第五十九話 ケジメ
学校の廊下を歩いて行く。この間登校してからまだ2ヶ月も経ってないのに、随分と時間が流れた気がする。一時間目が始まっている頃だろうか。教室の中からはわずかな喧騒と教師の声が聞こえてくる。
南雲さんに送ってもらったとはいえずいぶん遅くなった。あまり目立つのは嫌だが仕方なかった。自分のクラスの表札が見えた。自分のクラスの前で立って、池本にまた会うのも嫌だなと思った。
教室の扉をノックするのも変な気がして、俺はそのまま開けた。こんな時間に入ってこようとする生徒の姿に、みんなの視線が集まる。
「先生、遅刻しました。すみません」
「う、うん?あの、あなた誰?」
戸惑いながら前に立っていた女教師が声をかけてきた。俺の顔を見て頬を赤らめている。それがわかった。随分かっこよくなったんだな。なんだか不思議な感じがする。
「鶴見先生。六条祐太です。ダンジョンでレベルが上がって、ちょっと容姿が変わりました。授業続けてください」
「え?あ?は、はい。ちょっと変わった……」
鶴見先生があっけにとられている。30代の先生で結婚している。それでもまだまだ女盛りで、生徒からの評判の良い先生だった。こんな時期の授業なので気が抜けてるはずだ。その気が抜けた顔が余計気が抜けたみたいになってる。
俺だって自分の容姿に驚いているのだ。向こうから見れば『誰、こいつ?』である。あまりにも変わりすぎているので、俺はステータスを出して、先生に見えるようにした。自分のステータスは自分で見せるところを変えることができる。
年齢や住所を追加することもできるし、それでいて、ステータスをごまかしたりする方法は今のところ一切ないと言われていた。だからこそ名前と住所と年齢だけ見せれば充分だと思った。
「ほ、本当に六条くん?ず、ずいぶん変わりましたね」
「ええ、まあ」
「きっとダンジョンに好かれているのね。私は違ったから、すぐに諦めたけど羨ましい」
大人の中にはダンジョンに反対する人もいれば、自分も入ってしまう人もいる。鶴見先生はその一人で、レベル10まで上げた人である。俺の知らない3階層まで探索したことがあり、その話を授業で聞かせてくれるのも評判の良い理由だった。
「はは」
「あ、ああ、ごめんなさいね。いいわ。席に座って。でも話は聞いてるわよ。鳥羽先生が怒って言ってたわ。『うちのクラスにとんでもない碌でなしがいる』って。その調子だと探索も順調なんでしょ?」
「まあ、そうですね」
「学校なんてもう来なくてもいいのよ。正直ダンジョンを知ってしまうと、日常がばかばかしくならない?」
受験シーズン真っ只中にとんでもない発言をする鶴見先生だった。
「そんなこと言っちゃっていいんですか?」
「いいのよ。今年度限りで辞めるつもりだしね。4年前はあきらめたけどDランも出来たし、通い直すつもりなの」
「「「「「「え、ええ!?」」」」」」
「先生、辞めちゃうんですか?」
「ええ、旦那に反対されて諦めたんだけど、やっぱり諦めきれないのよね。旦那に『反対するなら離婚する』って言ったら、じゃあ俺も一緒にサラリーマンやめてDラン入るって話になって」
思わぬ衝撃発言に激震が走っていた。鶴見先生はレベル10になっていることもあり、とても綺麗だった。おかげで学校での評判も上々で、先生が好きな生徒もたくさんいた。とは言え、みんなもう、中学3年生で卒業する立場ではある。
「おい、六条の君!」
自分の席へと近づいていくと、二つ右の席から声をかけられた。誰なのかは見なくてもわかる。でもそちらに視線を向けると、こちらも幾分か容姿の変わった池本がいた。
「お前、俺に謝ることあるよな?」
池本は俺を鬼のような形相で睨んできた。それは俺を殴ってニヤついていた顔とは明らかに違った。
「は?俺がお前に?逆じゃないのか?」
俺はそれに対して普通に言い返すことができた。たったそれだけのことで、自分のことをかなり変わったなと思った。
「授業中ですよ。池本君、あとにしなさい」
「うるさいんだよ先生。俺はレベル15だぞ。ごちゃごちゃ言ってると犯すぞ」
「なっ、何を言ってるんですかあなた?」
ダンジョンでレベルの上がっている先生は綺麗なだけじゃない。死ぬほど強い。特に第一世代のレベル10である。ダンジョンのことが何もわかっていない時に、さんざん苦労しながらレベルアップしたこの世代はレベル10でも侮れなかった。
「怒りますよ?」
「どうぞ」
「では遠慮なく」
ドンッ
教室が一瞬揺れた。そして、教室の前で、小野田と後藤に羽交い絞めにされた鶴見先生がいた。明らかに胸を触るように抑えている。教師を教師とも思っていないやり方だ。堂々とお尻まで触っていた。
やはり、この2人までレベル15ということか。
「や、やめなさい!あなたたち何をしてるか分かってるの!?」
「へへへ、わかってますよ、先生の体触ってまーす」
「俺、前から先生の体に興味あったんですよー」
「ちょ、ちょっと2人ともやめなさいよ。レベルが上がったからって、あんまり調子に乗ってると大変なことになるよ」
榊さんが口を挟んだ。こちらも綺麗になっていた。どうやら榊さんもダンジョンに入っているようだ。レベル15が4人。
「池本。俺がお前に謝るって何の話だ?逆じゃないのか?」
鶴見先生には悪いが、ここで池本達と喧嘩を始めるわけにはいかない。だから俺は池本にまず尋ねた。
「とぼけるな!お前、俺をダンジョンに放ったらかしにしただろ!」
「お前が勝手に入ったんだろ。放置したも何もあるか」
「ふざけんな!お前はあのままダンジョンに入って来るべきだったんだよ!おかげで俺は本当に死にかけたんだぞ!」
「それがちょっと不思議だ。お前なんで生きてるんだ?」
「へへ、お前、あれで俺が死んだって思ったんだろう?残念だったな。俺はさらにレベルアップして今ここに居るんだよ。中レベル探索者の京香たちと一緒にな」
「京香……」
たぶんあの女の人たちのことだよな。思ったよりもいい人たちだったということか。そういう人が現れるのはダンジョンに好かれているからと言われている。それでレベル15。やはりあの女の人達の考えていることが分からないな。
まさかまだほかの人間が介入してるのか? 俺は南雲さんと知り合いだから、もっと上のレベルの人が関係していることも考えられないことではない。でも、違う気がした。不思議と最近こういう勘がよく当たる。
何かそうじゃない別の理由。
……考えられることがあるとしたら、一つだけ思い当たることがあった。
でも、もしそうだとしたら……、
「殺りにくいな……」
それにしても、先ほどから他のクラスメイトが一切騒いでない。みんな触らぬ神にたたりなしとでも言うようにダンマリである。登校してない生徒もかなり多かった。
「池本。レベル15は充分すごいよ。この短期間によくそんなにレベル上げができたもんだ」
「当たり前だろ!俺は京香達からも高レベル探索者になれるって言われてるんだぞ!お前とは出来が違うんだよ!お前はどこまで行っても俺のパシリがいいところだ!それがよくわかるだろう!?」
「ああ、十分にな。ところでお前、俺を殺したいらしいな」
「誰から聞いた?」
「美鈴」
「ちっ、そうやって呼んでられるのも今のうちだぞ」
「池本。そんなに俺を殺したいなら、ダンジョンに行かないか?出来ればそこで決着をつけたい。今日はそのために来た。そこでなら俺を殺しても何の罪もないぞ」
「お前、レベルいくつだ?」
「7」
俺はそう言って自分の名前とレベルだけのステータスを見せた。それにしても相変わらずの男だ。小狡くて。小心者。今ならそれがよくわかる。勝てると思ってるくせに、それでもちゃんとレベルは確かめてくる。
「ぷぷぷ!ハハハ!最高だぞこいつ!お前、俺が嘘ついてるとでも思ってるのかよ!俺のステータスも見せてやるよ!」
全部見せてくれたら嬉しかったのに池本は自分の名前とレベルだけを見せてくれた。確かにレベル15となっている。
「どうだ?ションベンちびりそうか?」
「大丈夫だ。それよりレベル15なら俺なんて怖くもなんともないだろ。ダンジョンでお前との因縁も終わりにしよう」
「う、うん?ああ、いいぜ。馬鹿がダンジョンでレベルが上がって、ずいぶん調子に乗ってるみたいだな。俺がお前の現実を教えてやるよ。結局、お前は何もできない。あー、そうそう美鈴もお前を殺したら俺がもらってやるよ。もちろん『ありがとうございます』って言えるよな?」
「俺が、お前に負けたらな」
「はは、勝つ気なのか?言っておくがお前が汚いことしないとも限らない。場所は浅草寺のダンジョンだ。お前の言うことを聞いてダンジョンまで行ってやるんだから、それでいいよな?」
「構わない」
自分は自暴自棄になっているのだろうか?まあどの道、池本は死ぬのだ。俺に勝っても負けても死ぬ。考えると同情すべき相手だった。どれほど努力して俺に勝ったところで、絶対死ぬ運命からは逃れられないのだ。
体の中でマグマのような怒りがぐつぐつと煮えたぎっていた。自分は死んでもいい。こいつを殺そう。ああ、そうだ。こいつを俺は何度も殺したいと思ってた。ダンジョンでレベルが上がったら、まずこいつを殺そうと思ってた。
お前から殺し合いを挑んできたんだ。
文句ないよな?
「ふふ、調子に乗るのもそこまで行ったら滑稽だぜ。小野田。後藤。行くぞ」
「あ、あなたたち教師の前で堂々と殺すとか」
完全になす術無く体を羽交い締めにされているのに、それでも気丈にも鶴見先生が、怒りの表情を浮かべた。
「ええー、六条の君なんて、池本一人で十分だろう。俺はもうちょっと鶴見先生と遊びたい」
「お前らバカか?いくらなんでも学校で堂々と教師を犯したりしたら、警察呼ばれるぞ。あとで、こっそりやればいいだろうが」
「おお、やっぱり池本は賢いな。そりゃそうだな」
小野田はともかく後藤までそんなことを言い出してる。あの女の人たちに何か変な薬でものまされてるんだろうか?
「あ、あのね!これは立派な犯罪よ!」
先生は怒るが池本たちは全く聞いてなかった。
「小春。京香達にこれから浅草寺に一人連れて行くって電話しとけ。お前も付いて来いよ」
「え、ええ?私も?」
榊さんがかなり嫌そうだ。榊さんの立ち位置がどこにあるのかはいまいち分からなかった。それでも池本には逆らえないようで、スマホを手に取っていた。3人が教室を出て行く。池本が俺に早く来いと視線を送って来た。
「わかってる。自分から誘っておいて行かないわけないだろ。先に行けよ。教室に忘れ物をした。それを取りに来たのもあるんだ。それとも俺の用意ができるまでそこで賢く待っててくれるか?」
「ふん、まあいい。そういうムカつく口の聞き方も全部。ダンジョンの中で教育してやるよ。それで『池本様、助けてください』って口にできたら、足一本で許してやる」
完全に俺を目の敵にしたような口調である。それにしても、何をそんなに恨んでるんだ。俺がお前を恨むのは分かるが、逆はかなり意味不明なのだが。
「小春。お前そいつが逃げないように連れて来い」
「う、うん。わかった」
俺は教室を出て行く池本の後ろ姿を目で追った。
「榊さん、ごめんね」
榊さんを見る。彼女はずいぶん見た目が変わっていた。池本のような微妙な変わり方ではなくかなり極端に変わっていた。そしてすぐに俺を赤面した顔で見つめ声をかけてきた。
「ろ、六条。今すぐ逃げて。あいつら探知系の能力は何もないから、逃げたら絶対に追ってこれない。京香さんたちも多分六条を追うことまでは協力したりしないから」
榊さんを味方と捉えて良いだろうか?以前の様子からするとそんなわけがないと思うが、なんというか雰囲気がずいぶん変わっていた。
「ああ、それはいいんだ。元から覚悟して今日はここに来たから」
「でも」
「それより。なんであいつ、俺にあんなにムカついてるんだ?いまいちあそこまでキレてる意味が分からないんだけど」
「それは……わ、私もよくわからないけど。従っていた人間に逆らわれたからプライドに傷がついたとかじゃないかな」
「それであそこまで怒るとかあいつはバカなのか?」
頭に疑問符を浮かべながらも俺は鶴見先生が気になって近づいた。
「鶴見先生。変なことに巻き込んですみません」
「いいのよ。元々ここ最近、あの3人のことがかなり職員室で問題になってたの。校長も私に対処頼んでくるし、どうにかしなきゃいけなかったのよ。それより六条君」
「はい?」
「私、久々に本当にムカついたわ。これからダンジョンであいつらぼこぼこにするのよね?私も付き合うわ。一人ぐらいなら多分なんとかなると思う」
「あっちの方がレベルが上ですよ」
「大丈夫。昔の知り合いに電話したらもう少し人も集められるし」
なるほど。向こうが助けを呼ぶなら、こっちも助けを呼ぶ。そして事の次第によっては戦争になる。南雲さんのように、個人で戦争レベルのことができる人もいれば、人数を集めて疑似的にそういうことをする人もいる。
どの道、探索者の喧嘩はただの喧嘩で収まらない。池本はそれをどこまでわかっているんだろう?まさか虐めの延長で俺をちょっと殴って終わりだなんて思ってるわけじゃないよな?
「もう許さない。私の体を触っていいのは旦那だけだって教えてやる!」
鶴見先生の顔が般若のようになっていた。池本たちって本当にバカだよな。探索者の世界でレベル15ぐらいで威張ってたら、一歩間違えば簡単に殺される。そのことが何も分かってない。レベル15になるまで一度も怖い目にあったことがないのだろうか。
「先生。それは少し待ってください。俺が終わってから、いくらでもあいつら殺してくれていいので」
「……一人でやる気?」
「そのつもりです。今まで俺、あいつに散々バカにされて生きてきました」
「あいつらあなたになんかしてた?」
「よくあるやつですよ。気弱な人間が気の強い人間に狙われる。本当に悔しかった。自分が悔しいって思っているのを忘れるぐらい悔しかった。だから誰の力も借りずにあいつの顔、一度でいいから思いっきり殴ってやりたいんです」
たぶん、俺はこれからダンジョンで池本を殺す。俺はそれを自分で止められない。止めるつもりもない。ダンジョンの中で確実に仕留める。あのむかつく顔を2度と拝まなくていいように。
「勝算はあるの?」
「ないですね。でも一発ぐらいは殴ってやるつもりです」
「ふふ、バカね」
「本当です。これから楽しいことがたくさんありそうなのに、何も、こんなところで死にそうにならなくていいと思うんですけどね」
「でも先生そういうの好きよ。そっか。残念ね。せっかくいい男になったのに」
「じゃあ、行きますね」
「忘れ物があったんじゃないの?」
「先生が落ち込んでないか心配だっただけですよ」
俺はそう言って教室から出て行った。
「旦那の前に会ってたらやばかった」
そんな声が聞こえた気がしたのは気のせいだと思う。その後に、榊さんが追いかけてきた。





