第三十五話 電話
エヴィーがホテルから手配してくれていたタクシーに乗って、朝早くに、自宅に帰ってきた。6時ぐらいのことで、起きていた伊万里が驚いた顔で、急いで朝食を用意してくれた。
2週間ほど前に別れる時、気まずい感じになったが、向こうはそれほど気にしていないようでホッとした。朝食を食べ終わり、伊万里が片付けまでしてくれている。
「手伝おうか? 俺もう学校に行かないつもりだし」
「ううん、いい。ダンジョンで疲れたでしょ? ゆっくりしてて」
そのゆっくりはもうしてきたのだが、内容は言いづらかった。前は美鈴のことを言って、伊万里をなんとか諦めさせようと思っていたのに、今はなんだか言いづらかった。伊万里を見捨てる選択肢なんてない。
そのことだけは確かだ。だが、こんな宙ぶらりんな気持ちのままいつまで居るのか。リビングでリモコンを手に取るとテレビをつけた。制服姿の伊万里は学校に行くつもりだったのだろう。
その姿を見ながらもだんだんとテレビの方に興味がひかれた。というか、このニュース?
『戦線は膠着しており、まだ予断を許さない状況です』
『すごい黒雲が立ち込めてますね。雷の音も頻繁に響いているようです。立花アナ、もう避難した方が良いのではないですか?』
『いよいよ本丸同士の衝突でしょうか?』
『現在神奈川県全域に緊急避難警報が出ております。一般市民の方は興味本位で絶対に神奈川県に立ち入ってはいけません。命に関わります』
『死傷者数1万人を超えるという試算も出ており』
5年前までなら何の映画かと思うような光景。それがテレビのニュースで流れている。俺は心に引っ掛かることもあってそれを一生懸命見ていた。
「祐太」
「……」
「祐太」
「う、うん、何?」
「お母さんとお義父さん離婚したんだって。祐太が無事に帰ってきたら伝えておいてくれって」
「離婚……」
久しぶりにダンジョンから出てきてテレビを見た。すごいニュースが流れていたから、そちらも気になった。だが俺はテレビを消した。伊万里から両親の離婚を聞いて、ついにかと思った。元々離婚していないのが不思議な夫婦だった。
詳しい話を聞くと、俺が本格的にパーティー仲間も見つけ、探索者になったのを機に、子供達も独り立ちできるようになったと親父は判断したらしい。まあ親父は持て余し気味の俺を手放したいんだろう。
義母はお金の事を気にして嫌がったそうだが、最初に浮気をした証拠を突きつけて、黙らせたのだそうだ。
「お義父さん、って言い方はもう変だよね。おじさんは引き続き私たちの生活費のお金は出してくれるって言ってた」
「お義母さん、いや、おばさんはどうなるんだ?」
「さすがにお金はもうもらえないでしょ。そのうち野垂れ死んだって聞こえてくるんじゃない?」
「おい、伊万里。自分の母親だろ」
「だ、だって、私あの人嫌い」
「でも本当に野垂れ死んだらどうするんだよ。あの人、生活能力ゼロだぞ」
「死んだらいいじゃない」
「死んだらいいって……はあ、もういい。俺の方でおばさんが死なないようにはしておくよ」
今の俺なら毎月20万円ぐらいあの人に支援することはできる。俺は正直親父よりもおばさんの方が親だという感じがしていた。何よりも親父は、自分を捨てた前の結婚相手、俺の実母、お母さんと似ているこの顔が気に食わないみたいだった。
『お前はどうしてあいつとそんなに顔が似てるんだ! あんな最低な女と!』
『お、お母さんと似てたらダメなの?』
まだ幼稚園の頃で親父がなぜそんなに怒っているのか俺には分からなかった。ただお母さんが優しかったことだけは覚えていて、否定されることに反発心を覚えた。
『黙れ! あいつと顔が似ているお前を養わなければいけない俺の気持ちが分かるか!?』
でもおばさんは違った。学校で虐められている俺のことを気にして、よく慰めてくれた。学歴のことも全然気にしない人で、死ぬほど男癖は悪いが、俺はあの人の方が人間味があって好きだった。
「むう」
「じゃあ、このまま、ここで二人で住むってことでいいのか?」
横浜でかなり大規模な探索者同士の戦争が起きているようだった。それでも、東京にまで被害が出そうな様子はないし、何よりも自分たちの生活に直結する話の方が、1万人死傷したという話よりも大事だった。
「うん。と言うかお義父さんの、じゃない。おじさんの話では1年前に国会で法案が通過して、今年のお正月ぐらいから探索者に関する法律がもう変わってるんだって」
「もう変わってる? どんなふうに?」
「15歳以上でレベル3の探索者になると、成人しているって認められるんだって。だから、祐太は選挙権もあるし、祐太がこの家の保証人になってもいいそうだよ」
「そんな法律できたのか? 探索者なんていつ死ぬかもわからないのに?」
探索者関係の法律については、政府もマスコミも表立つのを嫌う。探索者という個人の暴力を誰も抑えられない。下手に報道して探索者に目を付けられると、どんな大手のマスコミでも会社ごと物理的に潰されかねない。
だからって探索者にばかり有利な法律が決まると、一般人が嫌う。
この板挟みがあるので政府もマスコミも探索者関係のことはかなり神経を使う。実際のところはどんどん探索者に有利な法律が決まっているが、世間に周知されるのは、いつも、かなり遅れてからだった。
「弁護士の人はみんな知ってるらしいよ。15歳を超えてレベル3に到達した時点で、成人とみなされる。マンション契約なんかは探索者を理由に断れない法律もあるんだって。断ったら、実刑判決もあり得るぐらい重い罰らしいよ」
「なんだか闇が深いな」
「本当ね。でも、私たちにはちょうどいいよ」
「まあそれはそうか」
しかし穂積たちを見ているだけに良い面ばかりとも言えない。
何をしても許されるから、ああいうネジのぶっ飛んだ人たちが現れるのだろう。まあそれでも日本は外国と比べて表立っては平和だった。それはやはり南雲さんのような規律を守ろうとする探索者の数が一定数以上いるからだろう。
「祐太、どうする? おじさんは『祐太が問題なくお金を出していけるなら、このマンションについても名義変更してもいい』って言ってたよ」
それはつまり伊万里とふたりで暮らしていけと言っているのだろうか? あの親父。伊万里は気に入ってても、それ以上に俺のことが嫌いだから、本気で厄介払いするつもりだな。
『なんだこの成績は? お前は弁護士の息子だぞ? こんな成績で恥をかかせないでくれ』
小学校の頃から虐めに苦しんでいたときも、庇ってくれるよりも、そんなことばかり言う人だった。低学年の頃の成績なんて大した問題じゃないはずなのに……、今なら俺に文句を言いたいだけだったんだとよくわかる。
浮気相手と出て行ってからもそんな調子だった。おかげで勉強ができなきゃ親父に認めてもらえないと思って、勉強を頑張り、中学受験は受かることができた。プライドの塊のような人が世間体もあるのに、育児放棄したんだ。
よほど俺が嫌なんだろう。
これであの親父とも終わり……。
どこかでまだあの親父に期待していた自分の未練が嫌いだった。
『私は成績が悪くても、あなたの優しさが好きよ。こんなお義母さんのことちゃんとお義母さんって呼んでくれてありがとう』
二人の対照的な言葉を思い出した。義母は、いや、おばさんは、親父の頭が良すぎるゆえの冷たさが嫌いだったようだ。今頃どうしているのだろう。親父よりもむしろ義母の方が気になっている自分がおかしかった。
「このマンションの名義変更をしてもローンとかはないみたいだから、光熱費だけらしいけど」
「そうだなあ」
金銭的な問題はおそらく俺が生きている限りない。今回のガチャで初期投資の分がまだ回収できていないが、美鈴とエヴィーのガチャ運の悪さを補って余りあるほど、俺のガチャ運が良いこともよくわかった。
2階層の探索が順調に進めば、マンションの費用を出すぐらいは簡単だ。
「いっそ引越してもいいぐらいだけどな」
ここにはあまり良い思い出がない。両親は結婚して数年で仲が悪くなったし、一緒にいた少しの間は喧嘩ばかりしていた。伊万里と2人になってからは家は安心できる場所になったが、学校では相変わらず虐めがひどくて憂鬱な気分でこの家に帰ってきた。
小学校で伊万里に虐められているのを見られたのもかなり苦しかった。だから中学が別になってくれたことがむしろ嬉しかった。
「それ賛成だけど、私も引っ越す時はついて行っていいんだよね?」
伊万里が俺の理解が一瞬遅れることを聞いてきた。
「な、なんでそんなこと聞いてるんだ? お義母さんが伊万里を引き取るとか言ってるの?」
男に奔放すぎるところは問題だが、優しいところがあるのも知っていたのでそれもあり得るかと思った。伊万里と離れ離れはつらいが、それを邪魔する権利はなかった。いやでも、小学校の頃からずっといっしょに生きてきた伊万里と離れ離れになる。
伊万里にほかの男を作れと言いながら離れ離れになるのは嫌だ。矛盾している。本当に自分が何を考えているのかが一番わからない。
「全然! 全然そんなこと言ってない!」
「じゃあ一人暮らししたいとかじゃないなら、2人でここを出ようよ。初期投資でエヴィーと美鈴のお姉さんに5500万円ほど借りてるんだ。でも、今回のガチャで現金化はできなかったけど1億ぐらいにはなったし、これからのガチャで返すことはいくらでもできると思うんだ」
「そ、そうなんだ。なんか金額が大きすぎてよくわからないけど、大丈夫だよね?」
「南雲さんにも6千万ぐらい返さなきゃいけないけど、別のところに移り住んでもそれほどかからずに返せると思う。ガチャ運の話はしただろ」
何よりも親父の手垢が付いたこのマンションに住み続けるのは、気が進まないのだ。
「あ、うん。やっぱりガチャ運5って、すごいんだね」
「俺も金額が大きすぎていまいち実感わかないけど、ガチャを回してみたら金カプセルが5個も出たんだ。ガチャコイン50枚ぐらい回せば、次は2億は現金にできるものが出てくると思う。お金を借りている人たちはみんな信用できるから、急に返済しろとも言われないだろうし」
「なんかすごいね祐太。私がダンジョンに入る前にあんまりすごくならないでね」
大きな金額の話をさらっとしたので、逆に伊万里は不安を抱いたようで、俺の隣に座って手を握ってきた。嫌がられるとでも思っているのか、その手が震えていた。だから俺は手を握り返した。それでほっとしたみたいだった。
「大丈夫だ。伊万里が入ってくる頃なんて、どう頑張ってもレベル25ぐらいだよ。伊万里だってすぐに追いつくさ。ひょっとすると追い抜くかもしれない」
「そうだといいんだけど……」
「伊万里」
そんな伊万里に俺は自分が今考えていることを口にした。
「うん?」
「伊万里が仲間になったらなんだけど、4人で1年ぐらいダンジョンの中に引きこもらないか?」
「1年も?」
「うん、いやか?」
「ううん。祐太と一緒なら全然嫌じゃないよ。でもどうして?」
「早く。1日でも早く。レベルアップした方がいいと思うんだ」
「ね、ねえ祐太。私ちょっと探索者について調べたんだけどね。祐太のガチャ運なら、もっとゆっくりレベル上げして低レベル探索者でも――」
「それはダメだ」
俺は伊万里が何を言い出したいのか分かって、言葉を取った。高レベル探索者を目指すならあまりのんびりしているとステータスの上がりが悪い。しかし、俺の今の調子だとちょっとぐらいゆっくりでも低レベル探索者で生きていくことは難しくない。
そしてガチャ運5もあると、それでも十分な収入がある。それでいいじゃないかと伊万里は言いたいのだ。死ぬ危険があることをして欲しくない。2人で安全に豊かに暮らしていける方法があるのにどうして上など目指すのかと。
「どうして?」
「俺はガチャ運5がある。そして伊万里もエヴィーも美鈴も3人共かなり綺麗だ」
「あ、うん」
「伊万里。探索者を舐めたらだめだ。探索者の世界は弱肉強食。弱いヤツは強いやつの言うことを聞くしかない。レベルが違えば強さが違いすぎて絶対勝てないんだ。その世界で俺は生きていきたい。そして間違いなくこれからの世界は探索者の世界になっていく。一刻も早く強くなる。せめてレベル200を超える。それが何よりも大事なんだ」
「で、でも」
「伊万里、俺を信じられるか?」
「う、うん。絶対信じられるよ」
「じゃあ黙って俺についてきてくれ」
「……私の事捨てたりしない?」
「絶対しない」
「本当?」
「本当だ」
「……わかった……祐太がそう言ってくれるなら、私黙ってついていく」
「ありがとう伊万里。俺たちはとても狙われやすい。だから強くなるしかないんだ」
「うん……ね、ねえ、祐太。キスしていい?」
「うん? い、いいよ」
俺みたいな男に、キスを許してもらえたことが嬉しかったようで、花が咲いたように笑顔になって唇を奪われた。伊万里が学校へ行ったのを確認すると俺はまず義母……いや、俺にとってはもうおばさんになった人に電話をした。
『ゆう君?』
「ええ、元気にしてますか?」
『ゆう君。あなたからもあの人に言ってくれないかしら? 毎月のお金をちゃんと払うべきだって』
相変わらずだった。いつもいつもお金に困ってる。おばさんはそんな印象の人だった。それからしばらく話していると、俺がお金を支援する話になり、毎月20万円振り込むことになった。
『祐太が優しい子供でお母さん本当に嬉しいわ』
そんな言葉をかけられたが、前ほど嬉しいとは思わなかった。一度会いたいと声をかけられ、今は無理なのでダンジョンから出てきて、時間があるときにということになった。
『じゃあくれぐれも教えた口座番号に今日中に振り込んでね。本当にお願いね』
「わかったよ。ちゃんと振り込むから心配しないで」
電話が切れた。これで何か人を助けられたのだろうか? いや助けたことにはなってないのかもしれない。何しろ親父からずっとお金をもらい続けたのに、おばさんはお金に困ることがなくなることはなかったんだから。
それでも伊万里はあの人に生きていてほしいと思っている気がした。俺もそうだった。これでよかったのかなんて分かるわけもなくて、もう一度テレビをつけた。
『今回の戦争原因についてですが、様々な憶測がある中で、一つだけ確かなことがあります』
『それはなんでしょうか?』
『この戦争は龍神様から仕掛けたということです。横浜から逃げのびた住民から、1月19日早朝。龍神様が飛来したという証言が出ています』
『政府は龍神様に停戦を呼びかけているようですが』
『大阪を占拠しようとした人ですよ。聞くとは思えませんね』
『しかし今回も天使様は全然出てこないですね』
「雷神と龍神の戦争か……」
両親の離婚はあまりにも当たり前の展開だったので、それほど心を動かされることがなかった。それよりもテレビでやっていることが気になった。人が死ぬのも見たし、自分が死にそうにもなった。
南雲さんがいなければ自分が死んでたかもしれない。
プルルルル
プルルルル
俺はまた電話をかけていた。電話をかけている先は南雲さんだった。あの人が高レベル探索者であることは間違いない。それなら何かテレビでやっていることを知っているかもしれない。いや俺が興味本位でそんなこと聞いたら怒られるだろうか。
『どうした祐太』
「あ、いや、その」
思った以上にあっさりと南雲さんが電話に出てくれた。俺はその元気そうな声を聞くとホッとした。そして戦争のことについて聞こうと思った。
「戦争」
しかしやはり軽はずみに聞いてはいけないような気がして言葉につまった。
『うん? なんだ?』
「あ、あの、えっと、そうだ。れ、恋愛相談ってしてもいいでしょうか?」
そして今聞きたいことではないことを聞いていた。確かにこの事を相談したかったが、今聞きたいのは全く別のことだ。後に【横浜龍雷事変】と呼ばれるその戦争が起きたのが、穂積たちの死の直後ぐらいだったことが気になっていた。
『何だお前。さてはあの二人に言い寄られてるのか?』
いかにも面白いネタを見つけたと言いたげに、南雲さんがそのものズバリ言い当ててきた。
「え、ええ、そうなんです」
『やっぱりかよ。二人ともお前に気がある様子だったもんな。それで何か問題あるのか?』
「いや、美鈴に関しては自分も好きなんですけど、エヴィーは気持ち良さに流されていると言うか、強引に迫られて断れないと言うか。それに俺、南雲さんに怒られるかもしれないけど、昨日両親が離婚したんです」
『そりゃ大変だな。というか、なんでそれで俺が怒るんだ?』
「いや、あの、俺の親、再婚同士だったんです。だけど、おばさんの方に連れ子の娘がいて、俺と2ヶ月違いの妹なんです。その子が、俺ともうすぐパーティー仲間になる予定なんですよ。けど、俺、その子のことほっとけなくて、良い仲になってしまってるんです」
『おお、そりゃまた』
「昨日もダンジョンの階段ようやく見つけられたんですけど」
『ほお、やっぱりお前早いな。1階層は身体能力があんま高くないから、普通はもっとかかるもんだ。よく頑張ったじゃねえか』
この人は本当に俺みたいなやつのことを素直に褒めてくれる。父親の愛情に恵まれなかった俺は、南雲さんに父性を感じて、ものすごく嬉しかった。
「あ、ありがとうございます。それでですね。伊万里と良い仲になったのはよかったんですけど、ダンジョンの中で美鈴とキスをしてたら、エヴィーが自分もしてほしいってこっそり接触してきて」
『しちゃったか?』
「しちゃいました」
『けけ、青春してるな』
「これって青春なんでしょうか?」
どっちかって言うとドロドロの昼ドラの気がするのだが。
『そりゃ青春だろう。確か、エヴィーってあの、めっちゃ綺麗な白人だろ。あの顔アメリカ人だろ?』
「わかりますか?」
『まあ結構アメリカ人と接触する機会が多くてな。あの女はアメリカの典型的な美人って感じの顔してるしな』
その言葉を聞いて俺は自分の中に抱いた考えのほとんどが正解だと思った。『火の出るドラゴンはアメリカじゃとても人気なのよ』エヴィーはそう言っていた。もしこの考えが正解なら、俺はこの人にとんでもなく申し訳ないことをしている。
「あの、アメリカ人との付き合いってどうしたらいいんですか? 俺、伊万里と美鈴のことだけでも精一杯なんですけど、どうしてもエヴィーが俺と仲良くなりたいって言ってくるんです。なんか一緒のパーティーでいる限り諦めてくれそうになくて」
『もうアメリカ人とはやったのか? 童貞卒業か?』
「い、いえ、ずっとキスして迫られましたけど、なんとか我慢しました」
『すげーな、お前。あっちの女の迫り方ってやばいだろ』
「やばいです。何と言うか、はっきりそういうことがしたいって言葉にしてきます。それを恥ずかしいとかも全然思ってないみたいで」
『まあ、あっちの女がダンジョンの中に入って我慢できるとは思えん』
「そうなんです。でも伊万里と美鈴のことが自分の中で全然結論つかなくて、エヴィーと先にしちゃったりしていいんでしょうか?」
『バレなきゃいいんじゃねーの? 『南雲!』』
「誰か呼んでますよ?」
電話越しに南雲さんを呼ぶ声が聞こえた。
『ああ、いいんだよほっといて』
『南雲の坊ちゃん! 年寄りに負担を押し付けるんじゃないよ!』
『なんだよクソババア! ちょっとぐらい持ち堪えろよ!』
南雲さんが何か違うことを喋り始めた。よく聞くと雷の轟音のようなものも聞こえて、とても電話の向こうが騒々しそうだった。
「あの忙しいなら」
『大丈夫だって。お前、初めて女出来て悩んでるんだろ。ちゃんと聞いてやるから話せ』
女できて悩んでいるというより、できすぎて悩んでいる。できただけならそんなに悩まずに済んだんだ。
「でも大丈夫ですか?」
『大丈夫だって。俺はダチの相談にはちゃんと乗る男だぜ』
『南雲! あんたいい加減におし! 人を巻き込んどいてのんきに電話してるんじゃないよ! 私じゃ防戦しかできないんだよ! さっさと【炎滅】撃ちな!』
『クソババアうるさい! 今友達と大事な話してるところだっつってんだろうが!』
南雲さんが苛立って地面をドンッした音が聞こえてきた。自分が今いるこの床も揺れた気がした。きっと気のせいだと思いたい。
『これだから友達いない奴は面倒くさいんだよ』
『居るし! 友達居るし! 今電話してるところだし!』
『どうせあんたの面倒臭さがよくわかったら離れていくよ。田中だってそうじゃないか』
『クソババア! 言ったな! 言っちゃいけないこと言ったな!』
「あの南雲さん。本当に俺は大丈夫なんで」
『え? いや、でも、悩み事の相談は大事だろ? ダチの相談にも乗れない奴は、ダチじゃないって言うじゃねえか』
「いや、南雲さんとダチなんて恐れ多いと言うか」
『あれ? お前は俺のダチだよね? 友達って書いてダチって読むんじゃなかったっけ? 俺だけの思い込みとかじゃないよな?』
これを否定してはいけない。俺は南雲さんを怖いとか言うベクトルではなくて、なぜか虐められてた頃のことを思い出したベクトルで慌てて肯定した。
「あ、はい。ダチです。めっちゃダチです」
『そうだよな。良かったし。被害なんて関係なくその辺全部燃やし尽くしてやろうかと思っちゃったじゃねえか。じゃあ相談の再開だな』
『南雲おおおおおおおおおお!!!』
『うるっせええんだよおおおお!!!』
「いや、あの、南雲さん! 俺、実はそんなに悩んでませんでした! 正直、美鈴でもエヴィーでもどっちでもいいかなって思ってます」
俺は自分で言葉にして吐き気がした。なんて最低な奴だろう。そう思った。
『あー、まあそうか。女なんてどれもこれも見てくれだけで中身は一緒だしな。適当に抱いて適当に喜ばせておけば大丈夫だ。そうか。お前もついにその領域に到達したのか。俺は嬉しいぞ』
「は、はい。俺、その領域に到達してしまいました」
そんなものに到達したくないし、到達したら人間終わりだと思ったが俺はうなずいた。
『まあ悩んでないならいいんだよ。また相談事があればいつでも言ってこいよ。よし、じゃあ相談完了だな』
「完璧でした南雲さん。俺、南雲さんに相談してよかったです」
『なんだよ。照れるじゃねえか。じゃあまあ頑張れ! 実はちょっと忙しくてよ。電話切りたくないんだけど切らなきゃいけないんだ』
「ど、どうぞ、そうしてください。俺、南雲さんのおかげでとてもスッキリしました」
『そっか。なんか俺は変な女とか大人ばっか寄ってきて、友達に相談されるって経験が今までなくてよ。それに誰かに相談されてこんなに喜ばれたのは初めての気がするぜ』
「そ、そうなんですね。俺、南雲さんと友達になれて本当に嬉しいです」
なんか涙が出てきた。ダンジョンから出てきたら、必ず南雲さんに電話しようと思った。
『よし! クソババア! 気分が乗ってきたぜ! でっかいの行くぞ!』
『バカあんた何を撃つ気だい!?』
『どうせこのままじゃ千日手だ! ダチが見てるんだから派手に行くぜ! 見とけよ祐太! これが俺のいる世界だ!』
『ちょ、ちょっとお待ち! こんなところで無茶苦茶なことやったら!』
『【獄門偽書 炎骸】!!!』
『お、お馬鹿! ダンジョンの外でそんなもの撃つなあああ!!!』
『イヤッホオオオオオオオ!! クソ雷女死にさらせ!!!』
俺は何も聞こえなかった。何も聞こえなかった。そっと電話を切った。
『空が! 空が赤く染まっています! ここからでも見えるほど空が赤く染まっています! 地獄の門みたいなものが開いてます! 骸骨が! 空に炎を纏った巨大な骸骨が現れました! この世の終わりじゃあああ!』
『立花アナ聞こえますか? 立花アナ!?』
俺は何も聞こえなかった。何も聞こえなかった。そっとテレビの電源を切った。





