第二百八十五話 Side迦具夜 ロキ
Side迦具夜
「その程度のことでございましたら、別に許可は要りません。いくらでも自由になさってください」
赤い髪をした執事は私たちの部屋の中から出て行く。呪怨の解放について、許可を求めたのだがあっさりしたものだった。レガは神獣の【呪怨】程度気にしないということか。今も苦しめられている私としては信じられない。
だから思わず渋い顔になった。
「私にももっと真性の神のような力があれば、この程度で悩まされることもなかったのでしょうね」
重く感じる体を椅子の上に座らせた。徐々に私の体を侵してくる呪怨。私を助けるために何か祐太ちゃんは無茶を考えているようだった。でも、そんなことをさせるつもりはなかった。私が持たなくなって死ねば弁財天という変わりもいる。
何よりもクミカが表に出れるようにもなる。
「てっきり祐太ちゃんもそれが一番いいと思ってる。そのはずだったのだけどね」
「それだけ迦具夜が好きだってことでしょう」
弁財天が何気なく口にする。自分が祐太ちゃんに好かれるわけがない。以前から思っていたことだが、クミカの記憶と常識に触れた今では余計にそう思う。それなのに、そう思いながらも、もしそうであれば嬉しい。
胸が苦しくなる。この苦しい思いをするために500年も生きてきたのだ。
「祐太ちゃんのことを考えると苦しいのに嬉しいの。不思議な感覚。これを経験できただけでもう十分だろうと思うのに、浅ましくもまだ生きたいと思うのね」
「このクエストのメインはあなたよ。元から途中で死ぬなんて許されないことよ」
私のことが心配ということもあり、残ってくれていた弁財天が横に座って励ますように私の手を握った。
「しっかりしなさい。最近のあなたは本当にらしくないわ」
「弁財天。私はあなたに桃源郷の神を代わってもらいたいと思ってる。祐太ちゃんが何を考えているのか、どうしても見えないけど、できれば私を助けるためなんかに危険なことをさせたくないの。それはきっとかなり良くないことよ」
だんだん体の調子が崩れてくることに弱気になっている。いざその時が来るまで秘密にしておくつもりだったことも口に出てしまう。クミカの力と同時に弱さも受け入れた。そのことでどうにも昔の冷たさを失った。
いいことだしおかげで祐太ちゃんから、好かれるようにもなった。だが私の強い部分も失われた。今の私では生き残っても仕方がない。
「それは私も感じるけど、祐太君は『やめろ』と言ってやめる性格の子ではないわ。それに、さすがに自分が死ぬようなことは考えてないでしょ。もしそうなら私達の方が倍以上レベルが上なのよ。祐太ちゃんがどれだけ隠そうとしても思いは伝わってしまうはずよ」
「私は何か嫌な感じがする。クミカの記憶から断片的に得た知識だけど、あの子はどうも自分が一度気を許した相手に簡単に命をかけるところがあるみたい」
「まさか……」
そう言いながらも弁財天の顔には不安が浮かんだ。
「迦具夜にしても千代女さんにしても私にしても、祐太ちゃんなしではもう生きていけない体よ。私達はあの子に依存してる。いなくなると考えるだけでも怖い。それは祐太君も分かってるはず。あなたが神になることですら、今となっては祐太君が生きててこそ意味があるのよ」
「私が助かることも祐太ちゃんが生きてるからこそ意味がある。私もそう思う。でもどうも気になるの。私は呪怨でどこまで動けるかわからない。だからもし祐太ちゃんが妙なことをしようとしたら、弁財天、あなたが全力で止めて欲しいの」
「それは……」
弁財天の顔が曇った。ダンジョンから好かれている祐太ちゃんは、大抵においてダンジョンの中で正解を引く。常に命の危険と隣り合わせだが、それがうまくいけば必ずダンジョンから好かれたものは上に行く。
だから基本的にダンジョンから好かれたものの行動は制限しない方がいい。それなのにダンジョンから好かれたものが強く望んでることを止める。弁財天としては好きな相手の行動を止めたくないだろうし、嫌われないかと思う。
「弁財天が考えてることは分かる。私もできれば祐太ちゃんの自由にさせたい。それが最も私たちに早く近づいてくる方法なのだとも思う。でも今回だけは、どうもそうすると取り返しがつかなくなる気がするの。もし取り返しがつかなくなってからでは、私たちでもどうにもならない。そんな予感がする」
「……何か感じる?」
弁財天は私の予感が怖いようだった。こういうところは私の方が性能がいい。私と同じく500年以上生きてる弁財天も人を好きになるのは初めてで、私もだけど、祐太ちゃんに何かあることが一番の恐怖だ。
「ええ、私と祐太ちゃんは魂の単位でつながってる。それは完全なものではないけど、祐太ちゃんの"顔がなくなっている"ように感じる時がある。私はそれに関わることで思い当たることがあるの」
「……」
「多分、祐太ちゃんは——」
私の予測を口にしようとしてできなかった。どうもこの系統に関しては私でもうまくしゃべれない。それだけダンジョンはこの系統を強く禁忌に定めている。それなのにルルティエラ様は15歳の彼にその力を与えている。
「弁財天。お願い。あなたしか頼めないのよ」
「……」
弁財天は私より少し年上に見える顔をますます曇らせた。しばらく考え込んだまま黙った。テーブルの上のお茶に手をつけることもなく、かなり考え込んでた。
「——あなたがそれほど言うなら……いざという時は何とか止めてみる。でももし祐太君に恨まれたら一緒に謝ってよ」
結局最終的には折れてくれた。弁財天はいつも最終的には私の言うことを聞いてくれる。こういうところが私みたいな我が儘な人間との関係を継続させたのだろう。
「ありがとう。もちろん一緒に謝るわよ。あなたには昔から迷惑かけてばかりね」
「かけられすぎてもう忘れたわ。それよりも迦具夜も何とかあと四ヶ月よ。私は迦具夜の代わりをする気はないんだから、意地でも生き残りなさい」
「弁財天でも……」
私が言おうとしたら彼女は首を振った。
「私こそ千年もいらないわ。その間に祐太君に嫌われちゃう可能性だってあるしね。祐太君に嫌われて千年も生きるなんて地獄よ。それよりは本来のあなたより少し長いだけの寿命だもの。逆に大事にしてもらえるかも」
私よりも少しだけ弁財天の方が長生きする。でも普通の人間だった頃も含めて弁財天でもほとんど私と同じぐらい生きてる。祐太ちゃんとは神にでもならない限り、長く一緒にはいられない。でも短いからこそ大事にしてもらえるか。
祐太ちゃんはそういうのに弱そうだ。
「それはずるいわね」
「ええ、ずるい。迦具夜も分かってるでしょ。私はもうほとんど終わりかけてた人間なの。最後の最後にあなたを見てたら羨ましくなって真似をしてみただけなの。そうしたら夢中になっちゃってたけどね。でもそれは一瞬でいい。だからきっと楽しいのよ。この楽しさを消したくないから譲られる気はないわ」
「そっか……。いい話だと思ったんだけどね」
昔からどうしてか弁財天とだけは友達のままだった。今から思うとそれが多少なりともまだ私を人間らしくしたのだろう。祐太ちゃんはそういう相手がいなかったから、きっと色々大変だったと思う。
そしてかろうじてその代わりをしてくれていた東堂伊万里が裏切ったという。ルルティエラ様が嘘をついたという話は聞いたことがない。おそらく本当で、だとすればまだまだ見守ってあげたい。
世界など滅ぼさなくていいように守ってあげたい。
でも自分でもわかる。
私はもうあの子がどれほど望んでもそこまで長くはない。どうか私なんかのために無駄な時間を使わず、祐太ちゃんの思うままに生きてほしい。そしてそう思える今の心が嬉しかった。
「誰かを好きになる。その人のことを考えるだけで幸せになる。それはこれほどいいものなのね」
「全くだわ。他には何もいらないという気にさせる。二人とももう死にかけのおばあちゃんなのにね」
「ふふ、ちょっとやめてよ。せっかく浸ってるのに現実を思い出しちゃうでしょ」
そう言うと二人して笑った。そうすると扉が開いた。そちらを見ると祐太ちゃんと千代女さんがいた。当然私達は今まで以上に最高の笑顔になる。
「おかえり」
「ただいまー。聞いてくれよ迦具夜、弁財天。信長と銀次がいてさ。めっちゃ大変だった」
「あの二人がいたの? 祐太ちゃん、よく生きてたわね」
「さすが祐太ちゃん」
「もっと褒めて甘やかしてくれ」
祐太ちゃんはよろよろと歩いてくると私の胸の中にぽふっと収まった。よしよしと撫でてやる。本当に気を許して抱きしめてくれてるのがわかると嬉しい。弁財天も微笑ましそうに見てる。
そうするとやっぱりもう少しこのまま生きていたいと思ってしまった。
Sideロキ
「ロキ様。ご機嫌ですね」
乳の大きな女、ナンナが声をかけてきた。サキュバスという種族の特性上、男が必要なのだが、六条祐太に与えてみたところ見事に相手にされなかった。ダンジョンに好かれたものでも、そういうのには弱いと聞いていたが存外に違った。
手を出せばこちらの思うままと思ったのにそこは残念である。やはりその辺は"本物"ということか。
「分かる?」
俺は最高の笑顔で答えた。こっち方面の国々はだいたい潰すことができた。あとはユグドラシルだけ。それも100年前の戦争でだいぶ削れた。ほとんどの世界は滅びる力の方が強い。だから大半の世界は滅びる。
どんな世界もいずれは滅びるという意味では滅びが強いのは当たり前だ。永遠の繁栄などありえない。だが俺が生まれてからの神々の手応えのなさには飽き飽きしていた。オリュンポスもファリアスの神々もユグドラシルに逃げた。
強くなる気概も忘れ、ただ、だらだらと与えられた命を怠惰に貪る神々。神ならば人の模範たれよ。遊興を楽しみたいだけならば死ねばいい。そうしてどんどん自分たちで自分たちの首を絞め、追い詰めていった結果が今だ。
「ええ、レガ様が『ロキが元気で迷惑だ』とおっしゃっておりました」
「まあ。つまらない相手ばっかりだったからな。次は楽しめそうだと思ってね」
ナンナの乳に軽く触れると手を叩かれた。そのまま手を振って歩いて行くと、レガの部屋の前に着く。扉を叩くと嫌そうな声で「留守だ」と言うから扉を開けた。
「居るじゃないか」
勝手に体が縮んでいく。抵抗することもできるがまあここはレガのテリトリーなので余計なことはしないでおいた。暗い部屋の目の前、目のない老人が一人ポツンと座っている。明かりもつけず相変わらず不健康なじいさんだ。
「ヌシが来た時はいつもワシは留守だ」
「ツレないな。最高の楽しみを提供してあげたところじゃないか」
「ふん、あのものはお前に導かれずともここに来た。ヌシはただいつもちょろちょろしてるだけだ」
「酷いな。泣いてしまいそうだ」
「ヌシが泣くならこれほど嬉しいことはないが、楽しそうな顔をしておる」
「分かる? ナンナにも言われたんだ」
レガが心底嫌そうにこちらを見ている。目がないくせによく顔に出るじいさんだ。
「執事として雇えと言うから雇ったが……。お前は本当に色々余計なところに手を出しているな。そのうち誰かに殺されればいいものを」
「老人は口が悪いな。それで彼を見た感じどうだった?」
「何とも言えん。あの方の寵愛を強烈に受けたものを今までたくさん見てきたが、それらと彼がそこまで大差があるとも思えんだがな」
「レガの瞳でも確証はないか……」
目がないくせにこのじいさんの人を見抜く目は確かだ。そのじいさんの瞳でも、彼が何なのかは分からなかったか……。
「確証はないというよりも、元々何もないと言った方がいい。むしろヌシがどうして15歳の子供を特殊と思ったのか。そちらの方が気になるほどだ」
「何かいつもと違う。それは思わないか? 地球と初めて完全にダンジョンが接触した。かなり長い月日、忘れるほどに何万年も、ダンジョンはこの場にあったのに、今まで一度たりともそれはなかった」
「まあ確かにな。この座標にダンジョンが固定されてから、散発的にめぼしい人間をダンジョンの中に取り込むことは何度もあったが、ここまで大規模に取り込んだのは正直見たことがなかった。ユグドラシルの神樹にも尋ねてみたがやはり初めてだ。まさかそれが六条祐太のせいだとでも?」
「もしそうなるなら彼はダンジョンを壊してしまう可能性がある。俺はそう思う」
正気で口にしているのかとレガが見てきているのは分かってる。それでも俺は至ってまともな精神だった。
「このダンジョンを終わらせる存在。そんなものが本当におるのかのう。ロキ。ヌシはそれを何を持って言い出した?」
「我らが世界を滅ぼすために生み出された存在。最初に【壊せ】と天命を受け生まれてたものたち。生命として非常に矛盾している。壊せば自分も死ぬ。しかし【壊すまでは生きろ】という。それを俺はずっと神の怠惰を許さぬルルティエラ様の意思なのかと思っていた」
「怠惰に陥った神の自動的な排除システム。ある意味ではそれが我らの役目だというのは間違いないとは思うがな」
「しかし、それは何か"違う"と最近思うようになっている」
機械神は厳格の存在だが、女神はそうではない。そして機械神を創ったのは女神だ。つまり機械神の意思がルルティエラ様の意思ではなく、女神の意思こそが、ルルティエラ様の意思と言える。
そしてまだ我らですら見たことのない人のルルティエラ様こそが、全てのダンジョンの源。そう考えるようになったのはどれほど前からだった?
気まぐれに世界を壊してきた。壊せるならいくらでも壊していいとルルティエラ様は言った。ある時はその世界の悪神と共闘もした。共闘の中で疑問も生まれた。そして今、抱いた疑問の答えが結びつきそうな気がする。
「違うとは?」
「滅びの国を覚えているか? ブロンズエリアの半分を支配し、超大国として成り上がった国」
「もちろん。そしてルルティエラ様に一夜にして滅ぼされた国だ」
ある時自分たちがもう動かなくても全てが平和に円滑に進んでいく世界。それを想像した滅びの国があった。誰一人として自分が動く必要がなければ動かず、動きたい時にだけ動く。食料も娯楽も仲間も全ては世界が用意してくれる。
そういう夢のような世界を構築した滅びの国。滅びの国は完全に完璧に完成したと同時にルルティエラ様に滅ぼされた。我らはそれを怠惰が行き過ぎて滅ぼされたのだと判断した。
後世には教訓めいた【滅びの国】のおとぎ話として世界に残しもした。
国の名は、
「ソドムとゴモラ。あの双子の国が滅んだ時、ルルティエラ様は本当にそんなことを考えていたのかと。怠惰による罪などと考えていたのかと。俺は思うのだ」
「違うと?」
「そうだ。何かが違う。俺は勘違いをしている気がするのだ。そして初めて地球と接触し、次々にダンジョンから好かれたものが現れた。12英傑のほとんど全てがそのカテゴリーに入った。その様子を見るにつけ、ついにこのダンジョンに何か変化が起きるのかと思った」
「しかし何も起きなかったな」
「ああ、何も起きなかった。視点を変えて好かれていないものも観察してみたが、どうにも関係ないらしい」
12英傑はあらゆる意味で特別だった。五年もかからずにレベル1000を超え、ルルティエラ様とも接触する機会を得た。しかし誰一人として接触しても、今までと変わらずダンジョンは続いていくだけだった。
「レガ。つい最近時間が動いたのは知っているな?」
「ああ、どうせまだ若い真性の神か悪神が悪戯でもしたのだろう」
「いや、どうもそれが違うんだ。動かしたのはあの子供なのだ」
「ほお、15歳の子供が時を動かしたと? 言っておくが未来にではない。そう。あれは過去だったぞ」
「もちろん分かっている」
「本当に分かってるのか? 過去に時間など動かせばどれほど面倒なことになるか。動かしたとしてもよほどその痕跡を綺麗にしないとルルティエラ様にお叱りを受ける。ワシでも面倒でやりたくないと思うほどだ。正直信じられんな。あれはかなり綺麗に収まったように感じた。あの少年にできるわけがない」
「そう。だからその"ルルティエラ様が修正"したのだ」
そのことを知ったのは偶然だった。カインの監視をしていた時、【明日の手紙】を六条祐太が使おうとする気配を見せた。そこから調べたら、全ての時間への干渉の答えがあの少年に導かれた。
そうだ。あの少年はあの時だけではない。もっと巨大な時間の流れに関わってる。
「彼の頭の中には確かに時間移動についての情報が入っていただろう?」
「それは確かに……しかし過去のものはワシにも見えてなかった。未来ならばとは思ったが、そうか、過去にも干渉したか。未熟な技をルルティエラ様が修正するのは確かに奇妙だな」
「ふふ、しばらく見ていたい。やはりとても面白いことが起きそうに思う」
必要なら大八洲国の悪神とも接触したい。やりたいことがたくさんありすぎる。最近は自分の興味の向く方向が急に増えて、楽しくて仕方なかった。
《ロキ》
ふと頭の中に連絡が入った。アフロディーテの声だった。
《ああ、どうした?》
《カインの国で問題が起きたみたい。戻ってしまいそうだわ》
《ダメだ。止めておけ》
《無茶な。今の時期にあの子がここにいるだけでも奇跡なのよ》
《できなければ……》
アフロディーテの弱い部分は全て握っていた。100年前の戦争。神々がこちらに攻めいることに夢中で、自分たちの住まいが手薄になった。その場所に俺は忍び込んだ。そしてアフロディーテを一度は殺した。
さらにアフロディーテの息子エロスの魂を奪った。
《……分かった。それ以上言わないで》
連絡が途切れた。少しでもしゃべっているのが嫌なようだ。嫌われたものである。
「ロキ。相変わらず悪巧みばかりしているな」
「ふふ、実りそうだぞ。ますます楽しくなる。自分が彼に何かするのかと思うと胸がドキドキしてくるよ。これが恋というものか?」
「気持ちの悪い。ヌシに好かれる少年に同情する」
そんなひどいことを言ってレガの部屋から追い出された。俺は顔が笑うのが止められなかった。やはり自分も悪神として生まれているのだ。ダンジョンが壊れるのが待ち遠しくて仕方がない。どうすれば世界は壊せる。
その方法は確かにある予感がして、俺は楽しくて仕方なかった。





