第二百八十七話 解放
「最後は私とおさらいね」
千代さんとの訓練も終えて最後に融合した時何ができるのか。魂の融合で迦具夜の知識は入ってくる。しかし俺の中にもともとあったものではない。使うには迦具夜の知識から引っ張り出してこなければならず、余計な時間がいる。
カインとの本気のぶつかり合い。迦具夜と比べればはるかにカインは若く、おそらく500年以上生きている迦具夜と融合すれば互角かそれ以上には戦える。だが本当に殺すところまで行かなきゃいけない。
途中で逃げられるとかなり殺しきるのは難しくなる。ヨーロッパまで逃げたとしても追いかければいいが八英傑側が黙ってカインを殺させてくれるとは思えない。だからそのためにも事前準備がいる。
《では目を閉じて》
迦具夜とも額を合わせる。ただ弁財天と千代さんのようにはならない。どうしてか迦具夜とはプラトニックな関係が続いている。それでも迦具夜とのつながりはそれで十分になる。魂の融合がまだ残っているからだ。
一度融合すると完全には離れなくなる。だから体の繋がりが薄くても弁財天と千代さん以上に、心が強く繋がりやすい。迦具夜との二人だけの世界に入り、外部と切り離す。残りの三日。迦具夜の考え方や戦闘スタイル。
それらが俺と融合した場合、どうなるのかを一緒に考えていく。
《本当に繋ぐことはできないだろうが、この【水獄牢】がいいな》
《そうね。捕らえれば切ろうと思っても切れない。水の鎖となる》
迦具夜の中にあるスキルや魔法や精霊魔法。それらが俺と合わさるとどうなるのか。俺のステータスも見せて融合するシュミレーションを行う。そうするとどういう魔法、スキル、精霊魔法に変化するのか。炎に強い俺と水に強い迦具夜。
それを混ぜることを何度も何度も繰り返し、やがて戦うイメージが出来上がっていく。三日の月日は瞬く間にすぎていった。繋がっている間、肉体の交わり以上に迦具夜と結合されている感覚がする。それが俺に多幸感を与えてくる。
迦具夜も俺との繋がりに幸せを感じているのが伝わってくる。このまま1つになってしまえばいいのではないかと思えるほど気持ち良い。この一週間眠ることなく続けた訓練の中で、迦具夜との訓練が一番幸せな気持ちになる。
迦具夜の力は融合すれば使えるようになる。それが分かっていたから、どういう力か知ってさえいれば良かった。だから余計に迦具夜との繋がりには焦りがなく、惹かれ合うもの同士で、理解し合えることに心が満たされていく。
《祐太ちゃん……》
《迦具夜……母さん……》
《私はあなたが望む何者にでもなってあげる。心からあなたが一番大事よ。あなたが幸せであればそれでいいと思えるほど》
不思議と迦具夜は俺の母親のような感じがした。どうして……迦具夜を自分の母親のように感じた。迦具夜の転生先、水の精霊という特性によるものなのだろうか。迦具夜に不思議と母性が感じられてくる。
いつの間にかそれに堕ちていたのか……。
俺はこの年でまだ母親を求めてる……。
母親のおっぱいを吸いたいと思ってる……。
俺はそのまま迦具夜の膝の上で眠っていた。それはとても幸せな時間。気づくとその胸に甘えるように吸い付いていた。そのまま結構眠ってしまったようで、目が覚めた時、迦具夜の胸が前にあって唾液に濡れていた。
俺の記憶の中には母親との記憶はほとんどない。俺が小さすぎてよく覚えてない。沖縄にいるという母。今頃どうしてるんだろう。迦具夜とこうしてると無性に会いたいと思ってしまった。
「……起きたの?」
迦具夜が俺を慈しむように見つめてきた。すっと頭を撫でられた。本当に母親が子供にしているみたいだった。迦具夜はこういう女性だったのだなと思う。その本来の善性がクミカを取り込んだことで、戻っている。
「ごめん。こんな時に寝てしまった」
「いいのよ。あなたが私の膝の上で落ち着いて眠れるのが私にとっての喜びよ」
頭を撫でられると母親のようだった。まあ実際母親がいればどういうものなのかは知らないが、きっとこういうものなのだろうと想像していた姿だった。しばらくそれに甘えていた。
自分がこれからしようと思っている本当の目的を思うと、余計に今は甘えたくなった。でもそうしている迦具夜の顔が辛そうに見えて起き上がった。
「大丈夫か?」
「ええ、ごめんなさい。心配をかけるつもりはないのだけど……ふふ」
「何を笑ってるんだよ」
「祐太ちゃんに心配されるのは嬉しいわね」
「何を言ってるんだよ」
「だって嬉しいのだから仕方ないじゃない」
「バカだな。でも、そんなこと言える余裕があるなら大丈夫そうだな」
きっとかなり辛いはず。おそらくこの三日間、俺がそばに居続けたことで【呪怨】が活性化した。迦具夜は隠そうとしたが繋がっていたのでよく分かる。でももう少しだ。もう少しで迦具夜をこの苦しみから解放できる。
それ以降、迦具夜はもう二度と【呪怨】と関わらなくてよくなる。
「弁財天、千代さん、迦具夜、全員に甘えさせてもらって一週間経った。迦具夜、訓練はここまでにしよう」
「じゃあもう戦うの?」
「ああ、戦う。カインを俺が"壊す"」
迦具夜は迷うような顔をしていた。俺が迦具夜達に伝えず、何か別のことをしようとしている。それがわかるから怖がってる。迦具夜にとっては自分が死ぬよりも、俺が消えることの方がよほど怖いんだ。
「大丈夫。死んだりしないし、傍にちゃんといるから」
「約束よ? 裏切ったら怒るわ」
綺麗すぎるほど整った顔で本当に心配そうに見てくる。
「迦具夜に怒られるのは怖そうだ」
全てこれできっとうまくいく。俺は覚悟を決めて進めていく。まず千代さんを見た。
「千代さん。カインは?」
「ニザヴェッリルの周囲、ユグドラシルの根の上にいますね。結局、一週間動きませんでした。今はもう探索に出していたサイギスも戻しているようです」
千代さんはカインの動向を偵察してくれていた。悪神の支配領域であるニザヴェッリルの上。いつまでカインはそんな場所に居続けるのか。それどころか一週間もの時間があったのに、カインは一度もヨーロッパに帰ろうとしない。
ヨーロッパはフランスの状況を見ただけでもわかる。カインはいろんな国から、助けを求められているはずなのだ。千代さんの話では後四ヶ月は八英傑側は日本を攻撃できないという話だ。その間にレベルアップも考えないのか。
「カインらしくない行動だな……」
カインはいつもイギリスとヨーロッパのことを考えている。そのことはテレビやネットから入ってくる情報だけでも分かっていたし、南雲さんもそんなことを言っていた。
『カインはある意味一番神様らしい12英傑だ。ヨーロッパの人間を自分の守るべき対象と定め。そのために全力を尽くしてる。俺には真似できん行動原理だ。だからあいつは俺の自由奔放さが嫌いだし、俺はあいつのクソ真面目さが嫌いだ』
そんなことを月の住居で話したのを覚えている。そして悪神はこんな大胆不敵な行動を取られて、動く気配もない。レガが止めているのか。
『ダンジョンを壊す存在』
という俺を12柱の悪神が見つめているのだとしたらかなり嫌だ。
「何かありそうで嫌な感じだけど、こっちも覚悟を決めるしかないな。迦具夜。【呪怨】を解放してくれ。弁財天、千代さん。準備はしてくれてた?」
「ええ、ちゃんと準備はしてたわ。やってちょうだい」
弁財天は手が開いている期間、千代さんと相談しながら【呪怨】の封印について考え続けてくれていた。俺と迦具夜が融合できるのは一時間。その間ぐらいなら、自分たちの体に【呪怨】の影響を残さずに封印し続けられるらしい。
ただ、だからと言って【呪怨】を封じるのは簡単ではないらしく、一時間だけのことでもかなり難しい。弁財天と千代さんの体から魔力と気力が溢れ出す。まず弁財天が球形の魔法陣を空中に浮かべた。
さらに弁財天が魔法陣を出していく。球形の魔法陣をいくつもいくつも部屋の中に浮かべていく。次に現れた魔法陣は、前に現れた魔法陣の周りを包んだ。それが100層にも重なり、その全ての魔法陣が入り口を開くように穴が開く。
呪怨がゴルフボールくらいのことを考えると、かなり巨大な人の身長ほどもある球形の多重魔法陣だ。
「迦具夜。この穴から【呪怨】を入れてくれたらいいわ」
「私も迦具夜さんから【呪怨】が解放されると同時に、すぐにフォローします」
今度は千代さんの周囲に黒い穴がいくつも現れた。そしてそこから無数の御札が表に出てくる。その御札にはこう描かれていた。
【封邪封】
邪なる思いを持つものを封じる。魔法陣が描かれる時に刻まれる紋様と似たものが、その周囲に並んでいる。中心部に【封邪封】と大きく描く。御札がどれほどあるのか、黒い穴から溢れ出て、部屋の中に浮かび上がってきた。
「迦具夜。いつでもいいわ」
「私の方も準備完了です」
部屋には魔力と気力が満ち溢れる。レベル900を超える二人が、その全力を【呪怨】を封じ込めるだけに使う。肌がビリビリとしてくるほどのエネルギー。改めて本当に厄介なものを死神は俺に取り憑かせようとしたのだと思う。
あの骸骨の顔を思い出す。殺すと決めたものを必ず殺す。そんな執念が宿っている死神の顔……。
「じゃあ二人とも【呪怨】を解き放つわ。祐太ちゃんは弁財天が出した球形の魔法陣を私との間に挟んで向かい側に立って。【呪怨】を我慢させ続けているから、祐太ちゃんへの殺意はむしろ前よりも強くなってしまってる。それに【呪怨】は無理やり封じていたこの時間の中で、私の水の精霊としての力すら取り込んでいってる」
「そんなことになってたのか?」
「考えてみれば当然よ。私と【呪怨】の元になってるレヴィアタンの力は同じ水。相性が良すぎるのよ。だから余計に消すことができなかったの」
【呪怨】に関してはかなりついてない。この呪いによってどれほど予定が狂ったか。
「あまり祐太ちゃんには見せたくないのだけど」
迦具夜が服を脱ぎ、白くて綺麗なお腹を出した。そうすると臍を中心に水色の魔法陣が浮かび上がってくる。しかしそれが黒い何かに侵食されてきているのが分かった。
【呪怨】
レヴィアタンが圧縮された肉塊。見ているだけでも気分が悪くなってくる。
「レヴィアタン……さあ出てきなさい。あなたが欲しがっている祐太ちゃんは目の前にいるわよ」
迦具夜のお腹の封じていた魔法陣がその戒めを解いて徐々に消えていく。弁財天はその迦具夜のお臍のところに、自分の封印用の魔法陣の開いた部分をぴったりとくっつけた。何かが出てくる。不気味に青白く光る何か。
目玉が少し見えた。
【ギギッ、コろっこコ殺し、ろろろくじょうっ、ころゴロッ】
おぞましい姿だった。圧縮された肉塊が、迦具夜の腹から生まれるように出てくる。そしてまっすぐに俺に向かってこようとして、弁財天の仕掛けた球形魔法陣に飛び込んでしまう。すぐに罠に気づいた【呪怨】が迦具夜の中に戻ろうとした。
【封魔滅却多重陣閉門】
【封邪討滅】
瞬間、魔法陣の穴が100層とも全てピタリと閉じた。【呪怨】は俺に目を向けてきた。それだけで心臓に杭でも刺されたみたいに痛くなる。俺は胸を抑えた。【呪怨】が弁財天の魔法陣を突き破る意思を見せる。
しかし千代さんの御札が汚いものに蓋でもするように覆い尽くす。何重にも覆い尽くして最終的に100枚の御札がその周りに浮かんだ。
その100枚は光で結ばれ、
【心鎮めよ お前は恨むものではない お前は水の神 お前は大海を自由に泳ぐもの 今一時 その恨み忘れよ】
千代さんが力ある言葉を込めた。弁財天と千代さんはそのまま俺たちに見向きもしなくなった。ただ【呪怨】を封印することに集中して、そして俺と触れ合うことで、無駄に【呪怨】を刺激することにならないようにする。
迦具夜と声を出さずに頷き合う。俺はできるだけこの近くにいない方がいい。声も伝えない方がいい。そのまま廊下に出た。
「お出かけでしょうか?」
廊下から玄関へ向かっていると、階段を降りたところで赤い髪の執事が声をかけてきた。
「ああ、ちょっと行ってくる。少しの間、物騒なのが面倒をかける」
【呪怨】のことを指して言う。
「思ったよりも強い状態で出てきてしまった。二人は封印するために集中してるから邪魔しないであげてほしい」
「了解したのはこちらです。邪魔などするはずがありません。レガ様に怒られますし」
「ならいいんだ」
そのまま横を通り過ぎていく。
「ああ、そうだ。レガ様から『こちらを渡しておくように』と言われていたのを忘れていました」
そう言って手袋をしていた執事の手から、生えてくるみたいに一振りの剣が現れた。それはとても綺麗で優美な剣だった。悪神が持つには美しすぎる西洋の剣だ。黄金と青が入り混じった力強さの感じられる剣。
見ただけで恐ろしく力を秘めた剣だと分かる。
「屋敷の倉庫でずっと眠っていた一振りらしいです。タダで貸してやろうとのことです」
「これを?」
かなり価値のあるものだと見てわかる。少なくともルビー級の武器に思えた。
「そうです。面倒事を押し付けたから、多少は手伝おうということでしょう」
執事が微笑んでこちらを見る。相変わらず綺麗な顔をした男だった。
「……いらないよ」
俺は微笑を浮かべ首を振った。
「おや、どうしてでしょう? レガ様はあなた様の手にもなじむと言われてましたよ」
「対価が必要ないものを悪神から受け取るなんて怖すぎるだろ。それになんとなくだけどあんたが怪しい」
初対面に近い相手にはっきりと言う。何と言うか綺麗な顔をしているのに嫌な感じのする男だ。レベル777というのも気になる。それ以上強くなれるのにやめてしまったとしか思えないようなレベルだ。
「……どんな風に?」
「うまく言えないけどそう思う。それだけだよ」
「なるほど……理由聞きたいのですが」
こちらをじっと見てくる。驚くほどの美男子。それなのにじっと見られると瞳が粘着質で余計に気味悪さが際立った。
「ほお、見えない……」
やっぱり心を見ようとしていたな。俺の警戒心が上がった。むしろ警戒させるように喋ってる。この男、何を考えてる。今、俺の心は迦具夜も協力して隠してる。そこに五層の発明品【心理バリア】も加える。
さらに俺も米崎から聞いた心を読むことに対抗するいくつもの思考を作り出す。
こうしてしまうとたとえ翠聖様でも心が読みにくくなる。そう迦具夜が教えてくれた。これはレガに簡単に心を読まれた反省から来ていた。そして迦具夜も翠聖様に心を読まれるのが嫌で、編み出した方法らしい。
「レガ様から『六条を詮索しろ』と言われたのか?」
「いえ、そんなことは言われてませんね」
「じゃあやめろ」
「やめろと来ましたか。では了解しました。他には何もありません。ご武運を」
ちょっと言い過ぎだろうか。だがレガは交渉ごとで嘘をつかない男だ。そしてきっちり交渉として成り立つ取引をしてくる相手だ。対等な条件で契約したことを相手の知恵が上回る。それをレガは楽しんでる。
それなのに急にタダでいい剣をくれるなんておかしい。剣を使えばカイン戦が有利になるのは間違いない。でもそれがカインと戦う時だけでは意味がない。タダほど高いものはない。南雲さんへの借金は、あの人だから信じて返さなかった。
そしてその借りを今返しているつもりでもある。そのことに後悔はない。少なくともレガから言われているはずのない言葉を口にした"嘘つき"に借りを作ったとは思いたくない。
「——よかったの?」
玄関から外に出て、これ以上表に出るとレガ屋敷の結界の外に出る。敷地ギリギリの門のところまで来て迦具夜が言う。
「嘘が1つでもあると思った時点で嫌なんだ。間違ってる?」
「いえ、そういうところは私も顔負けなぐらいわかってるのね。だからこそ心配なのだけどね」
「何が?」
「分かってるくせにとぼける。あれ、きっと神剣だったわ。名のある一振りなのだと思う。でもレガという悪神は何事も交渉で来るタイプなのなら、あれはあの男の独断ということになるわね。何を考えてるのかしら」
「いずれ分かる。そんな気はするよ。迦具夜」
俺は結界の外に出る前に迦具夜に促した。そうすると迦具夜が頷く。
《ええ》
手が触れ合う。そして額を合わせる。迦具夜を受け入れることに全力を注ぐ。最初は迦具夜に不信感があったから、覚悟を決めないと融合できなかった。しかし今となっては迦具夜と融合することを嫌がる気持ちは消えていた。
迦具夜の顔を見る。水色の髪をした女性。
《祐太ちゃん。もしあなたを見失っても私は必ず見つけるわ》
《大丈夫。ちゃんと迦具夜と一緒にいるから》
俺の魂が迦具夜によって引き寄せられる。自分の中に迦具夜が混じっていく。そして二人の体が消えてゆく。あの時と同じように体が形成されていく。胸の膨らみが起きた。下半身のイチモツが存在しなくなる。
そして女の形に変化していく。お尻の形が妙に色っぽくなったのも分かった。腕と足が生えていき、今度は少しだけ赤の紋様が混じった体が形成された。そして内側から凄まじい力が溢れてくる。
抑えきれずに地面が揺れた。
水色と赤の紋様の入る女となっていた。
まだまだ迦具夜の方が強いから、どうしても女になる。それでも少しは俺を象徴するように赤い紋様も浮かび上がっていた。
《いいな。華》
《主様。いつでも大丈夫です!》
【竜国】
華が迦具夜の【国水】と混じり合い一つになった。竜の紋様が浮かぶ水色の武器。【竜国】に変化した。そうしてから俺は空を見上げる。はるか彼方にニザヴェッリルを覆う木の根が見える。
その上、ヨルムンガンドに寄りかかったカインがいた。
何千キロも離れているのに、カインは俺を見た。お互いの目が合う。俺は一気に【転移】し、そして目の前に見えるカインに向かって戒めの言葉を唱えた。





