第二百八十一話 三種の神器
レガが屋敷に不在でそれでも急ぐ必要があるから、説明を迦具夜と弁財天に任せて千代さんと外へ出た。万が一にもカインに見つからないようにかなり【超自然】を強くかけてる。そうすると俺の方は自分というものが曖昧になる。
上も下も右も左も分からない。ただ千代さんにしっかりとつかまり、そして意識をはっきりさせるためにナイフで手を刺す。血がしたたらないように包帯で覆い、左手を刺したままにした。この程度だとずっと刺していても死なない。
痛いのを我慢するだけでいいのなら、痛くした方がいい。大丈夫とはいえ痛いので顔を歪めながら、俺は瞳を閉じる。そうすると【レガの指輪】についている瞳と繋がる。
不思議とこんな自分すら認識できない状況で、【レガの指輪】の瞳から外を認識するのはうまくいった。
「祐太さん。方向が決まったら【レガの指輪】は閉じましょう。それは結構目立ちます」
「このまま使うのはダメですか?」
「はい。使ってなければ隠せますが、使ってしまうと瞳から力が漏れ出てしまいますね」
千代さんにとっても【レガの指輪】はかなり強力なアイテム。使用すると瞳から瘴気のようなものが漏れている。それはシルバーエリアで見た悪魔を思い出させた。
「ずっと【レガの指輪】で見てた方が認識しやすいんだけど、それなら仕方ないですね。じゃあまず千代さん」
俺は上を見た。ユグドラシルの根っこで球状に覆われた天井が、ここからではまだ遠すぎて霞んでいる。だから、空が、本当の空のようにすら見えた。
「まずミズガルズに戻ろう」
「了解」
千代さんはどんどん強く気配を消していく。俺はそうされるほど意識を保つために、左手に突き刺したナイフを動かす。しかししょせんは死のリスクが伴わない傷である。これほどの傷であっても痛みだけだ。
これじゃあまだ弱い。でも限界だった。千代さんが気配を消すほどに意識が朦朧とし、ニザヴェッリルを覆い尽くす根っこの天井が見えてきた頃。俺はほとんど意識を失いかけていた。そしてそんな千代さんの表情が曇った。
「居ます。反応がありました」
俺がマジックバッグから"人形"を取り出した。そして懐にこっそり忍ばせる。本当に死ぬ覚悟がいると心が決まった。
「何の?」
「もちろんカインです。あの男、かなり思い切ったことをしましたね。カインはニザヴェッリル全体をヨルムンガンドの体で覆ってます」
「そんなことできるの?」
「上を見てください帯のような黒い影。あれはヨルムンガンドの影です」
球状に覆っているユグドラシルの根っこの部分に、幅が広すぎて距離も長すぎて正体の知れない影がかかっていた。
「ヨルムンガンドは大きさをかなり変えられるんです。伝説の通りなら最大まで大きくなるとユグドラシルの全てを覆い尽くす蛇になるって話しです」
「規模感が違いがすぎるな」
それでもまだ小さいのだと言いたげだ。
「もっと大きいヨルムンガンドがいるのか?」
「いません。ただ、ヨルムンガンドは寿命が召喚士とリンクしていないんです。だから召喚士が死んでも生きてて、その時々の召喚士から何らかの方法で喚び出されるようになるそうです」
「とにかく召喚士より長生きなんだってことはわかった」
「それで十分です。祐太さん。ヨルムンガンドはかなり鋭い感覚器官持ってます。その胴体ですら気配を感じ取ります。ですからもっと気配を消しますよ。祐太さん意識を保つように気をつけて、うっかり死んじゃダメですからね」
千代さんにまかせて自分はとにかく死なないように気をつける。自分の気配が消えすぎると、生きてるか死んでるのかわからなくなって死にそうになる。そんな死にそうな俺にまだ気づいていない、カインはいた。
ヨルムンガンドがニザヴェッリルを覆って、一周している。リングを造った蛇は、自分の尻尾を咥えていた。しかしその口が離れ胴体が動く。一気にこちらへと近づいてくる。巨大な蛇があー顔を向けてきた。
それが感じられた。大きすぎて壁が近づいてきたようにしか見えない。昔田中に討伐された蛇をテレビで見た。その姿より明らかにでかい。そんなでかい図体なのにこちらに何かあると鋭敏に感じ取った。
「どうしたヨルムンガンド?」
はっきりとわかる。その言葉の瞬間、ヨルムンガンドの瞳が、カインの瞳になった。妙なことが起きればすぐに視界を共有する。それがくせになってるんだ。
「祐太さん。こちらに気付かれてます」
「みたいだね」
「【超自然】を本気で使います。死なないでください」
「あ…………ああ………」
千代さんが口にした途端に自分がどこにいるんだと思った。息をしている自分が分からなかった。どうやって息を吸うのか思い出せなかった。手の感覚も足の感覚もなくなってきて握っていた人形を落としそうになる。
俺は自分がもし死んだとしても落ちな位置に人形を忍ばせた。自分でそうしたのにどうしていま自分がそうしたのか理解できなくなる。それは生物ではなく。まるで自然に生える雑草のように、ユグドラシルの根っこの一部のように、そして空気のように溶ける。
「カイン。何かいるような気がします」
「本当か? 見えないぞ」
視界を共有してもカイン自身はそこまで性能のいい瞳を持っていないようだ。召喚士の特徴だ。召喚士にとって召喚獣こそが生命線。優秀な召喚士ほど、自分を超えていく召喚獣を従えるようになる。
「いや、いない?」
ゆっくりとゆっくりとニザヴェッリルを覆い尽くす大蛇から千代さんが離れてる。千代さんも早く気配を戻さないと俺が死ぬとわかってるから焦ってると思う。それでもばれないよう、ゆっくりゆっくり。普通の人が動くより遅いぐらい。
俺は多分、この辺で完全に意識を失っていたと思う。
「すまない。私の目が邪魔になっているな」
「いえ、そのようなことは」
「いいのだ。視界共有は切る。サイギスを探索に出してる以上、お前が一番敏感だ。注意深く見ろ」
「はっ」
ヨルムンガンドは何かこちらに向かって気配を察知するものを発している。千代さんはそれすら中和するため、さらに気配を消していく。すると意識を失っても、今度は生命維持として勝手に行われるはずの呼吸まで消えていく。
自動で動いているはずの心臓が動くとはどういうことだったか。考えるとは何か。どんどんどんどん空気のようになっていき、俺が消えていく。
「まだお前たちが私に忠誠を誓っていることが信じられない」
ふとカインがそんなことを言った。
「召喚士が我欲のために召喚獣を見捨てた。それどころか生物にとって一番苦しい死を与えてしまった。今でもレヴィアタンのことを思うと涙がこぼれてくる」
カインは本当に悲しくて泣いていた。
「神が民のことを考えるのは当然のこと。ゴッド・カインはヨーロッパ全てのことを考えてなさったのです。誰に恥じることがありましょう。レヴィアタンも苦しんではいれど恨んではおらぬはず」
「なら良いのだが……」
「あなたはお優しい方。レヴィアタンを1日でも早く楽にするためにここに来られたのでしょう」
甘いと言葉をヨルムンガンドが口にする。
「そうだ。アフロディーテはここで待てば必ずユウタ・ロクジョウに出会うと言っていた」
「さぞユウタ・ロクジョウをお恨みでしょう」
「いや私はあの少年を恨んでなどないさ。父を殺されても必死に生きてる。少年から見れば化け物の巣窟の中をそれでも必死に生きてる。とても不憫だと思うよ。それでも……死んでもらうがな」
カインの言葉。恨んでないといいながら恨んでいる。そんな気持ちがはっきりと伝わってくる。
「どうだ。何者かいたのか?」
「何か羽虫でもいたのでしょう。敏感になりすぎているようです」
カインが話しかけたためにヨルムンガンドはこちらの気配を察知しそこねてしまったようだ。ああいう時は黙ってなきゃいけないのにカインはドジなところがあるようだ。
距離が離れていく。どんどんと離れニザヴェッリルのさらに上、ミズガルズとニザヴェッリルが繋がる縦に伸びた根っこの場所へと足を踏み入れる。ここへと降りてきた場所だ。そうしてようやく少し気配が戻る。
「【身代わり人形】はあー結構レアなのによくそんなに持ってますよね。やっぱり祐太さんはガチャ運すごいですね」
自分のダメージをブロンズ級のレベルで与えられる最大ダメージまで身代わりになり、一度だけ代わりに死んでくれる人形。
「まあその結果がこれなんだけど」
【身代わり人形】が俺が抱いたイメージと全く一緒の姿になる。さらさらっと細かい砂粒のようになり地面に落ちていく。これが自分かもしれないと思うとゾッとした。それでも【身代わり人形】はあと5つ所持していた。
本来はそこまで持ってなかったが、シルバーガチャのブロンズカプセルからも出てきてくれたのだ。おかげで【超自然】ならばあと五回は死ねる。
「でも、これを見るとまだまだだって思う」
砂になった【身代わり人形】に改めてレベルの違いを思い知らされる。攻撃されたわけじゃない。ちょっと本気で気配を消しただけだ。それだけで死んでしまう。まだまだすぎて笑えてくる。
「アイテムも含めてトータルで祐太さんの強さです。それよりもすみません。あそこまで気配を消すことになるとは思わなかった。調子に乗らずもっと遠回りするべきでした。つい相手がどれぐらい気配を察知できるのか試したくなって。思った以上に相手が鋭くて本当にごめんなさい」
千代さんはカインの偵察も兼ねていたのだろう。それでうっかり俺が死にかけた。単独行動に慣れている千代さんはいつもそうしてきたのだろう。いずれここに追いつきたい。そしてみんなの横でちゃんと戦いたい。
「いいんです。結果的に俺は死ななかった。それに【身代わり人形】といっても敵が強くなりすぎて、ブロンズ級のアイテムは役に立たなくなってた。今回のことで使い切ったら在庫処分ができて大助かりです」
そんなことを言いながらも止まらなかった。ユグドラシルを上に上に、登っていく。途中で大きい馬がいてまたこっちをしっかりと見られた。千代さんは気配を察知されないかどうか挑戦したそうだった。
「さすがにそれは俺が死ぬのでやめてください。あの馬はやばい」
ゲームで時々ボスより強い野良の敵がいる。あの富士山みたいにでかい馬は絶対そうだと思った。
「わ、分かってますよ」
常に修行みたいなことが板についてる千代さん。どんな時でもどこまでできるか試したくて仕方ない。
「ねえ、千代さん」
「はい」
「もうすぐですね?」
「そうですね。ねえ祐太さん」
「はい」
「大好きです」
彼女は気配を隠す必要がない時、俺に最高の笑顔を見せてくれる。そういうことをされると俺は単純だからどんどん好きになっていく。自分でも気の多さに呆れるほどだ。ミズガルズが見えた。根っこの間から空が見える。
強い光が差し込み目をすがめた。
「おや、また誰かいますね」
「誰?」
俺はすぐに千代さんは気配を消し始めると思い、死なないように【身代わり人形】を同じ場所に忍ばせた。
「大丈夫です。敵意のある相手じゃない」
そんなことを言いながらミズガルズの地上に出た。空へと解放されように高く飛んだ。敵意がないとはいえ距離を離そうと思ったのだ。そして地上を見る。新緑の広がる大地。まるでその一点に吸い寄せられるように視線が向いた。
赤い髪の女。綺麗な女の人。それなのにどこか禍々しい。アフロディーテだった。
「途中でカインがいなかった?」
千代さんは気配をそこまで隠さなかった。アフロディーテがはっきり俺たちを見てる。確かに俺にも敵意は感じられない。ただ、それでも、隠れなくていいのか。そもそも真性の神とはこんなに簡単にエンカウントするものなのか。
「いましたよ。あんなところにいるのはとても迷惑です」
「ふふ、気をつけなさいね。カインも大変でしょうけど、織田と風魔の人たちがこっちに来たわよ」
「織田と風魔……当主ですか?」
千代さんが目を鋭くする。
「どうやらそのようね。特に織田は怖ーい雰囲気だったわ」
この神の座の争いにおいて、メインの敵は本来織田たちなのだ。それがここまで足を伸ばし、こちらに届くところまで来てる。
「そんなことあなたが教えてくれるんですか?」
教えてくれたのはありがたいが俺は意外で聞いた。
「ええ、私あなたたちを応援したいの」
「どうして?」
俺はカインの敵だぞ。
「面白そうだから」
彼女の笑う顔は綺麗なのに、どこか怖いのだ。まるで誰の敵でも味方でも関係ないようだった。興味の惹かれる方に自由に生きる。神だからこそ許される我が儘。
「相変わらず真性の神は何を考えてるかよく分かりませんね」
千代さんそんなことを言ってくる。こんな神が他にもいるのか。長く生き過ぎた神。俺たちが考えている神様とはまた違う存在。人としての人格を持ち、喜怒哀楽を持つ。
「頑張ってね。ずっと見てるわ」
「カインさんが泣きますよ」
「あの子はこれぐらいで泣かないわ。とても強い子だもの」
そういえばこの人ロキのことを言ってた。何気に俺はそれを聞いて虚言神という存在が気になっていた。
「ロキとはまだ会ってませんよ」
「あら、もう"会ってる"じゃない」
「は?」
「祐太さん、行きましょう。このタイプの神の言うことはあまり聞いてると迷わされます。たとえどんな相手だろうと目の前に出てきたら対処する。それでいいです」
「あ、ああ」
それでもアフロディーテの言葉は気になった。誰のことを言ってるのだ? 執事がそうなのか? それともナンナ? サキュバスの誰かという可能性もある。いや固められたあの石像みたいなやつに入ってた?
だとすると少し笑えるのだが。頭の中がそれで埋まりそうになり首を振った。千代さんの言う通り、そんなの関係ない。やるべきことをやらなきゃいけないんだ。ただアフロディーテは嘘をついていないとしたら……。
それでも今は三種の神器を手に入れる。
そして南雲さんに届けるんだ。
きっとあの人が待ってくれてる。そう思うと勇気が出た。
「それにしても織田と風魔……。当主とか面倒どころじゃありませんよ」
千代さんですらそういう。織田もだが風魔と言えば忍びの家系だろう。ということは気配を消すのも人を探知するのも得意な可能性が高い。
「知ってるんですか?」
「まあ私も大八洲国が長いですからね。言っておきますが祐太さん、織田は私より強いですよ。あれは化け物です。拮抗するのも難しいかもしれない。だから今まで以上に見つからないように気をつけましょう。風魔もそうです。まあ風魔は単独なら勝てるかもしれませんが、かなり面倒です」
「当主本人が来てる可能性ってある?」
何しろユグドラシルは大八洲国から遠い。部下に任せて本人は来ないなんてことは普通にあると思った。
「甘い。ここはダンジョンです。戦国時代なら戦上手の人間の方が戦闘技術は高いでしょうが、探索者は違う。一番強いのは当主です。だから一番危険な場所に来るのも当主です」
「それでもここに来るか?」
「アフロディーテがそこまでつまらない嘘をつくとは思えません。こんな早い段階でこんなところまで来てる。急いでいる私達だからエルフさんの情報を頼りにここに来た。でも本来彼らはもっと近くを探索するはずです。桃源郷の神の座の争いは10年期限があるんですよ。一年ぐらいは近くを探索し、それから徐々に範囲を広げていく。それなのにここに来てる」
「向こうだって情報を掴んでるか?」
「何らかのアイテムを使うか。【未来予知】ができるものに聞く。そう考えた方が良さそうですね。まあそれでもこちらには【レガの指輪】というアドバンテージがありますけどね」
「そうだな……千代さん。近くに誰かいる?」
「いえ、今のところ大丈夫なようです」
「じゃあ【レガの指輪】を使うよ」
俺は目を閉じようとして、
「また危ないものをもらったものね」
アフロディーテが声をかけてきた。まだあまり離れてなかったのだ。
「……お静かに邪魔です」
「冷たいわね」
「……」
やっぱり放っておくのが一番いいと思って目を閉じた。そうすると【レガの指輪】に着いた瞳が動いた。
「気持ちの悪い瞳。それよりもっといいものあげましょうか?」
「……」
海の方向、俺たちが海から来た場所とは逆側だった。
「千代さん。行きましょう」
「はい」
そしてアフロディーテがちょろちょろとついてきた。
「あの、離れてもらえないでしょうか? そばにいられるとせっかく気配を消してるのに意味がなくなるんです」
アフロディーテは隠す必要など何もないというほど気配を全開にしている。少なくとも隠れてない。真性の神に好んで近づくやつがいるとは思えないが、邪魔以外の何物でもなかった。
「ちょっとぐらい相手をしなさい」
「私たちは真剣なんです! それに真性の神は今回のことに手を出してはいけないはずです!」
千代さんが言う。真剣な時に遊びでついて来られたらイライラするのだ。
「レガはいいの?」
「正当な取引です」
「屁理屈ね」
「そんなことはありません。ちゃんと筋が通った取引でした」
どうも千代さんはこういう相手が苦手のようだ。俺は口を開いた。こういう存在の相手は千代さんよりは得意だと思ったのだ。
「アフロディーテ様。今は本当に大事な時です。でも俺たちを見てるのは勝手です。どれだけ見ててくれても構わない。そしてきっと見たことのない面白いものも見せられる。でもそれはあなたが俺の邪魔をしなければだ」
「わらわが面白いと思うこと? 言っておくけどわらわは我が儘だから、なかなかそんなこと思わないわよ」
「ええ、でもきっと楽しませられる。邪魔をしなければ」
「つまらなかったら怒るわ。天罰を与えるかも」
「その時はどれだけ怒ってくれてもいいですよ」
「ふふ、見えない。私でも隠れている心がある。ねえ、童、何を隠してる?」
「さあ」
俺はそう言うと千代さんを促してその場を離れた。アフロディーテはもうついてこなかった。





