第五十五話 大人
目が覚める。時計を見ると深夜2時だった。ダンジョンは一日中同じ天気だから感覚が狂ってしまう。外の明かりが何もまだ入ってきていない。夜というものがこういうものだったのかと思い出した。
車の音がわずかに聞こえた。横を見ると誰もいなかった。代わりにシャワーの音が聞こえた。美鈴が浴びているようだ。まああのままやることやって眠ってしまったもんな。美鈴はずっと起きてたんだろうか?
本当にこの世とは分からない。深夜の2時にホテルで女の人とこんなことをしていると思うとまだ学校卒業もしていないのに、奇妙なほど大人になった気がした。
ブルルルルプルルルル
とまるで俺が起きるのを待っていたかのようにスマホが鳴った。確認すると、
【会いたい】
それだけを書いていた。エヴィーからだった。短い一言だったのにエヴィーの心がずっと俺のそばにあると思うと喜んでしまっている自分がいた。俺は美鈴がまだシャワールームから出てこないかを確認した。
まだシャワーの音がしていた。スマホの画面上に指を走らせて、最高に好きな女の人と過ごした後だというのに、別の女の人にメッセージを送っていた。
【昨日はごめん】
一言だけ送った。気づけばそう書いて送信していた。返事はすぐに返ってきた。エヴィーはきっと俺を待って寝てなかったんだ。
【よかった。美鈴と仲良くしてる最中よね?あなたのことが好きすぎて、どうしても我慢できなくて……ごめんなさい】
そんなに俺なんかの事を想ってくれているのかと考えただけで胸が苦しくなった。すぐにまた返事を書いて送信していた。またすぐに返事が返ってきた。
【昨日の私】
それはエヴィーの写真で、ちょっとエッチだった。
【全てが綺麗だ】
【早くすべてを確かめに来て】
「何してるの?」
ドキッとして慌てる。なんとかスマホは落とさずに済んだので、急いで画面を閉じた。そして美鈴に向き直る。美鈴はバスタオルを巻いているだけで、そのまま横に腰を下ろした。このバスタオルを下ろしても許される。
電話の向こうの美少女に同じことをしても許される。そして家で待っている伊万里に同じことをしても許される。鏡で見たあの格好良すぎる自分の顔を思い出した。客観的に見たらきっと刺されるレベルだ。
「怪しい」
「なんでもないよ」
「まあいいけど、それより今日はどうする?」
「あ、うん、伊万里にも連絡しなきゃいけないし、帰ろうかな」
「まあそうよね。あのさ、祐太。小春の事怒ってると思うんだけど、私、ちょっとあの子が気になるの」
「ああ、いろいろあったもんな。榊さん、元気だといいね」
自分でもどの口が言うのかと思った。あの時、榊さんを見捨てたのは自分だろう。
「うん、まあメッセージは何個か届いてたから、元気は元気みたいだけどね。祐太」
「な、何?」
「あんまり良い知らせじゃないんだけどさ、小春が、なんか池本が元気にしてるみたいなこと言ってるの」
「池本が?」
「うん」
「ダンジョンから無事に帰ってこれたの?」
俺はあまりにも意外なことに目を瞬いた。あの女の人たちにつかまったら、ほぼ100%池本はダンジョンから出してもらえない状態になっていると思った。
それに、あの日の翌日、テレビのニュースで池本が行方不明だと報道していた。つまり朝まで行方不明だった。あの人たちにダンジョンペット扱いされてるなら、今頃相当悲惨なことになっているはずだった。
「そうみたい。おまけに池本もDランに行くのをやめるみたい」
「あんなに行きたがってたのに?行方不明になってダンジョンで散々怖い目にあったから、ダンジョンが怖くなったってことか?」
「それだとこっちに実害がなくて嬉しいんだけど、まったくその逆。他の男子も誘って、自分たちでダンジョンに入ってるんだって。ほら池本と仲良くしてた……。何て言ったっけ?」
「小野田と後藤?」
池本が仲良くしている友達といえば、この2人である。俺よりは目立っている2人だが、この2人も美鈴は知らないようだ。どうも美鈴は興味がない人間のことをあまり覚えないタイプのようだ。
「あーそうそうその2人。その2人も誘われてDラン行くのやめちゃったんだって」
「今の時期にDラン行かずにダンジョンに挑むのは相当難易度が高いよ。親が1000万円ぐらいお金出してくれたのか?」
あの女の人達は池本をどうしてダンジョンから出した?あいつをダンジョンから出せば何をするかなんて俺でも想像がつく。
「本当、どうなってるんだろう。なんかちょっと気味が悪いなって」
「池本達は学校来てるの?」
「普通に通学もしてるみたいだよ」
「Dランに行かないって決めたってことは本気で探索者を目指すんだろ?随分余裕のあるやり方だな」
「それが……。祐太を探してるみたい。『学校に来たら二度と動けないぐらいボコボコにする』って、だからクラスメイトに祐太を見かけたら、すぐに連絡しろって言ってるんだって。小春が『六条は学校に来ない方がいい』って送ってきてるの」
「……」
情報が足りない。池本なんかに簡単に殺される気などこれっぽっちもないし、そっちがその気ならやり返すまでだ。しかし、やはりあの女の人たちが何を考えているのかがわからない。池本のあの性格は見れば分かるはずだ。
プライドが高く、弱いものを見ると無駄に虐めたくなる。あの女の人たちはまず間違いなく池本が俺を標的にすると分かっているはずだ。それなのに池本をダンジョンの外に出すのか?それは、あの時、俺を狙わなかった行動と矛盾してないか?
「祐太。池本ね。ちょっと信じられないんだけど学校通いながらなのに、もうレベル15なんだって」
「レベル15?」
それはつまり3階層まで行けたということだ。俺たちはガチャ運とエヴィーの資金力、そして危険なダンジョンに泊り込んで、それでようやく2階層が終わったところである。それなのに、この短期間でレベル15。
どう考えてもあの女の人たちがレベル上げを手伝ってる。ダンジョンペットのレベルを上げる話は知ってるが、階段探索まで手伝ったのか?それとも同じパーティー扱いになるのか?
「いくら何でもそれはありえない。あれからまだ3週間も経ってないのに」
「だよね」
「学校行きながらだとレベル15になるのに半年はかかるよ」
「とにかく小春がなんか池本にやたら絡まれてるみたいで、可哀想なのよね。どうもダンジョンにも無理矢理連れて行かれてるみたい」
「ダンジョンに無理矢理入るのは無理だろ」
「それも変な話なんだよね。祐太、私、様子を見に学校に行ってこようか?祐太は池本に会うのも嫌でしょ?」
「いや、そういう事なら俺が行くよ。美鈴は絶対に学校に行くな」
「でも池本の言ってることが本当なら」
「分かってる。でも駄目だ。言ってなかったけど池本は美鈴が好きだったんだ。レベル15になって、相当浮かれてるはずだし、絶対に美鈴に声をかけてくる。近距離向きじゃない美鈴だと学校じゃ絶対に分が悪い。それに俺は池本と喋る美鈴を見たくない」
状況がよくない。池本だけがレベル15なら、どうにかする方法はある。しかし、小野田と後藤もレベル15なら、エヴィーと美鈴も必要になってしまう。しかし、あの3人の視界にエヴィーと美鈴が入ることも腹立たしかった。
2人を関わらせずに、なんとか処理できないものだろうか?一番の問題は中レベル探索者と思われる女の人たちだ。手を出して来られたら、現状の俺は何もできない。そう考えるとすぐに頭に浮かぶ人がいた。
しかしあの人は……。俺はスマホに届いているメッセージの中で、南雲さんの部分に目を向けた。
留守中に南雲さんから連絡が来ていた。留守中に連絡が来てたのは、伊万里と南雲さん。そして義理の母だった人、この3人だった。南雲さんからは2件来ていた。なんだか怖くて開けられなかったのだが、俺は開けた。
パンドラの箱を開けたような気分になったのは、きっと気のせいじゃない。南雲さんは子供の喧嘩に核兵器持ってきそうな人だもんな……。
【今頃ダンジョンか?帰ってきたら遊びに連れて行ってやるから連絡しろよ】
激しく断りたい。とてもいい人で尊敬してる。でもレベルが違いすぎて、下手に声をかけると何が起きるのか全く予想が出来なかった。この間なんてダンジョンから出てきたら雷神様と戦争してたもんな……。
【まだ帰ってこないのか?まあ急いでないけど早く連絡しろよ】
その2件だけだった。二つ目のメッセージが届いたのは、今から5日も前である。メッセージをくれるだけでも恐れ多い人を5日も待たせている。ダンジョンの中にいたから仕方ないんだけど、怒ってるか。
「さっきそれ見てたの?」
いつのまにか美鈴が画面を覗き込んでいた。
「あ、う、うん」
「なんだよかったー。てっきりエヴィーからかと思っちゃった」
エヴィーからです。ごめんなさい。すみません。許してください。浮気野郎です。いや、浮気じゃない。3人とも好きで、3人とも手に入れたいと思ってる。そう、それを何とか伝えたい。
「それは難しい顔になるよね。南雲さんか……。この人に池本のこと話したら、池本をミンチ肉にしてくれそうなんだけど」
「とんでもない!南雲さんにそんなこと絶対に頼まないから!」
「わ、わかってるよ。冗談だってば」
美鈴はきっとわかってない。幼稚園で園児が喧嘩をしていたら、自衛隊が全戦力で止めに来たぐらい、それは間違ったことだ。とにかくこの人はおっかないんだ。絶対においそれと馬鹿な頼み事をしちゃいけない人なんだ。
「でも返事は出さないの?5日も前ならかなり待ってるんじゃない?」
「俺の事なんてそんなに待ってるかな……」
「待ってないなら2度目は来ないでしょ。なんかこの2度目のメッセージから、私は、ものすごく祐太に嫌われてないか気にしてる波動を感じるな」
「そんな波動出てないだろ。失礼なこと言うと南雲さんに怒られるよ」
「どうせ聞こえてないし、今なら好きなこと言えるもん」
「怖いもの知らずだな」
俺は南雲さんの悪口など知られてなかったとしても言いたくない。万が一でもバレたら……いや、悪口などないのだが、万が一でもバレたら殺される。
「へへ、ね、『今帰りました』って送って。朝まで続きしよ」
「まだするの?」
「嫌なの?」
「嫌じゃないけど」
とにかく美鈴がぐいぐい来るから歯止めがきかなくなりそうで怖いのだ。
「さっきの続き。もっとその先があるの。ね、いいでしょう?」
美鈴がさわさわしてくる。この先に何があるのだ?ただただ気持ちいいだけじゃないのか?でもそれも悪くないな。うん、悪くないな。よし。美鈴の言葉に従い南雲さんには軽く返事だけ返した。そして、
「やっと帰ってきたのかよ」
南雲さんが現れた。そうなんだよ。この人こういう人なんだよ。サングラスをかけてラフな服を相変わらず着ている。美鈴が他の男にバスタオルを巻いただけの姿を見られて慌てて布団で体を隠した。
しかし南雲さんは魅力58の体にこれっぽっちも興味がないみたいだ。むしろ俺の下半身に目が向いてる。もちろんパンツはちゃんと履いている。でも、まあ、朝だからいろいろと元気になってる。
「結構立派なもの付いてるな」
「は、はは。南雲さん連絡してから来るの早いですね」
「まあな。ちょっと用事で外国に行ってたんだよ。でもお前から返事が来てすぐに来たんだ。友達だから当たり前だろ?」
「そ、そうですね。友達だから当たり前ですね」
絶対当たり前じゃない。むしろメッセージを送ってノータイムで友達がやってきたら、相手の友達はドン引きである。でもそんな文句は言えない。死んでも言えない。怖いから。レベルが上とかよりも、なんか怖いから。
「じゃあ遊びに行くか。外国連れて行ってやるよ」
「え、ええ?パスポートとか用意ないんですけど」
親の仲が良かった頃は外国旅行の経験もある。しかし冷え切ってからは外国に行くことなどなかったし、ダンジョンが現れてからは、そもそも外国旅行に行くこと自体が危険とされていた。
「大丈夫、大丈夫。俺もパスポートなんて持ってないから」
そりゃあなたはパスポートなんて持ってなくても誰も文句言わないでしょうよ。でも俺は言われると思うよ。言えないけど。そして南雲さんに手を繋がれた。俺はこの後の展開が完全に予想でき、黙って様子を見守っていた美鈴も同じだったようだ。
「ちょ、ちょっとまさか!そのまま外国に行く気!?待って私達今日が大事な日で、それなら私も連れ――」
無情にも南雲さんは女にこれっぽっちも興味を示さず、布団で隠れていた美鈴が、布団をはがし、バスタオルが落ちたのに見向きもせず視界が歪んだ。それはダンジョンの中に入る時と同じような感覚。
『朝までには帰らなきゃいけないんです』ってちゃんと言っとかなきゃな。俺は現実逃避してそんなことを考えていた。
お気楽に書ける小説をちょっと書いてみたいなと思って新しいのを始めました。
サラリーマン田中は癒やされたい
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良ければまた読んでみてください。





