第六十一話 ダンジョンペット
ひょっとすると俺はかなりエッチが好きなのか。榊さんの豊かな胸を腕に押し付けられて、押し当てられている部分に神経が全集中した。きっと、伊万里の胸を知らなかったら、かなり動揺してしまったと思う。
それにしても榊さんはずいぶん綺麗になった。もともと胸が豊かだっただけに顔が良くなると破壊力が凄まじい。相変わらず観光客で賑わう浅草寺ダンジョン。人混みの中でも何度も俺たち二人は通り過ぎた人達に振り返られた。
女性は全員俺を見てきて、男は全員榊さんを見て羨ましそうな視線を送ってきた。それにしても顔が良くなるとここまで人に見られるのか。通りすぎてから振り返るのは面倒くさくないのかと思うぐらい振り返ってくる。榊さんもかなり可愛い女の子になっているから余計だ。
さすがにそれ以上に可愛い3人の女子が、こちらに興味を持ってくれている状態なのだ。いくら榊さんが可愛くてもふらつくつもりはなかったが、女の性欲とでも言うべきものでぐいぐい来られると頭がくらくらした。
「女の方が男よりも露骨なんだな」
可愛くなった榊さんの横顔を見る。少し赤くなった頬。ピンク色のみずみずしい唇。そんなことはしないが、いきなりキスをしても今なら怒られない気がした。
「どうかした?あ、やっぱり怖くなってきた?」
人ごみの中を歩きながら、榊さんはこちらのことを本気で心配しているとしか思えない表情をしていた。
「あ、いや、そんなことはないんだけど」
「無理しなくても、逃げ出したいなら逃げていいんだよ。一人が怖いなら私も一緒に逃げてあげる」
榊さんは俺への態度が違いすぎるぐらいはっきり違う。嫌かどうかと言われたら嫌でもないのだが、イケメンに弱すぎだ。まあ俺も榊さんの胸を振りほどけずにいるのだから、美人というか巨乳に弱いわけだが。
「ありがとう。でもそのつもりはないよ」
それでも俺は逃げ出すつもりは毛頭なくて、榊さんとともに浅草寺のダンジョンの入り口まで来た。
「ねえ六条。本当に逃げなくていいの? どう考えても六条が負けるよ」
「負けてもいいんだ。 それでも俺は池本から逃げたくないだけだから」
「……六条。わかった。どうしても貫き通したい意地があるんだね。じゃあ絶対に死なないようにだけは私が何とかするから」
「ありがとう。でも榊さんを巻き込みたくないし、俺がしくじったら見捨ててくれていい。先に中に入ってくれ。しばらくしたら入っていくから」
榊さんは迷いながらもダンジョンの中に入って行った。俺は榊さんのためにも10分ほど時間を開けてからダンジョンの中へと入った。相変わらずの暑さの1階層。どこのダンジョンでも一緒で、それでいて別の空間。
浅草寺ダンジョンの1階層には先客が8人いた。
「おい、これから殺される人間が何ボケッとしてるんだ!」
目の前には池本がいた。以前より格好良くなったが俺ほど極端な容姿の変更はなかった。正直それは羨ましい。南雲さんも言っていたが、あまりに容姿が変わると自分の顔じゃないような気がするのだ。
榊さんは池本の横で申し訳なさそうにこちらを見ている。それにしても随分綺麗になったな。以前のツンケンした感じも抜けて、かなり魅力的に感じた。そのさらに横に後藤。小野田が今ごろダンジョンに入ってきた。
榊さんが参戦しないとしても3対1。でも自分の心は驚くほど落ち着いていた。
「準備万端じゃないか。池本そんなに俺が怖かったのか?」
「はあ? そんなわけあるか! 雑魚が調子に乗るなよ!」
俺は冬の制服姿のままで暑い。サバンナの中でも草があまり生えていないフィールドで、陽炎が立ち上っていた。周囲にゴブリンの気配はない。1階層だと、もう少しいそうなものだが、多分あの人達が広範囲結界を張っているんだろう。
俺はイライラ顔の美女を見た。5人いるが、その中の1人がかなり落ち着かない様子だ。
「大丈夫だったぞ池本。本当にこいつ何も考えてないみたいだぜ。後藤よりバカだ」
小野田が言った。
「おいおい小野田。俺よりバカってなんだよ」
ヘラヘラ笑っている小野田と後藤。池本と後藤は、ご丁寧なことにちゃんと装備も着込んでいる。昔から体格の良かった後藤は防御に全振りしたような重装兵の姿だ。後から入ってきた小野田も魔法使いタイプの装備を着始めた。
「なあ池本。六条の君相手に自分の味方をこんなに揃える必要があったのか?」
後藤が言った。この状況どういうものなのか把握しかねて、ひとり不思議そうだった。
「そうだ。3対1とはずいぶんみっともないじゃないか池本」
俺がそれに乗っかって言ってみる。
「けけ、俺がそういえば小野田と後藤を下げるとでも思ってるのかよ?」
「いいや。お前は俺に負けそうになったら、小野田と後藤に助けてもらうんだろ?」
「バカ言うな! 助けてもらうじゃなくて最初から一緒だよ!」
いっそ清々しいほど卑怯なやり方。
中学からこいつに目をつけられて、散々な目に遭わされてきた。小学校の頃からずっと虐められていた俺だが、一番陰湿で嫌なやつは間違いなく池本だった。最初は消しゴムがしょっちゅうなくなった。
次に上履きがなくなるようになり、次は俺の机におっぱいの絵が描かれていた。そういう時、ニヤニヤ顔でいつも俺を見ていたのは池本で、池本が犯人で間違いないと思ったが、何の証拠もなかった。いつ頃からか、それに小野田と後藤が参加してきた。
俺は、小学校に続いて中学校まで虐められるのはいやだったし、体を鍛えていることもあったので、なんとかそれに抗おうとした。それでも人を殴る勇気がなくて口で言い返した。そうすると池本は逆に意地になった。
気づけば露骨に殴られることも多くなり、それでもめげずに学校に通っていたら余計に虐めがひどくなった。俺はだんだん抵抗もしなくなって、半年もするころには、学校に行くのが嫌になり、死にたいと考えるような日が多くなった。
そして俺は池本を何度も殺してやりたいと思い、何度も自分はいっそ死んだ方がマシかと思って生きてきた。
「お前だってレベル7の俺に3人で勝ったとしても全然嬉しくないだろ? 池本。 3人がかりは待って欲しいな」
そんなことされたら本当に3人まとめて殺したくなる。できれば死ぬのはお前だけでいいと思うんだよ。
「全然。むちゃくちゃ嬉しいね。むしろ俺は一方的にボコボコに人を殴るのが好きだ」
池本は弱い人間を見つけてはそいつを殴ることで、自分の優位性を示そうとする。2年の時は別のクラスだったが、誰にも言えない弱い相手を見つけて虐めてるみたいだった。
「ね、ねえ、和也。いくらなんでもレベル7相手に4対1は大人気なさすぎでしょ。そもそもあんたが六条を恨むこと自体意味不明だよ」
榊さんは何とかこれを止めたいようだった。俺は榊さんのことも誤解していた。榊さんは俺が思っている以上にイケメンが好きのようだ。池本と仲良くしていたのは、池本がクラスで一番イケメンだったから。
そして俺の顔がよくなってから分かりやすいほど態度が変わった。でもきっとイケメンを助けたいという想いだけは本当なんだ。
自分はどうだろう?
学校で、いや、東京でもめったに見ないほどの美少女だった美鈴が好きになった。美鈴がブスならきっと好きにならなかった。その美鈴もエヴィーも顔のよさにはこだわっている。だから俺は榊さんの分かりやすい態度が嫌いではなかった。
「いいんだよ。あんな雑魚、さっさと再起不能にして、ゴブリンの餌にしたらすっきりするだろ。お前らも文句ないだろ? なあ、小野田。お前が俺に誘われてDランに行くのをやめた一番の理由って、六条の君に復讐されるのが怖かったからだろ?」
池本が小野田をニヤニヤと見た。女にモテたいがために進学校で茶髪に染めている男だった。やたらと頭が回る方で、小野田が池本の虐めを手伝ったせいで、池本の虐めは余計陰湿でうっとうしいものになった。
「へへ、まあな。ダンジョンでレベルを上げて虐めっ子に仕返しって。よくある話らしいからさ。俺たち、誰にもそんなに悪いことしてないのに殴られたら嫌じゃん」
俺には散々しただろうによく言う。でも、この3人は俺に死にたいと思わせるほど悪いことをしても、なぜかそれを当たり前だと思うようだ。
「後藤だってそうだ。こんなことさっさと終わらせてスッキリしたいよな?」
「まあなー。京香にダンジョンでレベルアップしてもらうまでは、六条のせいでクラスでも随分嫌な思いしたからな。そのお礼はしたいなって思うのが人間だよ」
「クラスのカス共マジむかつくぜ 。俺が『六条に絶対ダンジョンリベンジされてボコられる』って」
あーなるほど。
俺は教室に入った時、自分の容姿が、かなり良くなったこともありキャーキャー騒がれるのかと思った。正直、それをちょっと期待してしまっていた自分もいた。しかしそんなことはこれっぽっちもなくて奇妙な感じを受けた。
その原因がクラスで悪い扱いを受けたこいつらが、レベルアップしてクラスメイトにやり返したのだとしたら納得だ。本当に心底迷惑なやつらだ。
「六条の君。いいこと教えておいてやるよ。自分に嫌なことをしてきた相手を泣くまで殴るのって最高に楽しいんだぜ。お前の鬱陶しい顔、毎日殴るのが俺は最高に楽しかったんだ。何しろ俺はお前の鬱陶しい顔を毎日見なきゃいけなかったんだからな!」
池本がそれを俺に言うのが滑稽だった。
「ああ、そうかよ。榊さんも苦労するでしょ?」
「あはは、うん」
「何頷いてるんだよ小春。後でもっときっちり調教してほしいのか?」
池本が横に並んでいた榊さんの髪を乱暴につかんだ。
「い、痛い。ご、ごめん。もう十分だからやめてっ」
「けっ。こいつは昔からイケメンを見たらフラフラフラフラしやがって。本当にわかってるのか? お前のご主人様は誰だ!?」
池本がこの女は俺のだと言いたげに、執拗なほど榊さんを乱暴に扱った。
「か、和也です!」
「本当にわかってるんだな? お前もいつも通りちゃんと後ろから支援しろよ?」
「そ、それは……。わ、私が参加しなくても3対1なら絶対負けないでしょ」
「なんだと!? お前、まさかあいつに惚れたんじゃないだろうな!?」
「惚れ……惚れたけど……」
「はあ!?」
「だ、だってあんなイケメン見たことないもの! 見てるだけで幸せ! 殴るなんて絶対嫌!」
「このアマ!」
榊さん、いっそすがすがしいほど俺の顔が好きなんだな。しかし、やっぱりそうか。この顔、相当イケメンなんだな。
「おい、池本よお。もうさっさとしようぜ。別に榊が参加しなくても結果なんて何も変わらないだろ。さっさと終わらせて俺は京香さんたちと仲良くしたいんだよ」
小野田は池本にくっついていただけの腰巾着のくせに偉そうだった。
「小野田。お前、最近態度でかくないか?」
「普通だって。それよりあんまり京香さん達を待たせたら悪いだろ。お前が言うからわざわざ呼んだんだぞ」
「はあ、まあいい。六条の君。そういうわけで、ちょっとツラが良くなったのに悪いが、俺たちの安眠のためにもここで死んでくれよ」
「な、なあ、本当に殺すのか?」
後藤は、本気で池本が俺を殺そうとしていることにビビっているようだ。
「当たり前だろうが。探索者はちょっとレベルが上がっただけで、こんなことができるんだぞ」
池本が足元に転がっていた石を蹴り上げると、自分の腰に刺していた剣を抜く。池本は西洋風の甲冑を着ていて、剣士で間違いないようだ。ジョブとしては俺と似ている。剣先がぶれた。一瞬後に石が真っ二つになって地面に落ちた。
「なあ六条の君? レベルアップってすごいよな。お前もここまで変わるとは思わなかったよな?」
「そうだな」
「危なかったぜ。あの時、あのままお前とやってたら、俺が負けたかもしれない。でも今は違う。お前はレベル7で俺は15だ」
「確かにそうだ。卑怯すぎて泣けてくるな。池本、自分が情けなくならないのか?」
「あははは! どれだけ挑発しても無ー駄ー! このゴミ虫が! 俺は絶対に勝てる時に勝っておくって決めてるんだよ! お前からダンジョンに誘ってくれて嬉しかったぜ! さすがにダンジョンの外で人殺しなんてしたら、警察に捕まる。でもここなら違う」
それもちゃんとわかってるんだな。いくら探索者でもレベル100ぐらいまでは、警察は人殺しなどの大事件に関しては、見逃さない。中レベル探索者でも何人も殺すと見逃さない。しかしダンジョンの中では、よほどのことがない限り警察は何もしない。
「ここなら人を殺しても構わないか?」
「そうだ」
「池本。やっぱり、よっぽど俺が怖いんだな」
「だから違うって言ってるだろうが! 耳ついてんのか!?」
どう考えても過剰な戦力の揃え方。俺は池本に構わず言葉を続けた。
「俺は、好きな子のことよりもお前のことをずっと考え続けてきたから、お前のことなら何でもわかるんだよ。どうしてお前がそんなに俺を警戒してるか当ててやろうか?」
「何言ってるんだお前? 警戒? 違うな。俺は一方的にお前をボコボコにして楽しみたいだけなんだよ」
「俺が"気味の悪い行動をしている"って、お前は思ってるんだろ?」
「別にそんなことねえよ!」
「絶対こっちの方が有利だ。イケメン好きの榊さんが数に入らなかったとしても3人いるんだ。負けるわけがない。でもなんで六条はあんなに余裕そうなんだ? 何を狙ってる? 京香さん達だっている。万が一のことだってこの状況じゃ起こりようがない。それなのに、どうしていつもみたいにビビらないんだよ。違うか?」
「う、うるさい!」
「ダンジョンペットにされてること、お前は気づいてるだろ? 多分、小野田も気づいてる。でも、小野田はそれを受け入れてる。それはそれで悪くないと思ってる。後藤はただのバカだ。でもお前は違う。最近、毎日イライラしてるんじゃないのか?」
「はあ!? 何の話だ!」
「お前がいっそ哀れだよ。ずっとお前の今のステータスを考えていたんだよ。お前がダンジョンペットだとしたら、きっと最高のレベル上げはしてもらえないはずだ。ねえ、京香さん達でしたっけ?」
俺はものすごくイライラした様子の女の人を見た。多分この人がトップだ。そして探索者の喧嘩というものが、どれだけ面倒くさいことになるのかよくわかっている顔だ。男でも最近はなかなか見かけないほど髪を短くした女の人だった。
「ちっ、ああもう。やっぱり面倒そうなのを引っ張ってきた」
かなり髪は短くて胸は無いに等しいが、美人だった。それでもスカートをはいてなかったら男に見えたかもしれない。こちらの質問に答えないで地面を蹴る。そうすると地面の土がかなりえぐれた。穂積と同じだ。きっとレベル200以上ある。
「和也! 探索者にはどんなレベルのやつでも手を出すなっていったでしょうが!」
「ああ? 誰に口聞いてんだ! この色ボケ女!」
「お前だよ! お前! このボケガキ!」
短い髪の女の人は露骨なほどイラついていた。しかし、それなら、池本のレベル上げはまだしも、ダンジョンから出さなければいい。いや、多分ダンジョンは俺が考えていたよりも、"そういう事"に厳しいのかもしれない。
人をダンジョンに閉じ込めていると判断すれば、この女の人達も出入りできなくなるのかもしれない。まあどうでもいい。理由などどうでもいい。ちゃんとペットを教育できなかったのが悪いのだ。
それでも正直、大丈夫だと思っていた。教育できなかったら池本を殺すだろうと思っていた。でもこの人たち、きっと、そこまで悪い人にはなりきれなかったんだ。ふふ、ここまでして中途半端なことをしてくれる。
でもよかった。そのおかげで自分でちゃんと池本を殺せる。
「ちょ、ちょっと京香。今回は優しく行こうって決めたでしょ」
「そうよ。また嫌われちゃうわよ。ちょっとぐらいリスクがあっても、もう『化け者女』とか言われるの私はいやよ」
「そうそう。これで何組めよ」
「私だってそのつもりだったわ。でもダメ。危険感知にビンビン来る。絶対ここに来たくなかったのよ。でも来なくてもひどいことになるって。ちっ」
京香さんという人は相当イライラしているようで、何度も地面を蹴った。
「おい! いい加減にしろよ! 俺は本気で怒るぞ!? どんな男にも相手されないお前らを相手してやってるのは誰だ!」
「誰よ。教えなさい」
「何のことですか?」
「あんたは口調からして分かって言ってるんでしょ? いくらなんでもレベル7のガキにここまで危険感知が働くわけないのよ。いいから言いなさい」
そして池本を無視して京香さんは俺の方を見てしゃべり始めた。





