第二百六十七話 ユグドラシル
「へえ」
ここがユグドラシルなのかと思わず見回してしまう。1つの方角の全てが木の幹である。上空にも巨大な木の枝がある。あの枝が上の世界。あんなに大きな枝があると、ここには太陽の光が届かなくなりそうなものである。
だが、枝と地上の中間に太陽らしきものが見えた。その光が燦々と降り注いでいる。体感的に太陽から感じる光と何ら変わらないものに思えた。
「あの太陽が木の幹の周りを24時間かけて一周してるみたいね」
「それで朝と夜が来るのか」
「ええ、ユグドラシルの大木の幹に太陽が隠れて影になって夜になる。ここでは本当に大地が大木なのね。面白いわ」
魔法的な力を感じる太陽。実際の太陽と同じく決して枯れることがない濃密に魔力が凝縮されてる。多分ユグドラシルの真性の神が創り出したものなのではないだろうか。見た感じではここも枝の上に大地が築かれているようだ。
どの方角を見てもユグドラシルの幹以外の果てなどあるようには見えない。日本で見る大地と同じだ。それでいてこれは木なのだ。巨大な葉っぱの影が雲のように空にある。
大きな枝の膨らみがアルプスの山々のように連なって、景色を形成している。俺が今立っている木の枝。その太さだけでも、100㎞あると言われても驚かない。土や水も全てがユグドラシル1本によって賄われている。
「なんか俺たちって木の上にいる微生物とかみたいなものかな」
「大きさの尺度的にはそれ以上かも。ユグドラシルを見るのは初めてだけど、こんなに大きかったのね。翠聖樹がこの世で一番大きい木だと言っていたわ」
弁財天が口にした。話しながらも歩いていく。砂浜を超えて舗装のない樹皮がむき出しの街道を歩いてる。海辺の街が見えた。人間や亜人が行き交う姿が見える。翠聖都のような門はないようだ。
フランスのルネサンス時代。
そんな感じのカラフルでおしゃれな街並みだ。日本にはない急勾配の屋根。木組みのパステルカラーの家。装備を整えている探索者の姿もあった。あれはヨーロッパから来ている探索者だろう。
奴隷制もあるようで鎖につながれている犬耳とか猫耳をした男女がいた。パブからはアルコールの匂いが漂ってきている。昼間からビールを飲んで何かの賭け事をして遊んでる姿もちらほら。
「さて問題は」
「ガチャね」
俺の言葉に迦具夜が言う。俺の右側に迦具夜、左側に弁財天。千代女様も後ろからついてきていた。美鈴にエヴィーに伊万里ではない臨時パーティー。そのつもりなのに3人とかなり仲良くなってる。終われば縁が切れる関係ではない。
それに迦具夜も弁財天も千代女様も俺のそばを離れたくないと感じてくれているように思う。俺はこれが終わった後この3人とどうするか。正直ノープランだった。
「シルバー級専用装備って実際どれぐらいすごいんだ?」
時間を犠牲にしてでも回しにいく。その価値を確認しておいた。
「シルバー級専用装備はゴールド級の探索者でも死ぬまでに全て揃える可能性は2割って言われてるわ。だからゴールドになって10年以内にシルバー級の専用装備を全て揃えることができたら、その探索者は間違いなくルビー級にいけるって言われるぐらい価値があるわ」
「祐太君。ブロンズ級だとストーン級の専用装備を9割の探索者が揃えられると言われてる。シルバー級でブロンズ級専用装備を全て揃えられる可能性は半分ぐらいよ。そしてゴールド級でシルバー級の専用装備を揃えられる可能性が2割。いずれも生涯をかけてよ」
つまりゴールド級の探索者が、シルバー級の専用装備を揃えている可能性はほぼない。ましてや俺のように最初の1度目で揃えようなどと思っているやつはまずいいない。
「ルビー級だとどうなるんだ?」
今は関係ないけど興味がわいた。
「死ぬほど稀少よ。普通のガチャ運のルビー級だと500年の生涯をかけても3つ持ってればいい方。ちょっといい探索者でやっと5つ。かなり良くて全部。超良くて100年以内には揃えられるって感じね。私が揃えるのには300年かかったわ」
「私で100年ぐらいね」
「レベル900を超える弁財天で300年、その中でも最高位の迦具夜でも100年……」
貴族が500年生きてもその一つ下のゴールド級専用装備を揃えられない。それがほとんどで、ルビー級になるとよほどガチャ運が良くないと無理か。
「やっぱり絶対にシルバーガチャは回したいな」
おそらく俺ならシルバーガチャコインが200枚で専用装備をほぼ揃えられる。揃えてしまえば俺の強さはさらに倍加する。それでもまだ迦具夜たちの強さとはかなりの開きがある。だからこそ必要なのだ。
「祐太君。私もずっとそのことを考えていたのだけどね。シルバーガチャを回すのに一番いいのは、一度ユグドラシルにある探索者ゲートから地球側に出て、シルバーエリアへの入り口に行って、地球から3番目の門をくぐることだと思うわ」
「出れるのか? 門は入った場所からしか出られないよな?」
そうでないと門のロックに引っかかって1ミリたりとも中に入れないはずである。
「多分大丈夫よ。門のロックはそこまで強力なものじゃないから、私や迦具夜ならそれほど苦労せずに解除できる。地球側のダンジョンゲートからシルバーエリアに入れば祐太君が選んだ世界にもつなげることはできるわ。迦具夜は祐太君のシルバーエリアを知ってるのよね?」
「ええ、大丈夫よ。祐太ちゃんと私が一度一緒に入ったものね」
「そういえば入ってたな」
ここに来る前に迦具夜とシルバーエリアを覗きには行ったのだ。すぐに帰ってきたが迦具夜はそれでたくさんあるシルバーエリアの中から、俺の行くべきシルバーエリアへの位置を掴んでいるようだ。
「門にかけられたロックって、そんなにゆるいものなのか?」
「6番目のサファイア級とか、7番目のダイヤモンド級とかの上位の門をくぐるとなると別なの。この場合、そのエリアに入るレベルがあって到達していなければ絶対入れないわ。でも、地域ごとに探索者を分けたいだけのロックはそこまで強力じゃないのよ。それはどこも変わらないはずよ」
「じゃあ俺もシルバーガチャを回せる?」
「ええ、まず間違いなく回せるわ」
「そっか」
これでもう1段強くなれることが嬉しかった。美鈴じゃないけどガチャを回したい気持ちが無性に湧き上がってくる。
「じゃあ目的地は、まず探索者のエリアだっていうユグドラシル三番目の世界【ニヴルヘイム】に行くことだよな」
俺のイメージではそこに地球からの門が固まっておかれているはずだった。
「そこまで行かなくても、私たちが到着したこのユグドラシル国の四番目の世界【ミズガルズ】にも地球につながる門はあるはずよ。門を移動させて一元管理するなんて、科学を発展させてる国じゃなかったら面倒臭がってやらないわ」
「面倒臭いのか?」
「科学を発展させてない場合、そういうことができるようになるにはルビー級上位の実力がいるもの。どの貴族もそんなのわざわざやりたがらないわ。おそらくユグドラシルはルルティエラ様が門を出現させた場所から一切移動させずに放置してると思うわよ」
「放置……」
それはすごく適当なイメージに聞こえた。人で溢れた賑わう街が急に冷たく思えた。
「あんまりここでは探索者は歓迎されてないのか?」
「祐太君。探索者の扱いって国によって結構違うのよ。大八洲国はかなりきっちり管理する方だし、やってきた日本人が無駄なことで苦労しなくていいようにしてる。そもそも大八洲国は日本出身者が多いから、同郷への優しさもあるのよ。探索局局長はたいてい貴族だしね。でも、ユグドラシルは多国籍だから、いろんな人間が入ってくる。同郷者のためにと思ってやったことが、敵対しているやつらのためになったりとか、それが腹立つみたいね」
「ああ……」
確かにヨーロッパはその辺ごちゃごちゃしてそうである。
「だから、単一民族で形成されていない地球側の人間が来る場合、ルルティエラ様から言われてるから敵視はしないけど、勝手にすればっていうのも珍しくないわ」
「そうなんだ」
だとすると日本の探索者が高レベルになりやすい理由でもあるのか。ある程度の道筋をつけて探索局のように導いてくれる。そういう施設があるかないかでかなり変わってくる。とすると中国はもったいないことをしている。
盤国に来るのはおそらくほぼ単一民族だ。斉天大聖様が王に問いただしに行ったという話もある。もしも日本と同じダンジョン開放主義だったら、今頃英傑の人数が一番多いのは中国だったかもしれない。
「だから探すべきは、ヨーロッパから繋がってる今いるこのミズガルズ内にある門ね」
迦具夜がヨーロッパと言った。地球の地名をちゃんと知っている。どうも大八洲国の貴族は地球側の情報もかなり仕入れているようだ。
「よしわかった。じゃあ行くか」
やるべきことがわかったのだ。後はミズガルズ内で懐かしき階段探しである。今の身体能力なら1日以内に見つけてやるぞと気合を入れる。そして走り出そうとして迦具夜に肩を持たれた。
「何だよ。早く探しに行こうよ」
「どこに?」
「この辺一帯」
「もう見つけてるわよ。祐太ちゃんこっち」
そう言って手を握って引っ張っていかれる。何だか昔、実母に手を引かれて歩いたおぼろげな記憶が頭をかすめる。もう見つけたのかよ。子供が余計なことをしなくていいように100%道筋をつける。
こいつ俺を甘やかしすぎだ。マジでそう思った。でも抵抗する意味はない。迦具夜が街中の石畳の道を歩いていくのについて行った。
「お前ちょっと探すの早すぎない?」
迦具夜が便利すぎて文句を言った。贅沢を言ってるのはわかる。だがもうちょっと苦労したい。これからこのユグドラシルを走り回るのだという俺のワクワク感をどうしてくれる。
「そうかしら?」
「そうだよ。すぐに分かり過ぎてつまらん」
「自分で探す?」
「いや、いいけど。お前のためにも1日も早く見つかった方がいいわけだし」
「あら、ありがとう」
迦具夜は以前と違って綺麗に笑うようになった。クミカと融合してからだ。クミカは消えたはずなのに、どうもその記憶をかなり見たらしく、それがどういうわけかこの強烈に自分勝手な女の性格を変えたようだ。
迦具夜が手をつないでいるのが羨ましく思ったのか弁財天も手をつないできた。どう見てもこの2人は俺よりも年上に見える。実際びっくりするほど年上だ。保護者に連れ歩かれている子供。俺は今そんな状態である。
でも母親に甘えた記憶のない俺はなんだか嬉しかった。そう思ってしまったのが恥ずかしくて赤面した。
「何か恥ずかしいの?」
全部見透かしたように迦具夜に見られた。
「いや、そんなことないけどこんなペースでいいのか?」
「すぐ近くだもの」
そう言われて周囲をスキルを使って探索した。本当にすぐそば、100mほど先に門があることを感じた。
「めっちゃ近い」
「蒼羅様は優しい方だと言ったでしょ。降ろしてくれる場所は一番いい場所。それがあの方なのよ。こちらが何を望んでるか、どこに行けばそれが一番簡単に叶うか。しっかり考えておられるの」
「……結構気合入れてたんだけどな」
「そういうのは下に降りてからね。蒼羅様が降ろしてくれた場所ですぐに大変な目に遭うなんて私は経験ないわ」
「そうなんだ」
つまり今の時点では緊張しても仕方ないのか。それでもさすがにこの状態は恥ずかしいので手を離した。通り過ぎる人達の姿を見る。肌の色が違う以外は大八洲国の四層と似ていると思った。
ただ科学が発展していない分、こっちの方がファンタジーだ。
空を見上げると竜籠に乗った人の姿が見える。おそらくワイバーンだと思う。ここの人間たちでもワイバーンならば操る方法があるようだ。科学がなければないなりに魔法で発展しているのか。
ここはどんな世界なのかじっくり探索してみたい衝動がある。
「でもやっぱりほとんど見ずに通り過ぎるんだろうな」
「祐太ちゃんは大八洲国もそんな感じだったものね」
並木道に差し掛かる。足元は石畳だ。頭に角がついた白くて立派な馬が馬車を引いている。きっと姫様なのだろう綺麗なお嬢様が座っていた。他の人間がその馬車を憧れるように見つめる。本当に昔の西洋に来たみたいだった。
漫画の主人公だとこういうお姫様と関係を持つんだろう。でも多分というか100%関わりがなさそうに思う。だってそんなことしてる暇ないし、例えお姫様でもこれ以上女の人は増やしたくない。
並木道を通り抜けると橋がかけられている。木の枝の上でも樹皮の隙間に川が流れているようだ。その橋を渡った正面だった。街中に本当にぽっかりとダンジョンゲートが1つだけあった。みんな近づいても来ない。
探索者以外の人間が住んでるのだから、ここの人たちにとってはダンジョンゲートは何の意味もないものだろう。それでも王族がいるんだ。やっぱり探索者じゃないといってもレベルは多少上がってるんだろうか。
先ほどの綺麗なお姫様を思い出しながら、テレビで見たフランスの街中に現れたダンジョンゲートも思い出した。そのゲートに迦具夜が触れる。何か言葉を高速で呟いた。1秒もかからずにそのまま手が中に入っていく。
本当に入れるようだ。俺はそれについて行った。
「ここは……」
ダンジョンから出てきたというのにその景色はほとんど変わらなかった。それでいてどこにも人の気配がなかった。右に3つのダンジョンゲートが並んでいた。そして左側には崩壊したダンジョンゲートが一つある。
崩壊したゲートを入れると合計5つ並んでゲートがある。中級ダンジョンのようだ。崩壊したダンジョンゲートは、周囲の石の囲いがなくなり、ダンジョン崩壊を起こしたままのものであった。
聞いた話では2年間誰も探索者が入らなかったダンジョンゲートは、中でモンスターが溢れ返り、こういう風に一番目のゲートだけが崩壊するそうだ。
「少し待ってね。調べるわ」
迦具夜の瞳が閉じられて、探索している範囲を広げていく。
「【地理座標緯度: 45.7589, 経度: 4.84139】ね」
「ああ、フランスのリヨン歴史地区になるのか……」
まだ伊万里の母親と俺の親父の仲が良かった頃、俺たちは結構海外旅行に連れて行ってもらった。その中にフランスもあり、確かに幼い頃の記憶にこんな街並みを見た覚えがあった。旧市街の街並み自体に変化はない。
しかしフランスは国全体でダンジョン崩壊をおこしていた。カインのいるイギリスと逆のことをしようとしたのがこの時死ぬほど裏目に出た。その行動は破滅的な結果を生み、カインとの関係がうまくいかないこともあり、フランスもまたダンジョン政策でアメリカ並に遅れた。
フランスならばどこもかしこもかなりの被害を受けたという話だったが、住んでるものがいないのかと思えるほど気配がない。モンスターは建物破壊はしないので、建物がそのままなのだが、それだけに人の気配がないのが異様だ。
まあ見てても仕方がないのでさっさと隣のシルバーエリアのゲートをくぐろうとした時。
「ゴアッ」
そんな声がしてそちらを見る。1番目の崩壊したダンジョンゲートからゴブリンジェネラルが出てきた。その後ろからもぞろぞろとゴブリンが続いて出てくる。ダンジョンは一度崩壊するとそのまま開きっぱなしになる。
どれだけ駆除しても無限に出てくるので、レベル100以上の探索者がダンジョンゲートの前に常駐してモンスター駆除をしてくれないと街を放棄するしかなくなる。これが意外と人員がいるのだ。
そのせいで世界には今管理できなくなっている都市がいくつもあるという話だ。
「酷いな」
その規模は50体ほどの群れである。ゴブリンジェネラルと俺の視線ががっちりとあった。向かって来ようとしたジェネラルの体が真っ二つに割れた。千代女様が斬ってしまったのだ。
「少し心が痛みますね」
「ゴブリンに対して?」
千代女様にしては意外なことを言うなと思い目を瞬いた。
「いえ、2ヶ月ほど前、門の警護に当たっていた探索者をかなり殺したんですよね。フランスもダンジョン開放をして結構落ち着いてきたのですが、ようやく新人を抜けて国を守ろうって意気込んでる探索者でした」
「うわー」
千代女様は俺たちが死神に襲われた時、欧州でかなりの破壊活動を行っていたようだった。その1つが、
「まあ大丈夫です。証拠は一切残してません。暗殺しましたから」
千代女様はさらっと口にしている。実際それはかなり効果的なことだ。探索者の常駐は、コスト面で考えても相当な負担になる。ようやくその人員を輩出できるようになったフランスでやれば、もはやエグいなどというものではない。
「やるかやられるかですよ。探索者の国際規定なんてまだありませんしね。今は何をやっても違法じゃありません。そもそも向こうもかなりむちゃくちゃやってきましたしね」
まあ確かにそうだ。英傑の一人に自殺しろとか、舐めてるとしか思えない。おかげで日本は俺の口車なんかに乗らなきゃいけなくなった。そう考えるとこれも仕方がないのか。
千代女様は俺に向かってくるから、ゴブリン軍団の首をあっさり全て落としてしまった。
「かなり深い階のモンスターまで出てきてますね。ワイバーンまで飛んでますよ」
そう言われて空を見上げる。人間の男が口に咥えられていた。そのまま丸呑みされる。自分なら今のこの街の状況を一瞬で助けられる。行動に移すべきかと思うが、後味の悪さはあるもののこの状況が日本にとっては助けにもなってる。
この状況を回復させるのに高レベルや中レベルの探索者の手がかなり割かれる。その状態がひどくなればなるほどカインは戦争どころではなくなる。
それに今助けたところで、常駐してこの前でいないとダンジョンは一定数からゴブリンの数が減ると再度モンスターを蘇らせてしまう。常にいないと常に出てくるのだから、俺のこの場での行動は偽善にしかならない。
せめて日本が同じことにならないように一刻も早くシルバーガチャを回しに行くべきだった。改めて思う。どちらが正しいかで戦争をしているんじゃない。どちらがより優位に立つかで戦争をしているだけなのだと。
俺はシルバーエリアの入り口をくぐった。





