第二百五十八話 蒼羅
海に出るための準備と言っても何も用意する必要がない。常にマジックバッグに食料は大量に買い込んであるし、この体だとほとんど食べなくても生きていける。問題があるとすれば1つだ。そもそも海が危険なのだ。
伊万里達からも聞いていたが、迦具夜も「海だけは普通に渡れば私でも命がけ」と言うぐらい危険。近海では神の威光があるので、一般人でも漁ができるそうだが、少し離れるとモンスターとの遭遇率が非常に高くなる。
その危険度は、陸地から500㎞も離れるとルビー級のモンスターと必ず出会うぐらいだそうだ。そしてまだ恐ろしいことがある。それが、
【悪神】である。
元は桃源郷や本州などにいた存在らしいが、神からその地を追い出され、大八洲国だけでも神と同じく12柱がいる。
「やっぱり悪い神様もいるんだ」
俺が説明を聞いて口を挟むと、迦具夜が答えてくれた。
「普通にブロンズエリアをクリアするだけなら出会うこともない。だって大八洲国の外側に追い出されてるから、物理的に会わないのよ」
「でも俺たちは国から出るよな」
「そういうこと。悪神は神の威光がある大陸から離れた人間を食べようとしてくるわ。本当に文字通り食べるの。人間がモンスターを倒すとレベルアップするのと同じで、悪神も人間を食べると自分たちが強くなるのよ」
「嫌な相関関係だな」
「まあそうね。おまけに私たちはそんな海の中に入るしかない」
そんなに海が危険ならば転移門や空はどうなってるのかと思い聞いた。
「他国に繋がっている転移門は、国が厳重に管理してて、今回の神の座の争いでは使うことを禁止されてるわ。空の移動も考えられるけど、索敵特化型の貴族だと私たちの位置を掴むことが結構簡単なの。だから普通だとどちらを選んでも狙われすぎて探索どころじゃなくなるわね」
「俺たちを潰せば日本の介入は終わりだから、他家からの攻撃は相当過激になりそうだな」
「日本のおかげで一気に他家にとって、不利な状況になったもの。私たちをかなり殺したいでしょうね」
「避ける方法はあるか?」
伊万里のように海には出たことがない俺は、その辺のことが全く理解できなかった。
「もちろん海の中に潜ることよ」
「だから海には怖いモンスターがいるんだろ?」
「祐太ちゃん、そのための私よ。私は水の精霊に転生しているのよ。海は私のフィールドと言ってもいいわ。それにここで私の専用アイテムを使うと言ってたでしょ」
「それって迦具夜専用のルビー級アイテムのことだよな。どんなものなんだ?」
自分の手の内を明かすことになるので、あまり人には見せたくないと迦具夜はずっとルビー級アイテムのことを教えてくれなかった。
「今出すわね」
迦具夜が空間から専用アイテムを取り出す。それは占いに使われるような大きな水晶玉を握った青い龍だった。それが迦具夜の手のひらの上に浮かんでいた。1mほどはあり、結構大きくて、龍も含めてうっすら輝きを放っている。
俺のマジックバッグにまだ入ったままの炎帝アグニ。それに通ずる内包されたエネルギーを感じる。ぎゅっと凝縮されたエネルギーは、それ自体が生きているようにも思えた。
「何だか凄そうなアイテムだな」
「【水龍の導き】と呼ばれるものよ。これはね。ブロンズエリアにおける最古の四龍、炎、水、土、風のうちの【水龍神】へと導くものなの」
「触ってみてもいいか?」
「ええ、もちろん」
チョンッと触れてみる。
「どう?」
俺の反応を期待するように迦具夜が見てくる。
「不思議な感じだ。頭の中に水の流れを感じる。海や川や湖、そこにある全ての水の流れ、その中に宿る命。水そのもの。この世のありとあらゆる水そのもの。そんな感覚……」
「さすが祐太ちゃん。かなり正解に近いわよ」
嬉しいようでぎゅっと抱きしめてくる。そうされると色々当たるのだが、突き飛ばすこともできない自分がいた。もう許してしまって関係を持てば気持ちいいのだろうなと思ってる。この辺、女にはだらしない俺がいる。
「それでどういうものかちゃんと教えてくれよ」
迦具夜の胸の中で尋ねた。迦具夜が離れて【水龍の導き】をよく見せてくれた。
「最古の四龍は長く生き過ぎて、ほとんど自然と一体化した存在よ。それにとても大きいの。大きい分だけ意識がゆっくりだから、私たちにははっきりとはしないけど、これを使うとそんな水龍神と少しだけアクセスできるの。水の精霊たる私にしか使えないのよ」
「へえ」
不思議と迦具夜と二度も魂を融合させたからだろう。少しだけ接触できる気がした。触っていた指がそのまま水龍が握っている宝玉にめり込んでいく。どんどんどんどん入り込んでいき、その中に感じる水龍のとてつもない大きさを感じる。
あまりに大きくて俺の意識など塵芥のように薄れて行き……。
「駄目」
そのままどんどんと指が中に入っていこうとしたのを迦具夜が手首を握って止めた。腕を引き戻される。そうすると手首から先が水のように溶けてなくなっていた。
「祐太ちゃん。ルビー級専用アイテムというのは意識があるの。それはとても強いもの。おいそれと触るとこんなことになっちゃう。まあ、これも勉強よ。はい」
迦具夜は平気そうに仙桃を俺に渡してきた。
「戦ってもいないのに食べていいのか?」
普通の桃のように出すような代物ではない。そう思って聞いた。
「いいわよ」
「……仙桃は大事なものなんだから簡単に使うなよ」
世界中の人間がこれを欲しがっているのだ。あれば命1つを買えるようなもの。どんな難病も治すことができ、どんな怪我も癒すことができる。本当なら一生ものの怪我になるはずが、すぐに手首から先が再生してきた。
「怒った?」
迦具夜は俺のあらゆる反応を楽しんでいる。じっと見てきた。
「怒ってはないけど……このアイテム本当に便利なものなのか?」
俺は便利なのはわかりつつも疑わしそうにした。惹かれそうになるのを抑えるのに必死だった。そうすると弁財天様が口を開いた。先ほどから黙って俺たちのやり取りを見ていたのだ。千代女様は相変わらず姿が見えない。
「私あまりそれを使うのは窮屈で好きじゃないわ。まあ今回は使わないわけにはいかないけど」
「文句を言わないでよ。これが一番安全なんだから。あなたはさっさと狐魅を出して。千代女さん、出てきてくれるかしら」
「何ですか?」
とあっさり千代女様の姿が見えた。とある浜辺でのことだ。俺たち全員が気配を消している。だからたまに人が浜辺を歩いているのだが、誰一人としてこちらに注意は向けなかった。
「これで移動します。一緒に千代女さんもきますか?」
「ああ、どうしようか悩んでたんですけど、迦具夜さんは水の精霊さんでしたね。じゃあその方がいいですね。お願いしようかな」
「では全員、私の体に触れてください。祐太ちゃんもどこでもいいから素肌の部分に触ってね」
そう言われても変な部分に触るわけにもいかず、弁財天様と千代女様が迦具夜の手首に触れたので、俺は悩んだが首を直接触った。迦具夜がこの世ならざるほどの綺麗な美貌で微笑みかけてくる。
迦具夜から向けられる俺への無償の好意。そうすると、実際にはやられてもいないことを憎み続けることが難しい。俺の心はもうかなり迦具夜を許しそうになっていた。
「いいぞ」
「じゃあ祐太ちゃん。ちょっと気持ち悪いけど、私がいいと言うまで離さないようにしてね」
迦具夜は海に【水龍の導き】を投げ入れた。そうすると【水龍の導き】が海中に沈んでいき、迦具夜が空中に浮かび上がる。それに合わせて迦具夜に触れている俺たちも浮かび上がり、少し進んだところで足が海中へ入っていく。
そのまま頭まで海中に入り、それでも体が重くなった気がせず、濡れた感覚もない。どうやら迦具夜が俺たちの周りに膜を張ってくれているようだ。先に海中に入っていた【水龍の導き】に迦具夜が触れる。そうすると俺たちの体が縮む。
いつの間にか現れていた狐魅も子狐サイズに変化していた。迦具夜の足首に触れていて同じようにさらに縮んでいく。
「祐太ちゃん。これで【水龍の導き】の中に入るわよ」
「……わかった」
【水龍の導き】
その水晶の中に溶け込むように呑み込まれていく。その瞬間は体がぐにゃぐにゃになり吐き気がしそうなほど気持ちが悪かった。意識が暗転する。その状態が思ったよりも長く続いたように感じ、どれぐらい経ったのか……。
「——祐太ちゃん。もういいわよ」
足元がしっかりしていた。そのことで足元を見ると畳が敷いてあった。周りを見渡す。畳だけの6畳の部屋に俺たちは現れていた。弁財天様は窮屈だと言っていたが、海中にいて部屋があるだけでもすごいことに思えた。
「ここは?」
天井と壁が透明で存在しないように見えた。そして水龍と呼ぶべき姿で、この部屋を水晶として握りしめて海の中を泳いでいる存在がいた。それがそのまま深海へと急速に泳いで潜行していく。
「大八洲国の海、いえ、ブロンズエリア全体の海は危険だから、こうして移動するのが一番いいのよ。【水龍の導き】を使えば海の中は安全だし、海の生き物は【水龍神】には手を出してこないの」
「じゃあこのままユグドラシルに向かうんだ」
この小さいのが水龍神なのだろうか? 言葉選びを間違えるとすごく失礼になる気がして聞けなかった。
「そうよ。ただこの子にもちょっと弱点はあるの」
「どんな?」
「遅いのよ。それにこの子の中にいる間は外との連絡が取れないの」
「……そうなんだ。スピードはどれぐらいなんだ?」
「祐太ちゃんに分かりやすく言うと時速5400kmぐらいかしら」
「結構速くない?」
地球では海中だと時速100kmでも出せれば最高速である。それが時速5400㎞である。海中での音速ぐらいある。俺だと海中でそんな速度は絶対に出せない。それ以前に普通の移動方法では水の抵抗が強すぎて絶対出せない速度だ。
「ブロンズエリアの海は広いのよ。速いと思えるかもしれないけど、ユグドラシルまで2ヶ月もかかることになるわ」
「2ヶ月……スピードの割に結構かかるな」
「だって広いんだもの」
「帰りの分を入れたら向こうでの探索期間は実質2ヶ月ぐらいだな。それだと俺たちは他の三種の神器を見つけることは無理だ」
「当然。あとここに来てから言うつもりだったのだけど。他家の貴族を私達に引き寄せないために、ユグドラシルを担当するのも私たちだけよ。だから私たちは絶対に三種の神器の一つは見つけなきゃいけない」
「海は安全で隠密に動く代わりに、ユグドラシルでは頑張れってことか」
「そういうこと。私はこのことを森の王にだけは言っておいたわ」
「そっか……」
正直今回の行動をまだ悩んでいた。俺みたいな中学生からちょっと足が出たぐらいの子供が、日本の運命を左右するようなことを言い出して良かったのか。そう思えてくるのだ。そしてそう思えてくると不安になる。
でも、不安がっても全てはもう止まらない。【水龍の導き】が俺たちをどんどんと海の奥へと誘っていく。周囲の景色は、壁も天井もないように透明なので、はっきりと見ることができて、今のところ穏やかだ。
それが1時間ほど経過した時だった。
見たこともないような巨大な生物が泳いでいるのが見えた。
いや、岩肌か?
そう思えるぐらい大きい。
でも、動いてる? 鱗?
【水龍の導き】が水の中へと潜るのがおさまると、100mほど離れた深海で、ほんのりと光る巨大な鱗のような物が動いて見えた。
「あれはなんだ?」
なんとなく見当がつきながらも聞いた。岩肌が動いているようにも見えたが、多分あれが、
「【水龍神蒼羅】様よ」
「蒼羅様……水の神様みたいな人?」
「人ではないわよ。それに神様というのも少し違うかもしれない。ただブロンズエリアで最も長く生きている。あれが最古の四龍よ」
「最古の四龍……」
「普通に生きてると貴族でもその姿を見ることはないわ。この【水龍の導き】は蒼羅様の一部として海の中を移動することができるアイテムなの。まあ要はあの方に守ってもらいながら移動するわけ」
「へえ、それは何か安心感がすごいな」
「まあほぼ間違いなく安全よ」
「なあ、蒼羅様はどれぐらいの大きさなんだ?」
「私も知らないわ。興味があって調べた神もいるらしいけど、結局わからなかったみたい」
「生き物なのか?」
「もちろん。生きておられて思考もちゃんとあるわよ。水の精霊になると感じられるわ。祐太ちゃんも私と繋がってるから少しは感じない?」
「……」
静かに心を静めてみる。
「にんげん……のりたいのか……」
そう聞こえた。
「いいですか?」
「……かまわぬ……いそぎはできないが……」
「十分です。ありがとうございます」
「いい……かぐやのおもいびと……まもってやろう……このうみのなかにいるかぎりは……」
「本当に喋ってる」
蒼羅様の中に【水龍の導き】が入り込み一体となる。俺が見ていてもどこまで大きいのかわからないような巨大な龍である。それが海の中をゆっくりと移動している。それは俺の理解を超えたものだった。
「よかったわね。蒼羅様はあまり人とは喋ってくれないのよ」
「お前のおかげだと思う。迦具夜のことを言ってたから」
「でしょ。まあ見た通り、蒼羅様はあまりにも巨大故に急激に移動したりはしないのよ。そんなことすると移動しただけで国が滅んだりするの。だからゆっくりゆっくり動いておられる」
「周りに迷惑をかけないようにしてるんだ」
もはや感心するしかなかった。そりゃこんな大きな存在が、海の中に存在し、移動しているだけでも驚きだ。少し身をひねっただけでも大津波が起こりそうだ。高速移動などした日には大地震になりそうだ。
「祐太ちゃん。もう装備も脱いだっていいわよ」
「そうみたいだな」
移動の間にこれに襲いかかる愚か者がいるとは思えなかった。俺は焔将の装備を外して腰を落ち着けた。六畳間で周囲を見渡す。壁も天井も透明だから海が見えた。かなり深海にいるようだが蒼羅様自体が青白く輝いている。
巨大な亀が目の前を悠然と通り過ぎていく。蛇の姿も見えた。魚もでかい。蛙もいた。全ての生物は島のように大きい。その中で蒼羅様が一番大きいのか。深い海の底には、こんな世界があるんだな。
俺はその光景をずっと眺めていた。
飽きることなくずっと見ていることができた。
それにしても……。
「……」
「言ったでしょ。窮屈だって」
弁財天様は俺がそう思っていることに気づいていたのだろう。横に座って言われた。反対側には迦具夜が座る。千代女様は隣ではないが近くに座る。大人の女3人と男が1人、六畳間に居る。女の人のいい匂いがすぐに部屋の中に充満した。
「贅沢かもしれないけど、確かにちょっと窮屈ですね」
赤い着物を着た弁財天様。緩やかに着物を着ていて胸元が少しはだけている。着物がよく似合っており、胸はほどよく大きい。血のように赤い唇。花魁のような雰囲気がある。結婚せずにずっと生きてきたのだという。
俺との距離感からして男の人が嫌いというわけでもないようだ。どうして結婚しなかったんだろう。迦具夜みたいに過激な性格というわけでもないだろうに。
「それにこの中とても退屈なのよね」
「でしょうね」
残念ながら娯楽施設は完備していないようだ。
「ねえ」
「はい」
「私と二ヶ月の間ずっとエッチなことして過ごしましょうか? そうすればかなり時間が経つのも早く感じられるわよ」
「……冗談」
思わず胸がドキリとする。きっと冗談だろうと思ったのに少しそばに寄せて座ってきた。そうすると肩が触れ合った。焔将の装備は脱いだから、感触がよく伝わってくる。俺は緊張した。
「結構本気だけどいや?」
「それは……」
俺がここで真面目にしたからと言って何か好転するわけでもない。それもわかっていた。
「祐太君。性行為は嫌い?」
すっと手を取られる。そのまま弁財天様の胸元に俺の手が導かれた。着物の襟からビトリと白い肌に触れる。探索者の体というのはとても元気にできている。当然反応する。理性なんてものはそこまで役に立つものではない。
このまま2ヶ月間これだけの美女たちと狭い空間の中で一緒にいる。何もせずに耐えるのか? 考えていたらどんどんと手が弁財天様の襟の中に入って行き、障害物に当たる。俺はそれを握った。弁財天様の体がピクリと震えた。
思わず何度も手を握ってしまう。
迦具夜と千代目様が気になる。
2人とも特に何も言う気はないようだ。一瞬悩む。迦具夜はクミカと融合したせいか性的に誘惑してくることもなく、俺がそういうことをしていてもただ黙って見ている。それ自体が何と言うか別に嫌ではないようだ。
俺が何も返事をせずにいると、弁財天様が着物の帯をほどいていた。俺がOKしたと思ったようだ。
「じゃあまずは大事な部分を合わせてみましょう」
「弁財天様。俺もこういうのは好きだからいいんです。俺の好きな人達は、俺のこういう部分を諦めてますしね。でも、こういうことばっかりじゃなくてスキルや魔法についても教えてほしんだけど、いいでしょうか?」
「もちろん。言われなくても教えるつもりだったわよ」
弁財天様がそう言ってくれて、俺はこれからの2ヶ月間少しでも強くなるために努力しようと思った。ただ欲求に忠実な貴族の不満も解消する。そして俺も気持ちよくなる。この辺のことをもう俺は割り切るようになっていた。
性行為というものは好きとは別だ。ただ単に気持ちよくなるための行為。弁財天様も俺が好きなどとは思ってないはず。弁財天様を押し倒す。そうすると嬉しそうに微笑んできて、妖艶な顔が近づいて唇を重ねてきた。





