第二百四十六話 やり残し
伊万里には洋室の方がいいと言ったから、自室も洋風になっていた。迦具夜はその部屋のソファーに腰を下ろして優雅に紅茶を飲んでいた。アフターヌーンティーの形式で、スタンドからスコーンを一つ取って口に運ぶ。
切江が給仕をしていたが下がらせた。伊万里は俺との話合いが終わると、すぐに出ると言って出て行ってしまった。美鈴とエヴィー、他のメンバーが全員六条邸を後にした。誰もが急いでいた。
『ちんたらしてて、お前に置いていかれたくないんだよ』
ジャックがそんなことを言ってきたが、こっちこそ置いていかれた気分だ。寂しいなと感じながら、俺はドカッとソファーに腰を下ろす。苦い紅茶を口に運んだ。迦具夜と何も喋らず、そのまま時間だけが過ぎた。
「まいってるようね」
「ちょっと疲れただけだよ」
未だに丁寧語に戻すべきかと思う。迦具夜とあまりにもレベル差がある。こんな話し方で、迦具夜の下の人間が納得するだろうか。するわけがない。でもクミカとのあの何もかも理解してくれる気楽なやり取りが忘れられない。
だからクミカが少しでもいるはずの迦具夜と2人だけの時は、気を使いたくなかった。実際のところ疲れていたのだ。迦具夜の言葉の通りだ。今日から全てが別行動だ。伊万里とまた会えるだろうか。他のみんなも……。
ただ迦具夜相手にはイマイチ素直になれない。
「ならいいけど。これから私たちはどうしましょうか?」
「まずシルバーエリアに俺とお前と玲香、切江とシャルティーの5人で入りたい。構わないか?」
「もちろんよ。当然そうしなければいけないと思っていたわ」
迦具夜は俺のしゃべり方が気にならないようだ。やはりクミカを取り込んだことがかなり影響している。迦具夜に対して敬語を使うのは人前だけにしておこう。そう決めた。
「まあ迦具夜にシルバーエリアの説明なんて必要ないだろうが、まずシルバーエリアは自分の行く世界が決まったら、最初の100人の登録を終わらせなきゃいけないらしい。これは迦具夜の方が詳しいよな」
「そうね。これから向かう世界は最初に100人の探索者を迎え入れるわ。通常それは1ヶ月以内に集まるのだけど、あなたがこれから向かう世界は3ヶ月経ってもまだ100人の定員数にはなっていないようね」
土岐からの情報である。まだ探索者の数は80人ほどで、あと20人ほどが埋まっていないそうだ。
「どうしてなのか分かるか?」
「私の時も起きた現象よ。おそらく攻略難易度が高いからね。その世界に行って何もできない探索者は選ばれない。祐太ちゃんと比べても遜色ないものだけが選ばれる。おそらく地球の探索者の上澄み100人。トップレベルだけが選ばれる世界なのだと思うわ。そういうのは揃うのに時間がかかるの」
「俺が優秀か」
「地球にもまだやり残したことがあったんでしょ。この調子だと、100人揃うにはまだ1ヶ月ぐらいかかるでしょうから、そちらを先に終わらせておいたら?」
「その方がいいか」
鶴見先生の件だ。さすがに半年先というわけにはいかない。それなら先に終わらせるべきだ。
「時間はかからないの?」
「俺の考えでは1時間もかからずに終わると思ってる」
「なんだ簡単なことなのね。死神関係かと思ってしまったわ」
「はは、そんなわけないよ。さすがに向こうも大変なんだ。俺みたいな若造の相手をいつまでもしてられないよ。だいたい俺は死んだと思ってるだろうし」
それだけは痛快で俺は笑った。
「それはないわ。雷神との戦いが終われば必ず死神は、祐太ちゃんを殺せたかどうかを確かめに来るわよ。それは絶対保証する」
「ええ……でも、もう一度狙いはしないだろう」
「生き残ってることは現場を見ればすぐに気づくはず。私なら【呪怨】から逃げ延びた探索者なんて絶対に放置しないわね」
「ええ」
そこは放置しようよ。何その絶対殺すマン。
「じゃあ私たちも出ましょう」
迦具夜は休憩もそこそこに立ち上がった。
「お前嫌なことだけ言って切り替えるなよ。俺の気分今最悪なんだけど」
「と、この姿だとまずいわね。少し待って」
迦具夜はそう言うと、【天変の指輪】を使っている様子もないのに、体がどんどんと縮んでくる。何をするつもりかと見ていたら、迦具夜の体が妖精とかそういうレベルの大きさまで小さくなってしまった。そして俺の肩の上に乗った。
「これは?」
「レベル969でこれ以上地球に顔を出すのはまずいのよ。それに私の元の姿は有名すぎるから目立つの。力を制限するのと私だとばれないようにするためにこの姿が一番いいわ。どうかしら? 小さくなった私は可愛いと思う? もちろん可愛いわよね?」
「分かった。じゃあそうしてくれ」
「……見た目の感想を聞いたのだけど?」
「まあいいんじゃない」
「まあ……」
迦具夜が半眼で見てくる。もう少し褒めろと言いたいのだろうが、特にそういう感想はなかった。どう見ても妖精の姿になった迦具夜。でもおそらく最強だ。この妖精が俺の弱点だと思って襲いかかったら、実は化け物だったという。
そんな状況になりそうで笑えた。
「何を笑ってるの?」
俺の肩の上から迦具夜が聞いてくる。
《玲香》
答えずに玲香を呼んだ。
《何?》
玲香がすぐに答えてきた。本来は自分が行くべき世界ではなく、俺が行くべき世界に行くと分かっていたから、かなり緊張している。それでもシャルティーと切江がからくり族と同じ扱いになりついてきてくれるのだ。
米崎は五郎左衆の魂をエネルギーに変換することで、2人のレベルアップにも成功している。レベル211まで上がっている2人も一緒にいるのだ。これでも怖いならもう探索者はやめておけという話になる。
《先に日本でやり残したことを終わらせてくる。少しだけ待っててくれ》
《どれぐらいかかるの?》
《1時間で余裕だと思ってる》
玄関に出て、できるだけ早く終わらせようと再び日本に戻った。時間は朝の9時頃だった。誰もが起きて動いている時間だろう。昨日のことが嘘のように学校へと通う子供たち。雷神との戦闘行為で倒壊している建物が結構ある。
それでも意外と子供たちは楽しそうだ。大人たちも警報も解除されたら仕事をしないわけにはいかない。背広を着て駅へと向かうものたち。その姿を見つめる。こちらに手を振ってくる子供がいて、手を振り返しておいた。
すぐに迦具夜は近くに危険な人物がいないか確かめてくれた。いないことを確認すると、鶴見先生に電話で連絡を入れた。
『六条君?』
やることもなくて寝てたのか、寝ぼけているように感じた。
「はい。鶴見先生、言っていた予定なんですが、今すぐでもいいでしょうか?」
正直それどころではない。でも俺は鶴見先生を期待させた。そして期待させて待たせることが相手にとってどれほど嫌なことか、よく知っているのは俺だ。親父がずっと帰ってきてくれることを望み続け結局帰ってくることはなかった。
そして親父が死んだ。それでも、他人から見れば、俺は異常と見えるほど心がざわつかなくなってしまった。それぐらい親父は俺の期待を裏切り続けた。だからこそ、人の期待を裏切りたくなかった。
『今?』
「ええ、迷惑なやつらってどこにいるんですか?」
『い、今は……うわ! うわ9時じゃない! ごめんなさい! 今だと学校にいると思うわ』
鶴見先生がなんとか寝ぼけた頭を起こしてきているのが分かった。
「ちょっと待ってくださいね」
池袋のダンジョンゲート前から俺は飛び上がった。そしてそれほど時間をかけることなく鶴見先生が宿泊している部屋に着く。部屋の前の窓まで飛んで許可も取らずに【転移】した。鶴見先生はベッドから起き上がったところだった。
「ろ、六条君!?」
「すみません。ちょっと急いでることが多くて、鶴見先生の問題は先に終わらせることにしました。その男たちの情報をできるだけもらえますか?」
「えっと、ちょっと待ってね。資料を出すわ」
肩に乗っている綺麗すぎる精霊が気になるようだった。チラチラ見てる。迦具夜は愛想など振りまくわけもなくツンとしてる。鶴見先生は焦りながら俺に向こうを向いているように言って、部屋着から外出用のカジュアルな服に着替えた。
黒いロンティーにジーパン。着替えると手早く髪の毛を括り、キビキビと動き出した。そして自分なりに調べていたのだろう。ノートパソコンを立ち上げるとファイルを提示してきた。
「ちょっと見ていいですか?」
「もちろん。なんだかごめんね。手を煩わせて」
「いいですよ。いくらでも頼ってください。それよりこっちこそ時間がないなんて言って申し訳ありません。本当はもうちょっと時間が取れるはずだったんですけどね」
「なんだか今回の8英傑の襲撃でも随分と活躍したそうね。マスコミはあなたがいないのに一生懸命報道してたわ」
「そんな情報が出てるんですか?」
喋りながらもパソコン画面はどんどんとスクロールさせた。クリックしていき情報を頭の中に入れていく。ダンジョンで追い詰められた探索者に、高額なポーションを売りつけて、後の取り立てが随分厳しい。
悪いことをしているわけでもないから捕まらない。そんな行き過ぎな人助けをしているのは、鍵屋千温他3名の4人パーティー。レベル62。結構高い。強いんだから無駄なことに力を使わなければいいのに。
「ごめんなさい。下手に調べて狙われたら意味がないと思って、簡単な噂しか集められてないわ」
「いえ、これだけわかってれば十分ですよ」
謙遜してるが鍵谷達4人の一通りの背景は調べたみたいだ。これだけ調べたらダンジョンが現れる前の世の中だったら、恐喝行為で訴えることもできたはず。でも相手はレベル62の探索者。よほどのことがない限り警察は動かない。
《迦具夜》
《了解》
俺の言いたいことを理解してくれて、迦具夜の左目が青く輝いた。クミカと交わったことで心が見えるようになったのだ。迦具夜のレベルだとかなり精度が良いらしく、必要のない情報までは見ないということもできる。
今だと鶴見先生が現在、鍵屋達を見た情報に限定している。無駄に相手が知られたくないようなことまで見なくても、調べたいことだけ見られる。それは俺としても人の心を勝手に見る罪悪感が軽減される。
先生の心の中で鍵屋他3人の人物の姿、そして鶴見先生のイメージの中にある鍵谷達の"気配"を確認した。
《こいつね》
迦具夜がその映像を俺に教えてくれた。鍵屋たちは探索者になったことで、4人とも50代からかなり若返った姿に変化し、30代ほどの男たちに見えた。
《探せるか?》
《多分、ダンジョンの中でなければ簡単に見つけられると思うけど》
迦具夜がその瞳を閉じた。迦具夜の気配が濃くなる。日本中を探索するために一時的にレベルを少し解放しているようだ。
《たくさんの人がいる場所ね。鶴見の記憶にあったダンジョン高校というものに、今現在4人ともいるみたい》
迦具夜が【意思疎通】で場所を教えてくれた。俺はその場所が一目で分かった。一度は本当に行きたいと思って見学に行ったことがあるからだ。場所は【武蔵野ダンジョン高校】。校門に大きくそう書かれていた。
そうか。鶴見先生もここに通っていたのか。
「鍵谷達の場所が分かったので行きましょうか」
鶴見先生の手を握った。
「もう分かったの?」
「ええ」
「はは、本当に事もなげに言うね」
鶴見先生から呆れと羨望が混じった目を向けられた。
「なんだか何でもできるスーパーマンみたい。私もレベル200を超えたいな……もっと自由になれたら」
「旦那さんですか?」
「今さら見捨てられないのよね……」
旦那さんの足がなくなった怪我にも責任を感じているのだろう。旦那さんがいる以上、何をするにも足枷になる。怪我をしたこと自体は仕方がないのだが、そのことで拗ねてやる気をなくしてしまう。それでは介護する側が困るのだ。
「六条君に言うことじゃないわね。ごめんなさい」
「いえ、それは別にいいけど」
人から頼られるということがなかった。そのせいか頼られるのは嫌いじゃなかった。だからつい優しくしてしまう。
「旦那さんにどうしても困ってるなら家に来ますか?」
「ううん、きっと甘えるだけになるからいい。でも鍵谷達だけは自分じゃどうにもできなかった。なんとかしてほしい。私以外にも鍵谷達への借金で困ってる人も多いの。命は助かった。けど自由は奪われた。運よく金カプセルを出すことができて、借金を返済できる子なんて限られてるのよ」
金カプセルを出すのはそんなに難しいだろうか? 思わず聞きそうになるが、どう考えても嫌味になると思ってやめた。
「行きましょう」
「ええ」
そのまま宿の窓からピーターパンのように飛行で空に舞い上がる。明るい空の上。太陽と大地の合間を飛ぶ。鶴見先生が耐えられるギリギリの速度、マッハ1に到達して衝撃波を巻き起こしながら景色が流れていく。
鶴見先生が振り落とされないために俺に抱きついてきた。
《彼女。ずっとこのままならいいのにと思ってるわね》
《趣味が悪い。もう読む必要はない》
《今なら簡単にあなたに身も心も落ちるわよ》
《そんな悪趣味はない》
《それが彼女のためだと思うけど》
《だとしてもだ》
武蔵野ダンジョン高校が見えてくる。かつては憧れていた場所。見学できた景色を思い出し、懐かしさすら覚えた。あの時はここの生徒がずいぶんと自分よりも輝いて見えた。俺はそのまま校門に降り立った。
先生は俺と一緒ということで逆に狙われるきっかけになってもいけないので、迦具夜とともに上空にいてもらった。空から飛んで降りてくる。そんな生徒はなかなかいないのだろう。周囲の視線が集まった。
注目されることには慣れてきて、気にせずどんどん中に入っていく。
「新しい講師の人?」
「こんな状況だし、今は改めて募集してないって聞いたぞ」
「怖いぐらいイケメン……」
「あれって六条?」
「六条ってあの?」
「そうだよ。三英傑を雷神と組んで退けたっていうやつだよ」
「そんなのがここに何の用?」
「知らんけど元々は虐められっ子だったんだぜ」
「雷神様の手柄なのに、ちょっと一緒にいただけのやつがドヤ顔してるぜ」
「まあどう考えても何もできるわけないのに、マスコミってアホだよな」
「あーあ、以前みたいに探索者が日本のマスコミをぶっ殺してくれたら気持ちいいのに」
「おい、余計なこと言うなよ。ああいう人たちは聞こえるんだぞ!」
俺を知っている人間もいるようだった。そして何故その話がそんなに有名なのだろう。死神たちがあちこちに言いふらすとも思えない。他に見ていた人といえば雷神様だ。あの人も言いふらすタイプじゃない。
いや、そもそもレベルの高い人だと戦いの気配で分かるのか。そのうちの誰かが喋ったか。思ったほどこの場所にいて心が動かない。そのことで気持ちが切り替わった。迦具夜からもらった情報で気配を探る。
武蔵野ダンジョン高校は、元々武蔵野にあった高層ビルがそのまま改修されてダンジョン高校となっていた。そのうちの五階の窓。探索者ならば大きな気配を感じたのだろう。こちらを見ている奴らがいた。
鍵屋だ。メガネをかけている。
髪をきっちり7:3に分け、スーツをきっちり着て、インテリ風の男。そして俺を見て目を見開いた。俺は姿をフッと消し、すぐ後に鍵谷達の目の前にいた。他のメンバーもいるが相手にするのは鍵屋だけで十分だ。
もう一度【転移】して鍵屋の真横に移動した俺は、鍵屋と肩を組んだ。さっさと話を終わらせたくて気配を最大限に放つ。クラス中の人間が浮き足だった。鍵屋がごくりと息を呑むのがわかった。
教室と思われる場所に数十人の人間がいる。レベル100を超える人間もいた。その人物は教壇に立っている教師だ。今気づいたがどうやら授業中のようだ。じゃあ校庭にいる人たちはダンジョンに入る前の人たちか。
以前、Dランを見学した時は校庭にはダンジョンゲートがあり、ビルの1階部分はダンジョンショップになっていた。普通の高校とは全く違う。授業を受けるのも、ダンジョンに入るのも自由だ。
死んでも生きても自由であり、生徒が死んでも保護者が騒ぐことすらない。
「そこの先生の人。ちょっと鍵屋を借りていいですか?」
「ど、どうぞご自由に」
教師と思われる探索者の男は、今にも逃げ出しそうな顔で言った。それほどレベルが離れているようには見えなかったが、生徒を守る気はないようだ。まあ教師などしてる時点で、ダンジョンで心が折れたのだろう。
面倒ごとに関わってくるわけもなかった。ここで話す意味はないのでそのまま【転移】する。ビルの屋上に現れた。
「さて、俺の目的はわかるか?」
「……俺が"助けた奴ら"の知り合いですか?」
「正解。よく頭は回るんだな。その割にやってることは頭が悪い。いつか俺みたいなのが出てくるって思わなかったのか?」
「……最初は思ってました。でも誰も現れなかった」
敬語を使ってくる。カタカタと震えているのがわかった。
「だとしても、どうして真面目にダンジョン探索をしなかった。こんな方法いずれはこうなると思わなかったのか?」
頭は良さそうに見えた。先生の資料ではサラリーマンとしてもかなり優秀だったようで、これからの時代は探索者のレベルアップが必要になると結構早くからダンジョンには入っていたそうだ。それなのになぜこんなことをしてる?
「それは……」
「人の自由を奪うことが楽しいって思っちゃったのよ」
妖精の姿で、ゆっくりと俺の肩に乗る迦具夜が口にした。鶴見先生も一緒にいるが迦具夜が器用に気配を消してしまっている。鶴見先生の姿は俺にわかる程度に、そして鍵屋にわからない程度にしていた。
「祐太。鍵谷はこう思ってる」
迦具夜は妖精の姿のまま言葉を続ける。
「ダンジョンに入り続ければ自分は永遠に弱者。上はいくらでもいる。鍵谷はダンジョンに挑戦し続けるのが嫌になった。でも探索者という自由も知って、サラリーマンに戻り、どこかに雇われるのももう嫌だった。探索者も怖い、でもサラリーマンに戻りたくない。だから誰かを支配したくなった。相手をどうしようもない状況に追い詰めて、レベルが上だってことで威張る」
異常なほど迫力のある妖精が自分の心を言い当てる。まだ何とか余裕を保っていた鍵屋の顔が青ざめていく。
「か、勘弁してくれ」
「やだ。偶然一度だけ人を助けた時にものすごく気分が良かった。でも相手がポーション代の支払いを渋った。それに脅しをかけたら、相手は血相を変えて土下座して、自分の財産を切り崩してお金を払ってきた。それがとーっても気持ち良くて忘れられなくなっちゃった」
「そうなのか?」
「……心が読めるのか?」
「質問してるのは俺だったな」
「す……すみません。全部当たってます。もうやりません。本当にやりません。だから許してください」
鍵屋は大丈夫かと思えるほどガタガタ震えるのが強くなる。
「ここは何とかやり過ごそう。やり過ごした後にまた別の場所に行こう」
しかし、妖精が言った。
「そうなのか?」
「……」
肩を組んでる腕に少し力を入れた。鍵屋の首がしまってくる。体もいびつな形に曲がった。なんとか抜け出そうとする。でもピクリともしない。
「お、お願いします。勘弁してください。もう本当にしないから」
「でもやっぱりまた遠くに行ってやりたいって気持ちが消えない。探索者は嫌なんだ。誰かを搾取し続けたいんだ。もう殺しちゃえば? そいつ完全に人を搾取する快感に目覚めちゃったのよ」
「う、嘘だ。本当にもうやらない!」
俺は腕に力を込め続ける。肋骨が折れる音がした。首も変な方向に曲がってきている。このままだと殺してしまう。さすがにその気はない。第1そこまで悪いこともしてない。どうしたものか。
「迦具夜。鍵屋のステータスは悪くないの?」
【機密保持】を使って、内緒話をした。
「まあまあね。頑張ればレベル200にはたどり着けるかもってぐらいにはなってるわ」
「そうか。鶴見先生。さすがに殺す気はないんだけどどうしましょうか……」
「確実に彼が裏切れなくする方法はある?」
「契約書というものがありますね。ダンジョン産のものなので絶対に裏切れません」
「じゃあ契約書にサインをさせる。内容は鶴見のレベルアップを考えうる最大限の効率で鍵谷が助ける。悪いことはもちろんダメにしておいて。それでいいわ」
良いのか? まあ本人がいいと言ってるんだからいいのか? でもそれは旦那さん的にどうなの? 思ったが言わないことにした。俺は鍵屋の拘束を解いた。鍵屋のダメージが大きすぎたが、治してやらなかった。
そのまま米崎から必要ならば使いなさいともらっていた契約書を取り出しサインをさせる。契約内容には俺のことを決して外に漏らさないことも入れておいた。
「鶴見先生はレベルアップの手伝いが鍵屋でいいんですね?」
これで手は出せなくなったが、鍵屋は男であり嫌ではないのかと思った。
「いいのよ。これであの人も意地でも頑張るでしょう」
鶴見先生の言葉に、旦那さんへの同情を禁じえなかった。旦那さんにはずいぶんかわいそうな状況になる気がする。なんか同人誌みたいだな……。いや、でも、鍵屋からは絶対に手を出せないように契約させたから大丈夫とは思う。
まあ大丈夫じゃなかったら旦那さんは頑張らなかった自分を呪うことだ。と思いながら、俺はまた困ったことがあれば連絡くださいと言葉を残し、飛び立った。
「——なあどう思う?」
シルバーエリアの入り口の前。それは池袋ダンジョンの3番目の入り口だった。その前で迦具夜に聞いた。今は玲香とシャルティーと切江が来るのを待っていた。
「そりゃもう。なるようになっちゃうかも」
「だよな……」
たとえ愛する相手でも、何もしてくれない相手をいつまでも無償で思い続けてる。どうやらそんなファンタジーはないらしい。そして他人ごとではなく自分自身も怖いと思えることだった。
美鈴、伊万里、エヴィー、玲香、自分が絶対にそばにいて欲しいと思う女たちはこの4人だった。俺はこの4人にこまめに連絡しようと心から思った。あと、榊にももうちょっと優しくしようと思った。





