第二章最終話 優しさ
「ほとんど襲われたみたいなもんだし、これは浮気じゃないよな?」
気持ちよかったのに、なんだかひどい被害にあったような気分である。本当に大変なことになる前に呪縛から解放されてよかった。あのビッチめ。できるだけ榊さんとはこれから接触しない方が良い。
ともかくエヴィーとの約束もあったので、電車に乗ってエヴィーのホテルの方へと向かっていた。
朝は美鈴、昼は榊さん、夜はエヴィー。途中の榊さんは事故と言っていいと思うのだが、それにしても酷い。それぞれの女子を好きな男子がいたら、きっと俺を殺したいって思うだろう。自分の人生について考えていたら、メッセージが届いた。
【ユウタはニューヨークのどこに居るの?】
エヴィーからだ。
「うわ、あの人、やば」
「あんなイケメン世の中にいるんだ」
「ちっ、イケメン死ね」
この顔になってから、周りからいちいちじろじろ見られることにうんざりしながらも、意味不明なメッセージが届いたことに首をかしげた。ニューヨーク、ニューヨーク……。
「ああ」
そういえば10時間ぐらい前はニューヨークにいたのだと思い出した。南雲さんは本当に自由だ。今もどこかで見てたりするんだろうか?さすがに、もう帰ったのか?気になりながらもエヴィーにメッセージを返した。
【ニューヨークにいたのは10時間前だよ。今はもう日本に居る。昨日の真夜中に南雲さんに『外国に連れて行ってやる』って、勝手に連れて行かれたんだ】
おかげで今の美鈴の機嫌が心配だ。そうだよ。美鈴に連絡しなきゃ。それにしても連絡先が女の人ばっかり。南雲さんは男だけど見た目がほとんど女の子だしな……。渋いおっさんだと思っていたのに……。
いや、あの姿も南雲さんの実際ではないのか。レベル500で転生する時も見た目が変わる。しかし、その転生では大抵人間に近い姿だと言われてる。南雲さんのその姿は見たことがない。レベル1000以上は龍の姿だとして、南雲さんにはもう一つ姿があるはずだ。
プルルルル。
プルルルル。
「あ、マークさんからだ」
女の連絡先ばかりではなく、デビットさんとマークさんがいた。金髪マッチョのデビットさんと黒人マッチョのマークさん。2人の存在にも結構助けられてる気がした。
「もしもし」
『ゆ、ユウタ。お前まじで日本に居るの?』
「ええ、そりゃ居ますよ」
『オーノー。俺はエヴィーに殺されるかもしれん』
「は?」
『いや、その、ちょっとエヴィーに優しくしてやってくれ。アメリカに帰るといった途端、ボスから鬼のように仕事を入れられて、ダンジョンに入る当日まで帰れねえんだ。今はプライベートジェットの中だってのに撮影中だ』
「あ、ああ、そうなんですね」
心のどこかで安堵している自分がいた。なんというか、今はゆっくり一人で休みたい気分だったのだ。
『じゃあな。俺がクビにならなかったらまた会おうぜ』
「え、ええ?」
なんだかよくわからない電話がかかってくる日だ。エヴィーのメッセージも意味不明だった。
「南雲さんいますか?」
エヴィーとの約束がなくなり、家に帰ることにした。その家路でふと気になって声を出した。しかし、返事はなかった。どうやらそばにはいないようだ。あの時だけ、俺があんなこと言ったからずっと見守ってくれていたんだろうか?
本当に面倒見が良いと言うか過保護というか、ちょっと怖いというか。
それ以上に親の愛情をほとんど受けられずに生きてきた俺は、南雲さんのそういうところが嬉しかった。南雲さんの女の子、いや、男の娘、いや、サングラスをしたおじさんを思い出しながら、メッセージを送る。
【見守っていただいてありがとうございました。池本のことは無事に決着がつきました。池本を殺したのは良かったんですよね?】
しばらくすると返事があった。
【後悔するな。ケツは俺が持つ。あのアホ女どもにも教育しておいた】
短い文章だったが、色々考えて送ってくれたんだろうなという気がした。南雲さんの教育ってどんなのだろう。あっち方面だとあの女の人たちにはご褒美にしかならないと思うけど……俺はそれ以上深くは考えなかった。
マンションに帰るとシャワーを浴びて、そのままベッドに入った。なぜか伊万里の匂いがした。
休みの一日目はハードだったが、 2日目は甲府ダンジョンの情報収集だけしておいた。 一日中それだけをして過ごし、俺が帰ってきたとたんに病気になった伊万里は、一日目の夜からずっと一緒で、3日目の夕ご飯の用意を元気にしていた。
「ふんふん」
鼻歌を歌いながら、伊万里は元気そうだ。母親の目をごまかすためだけに受けた高校受験は無事に合格したそうだ。俺でも聞いたことのある有名高校だったが、そこに行く気はこれっぽっちも無いらしい。
まあ、今の時代、いくら有名高校に行ったところで、ダンジョンに入ってなかったら、ある程度の出世しか望めない。そういう時代に加速してなってきていると昨日ネットで見た。
今は伊万里の夕ご飯ができるのを待ちながら、気になる探索者関連のスレが立っていないか見回っているところだ。そうすると、
【出世はしたい。でもダンジョンには入りたくない。どうしたらいいか誰か教えてくれ】
というスレが立っていた。
名無し【どうにもならん。これが時代だ。諦めろ】
イッチ【ちな、T大学、今年度卒業。入社予定の某一流企業パイセンから、『エリートコースに乗りたきゃ入社までにレベル3になっておけ』って言われた】
名無し【レベル10まで頑張れ。そうすりゃ、それだけで超出世する】
名無し【学歴はもはや畑の肥やしにもならん。日本一の大学だろうが同じだ】
名無し【レベル10っていうだけで年収1000万超えるんだもんな。信じられん時代だぜ】
イッチ【でもダンジョンに入ったら99%死ぬやん】
名無し【でも生きてる奴もいる】
イッチ【そんなバケモンと一緒にするな。俺の体育の成績を教えてやろうか?】
名無し【別に、お前の個人情報には興味がない】
名無し【今日の晩御飯は天ぷらです。可愛い妹が作ってくれました】
名無し【その妹、俺にください】
名無し【真面目に返事するなよ。妹という幻想を見てるに違いない】
名無し【そうだ。本物の妹は可愛くないんだぞ】
名無し【いや、俺の妹はかわいい】
名無し【写真を見せるまでは信じん】
名無し【胸部装甲と天ぷらの写真】
01
名無し【お兄さん僕と結婚してください】
名無し【落ち着けw日本語がおかしいぞw】
イッチ【おまえら、俺にもっと興味をもて。運動なんてアホのすることだって言ってたやん。出世したけりゃ勉強頑張ったらいいってみんな言ってたやん。なんでこんな時代になってんだよ】
名無し【文句はダンジョンに言ってください】
名無し【俺、中3だけど、クラスに一ヶ月ちょいで、レベル7になったバケモンいたわ。レベル15になってるクラスメートのDQNぶっ殺してた】
「うん?クラスメイトでも一緒のスレを見てるやつがいるのか?」
「ねえ、祐太。いつまで天ぷらを持ってればいいの?」
「ごめん。もういいよ」
イッチ【ちょっと言ってる意味がわからない】
名無し【ダンジョンに好かれてるってやつか?】
名無し【絶対そう。イケメンになりすぎて、そいつが久しぶりにクラスに入ってきた時、みんなポカンとしてた】
「ああ、そういう反応だったのか……」
「なに見てるの?」
「いろいろ」
「ふーん、もうすぐできるから、ノートパソコンどけて欲しいんだけど」
「了」
名無し【写真求む】
名無し【バカやめろ。そんな奴の顔バレしたらマジで殺されるぞ】
名無し【これはガチだからマジでやめとけ】
名無し【探索者からの要求だと、サーバー元は死ぬほど協力的だぞ】
イッチ【そんなおっかない話はどうでもいいから、俺のこと話し合おう】
名無し【まだ居たのかこいつ】
名無し【だから諦めろって】
名無し【出世したけりゃダンジョン入れ】
イッチ【そこを何とかならんのか?】
名無し【Dラン行け】
イッチ【あそこは脳筋ばっかりやって言うやん。僕、そういう人たちと波長が合わないっていうかー】
名無し【死ね】
名無し【アホ】
名無し【カス】
名無し【ボケ】
名無し【生まれてきたことを全世界の人々に謝れ】
イッチ【そこまで言うことないやん!】
名無し【ちなみにそいつ、クラス1の美少女というか東京でもめったに見かけない美少女と一緒にダンジョンに入ってる】
イッチ【ちょっとやる気出た】
名無し【死ね】
名無し【アホ】
名無し【カス】
名無し【ボケ】
名無し【生まれてきたことを全世界の人々に謝れ】
イッチ【そこまで言うことないやん!】
そのスレを見て人の噂って怖いなと思った。甲府についてのネットで調べられる情報はひととおり調べ終わり、天ぷらも食べて、お風呂に入り終わると寝る時間になった。
「伊万里、話したいことがあるんだけどちょっといいか?」
「うん。いいよ」
明日からいよいよ3階層である。その前に伊万里に話しておこうと思うことがあり、ベッドに入ってきたタイミングで声をかけた。もうすっかり伊万里と一緒に寝ることが当たり前になっている。
毎日のことになればもう少し考えたが、俺は2週間から3週間もダンジョンに入るといなくなる。そのことを考えると、一緒にいる時ぐらいは一緒に寝てもいいかと考えるようになってしまった。
伊万里がベッドに入ってくることに抵抗することがなくなり、伊万里がこちらを抱きしめてくる。しっかり抱き締められてキスをする。俺は伊万里を好きなんだろうか?最近よく考える。
たぶん好きなんだろうと思う。でも美鈴どころかエヴィーまで好きだ。その中でハーレムを認めているのはエヴィーだけだ。この問題が本当にどうにかならないとだめなんだろうなとは思っていた。
しかし、それよりも、一つだけ伊万里に話しておきたいことがあった。伊万里にしか話せないことだった。
「……」
「どうしたの?」
至近距離に伊万里の顔がある。心臓がドキドキしている。伊万里とこうすることにドキドキしているんじゃない。本当に喋っていいのかということを考えると、ドキドキするのだ。それでも、
「伊万里。俺、ダンジョンの中で人を殺してしまった」
「……」
さすがに伊万里は驚いて一瞬言葉がなかった。俺はこのことを美鈴とエヴィーには黙っておこうと思っていた。本来なら美鈴に黙っておくのは無理なのだが、榊さんが池本が死んだ理由を自分を助けようとしたということにしてくれると話していた。
『美鈴に言うかどうかは自分で決めて、言いたくなければ、私がうまく誤魔化してあげる』
『……ごまかしてくれるか?』
『OK』
『見返りは』
『私も和也のことは美鈴に言いたくないからいいわよ。それに私はイケメンに便利に利用されたい女だから、六条、そう思ってくれていいわ。六条が私を便利に使いたくなったときも電話しなさいよ。何でもしてあげるから。例えそれが人殺しだって呪師は得意なのよ』
と言っていたので、俺は言わないことにした。思わぬ形で榊さんに借りができてしまった。でも正直感謝していた。彼女が全く平気そうに振舞ってくれたことで俺の精神はかなり助かったのだ。
でも、パーティメンバーの全員に池本のことを黙っておくのはあまりにもしんどくて、伊万里にだけは聞いてもらおうと思った。
「どうして殺したのか聞いてもいい?」
こんなことを言えば、伊万里が俺から少しでも距離を置こうとするかと思った。しかし、伊万里が俺を抱きしめる力はむしろ強まった。
「うん。聞いてほしいんだ」
俺は伊万里に話した。今まで池本という人物に虐められ続けてきたこと。そして、その池本から殺されそうになったこと。だから殺し返したこと。全部話し終わって。その間、ずっと伊万里が俺を抱きしめてくれたのが嬉しかった。
「何それ?祐太は何も悪くないじゃない?ダンジョンの外で殺したとしても正当防衛だよ。むしろ生きてたら私が殺してる。絶対殺してる。だから生きててもその人は2、3日寿命が違うだけだよ」
「怖い事言うなよ」
「私は本気だよ」
「そっか。やっぱり伊万里にだけは話してよかったよ。ちょっとすっきりした」
「祐太。落ち込んでる?」
「覚悟を決めてやったことなんだけど、やっぱりちょっと思うことはあるよ。でも大丈夫。伊万里もそう言ってくれたし」
「祐太……そんな奴のことで落ち込まないで。害虫が死んで毎日スッキリして生きられると思ったらいいじゃない。愛してるからね。たとえ世界中の人間が祐太を嫌いになっても、私が大好きで居続けるから」
「……俺も伊万里を愛してる」
「……」
伊万里が戸惑った顔を浮かべた。俺は今まで誰かに好きだとか愛してるとか言ったことがなかった。それでも池本のことで心が弱っていたこともあるのだろう。いや池本のことが終わって確かに自分の中で何かが変わった気がした。
人のことを好きだと言って、その結果、向こうから嫌われたとしても、それでも好きなものは好きだとして、それでいいと思えるようになった。
美鈴とエヴィーのことがそれでも常に頭の中にはあった。彼女たちにも好きだとだけは伝えるべきなのだろうか?だからといって、その後どうするのか?全員に好きだと言って4人で仲良くなどやっていけるのだろうか?
「ごめんな。いい加減な俺だけど、ずっとそばにいてくれ。伊万里がそばに居ないのはいやだ」
「う、うん。わかった。ずっとそばにいるよ」
ずるい言葉の使い方だ。何よりもこんなベッドでこんな話をしているのはどうしてか?誰かにこの話をしたかったけど嫌われたくなかった。伊万里ならそれでも大丈夫と思ったけど怖かった。だから伊万里が離れていけない状況でずっと抱きしめてしゃべっていた。
多分、伊万里がこの時怖がってたら俺は伊万里を犯してたと思う。そうまでして伊万里を手許から離したくないと思っている。なんだ。2人で居ることにこだわっているのは伊万里じゃなくて俺だったのか。
ああ、本当に俺は自分のことが分かってない。人のことも分かってない。俺が伊万里を手放せるわけないのに。伊万里が俺を嫌いになるわけないのに。
「伊万里」
「うん?」
「明日からまた3階層に入るんだ。できれば3月15日までに4階層までクリアできたらなと思ってる。だから3月15日までもうずっとダンジョンに入っていたいと思ってるんだけど俺がいないと寂しいか?」
そして俺は伊万里の体をしっかりと抱き寄せたまま会話を続けた。そういう関係にもなるんだろうなという気がしていた。
「寂しいよ。それにそんなに早く探索されたら私追いつけるの?」
「それは……」
それは俺の中でもずっと考えていたことだった。レベル上げだけなら、リーンの時のような方法を使えば何とかなると思う。それにダンジョンは一人で入った者に対しての、クエストというものをちゃんと用意してくれる。
何しろパーティメンバーが欠けるケースはよくある。その時にパーティメンバーを補充する必要も出てくる。それがまったくできないなどというシステムにはなっていないようだった。
それに、探索者の危険が分かるほどに早くレベル上げをしたい思いもあった。池本ぐらいのレベル差ならば事前にわかっていれば金と装備でどうにかなる。でもステータス的に言えば本来はやはり負けている。
そういう状況をできるだけ減らす必要がある。
4階層が終わればレベル25である。あと25頑張って、レベル50になれば、なんとかレベル100の人たちから逃げるぐらいはできるかもしれない。榊さんの話を聞く限りレベル上げとクエストだけならば、それほど時間はかからないようだ。
伊万里を3週間で俺たちに追いつかせて、それから、4人で、できれば2ヶ月ほどでレベル50になる。日本のダンジョンで今一番多いレベル帯は100前後だという。そうすると3ヶ月かからずにかなり安全な状況に持っていける。
「待って欲しいか?」
「そりゃできれば待ってほしいよ。だって、祐太はお父さんに認めてもらうために私を待たずにダンジョンに入ったんでしょ?」
「うん、そうだ」
「でも、もうおじさんはダンジョンに入ることを止めるつもりはないみたいじゃない。それなのに、3人パーティーの危ない構成でわざわざ挑戦し続ける必要ある?」
「それは……」
実際、これを伊万里と話し合って決めようと思っていたのもあった。伊万里と話し合って、その上で2人に喋ろうと思っていたのだ。 2人と話して、すでに話が決まってから伊万里に言うよりも、伊万里にどうしたいのか聞いてから2人に話した方が、いいと思ったのだ。
「はあ」
俺はいったん伊万里から離れてベッドの端に座った。すぐに伊万里が起き上がってきて、隣にすわった。
「いろいろしたくなっちゃった?」
「う、うん。正直そうだ。でも我慢しないとな」
こちらの心がわかっているみたいに聞いてきた。
「伊万里。不安な気持ちはあると思うけど、俺はやっぱり3階層と4階層の探索を終わらせてしまおうと思う。伊万里のことを考えてないわけじゃないんだ。けど、できるだけ早く強くなりたいんだ」
「私のクエストとかはどうなる?」
探索者にあまり興味のなかった伊万里だが、最近はかなりダンジョンのことも調べているようだった。
「大丈夫だ。探索者はパーティーメンバーが欠けること自体はよくある。それに一人でダンジョンに入って10階層まで行ったことがある人はいるんだ。もちろんクエストもこなしてね」
「じゃあ私はまた待たされるの?」
「悪いな。でも、もう少しの辛抱だから」
「……本当?」
「もちろん」
「祐太はダンジョンに関してだけは本当に止まろうとしないよね」
何か自分でもわからないが、せき立てられるように急いでしまう。レベルを上げたい。そう思えてしかたがなかった。俺はある思いから震え出した手で伊万里の手を握った。
「怖いの?」
手が震えていると分かったようだった。
「ああ、怖い」
「どうして?」
「最近奇妙なぐらい頭が冴えるんだ。どんなことでも少し考えたら答えが見つかってくる。池本を殺した時も、まるで一本の道が見えてるみたいにどうしたら殺せるのかよくわかった。そのとおりに殺したら、特に問題になることもなく殺せた。伊万里、お前は俺を何だと思う?」
「……祐太はいつもうじうじしてて、くよくよしてる。いつも通りにしか見えないよ」
「そうか……」
「うん」
「伊万里」
「うん?」
「ちょっとだけいいか?」
「うん。大丈夫。慰めてあげる」





