第二百四十九話 レッド
シルバーゲートをくぐり俺たちが出てきた場所は、裏路地のようだった。ホームレスの姿があちこちにあり、正直ちょっと匂う。かなり痩せ細った子供の姿が見えた。自分とダブって見えて、母親と思われる人が抱きしめていた。
まだこの世界のお金は持ってなかったから、マジックバッグから食べ物を取り出す。
「これを」
こちらをじっと見つめる。感謝しているのかしていないのかもよくわからない生気のない瞳。ここでご飯を食べさせてあげたところでどうなるわけでもない。分かっていたがそうした。一気に周囲の人間が集まってくる。
「俺には!?」
「私にもくれ!」
みんなお腹が空いて必死なんだろうと思えた。
「……わかった。ちょっと待ってくれ」
俺はマジックバッグの中にあった食べ物を全て出した。1年は食うに困らない量が入っている。大量に積み上げると我先にと、食べ物の奪い合いが始まる。その姿は醜く、これこそ命がかかっているものの姿かと思った。
「『そのまま放置すると滅びてしまうの世界に行く』と言ったでしょ」
小さな精霊の姿で肩に座っている迦具夜から言われた。
「そうだな」
「キリがないわよ」
先ほど倒れていた子供が、食べ物を口にしているのを見て、俺の偽善の心が納得した。それにしても、いつもここにつながるのだろうか? だとすると出てくるたびに食べ物を期待されそうだ。今度大量に買い込んでおくか。
不思議に思いながら古ぼけたドアが閉まる。再び開けてみると誰も住んでいない空き家になっていた。俺はそれをもう一度閉めて、今度は日本に帰りたいと願って開けてみた。そうすると池袋のダンジョンショップが目の前に見えた。
ダンジョンショップのお姉さんがいつも通り暇そうに座ってる。ホームレスが食べ物を奪い合ってる姿とは対照的な姿。その姿に安堵感を覚え、便利なものだなと思いながらシルバーエリアへと戻る。路地裏から街の表通りに出た。
日本にも昔はあったのだろう露天販売をしている店が、街道の両脇に続いている。少し先に行くときちんとした店構えの商売をしているエリアも見えた。表通りは裏路地とは対照的に結構栄えていた。
獣人や人、ドワーフらしき小人も見えた。
「異世界転生したみたいだ」
「何それ?」
玲香に聞かれた。俺の後ろには体にフィットしたエロいスーツを着た玲香と、メイド服を着たシャルティー、そして執事服を着たままの切江もついてきていた。
「まあいろいろあるんだよ」
「ふーん。まあアニメとかに出てきそうな場所よね」
「聞かなくても知ってるんじゃないか」
「日本に帰ってきた時、深夜にテレビをつけるとやってたのよ。それなりに面白くてそのまま見ちゃう時があったの」
「玲香が深夜アニメね。全然似合ってないな」
気になるのが甲冑を着ている人がちらほらいる。冒険者の装備というよりは、軍隊の装備で統一されている規格。鈍色に光る甲冑を着たものたちが、街のあちこちにいる。最低でもレベル30。強いものだとレベル100を超えている。
誰もがピリピリしている。街を歩いている人々も軍隊と思われる人間が、しょっちゅう見かけられるせいで落ち着きがない。
「探索者が関わらなければ滅んでしまう世界か……」
その言葉を思い出し、耳をそばだてて街の声も拾ってみる。
「聞いたか?」
「ああ、なんか最近、急にレベル200超えるような"野蛮人"があちこちに現れてるんだよな」
「その野蛮人が伯爵家に忍び込んで、レイモンド伯爵の首を取ったらしいぞ」
「なんて野蛮なこと……レイモンド様といえば、この騒乱の世でも、落ち着いた治世を築いてるって噂じゃなかったか?」
「そうだよ。それなのに野蛮人がいきなり夜中に忍び込んで殺したらしい。おまけに屋敷の中の婦人や騎士に『俺に従え』ってバカなこと言い出してさ。騎士団総出でなんとか殺せたらしいが、本当頭のいかれたやつがいたもんだ」
「ただでさえ迷惑な勇者のせいで、火種がくすぶったままなのにな」
「一体いつになったら面倒ごとが収まるんだ」
「"勇者エンデ"の呪いじゃないか?」
「ただの冒険者が公爵とかこの国は一体どうなるんだ」
「おい、もう公爵だぞ。そんな言い方したら誰が聞いてるかわからないぞ」
「だってテオ公爵はただの簒奪者だろ」
「おい、そこのお前!」
勇者の言葉に一瞬ドキッとする。伊万里のことかと思うが、そんなわけがない。伊万里は自分の未来を勝ち取るために、俺とは違うシルバーエリアを探索しているはず。ただ、エンデという名称は気になった。
伊万里の専用装備と同じ名前だ。勇者エンデ? 偶然の一致じゃないとしたら、エンデはひょっとするとこの世界出身の人間……。しかもかなり有名人。伊万里はこの世界にいない。関係があったとしても、それほど問題はないけど。
「お前だ! お前聞いてるのか!?」
「うん?」
どうもこちらに声をかけられている。俺は振り向いた。ちょっとだけ豪華な灰色の甲冑を着た背の高い男がいる。2mぐらいはあると思う。レベルは……。
《96ね。この公爵領の軍隊に所属、剣士タイプで魔法は苦手みたい》
考えていたら小さな精霊の姿になった迦具夜が教えてくれた。額の瞳を開いて緑色になっている。【鑑定眼】を使っているようだ。レベル96で軍隊所属か。自衛隊だとまだ苦戦を強いられそうな強さだ。
その男のさらに後ろに3人続いていたが、気配からして今の男よりも弱いようだった。迦具夜はそれでも一応「右から順にレベル48、52、36ね」と教えてくれた。
「何か用ですか?」
「用ですか? ではない! 見慣れない服を着ているな。お前どこの人間だ? 冒険者か? だとしてもその後ろに侍らせたスケベな女三人は何だ? 真昼間から何を考えている!」
俺は油断するのは嫌で焔将の装備を着込んでいた。日本式のもので、この世界では異質に見える。玲香も日本が開発を続けている戦闘スーツを着込んでおり、フィットスーツは体のラインがしっかりとよくわかった。
シェルティーはメイド服。そして切江は執事服。だが切江は顔が整いすぎていて確かに男に見えなかった。スケベかどうかと言われると……まあこの3人を見ると、普通の男なら下半身が反応しそうだ。
「別に悪いことはしていないと思うが?」
「いいや、最近、野蛮人があちこちに出没するとのことだ。お前のようなやつは悪いことをしていなくても怪しい。ついてこい。詰所で隅々まで調べてやる!」
「正直男の方も悪くないよな」
「へへ、確かに」
やめろ。俺まで性的に見るな。気持ち悪い。
《面倒だ。迦具夜、【転移】するから手伝ってくれ》
《了解》
迦具夜の補助を借りるとすっとその場から消えた。消えた場所でキョロキョロして、周りを見渡している軍隊所属の男達がいる。俺は近くの民家の屋根の上で気配を消した。これで相手はこちらを向いたとしても見ることもできない。
「頭の中身はどうなってる?」
迦具夜に今度は左目の青い瞳【心眼】を使ってほしいと促す。
「テオ公爵領32番隊騎士スカーズ・ゴドイン。軍隊の小隊の隊長さんみたいね。声をかけた理由は難癖をつけて玲香たちとセックスをしたかったみたい。1人かなり男好きの男もいるみたいね。あなたも狙われてるわ。それと肩に乗ってる私を見世物小屋に売り飛ばすってところね。まあその前にあなたが相手をせずに逃げちゃったけど」
「どの道、俺たちから何か取るのは無理だろう。さすがにあいつらには負けないぞ。相手の強さもわからないのか」
「あなた気配を抑えてるでしょ?」
「うん。目立つと面倒だしな」
「それで良い甲冑を着ただけのどこかの商家のボンボンに見えたみたいね」
「だとしてもいきなり難癖つけるかな」
おまけに小隊の隊長といえば、ちゃんと立場のある人間だ。それがいきなり女目当てに何癖つけてくるとか、治安が終わってる。裏通りにもいたが表通りにもホームレスの姿がちらほらと見えた。治世が滞っている。
迦具夜は俺の今いるこの世界でも、まだシルバーエリアとしてはマシな方だと言っていた。だとするとこれよりもまだひどい世界があるということか。米崎が向かった世界とか大丈夫だろうか。
「いきなり殴りかかってこなかっただけマシね。つい最近までこれどころじゃなかったみたいよ。国を分けて内戦が起きて、ようやくそれが収まった。それでもまだ戦争状態のところが多いのね。絶対的な強者もおらず、落ち着くにはまだまだかかりそう。それであいつらもイラついてるのね」
「犯罪は貧困によって起こるか……五公爵はどうなってるんだ?」
「なんとかお互いに潰し合うのはやめようって話になってきてるみたい。それで五公爵がどんどんと国の大事な祭り事を決定していくものだから、反発している国王派だった貴族も多くて、やっぱり落ち着かないようね」
「国王派?」
「勇者の味方になった国王の派閥とそれを殺そうとした貴族の派閥。この2大勢力が争ったみたい。貴族側は勝ったけど国王を殺すのはさすがに躊躇してる。かなり良い国王だったみたいね。殺せば国民から反発される。それが怖い。ついでに王女も美しくて評判がいい。その王女が、テオ公爵っていう今回の戦争の最大の立役者の妻になって、余計殺しにくいのね」
「難しいもんだな……」
今回は覗きに来ただけで、すぐに桃源郷に帰る。とはいえ半年間関わらない。その間に他の探索者がどこまでやるかだ。そして玲香がそれに対抗できるかだ。
「ところで、迦具夜は普通にここに入れたけど、それってどういう扱いなんだ?」
確かシルバーエリアに探索者の世界は一つしかなかったのではないのか。それなのに迦具夜は入ることができている。それはかなり矛盾しているように思えた。
「私は祐太ちゃんの召喚獣ということでここに入ってるのよ」
そんなことをあっさり言ってきた。迦具夜の言葉に俺と玲香が驚いて見た。
「そんなのできるんですか?」
玲香が敬語になって聞いていた。
「ええ、一時的に私と祐太ちゃんで契約関係を結ぶのはそれほど難しくないの。だから召喚獣ということにしてダンジョンをごまかして、祐太ちゃんと擬似的な契約関係を結んだことにしたの」
そんな契約を結んだ覚えはない。だが、迦具夜は別に難しいことじゃないと言いたげだった。
「ダンジョンってそういう"ズル"は許されないイメージがあるけど」
「どうかしら……ダンジョンは結構、下の階層に行くほど規則は緩くなっていくわよ。自由度が高くなる分、協力者が多い人ほど有利になりやすいし、孤立してたりすると強くなるのにも不自由が出てくる」
「それってつまり強くなるのにコミュニケーション能力も必要ってことか?」
「まあそんな感じね。意外と上位の知り合いがいたりするとすんなりレベルが上がったりね。そういうことってどこの世界にでもあるでしょう?」
「まあそりゃそうだけど」
シルバーエリアに入れる探索者が100人とはいえ、迦具夜だと抜け道が結構あるらしい。その辺はさすがレベル969ということか。500年以上も生きているわけだから、こちらとは知識量が違う。
「まあだからって本人の実力が全くと伴わない場合は、急にレベルが上がらなくなったりするんだけど、祐太ちゃんはそんな心配ないでしょ」
「そりゃ……そうであるように努力はするけど、それってどうやったらダンジョンにそうされるんだ? 俺はダンジョンに好かれてるとしたら、そういうのもゆるいのか?」
俺自身その自覚はある。何というか常にどこかから見られてる。それがどこから来る視線なのかはわからないが、そんな気がするんだ。
「正直ゆるいわね。ダンジョンに好かれてるとそういうのはかなり得よ。特に祐太ちゃんぐらい好かれてると、よほどのことがない限りお咎めはないわね。ただ、機械神にはそういう融通が利かないと言われてる。特定の人間を好きになったり嫌いになったりするのは、人間と女神のルルティエラ様だけ。機械神はそんなことしないもの。そしてダンジョンルールに厳正なのは、特定の誰かに肩入れをしない機械神だけなの。この機械神は探索者一人一人の監視を【ダンジョン監視システム】によってしてるの」
「監視システム?」
思わず俺が口にしていた。
「そう。違反者に対して自動的に反応するように組まれたプログラム。これが常にダンジョン内を監視してる。各階層におけるダンジョンの秩序を乱すほどの不正。これに自動的に反応するの。女神と人間のルルティエラ様も、この監視システムにはできるだけ引っかからないようにするそうよ」
「召喚獣になってその監視システムをごまかしてるわけか」
黒桜と猫寝様もエヴィーの召喚獣でも許されてる。むしろ迦具夜も黒桜達を見て、このやり方が一番無難だと思ったのかもしれない。色々とシルバーエリアに対する興味がわいてくる。とはいえ、
「祐太ちゃん。もう帰らなきゃだめよ」
迦具夜からそう言ってきた。半年しか時間がないのだ。シルバーエリアについて聞きたいことは山ほどあるが、無駄な時間を費やすわけにはいかなかった。
「迦具夜。シルバーエリアの100人の登録って、この世界に来た時点で終わってるのか?」
「ええ、既に登録されてるはずよ」
そのことに関する何の声もダンジョンからは聞こえてこなかった。事前に近藤局長からある程度聞いたから知ってるが、何も聞いてなかったら、ダンジョンからの指示が一切ないために何をしていいのかも分からない。
何でも出来過ぎて、それでいて、何をしていいのかも示されなくて、この世界で右往左往しているだけの人間も結構いるという理由がよくわかった。
「玲香」
俺は玲香を見た。
「もう行くの?」
早すぎると言いたげだったが、聞いてる余裕がなかった。
「ああ、行く。シャルティーと切江を約束通り置いていく」
切江とシャルティーを見た。
「2人とも俺が帰ってくるまで、玲香が主だ。しっかり言うことを聞くんだぞ」
「畏まりました」
「お帰りいただく日をお待ちしております」
シャルティーと切江が見送ってくれる。玲香にはできるだけ半年で戻ってくると伝え、再び俺はゲートを潜った。そして誰もいなくなった桃源郷の六条屋敷へと戻る。迦具夜も元の姿に戻り、召喚獣である状態も解除した。
「——かなり難しそうな世界だったな」
「そうね。探索者同士で争って殺すのはまだ簡単よ。でも土地の支配者である貴族を殺してしまうと、ただの犯罪者だもの」
「地球の12英傑はあんな場所でどうやってレベル500を超えたんだ?」
あの世界ではゴールド級までレベルが上げられる。それ以上はルビーエリアに行かなきゃいけないようだ。思った以上の難易度で時間もかかる。それを、おそらく12英傑は2年もかからずに終わらせている。
「普通は治まってない土地の場合がほとんどだから、その土地で信用を得て、争いには積極的に参加。そこから貴族の軍団を壊滅させ、対立する探索者を殺したり服従させ、自分の勢力を築き上げ、支配体制を確立する。そこからさらに人材を集めて、経済発展して資金を稼ぎ、支配の手を伸ばしていく感じね」
「それを1年ぐらいで終われるか?」
レッドという国の広さはアメリカと同じだ。そこからさらに地球と同じ広さを支配。それが1年で終わるだろうか? 中国を統一した始皇帝も、世界で一番支配地域が広かったチンギスカンも、支配地域の拡大に生涯をかけた。
それでも不完全で没後すぐに国は崩壊した。それが2年どころか1年もかからず終わるだろうか? 俺はそれができなければおそらく、今回の地球側の戦争に間に合わない。
「普通に考えたら無理だけど、極端な話、重要人物を全部殺してしまうの。私はそこまではしなかったけど、かなり殺したのは確かよ。今現在大八洲国で力を持っている貴族は、ほとんどこれをやってるわね」
「やっぱり殺すのが早いか?」
「早いわね。何しろ殺すとそれだけで支配できるエネルギー量が増えたと判断されてレベルが上がるの。従わせてもレベルは上がるけど時間がかかる。悠長にしている間に他の探索者が力をつけちゃう。同じ世界に、強さが同じぐらいの子たちが100人。のんびりしてるといつの間にか対抗できないレベルまで強くなっちゃう」
「俺は違うか?」
「もちろん。私の手伝いが終えれば祐太ちゃんはゴールド級になれる。私がそれだけの報酬を出すもの。たった半年でシルバーエリアでそんなことをできる探索者がいるとは思えない。まあ榊か伊万里って子が同じエリアにいたら面倒だったかもしれないけど、違う世界に行ってくれた。そこまで難しくないわよ。私が神にさえなれば、ゴールドエリアも含めて1年で終わらせてルビー級に必ずしてあげる」
迦具夜はその点に関しては心配していないようだ。まあ確かにあの世界をクリアするよりも、迦具夜を神の座につけることは、難易度が高い。手伝いとはいえルビー級の難易度。足手纏いにだけはならないようにしないと。
「あとは玲香がどこまでうまくできるかだな」
玲香はどこまで頑張るだろう。死ぬような危ないことはしないように言ってもある。正直、俺が終わるまでここで待機していてもいいぐらいだが、玲香もさすがに完全におんぶに抱っこされるのは嫌がった。
「祐太ちゃんが向こうに戦力を残していったわ。それでも半年で何もできないなら、かなりあの子は無能よ」
迦具夜が辛辣なことを口にした。でも俺は玲香に強くなって欲しいとはあまり思ってなかった。そばにいて安心できればそれでいい。
『少しは頑張ってみる』
玲香は不安そうな顔をしながらもそう言っていた。
「まあ自由にやらせてみるよ。シャルティーと切江には玲香が死なないようにだけ気をつけるように言っておいたしな」
「正直からくり族のあの2人の方が強いくらいだと思うけど」
「だから守ってほしいって言っておいたんだ」
ともかくここからは思考を切り替えなきゃいけない。だから俺は口にした。
「それでどうすれば迦具夜はレベル1000を超えて、神に至ることができるんだ?」





