第二百三十三話 そら
空がよく晴れている。どこまでも青に澄み渡り、まだまだ暑い秋の日差しが、体に降り注ぐ。もうセミの声も聞こえない。それなのに暑い。一時期騒がしかった地球温暖化も、今はそれどころじゃなくて誰もそんなことを言わない。
地球などどれだけ温暖化しても、人間が滅びるわけではないとみんなもうわかってきている。それよりもダンジョンという大問題は地球温暖化よりもはるかに早く、人の心配などを置き去りにするほど早く。
地球の環境を変えていく。いや環境というよりも状況だ。あるいは空にさえ行くのか。
「人の限界はどこまで広がっているのかか……」
テレビは最近そんなことで盛り上がっているようだ。それとこれから起きる戦争だ。自宅のマンションからゆっくりと池袋ダンジョンの方へと歩いていく。ゆっくりと歩いているとその途中で【意思疎通】が入ってきた。
《祐太様。伊万里様がダンジョンから出てきたようです》
クミカからの連絡。すぐに伊万里へと【意思疎通】をつないだ。
《伊万里。ちょっといいか?》
《どうしたの?》
《今さっきのことなんだけど雷神様とお酒を飲んだ。グラスを部屋に置きっぱなしにしてあるから片付けておいてほしいんだ》
部屋に帰って、グラスが2つ置いてあり、マッカランの40年物という高い酒が勝手に開けられ、女の残り香に伊万里がイライラする。そういう状況は避けられたかとホッとする。やましいことは何もない。今回は浮気だってしてない。
自分にそう言い聞かせて【意思疎通】で動揺が伝わらないように気をつけた。
《私と別れてまだ1時間も経ってないんだけど……》
《いや、その、雷神様に出待ちされてたみたいだ》
出待ちしていたのは鶴見先生で、雷神様は待ち伏せか。どの道似たようなものである。雷神という女性が、俺のことを調べたら面白そうだったから唾をつけておこうと思った。ただそれだけなのだ。いわば事故にあったようなものである。
《なんで祐太がそんな人に出待ちされるの?》
《伊万里。俺は今結構有名人らしい》
《ふうん、それで大丈夫だったの?》
こんな状況でちょっと鼻が高い。そうすると呆れ混じりに伊万里が聞いてきた。
《大丈夫だよ。何もされてないよ。ただ、伊万里が2つあるグラスを見て変に思っちゃいけないなと思って》
《用事は何だったの?》
ちょっと聞きすぎじゃないかと思うけど、ちゃんと全部答えておかないと後で不機嫌になられては困る。でも聞いても本当のこと言わないんだろうなと思っていそうだった。実際本当のことを言わない。適当なことを言う。
《マッカランの40年物とかいうのを飲んだ》
全く関係のない話。この話は終わりにしたい。そういう意思表示だ。伊万里が後で不機嫌にやっぱりちょっとなる。でも本当のことを言えばもっと不機嫌になる。みんながレベル900に到達できないから、雷神と組めと言われた。
そんなの実際どうなるかも分からない。だから隠し通すしかない。
《どんな味だった?》
伊万里も追求してこなかった。伊万里も何もかも全部俺に話すわけじゃない。長い付き合いは秘密によって保たれるのだ。
《まあまあ美味しい気がした。伊万里はお酒の味わかる?》
《さあ……祐太がいっぱいお金稼いでくれるし、瓶が格好良さそうだなと思って買っただけだもん》
まあお金の回る探索者にとって、1000万のお酒と、1000万のポーションは等価値だ。敵をお金の力でぶっ叩くこともよくあるうちのパーティーでは余計だ。
《じゃあもう1本買っておいて。量が減ってるのはなんだか格好悪いし、残りは俺と伊万里で消費してしまおう》
《了解。その連絡してきたってことは、もうマンションにいない?》
《いない。伊万里は美鈴たちとこっちに帰るの?》
かなり仲良くなった様子だったから、そうするのかと思った。
《ううん。二人とも家族のところにさっさと帰るって。だから1人だよ》
《それはまた……じゃあ少し待っててよ。夕食までには帰るようにするから》
南雲さんと会えば、どこまで時間がかかるかわからない。俺も南雲さん相手に途中で帰るつもりもない。今日帰ることができなかったら、また連絡しよう。そう思う。
《はーい。ごちそう作って待ってるから》
にこやかに返事をしてくる。
《カツ丼でいいよ》
《それは外さないよ》
《ありがとう伊万里》
《ううん、こっちこそ。あのさ……》
俺に早く会いたい、ゆっくり2人でするつもりだったのに、そう思っているのが伝わってくる。でもはっきり形にしては伝えてこなかった。
《一緒に連れて行った方がいい?》
あまりに寂しいと伝わってくるので、口にした。
《ううん、いい。相手は南雲さんでしょ。邪魔だなって思われるの嫌だし……》
《それは……》
《ねえ祐太、私が超寂しくて我慢できなくなる前には帰ってきてね》
美鈴もエヴィーも伊万里との時間を邪魔したら悪いと思ってくれたのか。このままマンションに引き返してそのまま伊万里を待って驚かせようかと思ってしまう。でもさすがに南雲さんとは会いたかった。
《……》
もうちょっと何か言おうと思ったのに【意思疎通】が切れていた。
《どう思う?》
《私は人の機微は分かりません。そもそも私の存在も伊万里様にとっては嫌でしょうし》
《思い出せばきりがないな。ごめんやめておくよ》
クミカと喋るのもやめて、池袋の自分のマンションから普通の人間と同じような速度で歩いた。だから、10分ほどかかる。池袋のダンジョンショップが見えてきた。マイナンバーカードを提示して中へと入る。レジのお姉さんがいた。
血で汚れたカウンターを嫌そうな顔をしながら拭いている。
「それ、誰の血ですか?」
「私ですー」
「頭でもぶつけたんですか?」
「ぶつけましたー。って、久しぶり。元気してたの?」
何だかとぼけた顔でレジのお姉さんが口にした。生きてるのかと心配していたから、生きていてよかった。自分の血だと言いながら、レジのお姉さんの頭には、どこにも傷は見当たらなかった。
「自腹でポーション飲んだんですか?」
「だってあんな女の人に『邪魔だから出て行け』って言われたら、慌てて出て行くよね。転んで頭ぶつけてもおかしくないよね。はあ、私の100万円……」
だいたい状況がわかった。この人もこんな場所で働くのは大変だろうなと思う。俺でも普通のステータスなら慌てて頭をぶつけて血を流すかもしれない。職務中の事故なんだから労災認定はされないのだろうか。かなり可哀想だ。
「死ななくて良かったですね」
俺は自分のマジックバッグから100万円のポーションを出して、レジのカウンターに置いてあげた。
「いいの?」
「いいですよ」
「なんか悪いね。お強請りしたみたいで」
そう言いながらいそいそと自分のポシェットの中に俺のポーションをしまった。遠慮はないようだ。
「みたいじゃなくて強請ってるんでしょ?」
「ふふ、君は優しそうだからくれると思った。それに相変わらず超元気そうだね」
「お陰様で元気ですよ」
「んーで、帰った?」
「帰りました」
「はあ、よかった。あ、君は早く行った方がいいと思うよ。次の約束があるでしょう」
レジのお姉さんはだいたい事情を掴んでいるようだ。貰うものをもらえたので、バイバイと手を振った。なかなか図太い人である。まあこれぐらいでなければこんな場所でレジのお姉さんはやってられないな。
「じゃあそうします」
池袋に一般の探索者が全然いない理由がだんだんと分かってきた。雷神に怯えて一般の探索者は消えたか。まあ南雲さんが他にも池袋には面倒な探索者が多いと言っていたので、何度かその面倒な探索者とエンカウントしたか。
レジのお姉さんと同じくそんな不幸な一般層が少なくないのだろう。噂が広まるうちに池袋には入らない方がいい、という認識が広まってしまった。きっとそんな感じじゃないかな。そう勝手に想像する。
俺も次の場所を池袋にするべきかどうか悩む。そういえば気になっていたことがあると、ダンジョンショップから外に出るとダンジョンゲートに触れた。1番目ゲートは無事に手が中に入り込んだ。
「2番目は……やっぱり中に入らない」
この辺のことはジャックや局長に確認していた。1~10階層まではやっぱりもう一度階段を見つける必要があるらしい。そこから八洲の探索局に行き、地球側のダンジョンのホームを変更したことを申し出る。
そうするとダンジョンシステムに申請し直してくれて、甲府から入らなくても、シルバーのゲートが解放されるらしい。10階層までの階段を見つけるだけなら、おそらく俺たちだと1日ぐらいのロスだろう。
どうしてこんなことになっているかと言えば、ジャックの話では、
『そりゃ探索者のほとんどはストーン級だぜ。そんな大量の人間がどこから入ってもいいってなったらコロコロ場所を変えるだろ。システム的にそれは面倒なんじゃねえの。おまけに10階層までは階段もあるしな。個人個人の階段の設置なんて、いちいち場所を変えられたら面倒で仕方がねえぜ』
とのことだった。そのことがストーン級の人間に知られないためにも、ブロンズまで行った探索者も、ホームを変更した場合は、1~10の階段を見つけてから、変更した後のダンジョンを利用するという手間かけなければいけない。
「分かってみればなるほどって思うよな」
そんなことを思いながら【飛行】を唱える。足が地面から離れる。近くを走っていた車。その後部座席に乗っていた子供がこちらを見ていた。不思議そうに見ている。
「僕は空を飛べないのに、どうして飛べる人がいるの?」
と隣のお母さんに聞いていた。南雲さんが指定したポイントへと向かう。そのために空へと浮かび上がっていく。池袋駅のビルの高さも飛び越えて、さらに上空へと飛び上がっていく。
「それにしてもすごい場所を指示してきたよな。体が持てばいいんだけど」
思いながら、だんだんと同じ高さに建物が見えなくなってくる。もっと上空へと向かう。雲の中を突き抜ける。そうするともう何も視界を遮るものがなくなる。青かった視界。黒が濃密になっていく。それでもまだ上に飛んだ。
対流圏から成層圏を超えて、中間圏を超えていく。温度が層によってかなり変化するが、大気の密度が薄すぎて熱いというほどではなかった。
《祐太様。大丈夫ですか?》
《ああ、耐えられるようだ》
上空は寒いイメージがあるが、熱圏と呼ばれる高温圏がある。太陽の光の中で最もエネルギーのある部分を吸収するこの層は場所によっては2000度にもなる。それでも大気密度が薄いので熱くはないと聞いていた通りだった。
まださらに上に上に上昇していく。
体はまだ悲鳴をあげない。クミカは俺の服の中にできた影の中に入り込んでいるようだ。大気が薄く主成分まで変わる。窒素から酸素へ、ヘリウムから水素へ、大気の主成分が次々と入れ替わっていく。
地上の常識は通用しない。大気組成が違い、密度も薄すぎて、息を吸ってエネルギーに変えるということはできない。完全に呼吸は止めた。それでも問題ない。呼吸で探索者の莫大なエネルギー補給などもともと無理である。
だからこそ空間の中にあるエネルギーを探索者はエネルギーに変える。米崎流に言えば『世界へのアクセス権の強化』がレベルが上がるほどになされている。空間にあるエネルギー。
探索者をしていると空気を吸うよりも、そちらの方が大きいとある頃から気づく。そうするとそもそも呼吸などしなくても生きていける。食事の必要もない。そんなものよりもはるかに大きいエネルギーが空間に満ち満ちているからだ。
そしてそこまでできるようになった探索者がようやく空へと登れる。
《祐太様。綺麗です》
クミカは俺の瞳を通して外の世界を見ていた。地球の地平線が少しずつ丸く見えてくる。分厚い大気の層に守られていない太陽の強烈な光。それを浴びながら地球を眺める。普通の体では生きてられない世界。
《ああ、本当だ》
少しだけ下を向いていたが視線を上に向けた。広がるのは暗闇の世界。宇宙服もなしで宇宙空間に出ても、もはやこの体は耐えてしまうようだ。太陽の強烈な光の横に、もう一つの輝きがあった。
「ようやく来やがったか」
それは確かに声として聞こえた。【機密保持】が耳に直接繋がる。何だか本当に久しぶりに思える。何度も頭の中では思い出したが、実際は半年以上会っていないんだと思った。
「南雲さん。俺を売りましたね」
雷神のこと。レジのお姉さんが知っていてこの人が知らないわけがない。
「ふん、もう大丈夫だろうと思ってな」
「まあ大丈夫でしたけどね」
「あんなに頼りなさそうなガキだったのに、ずいぶんと成長したな。正直お前は俺の予想以上だったぜ」
「そう言ってもらえて嬉しいです」
宇宙空間には巨大な龍が浮かんでいた。巨大な長い体躯がトグロをまく。それは炎をまとう和風の龍だった。体の全てにまで炎をまとっている。確かにテレビで見たことのある龍炎竜美の本当の姿。実際に目にしたことは初めてだった。
そして本当に龍炎竜美だったんだなと改めて思う。その人から大気もなしで、太陽にさらされている以上の熱を感じる。本気ではないのだろう。こちらが耐えられないほどではなかった。どんどんと距離が近づくほどにその異様が分かる。
目の前にまで来る。
太さは3mを超えてるだろうか。
全長はちょっと想像がつかないほど長い。
それが悠然と宇宙空間に浮かんでいた。
「こんな場所に呼ぶから驚きました」
「よくここに来るんだ。そうすると結構すっきりする」
「本当に久しぶりですね」
「ああ、お前は思った以上にやるやつだった」
宇宙でも普通に喋れている。中レベル探索者以上は凡人の理解を超える。そう聞いていた。本当にそうなったのだ。
「祐太。乗れ」
「いいんですか?」
「いい」
「じゃあお邪魔して」
炎に包まれた体。熱くないのかとは聞かなかった。それぐらいの調整はしてくれると思った。実際、背中に乗るとあったかいという程度だった。気持ちのいい背中だと思った。龍炎竜美の巨躯が、宇宙の中で動き出す。
さらにどんどんと暗い方向へと。宇宙の奥の奥の方へと。きっと人間だと何を使ってもこんな速度は出ないというような速度で、月の方角へと、暗闇に向けてはるかにどんどんと。俺の体は南雲さんが固定してくれていた。
「一緒にいる女。お前も耐えられるのか?」
本当の暗闇の中を平気な顔で飛びながら、南雲さんがクミカのことを気にしてくれた。無理なら地球に戻してやるぞと言ってきたが、
「ご心配には及びません。私は暗闇であるほど得意なのです。一切邪魔をしませんのでいないものとして扱ってください」
クミカの心の中に複雑な感情が生まれたのがわかる。ミカエラが南雲さんに反応している。そのこともちゃんと話そうと思っていた。殺したと言えば怒るだろうか。怒られた時はそれはそれで仕方がない。そう思った。
「そうか……祐太。あの雷の女は何か言ってたか?」
「俺がさっさとレベル900になって、一緒に8英傑を殺して、レベル1000を超えようって誘われました。雷神に口説かれるなんてすごいですよね」
「嫌なら断れよ。強制してきたら俺が殺してやる」
「まだ先のことなんでよく分かりません。それにしてもよく俺になんて声をかけてきましたよね」
「お前は八洲でかなり目立ったみたいだな。日本でも結構な有名人になってる。まあ顔は出てないけどな」
「その辺、探索者は便利ですよね」
探索者は有名になってもその顔を知らないことが多い。マスコミも通信大手も、探索者が怖い。睨まれて建物ごと壊されては困る。まだそれならいいが海外では関係者ごと全員殺されるという事態もよく起きる。
もう最近はみんな分かっててバカなことはしなくなったが、当時はそれで報道の自由の終わりだと随分と騒いでいた。その騒いだ者も徐々に徐々に物理的に数が減っていき、いつしか探索者に文句を言うものがいなくなった。
だからどれほど有名になっても名前だけで、個人情報が表に出てくることはない。本人が目立とうとしない限りは、探索者の秘密は放っておいても守られる。ただ探索者の間ではそうはいかない。
今回の雷神がそうだった。
「俺は反対したんだけどな。ババアが許せってうるさくてよ」
南雲さんはバツが悪そうだった。
「別にいいですよ。俺にとってもそんなに悪い話じゃなかった」
「まあよかったぜ。何かあったらこんな時期に横浜ごと火の海にしなきゃいけなかったしな」
「そうならないように賢くしましたよ」
「だろうな。ババアが『あんたより坊やの方が賢そうだからうまくするだろうよ』。って、言われたぜ」
「そうですね。俺はきっと南雲さんよりはお利口さんだと思いますよ」
この人ほど無茶苦茶なことはしない。ただ、南雲さんが力をつけたのは探索者についての理解がほぼゼロだった時期である。鶴見先生にも聞いたが、どんどん力をつけてくる15歳の子供を怖がって、当時の大人たちはかなり追い詰めた。
それに怒り狂った南雲さんが、雷神も真っ青なほどの惨劇をいくつも起こしたらしい。そういう南雲さんたちの苦労があって、俺はずいぶん今楽をさせてもらっている。だから雷神との交渉材料にされたとしても、怒ったりはしない。
「祐太。強くなったな。あの女、お前と二人で話させろって。それをさせるならこの戦争の間ババアの言うことを聞くって言ってきやがった」
「ちょっとは助けになれてよかったです」
所詮レベル250である。それが交渉材料として出てきて、それでも南雲さんが折れたのなら、やはり相当日本の状態は悪いらしい。現実的にならざるを得なかったのだと思うと、逆に心配になった。
「そんな顔すんなって。お前はそれで十分だ。あの女、マジで全然言うこと聞く女じゃないんだぜ。それでもアホみたいに強いしな。あの女が言うことを聞けば横浜が言うことを聞く。千代女と組むのもOKしたから、お前の手柄だ」
「そっか。本当に役に立てたんだ」
戦いではきっと何の役にも立たない。【明日の手紙】のことも口にできなかった。だから本当に嬉しかった。
「祐太。お前、それであのクソ女と一発やったか? 襲ってきただろう?」
「なんとか勘弁してもらいました」
「くく、俺と穴友達にならずに済んだな。俺はあいつが初めてなんだよ。とても嫌な記憶だ。ババアといい千代女といい、俺はどうも同じレベル帯にいい女がいない」
「俺はたくさんいますよ」
「そこは羨ましいな」
南雲さんとこういう話をしたかった。それにしても本当に速い。この宇宙空間ですらそう思う。どんどんどんどん飛んでいく。慣性の法則に大きく左右されるはずの宇宙空間で、自在に軌道を変える。月が近づいてくる。
そうすると月面にはずいぶんといろんな建物が建っていた。噂には聞いていたが、月面の開発はこの1年ほどでずいぶんと進んだ。全長200キロほどの海と呼ばれる平らな空間に、様々な施設の建設が進んできている。
ダンジョンの技術を取り入れた建造群。この中で100mほどのドーム型の天井が目につく。ドームの天井は透明になっている。その建物に巨大な龍が近づいていく。そうして、そのまま龍炎竜美は月面にゆっくりと着地した。
俺も月面に降ろしてもらう。巨大な龍が、いつものサングラスをかけた南雲さんの姿になる。透明なドームの入り口の前だった。サングラスを外して、認証システムに南雲さんが顔を近づけると扉が開いた。
最初は6畳ほどの個室になっていて、扉が閉まると真空になっていた部屋に空気で満たされ、
「いいぞ。もう息を吸っても大丈夫だ」
さらにその個室から透明なドーム天井の下へと出た。中は緑地化され、鳥のさえずりが聞こえた。その中心部にテーブルと椅子が用意されている。南雲さんがその場所へと俺を連れていく。
「初めて来ました。月面の日本領地ですよね」
「そうだ。月面の1/4は日本が所有する。最初の12英傑会議で決まったことだ。それで日本企業がどんどんと進出して1年ほどでずいぶん頑張って色々建てた」
「1/3をもらっても良かったんじゃないかって、ずいぶん騒がれてましたよね」
「取り過ぎは良くないってババアがな。英傑の数がモロにパワーバランスを左右する。だからみんな必死だ。まあ座れよ」
南雲さんがパチンッと指を鳴らすとテーブルの上にワインとチーズ。そして、
「女がいるか?」
「いいですよ二人で」
「じゃあチョコレートにでもしておくか」
ワインとチーズは高級品で、チョコレートは普通のアーモンドチョコだった。以前も南雲さんが食べていた。好物なのだろうか。
「想像以上に結果を出したお前のためにちょっと趣向を凝らしてみた。気に入ったか?」
「とても」
「じゃあ祐太。地球を見てみろ。面白いものが見えるぞ」
そりゃこんなところから見た地球はさぞ綺麗だろう。ただそれだけの思いで、南雲さんが口にしたのだと思った。ゆっくりと地球を見る。ちょうど日が全開に当たっていて地球には影になっている部分がなかった。
満月ならぬ満地球。
その光景はとても美しくて魅了される。
「……うん?」
ただそれだけで十分だった。しかし俺の視界に別のものが映った気がした。地球と同じ場所。それでいて地球よりも大きいもの。あれは……。
「人……」
目の錯覚だろうか。地球のすぐ近くにありえないほど巨大な人がいるように見える。
「気づいたか? おそらく全てに【自然化】のMAX。それ以上の存在を消す"何か"がかけられている。それでもあの大きさだ。これだけ離れるとそういうのが苦手な俺でも見える。あんなに堂々としてるのに、結構最近まで誰も気づかなかったんだぜ」
いると分かると余計にはっきりと見えてくる。それは人と呼んでいいのかもわからないほどの巨大さ。大きさの比較で言えば、地球が赤ん坊ぐらいの大きさで、"それ"はちょうど平均身長ぐらいの大人ほどもある。
鈍色に輝くボディ。その体の曲線は女性のようだ。どこか見覚えがあると思えば、10階層のピラミッド。あの地下神殿で見た女神像。それと瓜二つに見える。
その鈍色のボディを持つ、巨人などという言葉ではもはや生ぬるいほどのあまりにも大きすぎる女の人が、地球をまるで赤ん坊を抱えるように、胸に抱いている。そうはっきりと見える。
「何ですか……あれ?」
あんな大きな女に抱えられて地球は大丈夫なのかと思えた。あの大きな女が本気になれば、地球がそのまま砕けそうにも見える。この状況が良いことなのか悪いことなのか、見ていてもそれすらもわからない。
あまりにも桁違いすぎて何をしているのかも理解できなかった。ただまるで地球を赤ん坊のように大事に抱きかかえている。そんな風に見えなくもなかった。だから不思議と危機感は湧き上がってこなかった。
「お前は何だと思う?」
「そんなの……」
こんなスケールの存在。思い当たるのは1人しかいなかった。
「ルルティエラ……」
その名前を口にしてもいいのかどうかもわからないまま口にした。
「そうだ祐太。あれが【"機械神"ルルティエラ】だ」
南雲さんの口からもはっきりとそう言われたのだった。





