時とは比べ物にならないぐらい命をかけなきゃいけなくなる。だから考えたくなかった。
「ユウタ。それでいいの。あなたは正しいわ」
「うん。それでいいと思う。それよりももうすぐだよ」
美鈴が先行して走っていた。それが止まった。
「着いたよ。ここからはしっかりと隠れて行こう」
俺たちはギリースーツを着る。ゴブリンライダーが乗る鼻が利くライオンは昨日のうちに全滅させたし、残党もさっきので全滅させた。それでも残りがいないとは限らないから、臭いは香水でわからないようにして、ギリースーツで隠れる。
俺たちはまず姿勢を低くして草むらを歩き出した。
目を向けた先に草の束と木を組み合わせた建物が見えた。それらが20戸ほど見えた。ひときわ大きい建物があり、ゴブリンジェネラルがいるという話だ。木製の牢屋もある。
人間の女が捕まると、逃げ出さないようにこの牢屋の中で共同生活をさせられるらしい。その他の動物の場合は、ゴブリンに飼育されることは別に嫌ではないのか、逃げ出さずに一緒に仲良く暮していたりする。
俺たちはまずそれを狙うのだ。
そう。
ゴブリン軍と戦うと言っても、最初から万全の態勢を整えたやつらと闘うのではない。美鈴のクエストと似た方法を取るのだ。何しろ、あの南雲さんでも3階層でゴブリン軍を最初に見た時、
『即行、逃げた。3階層でコレもうこれかよ。マジ、ふざけんなって思った。仕方ないからクソババアの提案でちゃんと作戦立てたよ。作戦立てたのはあれが初めてだったな』
と言っていた。だから俺もそうすることにした。正直言えば、南雲さんの上を行きたくて、正面戦争も考えたけど、3階層のゴブリン軍について調べれば調べるほど、これはどうにもならんという結論になった。
「まず集落からだ」
とても平和そうに普通に暮らしているゴブリン達。人間以外はゴブリンをそこまで嫌っている様子もなかった。何しろゴブリンは別に享楽的に生き物を殺したりはしない。ゴブリン達が食事以外の目的で殺すのは人間だけである。
そしてメスに対してはどの動物でも基本的には、向こうが歯向かってこない限りは暴力的なことをしない。手を出してくれば殺すこともあるが出さない限りは何もしない。だからゴブリンの集落は基本的には平和なのだ。
人間さえ来なければ。
「噂には聞いてたけど、あれだね。これに手を出すんだね」
美鈴もそれを感じ取ったのか、顔をしかめていた。今のところコイツらは悪いことをしているわけではない。しかし、放置すればダンジョンから溢れ出て人間を殺しに来る。
「ゴブリンはメスには優しいからね。人間相手でもそうなんだってね」
「ユウタ、従順である限り、という言葉がつくわ。彼らのすることをすべてを受け入れられるなら、優しくしてくれるわ。でもそうじゃなければ豹変する。特にあっちのことを嫌がったりしたら、即行で縛って動けなくするらしいわよ」
世間で蛇蝎のごとく嫌われているゴブリン。米崎はこいつと人間の女が楽しく共同生活をできるとでも思っているのか?
「さて、手際よく殺してしまうよ。2人ともまさか殺せないなんて言わないよね?」
「まさか」
「悪いけど、私たちのレベルアップを手伝ってもらいましょう」
どれほどのゴブリンを殺したことか。2人とも今更迷いはないようだった。本来はゴブリンライダーを殺せば集落に連絡がいく。連絡が入るとすぐにゴブリン達は出撃する。
ゴブリン集落は手薄になり、それを利用して罠を仕掛けて全滅させる。それが一番簡単なゴブリン軍の殲滅の仕方だ。ただ、これだとあんまりステータスの上がり方がよくならないらしい。
しかし、レベル10の時点で、ゴブリン達と正面衝突するのは自殺行為。あまりにも難易度が高すぎる。だからここを直接狙う。ここの偵察に出てくるゴブリンライダーは、昨日のうちに全滅させている。残党処分も終わってる。
「じゃあ行くよ」
「「OK」」
まずエヴィーが召喚していなかったリーンとラーイを喚び出した。そして今回はリーンと俺が2人で動く。ラーイは見た目が白で目立つのでここで待機だ。ラーイが移動で使えないエヴィーも待機だ。美鈴は狙撃である。
ゴブリンソルジャーが周囲の警戒をしている。レベル15と言われていた。こいつらはスキル【剛力】を使う。そして監視櫓があり、そこにはゴブリンメイジがいる。レベル16と言われているやつらだ。【火弾】を使うことが出来る。
ゴブリン集落はゴブリンライダー50。ゴブリンソルジャー30。ゴブリンメイジ20。ゴブリンジェネラル2。で構成されていることが多い。ちゃんと間引きが行われているダンジョンではあまり数の変化はないと言われていた。
米崎が関わっているこの階層では、人間がゴブリンジェネラルを、新たに産んでる可能性もある。そうなると難易度が跳ね上がる。
「ゴブリンジェネラルは俺がやるから、リーンは絶対手を出さないように」
「大丈夫。段取り、全部、頭の中」
リーンが横に並んで匍匐前進で一緒に進んでいく。見晴らしのいいサバンナでのこと。監視櫓にいるゴブリンメイジから見えるんじゃないかとドキドキする。横であまり緊張感のなさそうなリーンを見た。
絶対この幼女はあまりよくわかってない。だからって潜入行為に向いているのは近接戦闘が得意な俺とリーンだけだ。土と草を貼り付けたギリースーツがどこまで頑張ってくれるのかわからないが、俺とリーンはゆっくりと隠れたまま進んでいく。
集落は丸太で2メートルほどの高さの柵で覆われている。そこまでまず見つからずに到達しなきゃいけない。草とアカシアの木以外は何もない草原を幼女と進んでいく。
「ユウタ」
珍しくリーンが小声で話しかけてきた。
「なに?」
「主、虐める。よくない」
「……」
「ユウタ、群れのリーダー」
「……ごめん」
リーンに怒られるのは初めてだ。このタイミングなのは2人になるのはこの瞬間しか無かったからか。リーンは知能の値が高くない割には鋭い。動物的な勘のようなものなのだろうか?
「いい。私も主の期待、応えられない」
リーンは珍しい言葉の使いかたをしていた。あまりこういうことを言うタイプではないのだ。毎日見てると悩みがなさそうでいいなと思っていた。だからその言葉は意外だった。なんとなく不意に俺はこの間リーンが死にかけたことを思い出した。
「リーン。一応言っておくけど無理したら駄目だからね」
「分かってる」
本当だろうな。この幼女意外と無理するから心配だった。





