第二百七十八話 小人神レガ
「六条」
レガに呼ばれた。それと同時に俺が【天変の指輪】をつけている隣の指にもう一つ黒い指輪が現れた。禍々しい紫の瞳がついていた。その瞳が実際に動いてこちらを見てきた。この瞳ってひょっとしてレガの瞳なのでは?
レガの虚ろな黒い瞳には何もないように見える。この悪神は自分の瞳をこんな風に扱えるのか?
「それは名付けるならば【レガの指輪】とでも言うべきものだ。指につけたが隠すこともできる。ルルティエラ様の足跡をたどりたいのであれば、その瞳が見ている方向へと従ってゆくといいだろう」
「見ているとは?」
「己の目を閉じて、指輪の"瞳と繋がる"イメージをして見るのだ」
「呪いの指輪にしか見えないんだが」
持っていることがすごく嫌だ。繋がるなんてもっと嫌だ。
「実際にそれは呪縛の効果を持っているぞ」
「外れるのか?」
心配になってすぐに聞いた。そう口にしながら指から外そうとしたら、どれだけ引っ張っても指から抜ける様子がない。指が千切れそうなほど引っ張ってもだ。この悪趣味な指輪を一生つけ続けるのは嫌だ。
「お、おい!」
「焦るな。ヌシが約束事を守ればきちんと外れるようになっている。それよりもさっさと自分の目を閉じるのだ」
レガが皺々の自分の手を前に出してきて親指と人差し指を閉じた。そうすると俺の目も強制的に閉じてしまう。【念動力】か何かだろうが抵抗できない強制力が働く。それと同時に目の前に100個以上の景色が一気に広がった。
景色の1つ1つが全て違う。太陽を見ていたり、別の国を見ていたり、自然の景色を見ていたり、生物と同じように視界が揺れていたり、女の裸を見ていたり、その全ては様々なものを見ていた。
「……これは?」
「ワシが"自分の瞳"を通して見ている景色だ。その中でヌシが見るべき景色を感じるとわかるだろう?」
自然と吸い込まれるようにたくさんある景色の中から一つを選択していた。それは何もない海の上。かつて女神の神殿で見たのと瓜二つの女性が、海上に立っていた。そうすると深さが何千キロもあるという海が2つに割れていく。
まるで海がどうぞお通りくださいと言っているようだった。興味を惹かれ、さらにその続きを見ようとする。だが、そこで映像が途切れた。俺の瞳が開いたのだ。
「今からそれほど前ではない時に見たルルティエラ様のお姿だ。満足したかな?」
「あ、ああ」
どうやらこの瞳は間違いなく三種の神器へと導いてくれるようだ。
「こちらが約束を守るのだ。ヌシもワシの望みをちゃんと叶えてくれなければ困るぞ。物事をフェアにするためにも守らない場合は、少々困ったことにはなることも教えておこう」
「どんなことになる?」
「呪いがヌシの瞳を蝕む。その結果、"ヌシの瞳"を"ワシの瞳"とさせてもらうこととなる」
「は? いや、罰則が重いんだよ!」
まさかあの100以上見えた景色の全てがレガの瞳になった存在たちだった? その存在達は自分で見た景色を全てレガに奪われている。
「正解だ。その予感はとても正しい。そして残念ながらこちらの方がレベルは圧倒的に上だ。ワシに求めるならば、こちらに与える対価はより大きいものになるのは当然のことであろう。対等なやり取りなどありえんぞ」
「でも! いくらなんでも——」
「不平等ではない。こちらは本来ヌシではどうにもできぬようなことの解決法が分かっておる。むしろそれができなければヌシが死ぬことを考えれば、罰則はゆるい方だ」
「だからって……」
悪神である。リスクがつきまとうのは仕方ない。それにしてもこれに失敗したら自分の目が自分の目じゃなくなる。これから先どんなに愛してる人を見ても、綺麗な景色を見ても、それは俺には見えずレガに見えているのだ。
「嫌なら取引はなしとするか? なしにしたところで罰を与えたりはせんぞ」
そう言われたところで断れないことは知られている。
「ものすごい足元を見てくるな」
「足元しか見えない取引を持ちかけたのはそちらだ」
「……」
レガが心を読める以上、俺と迦具夜に時間がないことは筒抜け。そして俺たちが失敗すればその問題は俺たちだけのことでは収まらない。日本にまで波及する。ともかく全てにおいてこの小人神レガと話をつけるのが最良。
千代女様の手をただ握っていただけが、また頼るように握る。悪神との取引。エルフさんはこの期間で決着をつけるならこれしかないと思ってこの可能性を示してくれたのか。日本のことを一番考えていたエルフさん。
そのエルフさんが俺のことも多少考えてくれていたと信じるしかない。
「続きを頼む。そちらにももう一つ望みがあるんだよな?」
「ふぉっふぉっ。まあこちらの望みを2つとも叶えられれば罰則などない。ヌシが本物の世界の破壊者ならば難しくはあるまいよ」
「そんなことするつもりはない」
「悪とは分かってするものではない。悪と分からずするから悪なのだ」
「いや——」
そんなことない。そう口にしたかったが、どうにも口で勝てる気がしなかった。
「何でもいいからもう一つの望みを言ってくれ」
「ではワシのもう一つの望みだが、ワシの望みを何でも1つだけ、ワシが望んだタイミングで、ヌシに叶えてもらいたいのだ」
「内容は?」
「それは今は言えんな。しかし、頷いてもらえれば月城迦具夜の【呪怨】を解く方法は教えてあげよう。まあこの2つ目の望みは無理に引き受けろとは言わん。2つ目の望みは嫌だと言うなら、【レガの指輪】はワシの一つ目の望みであるカインを始末した時点で外れる。どうだ? 断るか?」
「せめて内容を教えてくれ。中身も言わないなんて、それじゃあ交渉になってないぞ」
相手は悪神である。望まれる内容がとんでもない悪事である可能性も高い。世界を壊すきっかけを作ることをやらされてはたまったものではない。何よりも俺はレガから言われても世界を壊す気は1ミリもないのだから。
「安心したまえ。その時が来てヌシが嫌がればなかったことにしてもいい程度のことだ」
「そんなことでいいのか?」
「もちろんだ。もっともその時は月城迦具夜が助かった事実もなかったことになる。つまり月城迦具夜は助かっていたとしても死ぬということを忘れないでもらいたい」
「それなら無事に迦具夜が大八洲国に帰って、桃源郷の神の座につけばどうなる?」
そうすれば迦具夜の寿命が伸びるはずだ。こんな取引自体意味のないものになる。
「言っておくがワシの見立てではあの女はもうそれほど長くない。あと三ヶ月といったところか。大八洲国に帰るまでは持つまい。特に戦うのは良くない。これだけはタダで教えてやるが、一日でも長く生きていてほしいならあの女を戦いの場には出さないことだ」
「戦えばどうなる?」
「月城迦具夜が全力でかけている【呪怨】への縛りが緩む。寿命はさらに縮むことになるだろう。そうなれば【呪怨】は解放され、おそらくヌシが死ぬことを避けるため次は弁財天という女が抑え込む方へと回る。カインとの戦闘中にこんなことになれば全滅は必至だろう」
俺だけ最初から死んでれば良かったものが、迦具夜と弁財天を巻き込むのか。おまけに千代女様にカインとの一対一を強いることになる。
「……【呪怨】は本当に消えるのか?」
「少々問題はある方法だが、確実に消える」
レガの答えを聞いた俺は長く息を吐いた。少なくともレガは交渉の手順は守ってくれた。交渉のやり方としてはまともだ。こちらにも選択の余地があった。そして今欲しいものを一番確実にくれようとしている。
何とか三種の神器の一つが欲しい。俺の提案のためにエルフさんは死んでしまった。俺にはもう後に引けない理由がある。それに南雲さんの助けに少しでもなりたい。迦具夜の顔も思い出す。やはり助かってほしい。そう思った。
「交渉というものはな六条。駆け引きだ。割に合わぬと思えば断るのもまた自由だ」
レガがもう一杯ワインを注いでくれた。俺はいつの間にかそのワインを手に取り口に運んでいた。芳醇な香りと甘くて滑らかな舌触りだった。そのまま飲み込む。レガは少し力を戻してくれていると言っていた。
そのせいか先程よりは美味しさがわかった。酩酊感もそこまでなかった。
「レガ。お前が2つ目の望みを俺に言った時、俺が断って、迦具夜が桃源郷の神の座についていたら、俺の瞳は仕方がないとしても、迦具夜はそれでも死ぬのか?」
「ふぉ、ふぉ、良いところに気がついたな。さすがに他国の神はいくら半神でも殺すのはよろしくない。その時は、六条が頷きそうなことを頼むとしよう」
レガの笑う姿に確かに自分の心で決めた。
「わかった。その条件で【呪怨】を消す方法を教えてくれ」
「では月城迦具夜の【呪怨】を取り除く方法だがな。それは——」
レガはその方法を教えてくれた。それは直接レガがしてくれることではなかったが、確かに不可能とは思えない内容だった。ただ問題は多い。しかし、レガ自身は悪神であり、浄化の系統は使えないそうだ。
そのため【呪怨】を取り除くなどということができないらしい。
「分かった。とりあえずありがとうと礼を言っておく」
「六条祐太。15歳にしてはなかなか重い人生だな」
「そう思うならもっと優しくしてくれよ」
「ダンジョンに好かれるというのはその度合いが重ければ重いほどそうなりやすいものだ。せいぜい生き足掻くと良い」
目の前の小人神は何か嬉しそうに笑ってる。俺は最後に礼をすると席を立った。千代女様は手足を縛られて猿轡をされたまま椅子からは解放された。完全に拘束が解かれないところを見ると、千代女様はまだ解放されたらすぐにレガを殺そうと考えているらしい。
この人は弟のことになると見境がなくなるようだ。普段驚くほど冷静な人なのに困った人である。俺は千代女様を抱っこしてやる。その時、瞳がついた指輪が当たる。消せると聞いたので隠しておいた。
確かに指には何もないように見える。しかし指の感覚としては【天変の指輪】と同じくつけていることが分かった。嫌だなと思いながらも俺はその指輪をつけたままレガの部屋を出た。体が再び大きくなっていくのがわかる。
それとともに体の中に力も満たされていった。アルコールも完全に抜けてしまい、
「ところで、お姉ちゃんのこれっていつ解いてもらえるの?」
俺は抱っこした千代女様に言う。
「もう解かれていますよ」
そんな言葉が聞こえたので手元を見ようとしたら、千代女様はもう立っていた。そして汗に濡れ、乱れた衣服を整えていた。
「お姉ちゃんにしては見事に捕まったね」
「……」
千代女様はバツが悪いのか少し黙っていた。そして、不安げに俺を見てきた。俺の心配をしているのもある。それもあるのだが、一番は、
「大丈夫。嫌いにはならないよ」
千代女様が考えそうなことがわかって口にした。千代女様は俺の手を取って自分の頬に当てた。
「やっぱり弟とは何もかも違う。あの子は私にそんなことは言ってくれなかった」
何かを懐かしんでいるようだった。俺は完全に千代女様の記憶を隅々まで見たわけじゃない。ただ千代女様の中に残っている弟への強烈な後悔を垣間見ただけだ。だから千代女様が本当に何を考えているか完全には知らない。
「祐太ちゃん。お姉ちゃんはもうやめておきます」
俺の手を離して千代女様が一歩離れた。
「そっか……」
まあ当然である。世界を壊すとか、本人にその気は0でも、可能性としてやりかねないならば、そんな人間のそばにいることはできない。千代女様の性格からしてすぐに殺そうとしないだけましだ。それを、
『嫌いにならないよ』
とか何を自惚れているのだ。これから誰もに嫌われるのは自分だろう。誰もに嫌われて一人になる。そうすると悪神以外は受け入れてくれる場所がなくなるんじゃないか。きっとそんな俺を伊万里も裏切った。
「俺を暗殺する? いいよ。タイミングを見て殺してくれたら」
千代女様なら簡単だろう。迦具夜や弁財天にも気づかれないように、カインにでも殺されたことにしてくれたらいい。俺は自分を好きな誰かがそうしたいと言った時、抵抗できる気がしなかった。
だから今まで一生懸命頑張ってきたもの全てを捨ててあっさり殺されてあげる。
「いいえ、祐太ちゃん。私は世界が壊れようと、どうしようと、そんなこと気にもなりません。祐太ちゃんがそうしたいなら一緒にしてあげるだけです。ただ私はあなたをあなたとして見た方がいいのかと思って」
「俺を俺?」
「はい。祐太ちゃんも私を姉とは見れないようですし、実は最近、私もあなたが弟に見えないんです。特に今回、レガと話している姿は弟とは全然違った」
「そっか。ごめん。うまくいかないな」
どうやら俺の弟はわざとらしくてお気に召さなかったらしい。
「いいんです。そんなの最初からわかってたのに死んだ弟の代わりを別の相手に求め続けてきた。でももっと大事にしたい人ができたから、私はあなたをあなたとしてみようと思ったんです」
あんなことを言われた俺がその対象だとは思えなかった。でも他にその対象がいたようには思えなかったから、俺は廊下の片隅で戸惑った。
「俺から離れるってこと?」
「違います。だから何でそうなるんですか」
「いや、だって、俺みたいな面倒な人間は女が嫌だと思うし」
「私全然嫌いになりませんでしたよ?」
「そうなの?」
「むしろ格好良くて凛々しかったです。レガに縛られてる間、私はあなたがレガに言葉を返すこともできず悩み続けているのをずっと見ていた。私はその間この手が自由になれば、あなたを傷つけるレガを殺してあなたをすぐに抱きしめてあげる。そう思い続けていた」
「でも俺は世界を壊すって」
「逃げればいいじゃないですか。迦具夜さんを桃源郷の神に座らせることができたら、祐太ちゃんはルビー級です。幸い私は迦具夜さんほど寿命が残っていないわけじゃありません。100年以上は生きられますよ。後のことは友禅ちゃん達に任せて全部捨てればいいんです。日本のことなんてもともと祐太ちゃんが背負う必要なんて全然ないんです」
「それでいいの?」
目をまたたく。俺はそれが悪くないと思えた。ダンジョンはダンジョンから逃げたものから興味をなくす。それを聞いたことがあったからだ。つまり俺がダンジョンから逃げたら、ダンジョンを壊さずに済む。
機械神ルルティエラは地球を抱きしめており、ダンジョンの崩壊は地球の崩壊かもしれない。だとすればその方がよっぽど世のため人のためになる。
「いいんです。そして私と夫婦として生きていきましょう」
「お姉ちゃんと夫婦?」
「その呼び方はもういいですよ。私には今まで弟以上の人がいなかった。でももうできましたから、あなたを弟と重ね合わせるのは終わりにします。そうですね。私のことは"千代さん"って呼んでください」
「千代さん? 何でその呼び方?」
なんだか明治~昭和初期頃の呼び方のような印象を受けた。そういえばこの人はその時代をまるまる生きてるんだよな。
「ふふ、そして私は祐太ちゃんを祐太さんって呼びます。お互い夫婦でさん付けしてとてもお上品な夫婦になるんです。私の昔からのささやかな夢です」
にっこり微笑むと千代さんは確かに上品な顔をしているように見えなくもないような気もするような。
「無理があるような。千代さんは動的な人間だし」
でも自分の中に千代さんは姉と捉えるよりもはるかに簡単に入ってきた。
「失礼な。私お淑やかにもできますよ」
「本当?」
「本当です」
千代さんが俺を本当に大事そうに抱きしめた。レガに縛られて汗ばんだ体だから、千代さんの匂いがした。俺もゆっくりと抱きしめ返した。そして千代さんの匂いをしっかりと吸い込んだ。不思議と今までよりも落ち着いた。
「ありがとう。嘘でも嬉しい」
「本当です。祐太さんが死んだら私もすぐに後を追いますから、嫌になって急に死んじゃったりしちゃだめですよ」
「うん。それなら死ねないね」
今はその優しさが嬉しかった。ただこのことをみんなに言うことだけが不安だった。それでも黙ってるわけにはいかない。黙ってていつの間にか世界を壊す片棒を担いでいたなんてことになったら、もっとみんなに許してもらえなくなる。
伊万里はやはりこのことを知ってるのか? 美鈴やエヴィーには黙って姿を消した方がいいのだろうか。ジャックにシャルティーに玲香にどうすることが一番いいのか。ただ俺はどの道姿を消すことになる。
それだけは間違いなく起こることだと思った。
その結果殺されることになっても、探索者を諦めることになっても、それはもう仕方がないことだった。ただいまのこの時だけは、日本を救うために動くのだ。そのためにカインだけは倒してみせると覚悟を決めていた。





