第二百八十四話 千年郷
「アーラ偉い奴ちゃ 偉い奴ちゃ ヨイ ヨイ ヨイ ヨーイ 踊る阿呆に 見る阿呆 同じ阿呆なら 踊らにゃ 損々 桃源郷まで 行かんか 来い来い——」
俺は一体何を見ているのだろう。腹を丸出しにしてそこに顔を描き、腹を顔みたいに歪めてみせる。扇子を広げたタヌキ顔のおっさんが、陽気そうに腹踊りをしている。時にお尻をフリフリさせて踊っている。
それは自分が踊りを本当に好きだと言いたげだ。そしてこちらにたまにおっさんは面白いだろうと目線を送ってくる。隣にいる千代さんは何か大変面白かったらしくケラケラ笑っている。
やっぱり千代さんの感覚は昭和初期とか江戸時代で止まってる。俺はといえば面白いか面白くないかと言われれば、まあ変かなという感じである。できれば中年太りしたタヌキ顔のおっさんが必死に踊る姿を見たくなかった。
「笹山通れば 笹ばかり 下に降りれば 岩ばかり 猪豆食うて ホーイ! ホイ! ホイ!!!」
ダメだこのおっさん。俺が笑ってないのを見て、必死になって笑わそうとして迫ってきた。怖いからやめろください。しかし仕方がないので空気の読める男である俺は笑った。心の底から精一杯笑った。
笑ったのにおっさんの踊りは結構続いた。俺が笑うのを見てますます爽快な笑顔で踊り出す。腹を出して踊るおっさんを見つめることは結構な苦行であったが、千代さんは終始笑顔で楽しげだ。
腹に描かれたたぬき顔が変に歪むことは気持ち悪いが、千代さんがそんなに楽しいなら別にいいかとも思った。
「——ふう。最後に踊り踊った! ではな!」
腹の出た人間のようなたぬき。たぬきのような人間が、こちらに最高の笑顔を向けて扇を閉じるとさらさらとかすみのように消えてゆく。なんだかそれは少し寂しい気がして、千代さんはもっと見たかったという顔だった。
「ぷふっ、どうだ六条祐太。面白かったかえ?」
そこに声がした。
カツンッという耳障りのいい高下駄の音。
どこか聞き覚えのある音だと、音のした方向を見る。
どうしてこんなところにいるのかと目を瞬いた。
うさぎの耳をした白い貴婦人。和装に身を包んだ女が一人現れた。いや一人ではない。一柱と呼ぶべき神。間違いなく俺の中で一番神様らしい神様。それは翠聖様だった。こんなところで見るとは思わず驚く。
相変わらずはだけた白い着物姿。見ているだけで目を洗われる思い。周囲のものすら一気に華やぐ。
「老狸が世話になったものにどうしても踊りを見せてやりたいとうるさくての。いや、あれは趣味だのう。どうやっても人前で腹踊りを見せ、笑わせねば気がすまん。笑うまでやるから意地でも相手は笑う。わらわもお主のように最初は笑ってなかった。だがあの老狸、わらわが笑うまで踊り続けるのだ」
「あれ、笑うまで続くんだ」
「そうだ。三日三晩もあの奇怪の腹踊りを踊られてみよ。いい加減笑えても来るというものよ。まあ、わらわに比べてお主は素直よな。わらわは五日ほど放置してやったぞ」
「は、はは」
あれを目の前で踊られて五日間も放置する勇気は俺にはない。さぞ鬱陶しかっただろうに、よく放置できたものである。
「隠神刑部は強くなるわけでもなく、笑わせて1000年。ある意味で立派なやつだったえ。わらわはあの妙な爺が結構好きであったのう」
「さっき踊ってたおっさ、いや、おじ様が隠神刑部様で間違いないんですか?」
想像していた姿とはずいぶん違った。もっと狸らしい狸で、威厳と風格に満ちたちょっと大きめの古狸を想像していた。しかしあれはどうも中年のおじさんが必死に腹踊りをしているようだった。
その姿は忘年会で気合を入れすぎた中年親父の風格すらあった。若い社員は誰も笑っておらず、おっさんのノリだけが受けて、上司だけはやけに受けている。
「いかにも」
「死んだんじゃないんですか?」
「死んでるのう。だからほれ【反魂香】を使ったのだ」
それは宇宙を思わせるような不思議な星が浮かぶ香炉に紫色の煙が立ち上っている。聞けばたとえ死んだ神でも一時だけ呼び出すことができる。言わば【炎龍・烈の魔石】のはるか上位互換のような道具で、ダイヤモンド級らしい。
そんなものをさらっと使う。それが翠聖様で、翠聖様は意外と世話好きのようだ。
「最初は『死ぬ前に見せる』と言うて聞かなかったのだがな。仮にも神であるあのものが老いさらばえた姿で人の前に出るのはあまりにもの。仕方がないので、六条が来たらわらわが体を用意して呼んでやると言うたら、やっと大人しく死によった」
「そっか。ふふ、なんだか確かに後でじんわり笑えてきますね」
「長く見ているとあの滑稽さが笑えるのだ。老狸も1000年前はそれはもうかなりの才気に溢れておってのう。見事な幻を操るので、幻影神などとも呼ばれておったぐらいだ。誰もがすごい神になると思っておったのだが、なってみればあの通り、笑いにしか興味がない。強くなる気など欠片もない。本気になれば十分に真性の神にもなれたやもしれぬのにな。最後の最後まであんな感じだったえ」
それがでも悪いこととは思っていないようだった。長く生きているらしい翠聖様。その長い命の中で楽しませるだけの神がいてくれたことは、結構な救いだったのかもしれない。
「迦具夜が随分と迷惑をかけたままのようだのう」
ふとそんなことを言ってきた。近づいてくるととても良い匂いがした。ずっと嗅いでいたい匂いだ。
「あ、いえ、迷惑じゃないです。迦具夜がいなければ死んでました。助けてもらったと思ってます。それに……」
「うん?」
きっと心も読めているだろうに翠聖様はしゃべるのを待ってくれた。
「生きていてほしいと思ってます。できればずっと生きててほしいと……悪いことをたくさんした女だって分かってるんですけどね」
「ふむ、あの我が儘娘が男からそのようなことを言われることがあろうとはな……。てっきり一人寂しく死によるものと思っておったが」
「そうですね。今自分がこう思ってるのが不思議です」
「変わった小僧よのう」
「どうも俺は女に頼られると自動で好きになっちゃう性格らしいです」
「そうか……」
翠聖様が目の前に来て俺の頬に触れた。
「わらわは迦具夜に厳しくするばかりで愛は教えられなんだ。お前が教えてくれるというなら嬉しく思うえ」
「そんなにいいものでは、ただ感情に従うだけの動物です」
「お主は相変わらず自分の評価が低いのう。それもまた生き方か。人は自分の生来の生き方に従って生きるもの。なかなか変えられぬのう。だが、わらわは感謝してる。もう少し自信を持っていいぞえ」
優しく微笑まれると胸がドキドキした。最後にくしゃりと頭を撫でられた。それが奇妙なほど嬉しかった。
「ではの。あまり1人の子を贔屓しすぎると良くない故、帰る。最後のひとつの褒美は確かに与えた。また縁があれば会おうぞ」
翠聖様はそう言葉を残すと目の前に霧のようなものが現れて、その中へと入っていく。そして気がつくとそこにはもう何もなかった。
「ひょっとしてご褒美って今の腹踊り?」
「なかなか立派な腹踊りでした。さすが神のご褒美ですね。ねえ、祐太さん」
「あ、うん。立派だったね」
てっきり隠神刑部様が【千年郷】に俺のことを登録してくれて、俺だと入りやすくなっている。そういう類のご褒美なのかと思った。しかしどうやら隠神刑部様は腹踊りを見せたかっただけのようだ。
「私あんなに面白いの初めて見ました」
「本当だね」
千代さんと結婚したら間違いなく笑いのツボだけは違う夫婦になりそうだ。
「でもなんで入れたんだろう」
「さて、それは私も確信をもって言えませんが、何しろ大きなもののようですし、認証を行き渡させるのに時間がかかったのではないでしょうか」
そんなことを千代さんに言われて周りを見渡す。巨大な翠聖樹のような桜がかなり離れた位置に見える。富士山の裾野が幹の円周の巨大桜といえばイメージが湧くだろうか。ダンジョンにあるものは基本が何でもでかい。
だがその中でも一番でかいのが木だ。桜の木が壁のようにそそりたち、桃色の花が咲き誇る。その花は散っていく様子もなく、綺麗に永遠に咲いているように見えた。幹ははるか彼方なのに空一面に広がる花弁。美しすぎるほど美しい。
【千年郷】の内部にいる。かなり広い空間に思えるが、建物らしい建物は何もなく、自然の川が流れていたり、野原が広がっていたり、山があり森も見える。緑の濃い空間だ。歩いていると動物はかなりの数見かけた。
空に七色の鳥が飛んでいて、それも結構大きかった。少し離れた場所に牛馬もいる。全て野生のようだった。俺が今いるのは山々に囲まれた盆地で、農耕に向いてそうだなと思った。これが【千年郷】の中でいいのか?
「やっぱりかなり広いですね。【探索界】を飛ばしてみましたが日本と同じぐらいの広さはありそうです。だから重かったんですね」
「重いって、そこまで重いとさすがに地殻を突き抜けそうなもんだけど」
実際は突き抜けてない。【千年郷】は海底に食い込んでるだけだ。大きさから考えると核融合を起こさないことが不思議なぐらいである。まあそれ以前に魔法もスキルもあるのだ。今までの常識で考えるだけ無駄か。
「千代さんは【千年郷】ってどういうアイテムか知ってる?」
迦具夜から三種の神器について聞いていたが、【千年郷】についてはあまり詳しくは知っていなかった。三種の神器としては有名なものらしいが、他の二つと違って使われたと聞いたことがないらしい。
それがどうしてなのかは迦具夜でも知らないようだった。ただ俺にとって最初に出会った三種の神器なのだから、有用なものであることを願うばかりだ。
「残念ながら私はアイテムに詳しいわけではありませんし、迦具夜さん以上の知識はないですね。ただアイテムというものは使われてこそアイテムです。それが使われずにずっと三種の神器としてだけある。きっと、よほど使いにくくて不便なものだったのでしょう」
「不便などではありませんよ。むしろあなた方には私こそ必要なもの。『【千年郷】。千年の都を箱庭の中に創るもの』と言われています。それを手に入れたものが千年続く都を自由にする権利がある。サファイア級ガチャから1000年に一度出てくると言われる至宝。入れるものはその登録が正式に終わった六条祐太様とその許可があるもののみ」
男の声がした。
内容は俺たちが疑問に思っていたことだった。声のした方角を見る。翠聖様と似たうさぎの耳を持つ見目麗しい男だった。先ほど【千年郷】の外で聞こえてきた声はこの男の声だったのだろう。声がそっくりだ。
「あなたは?」
一応警戒して華を構えた。
「六条様。我が主となるお方。ここではどんな警戒もなさらなくて大丈夫です。私は【千年郷】の管理運営を行う桜千と呼ばれる管理型からくり族です。この【千年郷】において、分からないことがあれば私に何なりとお聞きください」
桜千は礼儀正しく流麗に一礼する。さらさらの髪を肩まで生やし、桜と名前についているが、洋風も少し取り入れた黒い和装を着ていた。その服はどこか翠聖様を思い出させた。顔の感じもちょっと似ていて、男なのに妖艶な色気がある。
桜千の言葉がこの状況で嘘とも思えなかった。だから俺は華から手を離すと尋ねた。
「桜千さん」
「桜千と呼び捨てで構いません。私は召使いのようなものだと思っていただければ結構です」
「えっと、じゃあ桜千。先に安全確保を確かにしておきたいんだが、この中に敵は入ってこないのか?」
先ほどから【千年郷】が攻撃されている様子はなかった。そういう意味では安全地帯に入ったのか。その確証がまず欲しかった。千代さんほどの感覚器官を持たない俺が、本当に気を抜くのはそれからだ。
「外の様子はこちらに」
桜千がパンッと手を叩くと空に映像が浮かび上がり、暗闇に見えていたはずの深海が光を伴ってしっかりと見えた。外の様子が簡単に見られるようだ。こちらをまだ銀次が忌々しそうに見ている。その周りに配下の姿も見えた。
『銀次様。織田はもう引き上げましたぞ』
『バカが。あちらはもう次に目星をつけているのだ。我等はこれに全力を注いでいた。それなのにこれを手に入れられんというのはあまりにも痛い。時間的に考えても次のチャンスがあるかどうか』
『織田さえおらねばやりようはいくらにでもあったのに』
『どうにもならんのか、寿命の近い神はもういない。次の機会は銀次様が生きている間にあるかどうかもわからんのだぞ』
『月城め。卑怯な真似を。もともと急に月城がルールを変えてしまったようなもの。我らは不利な状況から戦うしかなかった』
『愚痴るな。翠聖様に笑われる。それに対応できてこその神なのだ……。ともかく二ヶ月で一つは見つかったのだ。何とか一つ手に入れるぞ!』
攻撃してくるわけでもなく風魔銀次一統はその姿を消した。
「いなくなった。嫌にあっさりしてるな」
そんな感想が出た。ずっと外で待ち伏せられたら面倒だと思っていたのだ。
「我らのようなタイプのアイテムは一度主人が決まると、変更は本人の許可を得ねばならず非常に難しいのです。無理なことに時間を取るよりはと思ったのでしょう」
「人のものになったから壊したりとかはしないんだな」
「自分たちが手に入れるべきものを壊そうとするバカがおりましょうか。何よりも【千年郷】の周りには次元フィールドが張り巡らされております。壊そうと思えば翠聖様級の実力がいると思っていただければいいかと」
それを聞くとこの中に入った時点でもうかなり安全になったのだとわかった。壊したくない上にそもそも壊れない。少なくともこれを目的とするものが、これを手に入れることはもうかなり難しいことのようだ。
「これでもう俺は最低限自分のやるべき一つは達成できたということか……」
「そうなります」
誰に言ったわけでもない言葉に桜千が答える。どうも今回の神の座の争いの知識を持っているようだ。
「移動する方法ってあるのか?」
こんな海の底にいつまでもいるわけにはいかなかった。出たら待ち伏せされてる可能性も0ではない。
「もちろん可能ですよ。主は【千年郷】を利用するよりも、そちらの方が優先なご様子。まず制御室にご案内いたしましょうか?」
「頼む」
「ではこちらへ」
桜千に促される。俺と千代さんがそれに続いた。最初は道がなかったのだがまたもや桜千が手を叩くと石畳の道がすっと現れる。どうやらシステム的には六条屋敷と似ているらしく、造るも壊すもかなり簡単にできるらしい。
「さっき登録された六条祐太って言ってたけど、登録はいつ終わったんだ?」
「信長様は少しせっかちな方のようですね。【千年郷】は一度登録するとその人が望まない限り、主をその人と定め、主の意思に反することをする存在は全て【千年郷】から排斥されます。いわば小さなダンジョンとでも呼ぶべきもの。それだけに登録には時間がかかるのです。かなり【千年郷】に触れ、声をかけ、登録が終わるのを待たなければいけない。信長様は、あともう少しで登録が終わるところでしたのに、途中で離れてしまわれた」
「ああ、それは……」
俺たちは今この瞬間しかなかった。だから、意地でも【千年郷】に入らねばいけなかった。わずかな差だが、余裕があることはいいことばかりではない。無駄な余裕は、無駄な時間をかけることになる。
しかし、銀次の話が気になった。信長はあと二つの三種の神器の位置もだいたい特定してるのか? だとするとさらに二度もあの男を出し抜けるだろうか。おまけに俺は……。
「まだ聞いておきたいことがあるんだが、翠聖様が最初にいたのってどうしてなんだ?」
悩んでも仕方がないと頭を振った。
「ああ、【千年郷】は翠聖様が『いずれ役に立つ時が来る』と言われて、長い月日をかけて創られたものなのです」
「ガチャから出てきたんじゃないのか?」
「いえ、出てきたものですよ。ただ翠聖様が【千年郷】をお創りになり、ダンジョンにガチャアイテムとして提供されたのです」
「ダンジョンに提供? それってよくあることなのか?」
「ありますね。ストーンガチャから排出される一般装備やアイテムなんかは大八洲国で造られ、ダンジョンが買い上げ、ほぼ全て提供されていると言われてますね。他の上位アイテムのいくつかもドワーフ島のドワーフ達が造っております」
全部ダンジョンの中で造られているが、それを造るのは決まってダンジョンというわけではないようだ。
「さて、六条様」
桜千はふと立ち止まった。
「到着いたしました。ここが【千年郷制御室】となります」
そう言った場所には中央にそびえる桜の大木から比べると小さい。それでも横幅が10mほどある桜の木が立っていた。そしてその桜の木を桜千がコンコンと叩くと、幹の部分に切れ込みが入り、入り口が現れた。
それは木の扉で、レトロな手動式のようだ。俺は桜千に促されて扉に手をかけ開いた。桜の木の良い匂いが鼻腔を刺激し、中には意匠の凝った木の台座がある。その上に人の頭よりもう一回り大きい球体が光を放って浮き上がっている。
【ようこそおいでくださいました我が主。私は中央制御端末桜千弐号。【千年郷】の移動管理はここで行うことができます。どのような場所にも向かうことが可能です。何なりとお申し付けください】
どうやらそれが制御装置のようだ。ちなみにこちらも男の声だった。





