第二百九十話 毒
魔力も気力も何もかも全てを一撃に込める。弁財天が俺に合うように教えてくれた魔法は炎系だ。そこにミカエラの特殊スキルである爆発の力を込めていく。自分の体からエネルギーが抜けて目の前に展開した魔法陣に集約される。
カインも自分で制御できる最大を放とうとしていた。魔法陣が何層にも展開し、そこにサイギスとスキュラもカインの背中に手を置き力を注ぎ込む。
《これがサファイア級とルビー級の違い……迦具夜、これって負けるんじゃ?》
いくら迦具夜が長く生きているとはいえ、カインから感じられるエネルギーの総量はこちらよりかなりでかい。それが額に開いた【鑑定眼】によってわかる。こういう勝負になると純粋な階級の違いが出てくる。
【鑑定眼】では十対八でカインのエネルギーの方が高いと示されていた。
カインエネルギー集約総量26453
六条迦具夜融合体エネルギー集約総量21155
《これ以上のエネルギーはこっちにはないぞ。ここは別の方法で》
《祐太ちゃん、迷ってはダメ。逃げることなんて考えたらそこから崩れていくわ!》
《でもこの差は……》
《よく聞いて。これ以上長引かせるのは無理だと祐太ちゃんは判断した。私もそう思うの。これに賭けるしかないのよ。長引かせたら融合していられなくなるわ》
口にしながらも迦具夜もこちらの方が負けていると分かっているのだと伝わってくる。どうにかしてエネルギーを集めるしかないと【操り人形】のエネルギーも全部こちらにもらう。精霊たちのエネルギーも全部こちらにもらう。
六条迦具夜融合体エネルギー集約総量23277
さらに少しでも魔法の威力を上げるために俺は言霊を唱えた。
【我が体 精霊 全ての力を結集せよ 我は月城、我は六条 その名に集い全ての力を解放せよ 燃え上がる鳳凰よ その羽ばたきと共に 敵を滅亡させる翼となれ!】
【我はカイン 我は神 召喚獣達よ 我に従い心を一つとせよ 長き時の盟友 龍の神 全てを破壊してみせよ!】
六条迦具夜融合体エネルギー集約総量24198
カインエネルギー集約総量30123
最後にカインを確認した。そして差が縮まってないことに気づく。
《それでもやるしかない!》
【鳳凰鏖殺翔!】
【龍皇神滅砲!】
目の前に現れた魔法陣から青と赤の混じる鳥が姿を現した。それは鳳凰と呼ばれる概念的存在。人の破壊したいという思いを凝縮したもの。俺が迦具夜と融合してようやく使えたサファイア級の魔法にしてスキル。全てを破壊するための力。
カインの魔法陣から黒いドラゴンが飛び出してきた。確実にこちらを殺すつもりの攻撃。俺の鳳凰とカインのドラゴンが空をかけ空中で激突した。目を開けてられないほど光った。エネルギーが爆発しニザヴェッリルの空を包む。
黒いドラゴンがこちらに牙を向いている。鳳凰がどんどん侵食されていく。
《迦具夜、力を貸してくれ!》
《分かってる! 祐太ちゃんは死なせない!》
ユグドラシルの根が削り取られていく。この押し合いで負ければ両方のエネルギーを全部食らってしまう。これを全部押しつけられたら、塵も残らない。自分の存在の根本から消し飛ばされてしまう。
《迦具夜!》
《分かってる! 分かってるのよ! でも、ここまでの出力、なりたての神が出せるなんてっ! なんなのよ! どうしてカインに従うのよ! この化け物たちは!》
弱気になってはだめだと分かっているが負けると思ってしまう。今なら12英傑でも勝てると思った。だがそんなのは夢か。俺は弱くてここで死ぬ。迦具夜も助けられず、裏切った伊万里に殺されてやることもできず、こんなところで。
《嫌だ》
《祐太ちゃん。ごめんなさい。私が判断を間違えた》
《違う。俺が弱かったんだ。でもこんなところで死ねない!》
どうする。負けるぞ。攻撃に力を注ぎ過ぎて逃げられない。【転移】も【異界化】も唱えようとしてちょっとでも力を抜いた瞬間に一瞬で塵になるのが分かる。負ける時は負ける。死ぬ時は死ぬ。
ダンジョンに好かれても最後はある。そんなものだと聞いていた。腕の先から消えていく。鳳凰がドラゴンに食らいつくされ、目の前に大きなアギトが迫る。すぐに肘まで消えてしまった。自分の存在がこの世から消滅していく。
《迦具夜。ごめん。考えてみたら最後の方はお前に無理なお願いばっかりしてた》
《いいえ、私こそ許してちょうだい。なりたての神になら勝たせてあげられると思った。結構余裕だと思ってたのよ》
《本当、思い通り行かないものだな》
完全に負けた。不思議と悔しい気持ちはなかった。俺を殺す相手がカインで良かったと思う。嫌いなやつに負けなくてよかった。心残りがありすぎるぐらいあるが、これ以上の抵抗は意味がない。俺はカインの攻撃に抵抗するのをやめた。
《……》
《……》
俺は死ぬ覚悟をした。
《……》
俺は死ぬ覚悟をした。
《……》
俺は……。
《迦具夜》
《どうしたの祐太ちゃん?》
《なんか長くない?》
ふと色々考えられていることを疑問に思う。意外と死んでも魂が残るみたいだし、こういう風に普通に考えられるものなのだろうか。だとすると俺はもう死んでるのか。死んだ感じがあんまりしないな。
《そういえばそうね》
迦具夜からも悲壮感とはほど遠い言葉が返される。迦具夜はそばにいるかと探し目を開けた。そうするとまだ目があることに気づき、腕が消失してしまった自分の体が見えた。
でもすぐに消滅するはずだった体がまだある。
どういうことだ?
ひょっとするとカインが途中で俺を攻撃するのをやめてくれたのか? いや、さすがにカインもそこまで甘くないと思うのだが……。力がぶつかり合った衝撃の光が大きくて何も見えなかった。しかしその光も治まっていく。
そこに見えた光景に俺は目を見開く。ドラゴンの上半身を生やしたケンタウロスのようなカインがいる。ヨルムンガンドもいるし、カインに力を渡すためにスキュラとサイギスもスヴァジルファリの背中に手を当てていた。
ただ一つ違和感のある存在がその背中にいる。
それは赤い髪をした女の人だった。
「何をしてるんですか?」
その女の人は神々しくて、俺は思わず丁寧に問いかけた。かなり気持ちが動揺している。俺には目の前の状況が信じられなかった。カインの心臓部分から"手"が生えていた。一瞬、カインの召喚獣との融合の一種かと勘違いした。
しかしそうじゃない。カインは心臓部分から毒を打ち込まれたのか紫色に体が侵されてる。自分も何度も浴びてるからわかる。あれは"ヨルムンガンド"の毒だ。カインの体がヨルムンガンドの毒に侵されていってる?
《カインは抗体を持ってるんじゃないのか?》
《そのはずなのだけど……。でも"あの女"なら抗体を破るぐらい簡単かもしれないけど……》
「どうしてだ……」
カインは赤い血を口から吐きながらつぶやいた。
「許しておくれ……わらわはこうするしかなかった……」
赤い髪の女が泣いていた。時折その赤い髪が金色にも見えた。何が起こってるのか理解するのに時間がかかった。だが理解するしかなかった。アフロディーテがカインを"殺している"。目の前の状況はどう見てもそうなってる。
それでも、なぜそんなことをしているのか理解できるわけがなかった。
ただ一つはっきりしていることがある。そのおかげで俺が助かったのだ。多分俺がカインの力に抗うのをやめるのと同時に、カインはアフロディーテに胸を貫かれたのだ。しかしそれだけではカインは死なない。
だからヨルムンガンドの毒を受けてる。いくらレベル1000を超えたカインでも、ヨルムンガンドの毒はよく効くようだった。治療のしようもないほど体全体が紫色に侵されている。そしてカインの悲劇はそれだけでは終わらなかった。
「お許しくださいカイン様」
全ての召喚獣がまるで剥がされるようにカインから離れていく。強靱で速いスヴァジルファリも毒の発生源ヨルムンガンドも炎の剣レーヴァテインもスキュラもサイギスも何もかもカインから離れて、アフロディーテの後ろに移動した。
ただ一体残ったのはバハムートだけだった。それもヨルムンガンドの毒を受けて海面に落ちていく。
《納得がいかない》
《祐太ちゃん?》
「こんなもの納得がいくか!」
「でも助かったのよ?」
「なんか納得いかないから助ける! 迦具夜文句言うなよ!」
意味は分からなかった。でも納得がいかなかった。だからバハムートの元へと行く。そのドラゴンの巨大化した体が瞬く間に毒に侵されていく。頭を見た。まだ無事だ。だから急いでその太い首を斬った。
そしてすぐに大きな口に【仙桃】を突っ込んだ。そうするとたとえ巨大でもバハムートの体が再生していく。バハムートはカッと目を開けると体が再生しきってないのに飛び上がった。カインの元に慌てて駆けつけようとして俺は止める。
「バカ! 迂闊に近づくな!」
アフロディーテは真性の神である。俺たちなど殺そうと思えば簡単だ。
「しかしカイン様が! 貴様等何のつもりだ!」
咆哮と共にバハムートはアフロディーテごとかつての召喚獣仲間を睨んだ。
「「「「「……」」」」」
しかし召喚獣たちは誰も返事をしなかった。自分よりも強い召喚獣。便利がよさそうに見えて全く良くない。召喚士を蔑ろにする。それが召喚獣の方でできてしまう。それはとても怖いことだ。
「どういうことなのですかアフロディーテ!」
「六条祐太。ロキが『十分楽しめた』と喜んでいたぞ』
アフロディーテはバハムートを無視した。
「嘘つきの神様が褒めてたのか? 顔も知らないぞ」
思い当たる人物はいる。しかし確信ではなかった。
「それよりも本当にこれはどういうことなんだ?」
「わらわは100年前大きなミスをしてな。あの男に逆らえない体にされてしまった。この体はあの男の鎖に縛られたままだ。いつの間にか髪の色も赤く染まってしまった。六条祐太。お前が負けそうになったらカインを殺せとロキから言われたのだ。理由などわらわが聞きたいほどだ」
「俺はそんなこと頼んでないぞ」
「であろうな。頼んでない迷惑なことをするのがロキだ」
「それは本当に迷惑だ。カインをどうするつもりだ?」
「カインのことは本当に気に入っていたのだ。一途で真っ直ぐなところが嫌いじゃなかった。本当にこんなことしたくなかった。だから六条、わらわが許される範囲でやれることはやった。助けられるなら助けてやっておくれ」
アフロディーテの姿が消えた。同時にバハムート以外の全ての召喚獣が消えた。俺はカインにかけよった。そして体の様子を確かめる。体のほとんど全てが紫色に侵されていた。それなのにどういうわけか頭だけは無事だった。
そういえばバハムートも頭だけは無事だった。ともかく急いで俺は首を切り落とした。生きる望みをかけて【仙桃】を食べさせた。
「神だろう。なんとか頑張れよ」
カインを助けてまた敵対されたらどうするのだ。我ながら支離滅裂な行動だ。それでも勝ったのはカインであり、負けたのは俺だ。こんな終わり方は納得がいかなかった。
《レガ。聞こえるか?》
レガの指輪を通して、最初に連絡した。命は助かった。だがレガがこれで納得するのかがわからなかった。納得しない場合かなりまずい事態になる。それだけは避けたかった。
《ふむ。全ては【レガの指輪】で見ていたぞ》
すぐにレガのしわがれた声が聞こえた。
《この場合どうなる? カインの排除は認められるのか?》
《カインはまだ死んでいないな。放置すれば死んだものを余計なことをする女だ》
《やっぱりだめか?》
《ワシはヌシに対して第三者の介入による決着の規定を何も決めていない。この場合ワシの契約に不備があったと言わざるを得ない。誠に残念だがその場でカインを殺せ。そうすればカインを破壊したとみなしてやろう》
《……》
カインを見る。さすが神と言うべきか。体が再生してきていた。それでもバハムートよりも長く毒を受けていたせいだろう。再生するスピードはかなり遅かった。今ならバハムートが邪魔することを考慮しても殺すことは難しくない。
そもそも助けた俺がここからカインを殺すなんてバハムートも予想もしていないだろう。でも元々この戦いは気が進まなかった。今となってはここからカインを殺すなど、吐き気がするほど気が進まなかった。
《バハムートしか残っていないこいつが、レガの脅威になるとは思えない》
《まあ確かに著しく弱体化はしているな》
《アフロディーテも悪神側なら、もうお前たちはほとんどユグドラシルを破壊する寸前まで来てるんだろう》
《それをしているのはロキだがな。確かに滅ぼそうと思えばいつでも滅ぼせるところまで来てるかもしれん》
《カインには二度とユグドラシルに行かないように言う。それで手を打ってくれ》
《対価は?》
当然レガならそうくる。俺はカインを見た。体がゆっくりとではあるが出来上がってきている。どうやら助かりそうだ。【仙桃】と合わせれば半神の生命力である。ここまで来れば俺が殺さない限りは死なない。
そして殺す気持ちはなくなってしまった。ついさっきまで殺そうとしてたのに、なんとか助けられないか考えてる。自分でも自分の心が不可解だ。
《対価はない》
《話にならんな》
《カインはアフロディーテによってバハムート以外の召喚獣を全て取られている。それを持って壊れたと言うことができる。もはや元のカインではない》
《六条祐太。それはヌシがしたことではないな。認められん》
《では裁定をルルティエラ様に頼もう》
《なんだと……》
《迦具夜ならそれぐらいできるだろ?》
《え、ええ、ダンジョンシステムに尋ねる方法は知ってるけど、誰かと喋ってるの?》
迦具夜には別口で喋っていた。迦具夜をこの件にできるだけ巻き込みたくなかった。
《迦具夜に良いのか悪いのかシステムに尋ねてもらう。それでだめなら何を対価にするかルルティエラ様に決めてもらえばいい》
《ヌシはルルティエラ様から好かれているだろう》
《だから? 機械神は平等なんだろう。問題ないはずだ》
《むう》
はっきりレガの戸惑いが伝わってきた。レガはルルティエラという存在に敬意を抱いているようだった。それゆえにルルティエラという存在から嫌われることを恐れるように思えた。ダンジョンからに異常な寵愛を受けている。
そんな人間に罰を与えるような内容。機械神が出てくればまだいいだろうが女神が出てくれば……。
《考えおったな六条祐太……ふふ、まあこれも交渉の楽しさというものか。だが、以前の取り決めはそのままだぞ》
《分かってる》
《酔狂なものだ。その男は今やヌシより弱くなってしまったぞ。助けて意味があるのやら……》
そんな嫌味を言いながらレガの声が消えた。
「全く碌なことにならない。ロキはどうして俺を生かした……」
あくまで交渉を楽しむレガだから良かった。真性の悪神が問答無用で怒ればどうしようもなかった。両腕の中で眠っている男の体が重く感じた。どうやらしっかりと体は再生したようだ。金色の綺麗な髪。筋肉質な肉体。
すべてちゃんと修復されている。ほっとした。自分も死なずカインを殺さなくてすんだ。決着の仕方は納得いかない。それでも良かったと思った。カインの瞳がゆっくりと開いた。
「……六条祐太」
もう口が聞けるところまで回復してきたようだ。
「大丈夫か? 痛いところとかないか?」
「私を殺しもせず情けをかける気か?」
「情けをかけられるのは嫌か?」
真正面からその瞳を覗き込んだ。
「い、いや、そんなことはないが……」
「じゃあ生きててよかったよ。正直今回ほど殺したくない相手だと思ったのは初めてだ」
「そうか……。私もそうかもしれん」
カインは自分で立ち上がり、毒の影響か体がふらつき、バハムートが慌てて支えに来た。カインはゆっくりとドラゴンの背中に乗った。
「どうにも貴様に迷惑をかけたようだ。だがこの身が生きてて良かったのも事実。私には守らねばいけない国がある。見逃してくれるなら感謝しよう。まあ、何とも情けない話だがな。私の力はハリボテだったのだな」
「……なら本物になるしかないな」
「なるほど。確かにな。まあこの状態でもお前と12英傑以外には負けるまい」
カインが瞳に生気を宿していく。レベル1000を超えていることには違いがなかった。弱体化しているとはいえバハムート単体でもかなり強い。扱いにくい召喚獣をいくつも抱えているよりも開き直ってバハムートと強くなる。
それが本来のカインのルートだったのだと俺には思える。
「六条。私の【意思疎通】を教えておく。それと私は八英傑から抜ける。今更お前の国と敵対するのは気が進まん」
「そうか。それなら俺の目的の一つは達成できた」
「ふん」
バハムートがゆっくりと後ろに飛んでカインは俺と距離が開いていく。
「もう行くのか?」
「ああ、どうしても助けてやりたい女がいる」
「カイン。悪いがユグドラシルに入るのは禁止だからな」
「"我が友"の言葉ならば従おう。さてどこへ行くかな」
「大八洲国に来いよ」
「南雲がいるから嫌だ」
どうやら本当に仲が悪いようだ。バハムートが翼をはためかせた。ドラゴンは俺に向かってペコリと頭を下げてくれた。そしてそのまま飛び去っていく。海は危険だと思うが、まあカインにそこまで心配するのは失礼だろう。
「さて」
カインの姿が見えなくなるまで見つめていた。そして俺は迦具夜を見た。まだ解決していない問題が一つあった。





