第二百六十六話 到着
ダンジョンからの力の流入を感じる。体に力が満たされていく。レベル400。中レベル探索者としてもかなり上位に位置する探索者になったのだ。地球のトップランキング1000はつい最近までレベル400台の人もいた。
「つまり探索者として上位1000近くになったってことか。実感がわかないな」
地球ではもう10億人を超えてダンジョンの中に入っている。スポーツの競技人口でこれ以上の競技人口になった競技は一つとしてないだろう。その中の1億人以上はまだダンジョンに入り続けている。
探索者の上澄み部分に入ったと言える。自分が特別などと思うことはばかばかしい。多くの場合それはただの妄想だ。それでも、俺という人間には何かがある。それだけは間違いないと思う。それぐらいこのレベルアップ速度は異常だ。
これで迦具夜が神の座につけば、あるいはルビー級に……。
「俺が……ルビー級?」
まだ青蛙を倒した場所から動きもせず、考えてしまう。
「というか暑いな」
いや、暑いというより熱い。超速で動いた義体を見ると服までなくなり赤熱していた。義体の色が1000℃を超えているんじゃないかと思うほど赤い。自動で熱の排出機構が働く。蒸気の音を響かせ、凄まじい熱量の排出を始める。
大きな水泡がいくつも周囲に浮かび上がる。自分の姿を隠すほどだ。
「少し待つか」
モンスターとはいえルビー級を殺せた。
「早く会いたい」
頭に浮かんだのは俺を押し上げてくれた迦具夜たちの姿だった。体が36度5分に戻ると、水流を操り、迦具夜たちのもとへと戻る。その間にマジックバッグを確認する。シルバーとゴールドのガチャコインがあった。思わず顔が緩む。
探索者にとってガチャコインはお金に変えられないほどの宝物だ。特にガチャ運の良い俺にとっては財産そのものだ。
「アレだな。コインって全部柄が違うんだな」
4つのコインを取り出して眺めながら思う。ストーンコインはゴブリンだった。ブロンズコインのデザインは鬼である。その姿はどこか大鬼を思い出させた。これがシルバーコインになるとワイバーンがデザインされていた。
そしてゴールドコインは白虎様のような虎のデザインである。コインが上のクラスになるほど描かれるモンスターも強くなっている。そんな印象があった。ルビーだとどんなモンスターになるんだろう。
迦具夜に聞けばすぐに教えてくれそうだけど、やっぱりこういうのは自分で確かめたい。
「ともかく焔将がいなくなったわけじゃないみたいだから安心したけど、代わりの武器がな」
焔将の魂は残ってるし、それならいずれは復活してくれるらしいが、今の手元にないということは早急に新しい武器がいる。それにゴールド級になったことで俺の出せる出力が余計に上がる。美火丸じゃ握っただけで壊れかねない。
でもシルバーガチャがあるのはやはりシルバーエリアだろう。ゴールドガチャもゴールドエリアにあるのだろう。
「ガチャだけでも回させてもらえれば……」
ステータスを確認するとガチャ運がさらに上がって【8】になっていた。翠聖様にレベルを上げてもらった時は、上がってなかったのだが、今回の61日間で300の時と400になった今の瞬間に一ずつ上がったのだ。
このガチャ運だと今回の報酬であるシルバーコイン200枚を回せば、シルバー級専用装備をコンプリートできるかもしれない。
「そうすればさらに迦具夜を延命させる確率が上がる」
シルバーガチャを回すことがかなり重要だ。だからユグドラシルでシルバーガチャを回す方法を考えながら泳いでいく。
「ユグドラシルでこっそりシルバーエリアに潜り込むしかないな」
さらに俺は新しく生えたスキルと魔法と精霊魔法も確認した。
ルビー級魔法【蒼天核】
ルビー級スキル【黒焔竜刃】
ルビー級精霊魔法【操り人形】
改めて何だこれと思うぐらいルビー級が並んでいる。ゴールドに到達したばかりのはずなのだが、ルビー級が3つ。
「大変なことがありすぎるぐらいあるのに顔が緩んじゃうな」
自分の強さにとってはあまりにもいいことが起きた。この神の座の争いが終わった時、俺が死んでなければ、確実に世界の支配者層である。漫画の主人公ならそんなのおまけぐらいに思うのだろうが、俺は正直それが嬉しかった。
人を支配してひどいことをする気はない。でも今までの経験からしても支配される人間でいるのは楽しくない。それならば支配する側に回った方がいいに決まっている。
「どこまで行けるんだろう」
そんな期待を抱いてしまうほどの結果だ。それを一刻も早く見せたい3人がいた。あの3人に褒めてもらえることが最近かなり嬉しかった。【水龍の導き】が見えてくる。
俺はその中に吸い込まれた。
少しだけ外との違和感があり、中に入る。迦具夜と弁財天と千代女様。3人が俺の方を見てくれた。
「ただいま。無事に青蛙を倒したよ」
「本当に良かった」
弁財天が最初に抱きしめて喜んでくれた。俺も抱きしめ返した。そしてお互い深く接吻する。舌を混じり合わせた。離れると弁財天が泣いてた。倒せなければ死ぬ。それぐらいの覚悟をしていた。それが分かっていたのか。
「心配かけてごめん」
「勝手に心配したのは私よ。そしてこの60日間無茶をさせ続けたのも私よ。謝るなら私よ。祐太君。しんどかったのによく頑張ったわね。あなたは本当にすごい人よ」
「そうやって甘いことを言う。俺はただ弁財天の世話になっただけだ。自分がすごいとは思わないよ」
「ねえ、好きって言って」
「好きだ」
実際はどうなのだろう。女の人に優しくされると、自動的に好きになっている。知能もだいぶ上がったのに自分のそういう心が未だに理解できない。
「私も好きよ。だから私と最後まで一緒にいてね。離れたくないの」
「もちろん一緒にいるけどさ。俺の方が先に死ぬかもしれない」
「その時は……きっと私はあなたの後を追うわ」
その言葉に伊万里を思い出す。
【東堂伊万里があなたを裏切りました】
どうして……。
考えそうになり弁財天を見る。
何一つ疑っていない目を向けてくれた。今はこの視線を向けてもらえるだけでも癒された。
「青蛙にさ。悪いことをした気がするよ」
またいい子ちゃんぶってる。自分でも呆れた。
「まあ基本的にモンスターは自分の生存圏を確立しているだけだものね。特に海にいるモンスターはよほどのことがない限り、私たちの生存圏に入り込んでくるわけでもないし」
「だよな」
「でも私はやっぱり青蛙の命よりあなたが強くなる方が嬉しいわ」
「祐太ちゃん、弱いものは死に強いものの糧となる。それが自然の摂理よ」
死が近づいてきている。そのことを感じているのか迦具夜はそんなことを口にした。
《迦具夜。あとどれぐらいもちそうだ?》
弁財天が離さないものだからその状態で、畳に座った。迦具夜と千代女様はその近くに腰を下ろした。そして【意思疎通】で心配事を尋ねた。
《まあ何もなければ半年は持たせてみせる。それは変わらないわ》
つまり何かあれば半年もたない。悪神と出会う必要性があることからも、それもかなり難しい。それでも迦具夜が生き延びて桃源郷の神になる。それが一番、迦具夜陣営も納得するはずで、何よりも俺自身がそうなってほしい。
《できるだけ俺が自分で何とかできるように頑張るよ》
《祐太ちゃん。あなたも死にそうだってこと忘れてるでしょ?》
迦具夜がそう言うと意識を3人との会話に戻した。なんだか放っておくと迦具夜が死んでしまいそうな気がして、弁財天に抱きしめられたまま迦具夜の手を握った。自分は何だかんだで結局死なないから大丈夫だとこの時思った。
自分の方がはるかに脆弱な存在だ。
でもそんなこと忘れていた。
「じゃあまずこれね」
そう言って迦具夜が出してきたのは仙桃だ。
「それいる?」
「ほら、祐太ちゃんとくっつくのは後にしましょう」
千代女様がうまく弁財天を離してくれた。
「もちろんいるわ。祐太ちゃん。さすがにもういいでしょ。あなたの体を復活させましょう」
「……いや、迦具夜。俺はもう義体の方が使いやすいんだよ。それなのに貴重な仙桃を食べる意味があるか?」
できればこのまま義体を使っていたい。この義体には迦具夜と弁財天と千代女様の思いが詰まっている。そしてクリスティーナとミカエラとアウラもいる気がして、とても心地よいのだ。
「ダメよ。それにその体は別の用途があるから切り離してしまいましょう」
「別の用途。そうかそれなら……」「ダメ」
それなら体を2つ造ればいいじゃないかと思ってしまう。だが迦具夜が叱るように言ってきた。
「なんでだ。もう一つ同じ体を造るから太陽石をもう1個くれたら……」
その言葉を言い切りかけて止めた。それじゃあ強請れば何でも買ってもらって育った子供みたいだ。
「あげません。祐太ちゃん、あなたはこのクエストが終わったら転生をすることになるのよ。その転生が義体を使う奇妙な種族になってもいいの?」
「奇妙な種族?」
「首だけしかない他の種族に寄生して生きる【首狩り族】。自分の命を持たず他人の命を吸って生きる【食精族】。無機物に命が宿った【人形族】。最後のはからくり族とはまた違うのよ。そういうのに転生しちゃってもいいかって聞いてるの」
「それは……困る」
さすがにそんな転生は困る。だが俺がルビー級になることを迦具夜も意識しているようだった。
「転生……」
「そうよ。私は今回の報酬であなたをルビー級にすると決めてるわ。だからちゃんと自分の体で動いておいた方がいいわ。そうすれば、あなたならきっとかなり良い転生先になる。だからちゃんと仙桃を食べる。いいわね?」
「分かった」
「はい。どうぞ」
俺は迦具夜の手から仙桃を受け取った。義体をつけたままで口に運ぶ。とてつもなく美味しいと感じる甘い汁が口の中に溢れて、体がないはずなのに、そのエネルギーが体中に行き渡っていく感覚がする。
自然と義体はいらないものと判断され、首から下が離れる。そしてにょにょきと自分の体が伸びていく。神経に血管に骨に内蔵。そして皮膚が形成され、それが整い始める。
仙桃の治癒力はえげつない。なくなった体の全てを綺麗に再構成していく。ゆっくりと再構成された体の動きを確かめる。今の俺は裸のままである。伊万里たちともそうだったけど、この3人を相手に見せて恥ずかしい部分もない。
というかいい加減女の人に自分の裸を見せることに慣れてしまった。何よりも自分のミケランジェロの彫刻の如き、綺麗な体に自信があった。完全に体が再生してマジックバッグから取り出して、【天変の指輪】をはめる。
ジーパンと簡単なTシャツ。ラフな服装にしておいた。
「なんだかほっとするわ。さすがに祐太君の首から下がないのは何だか違うなって思ってたのよ」
弁財天が言ってきた。
「本当ですね。久しぶりに祐太ちゃんの体が触れます」
千代女様もそう言って、体を触ってその感触を確かめられた。そして、"声"が聞こえた。この2ヶ月ずっと聞いていなかった声だ。
「とうちゃくした……にんげん……これいじょうはどくになる……」
水龍神・蒼羅様の声が聞こえる。迦具夜から寂しがりだと聞いていたから、別れを惜しんでいる声に聞こえなくもなかった。
「着いたか。蒼羅様、本当にありがとうございました」
俺は畳に正座するとちゃんと頭を下げた。この中にいる限り絶対に安全、そういう安心感がかなりあった。それぐらい蒼羅様は力強い波動に満ちていた。そして俺は誰かに頼れると思っている甘えた思考を切り替えていく。
ここから先に進めばもう甘えられる場所ではなくなる。
「かえりにまたあう……それまでおわかれ……」
「その時はよろしくお願いします」
「かぐやのおもいびと……かぐやをまもってあげてくれ……」
そんな声が返ってきた。俺が迦具夜を守る。そのつもりはもちろんあるが、その実力がない。レベル400。最初に出会った中レベル探索者穂積ももう恐れる必要のないレベル。しかしまだ足りない。
「それでも絶対に守ってみせます」
「それでいい……じぶんのこころにしたがう……じぶんがいちばんやりたいとおもうことをできる……つよくなり……そういうにんげんになっていく……がんばれ……ひとはただししくあればかがやける……」
正しさなどに何の自信もなかった。悪いと思えることもやった。それでも本来は正しくあろうとするべきなのだろう。俺は今、迦具夜に生きててほしい気持ちでいっぱいになってたから、その気持ちに素直に従うことにした。
蒼羅様が頑張れと言ってくれたことが妙に心に残った。【水龍の導き】が蒼羅様の体を離れていく。どんどんと深海から海面へと向かう。
《迦具夜。別に死んでもいいとか思うなよ。もっと長く生きろ。そのために俺も頑張るから》
《あら、そんなこと言われると生き延びてみたくなるわね》
《そうしろ》
《はいはい》
迦具夜は自分の命に頓着がなくなってきているように見えた。そのことが心配であった。蒼羅様の光に包まれていた場所から、深海の暗い場所を抜け、ほの明るい場所へと出てくる。蒼羅様のいる場所が海の超深層で、ほの明るい場所が中層。
それほど強くない海のモンスターがうろついているのが見える。そこからさらに海面へと浮かび上がる。明るい空が広がっていた。太陽が照りつけている。久しぶりに見る光景だ。そしてすぐに目についたものがあった。
「あれがユグドラシル……」
どうやらこの世界には翠聖樹よりもまだ巨大な木が存在したらしい。視界いっぱいに広がる樹木の幹。それは空の景色のようだった。目の前の全てが木だ。
「世界そのものを支える大木……」
「大きいのね」
「私も見るのは初めてだけど、大八洲国で調べた限りではユグドラシルは木そのものに世界が存在しているみたい」
迦具夜が口にした。貴族の中でも彼女はかなり物知りらしい。
「へえ、みんな木の上に住んでるのか?」
猿がイメージとして浮かんだが、これほど大きい木だと、そのイメージは正しくないのだろう。ユグドラシルも地球と同じぐらいの面積を持っているのだとすれば、それはもはや大陸と変わらない。
「そうよ。ここでは全ての人間が木の上で住んでる」
「なんだか不思議だな」
「ユグドラシルの一番上が神の住まうアースガルズ。二番目が貴族の住んでいるアールヴヘイム。三番目が探索者の住むニヴルヘイム。四番目か人間が住むミズガルズ。五番目が悪神の支配種族が住むニザヴェッリル。そして最後に一番下にある六番目の世界、私たちがこれから向かわなければいけない場所。悪神の住むヘルヘイム。この世界は合計六層に別れているそうよ」
「六層へはいきなり行けるのか?」
「すぐに入れるのはミズガルズかららしいわ。そこから下に行こうと思えばユグドラシルを降りていくしかないそうよ。それに大八洲国みたいに神が完全優位の世界じゃなくて、悪神もかなりの勢力を持ってるみたい。そのせいなのか科学技術はほとんど発展させてなくて、転移できる門もないから、物理的にちゃんと降りて行かなければいけないのよ」
「国によって結構状況が違うんだな」
ユグドラシルという大木を降りていく。それが世界そのものを降りていくことになる。蒼羅様の時と同じく、迦具夜に触れて【水龍の導き】から出て行く。大きすぎてユグドラシルの全体はよくわからなかった。
ただ俺たちは砂浜に到着して、ユグドラシルにおける四番目の世界、ミズガルズの大地を踏んだ。





