第二百三十二話 雷神
「……」
《逃げる方法は?》
《ありません。助けもおそらく来ないでしょう。池袋の今の状況は分かりませんが、南雲様が急に助けに来てくれるなどという偶然には賭けない方がいいでしょう》
あるかないか分からない賭けはしちゃいけないか。まあそりゃそうだ。雷神は他の場所で俺を待っている方法だってあった。しかしここが一番確実だと思ったのだろう。目の前の女の顔。冷たくて鋭くて、その瞳には狂気が垣間見えた。
何一つの迷いもなく強さだけを求める冷酷無比の女。探索者でどんな罪を犯しても、この女のいる横浜にさえ逃げ延びれば庇護してくれる。この女と事を構えるつもりがなければ、たとえ誰だろうと文句は言えない。
この人に殺された自衛隊と在日米軍の総数は万を超えている。
『日本で最もたくさんの人を殺した探索者』
そんな風に言われている雷神が目の前で俺を殺すと言ってきてる。俺の大事なこと。切り札を話さなければ殺す。そしてよほどの理由がない限り、俺は殺されるぐらいなら喋る人間だ。殺されてもいいから喋らないなんて言わない。
それでも"雷神に怯えてしゃべりました"。それではあまりにも情けなかった。ここまで何のために頑張ったのだ。こういう状況でも負けたくないから頑張ったんだろう。殺されるから全部言いなりになる?
それは嫌だ。
だから、
「約束します」
あまりにもそれが嫌で口にした。
「何をだ?」
殺されないように気をつけながら、最初に出す言葉もこの女が殺そうと思うよりも、先を聞いてみようと思う。そうなるように気をつけた。
「これは英傑にももしかしたら刺さるかもしれない。俺はそう思っている話です。俺はそれで迦具夜の裏をかいた。いや、たとえ、あなただったとしても裏をかけた。それでも迦具夜には届かなかった。でも確実にあなたが相手なら裏をかけた」
「本当に我ならば裏をかけたと?」
雷神の口の端がつり上がる。
「確実に」
「ほお、嘘がないな。少なくともお前はそれをかなり自信を持って口にした」
それが分かるようで楽しげに目を細めた。
「迦具夜はこれのおかげで俺を少し気に入ったみたいだった。そして俺の切り札を強いあなたが使うことができれば、きっとこの戦争で英傑を殺せるかもしれない」
「ダンジョンの中には、たまにバランスのおかしい魔法やスキルがある。そのレベル帯でそれを持っているのは反則だろうというやつだ」
「確かに特大の反則を持ってますよ」
しっかりと興味を持ってくれた。そのことでしゃべる順番は間違ってないと思った。
「続きを言え」
「約束します。俺はここで殺されるぐらいなら、この能力をあなたのために使いますよ。俺もここで死ぬわけにはいきませんしね。でも、あなたも何か俺に利益をください。この大変な中で俺があなたに協力する。それに見合う見返りが欲しい」
「……このレベル差で交渉か」
「そうです。交渉です。あなたに脅されたから、正直おしっこちびりそうなぐらい怖いですけどね。でもただごめんなさいは情けなすぎる。だから交渉したいんです」
「嘘をつけ。修羅場を超えたな。たかが15歳。されどダンジョンの中でレベル250。しかも9ヶ月ほどか。呆れるほどの短期間だ。ダンジョンの中はリスクに見合う報酬。それが基本だ。ルルティエラは好きでもその禁は破らないそうだ。お前は我の前でもちゃんと交渉してくる。それだけの根性を手に入れたのだ。とても良いことだ。そういう男は強くなる。なかなか感じるではないか」
「……」
「よし、お前の男ぶりに免じて、我も約束してやろう。お前の能力に見合うだけの対価をお前に果たそう。だから、教えろ。ああ、さすがに、これ以上もったいつけるなよ」
雷神は俺の顔を見つめたまま、少しだけ拘束を緩めてくれた。俺に逃げる意思はないと判断したのか、腕が首に回されたままだが、力は感じなかった。
「もったいつけはしませんけど、ここって南雲さんたちが来る可能性はないんですか?」
「少しある」
あるのかよ。思った以上に考えてなくて笑えない。南雲さんの性格だとこんな状況で俺が雷神に脅されてたら、多分だけど怒る気がする。さすがに2度目の必要のない戦争は嫌だ。こんな時である。そんなことをしている場合じゃない。
「場所を変えませんか?」
あの戦争の原因は俺にはないと思いたい。しかしあのクラスの戦いは万が一にも起こらないようにするべきだ。
「どこに行く?」
「えっと……近くに俺の家があります」
今すぐに思いつく場所は自分の家ぐらいしかなかった。
《クミカ。伊万里に何があっても、家に帰ってくるなと連絡をしておいてくれ》
《了解しました。伊万里様の気配を感じた瞬間に【意思疎通】を入れるように気をつけます》
「まあいいだろう。余計な目があるのは我も望まん。小僧。場所のイメージを伝えろ」
「了解です」
どうするのかはわからなかったけど【意思疎通】で雷神に俺の高層マンションの部屋座標を伝えた。瞬間、
「近いな」
俺の体に電気が流れ込んでくる。感電してる? でも苦しくない。痛みもない。体中に電気が流し込まれて体が発光してく。青白く強く輝いた。バチンッ! と耳が痛くなるような音が耳を突き抜ける。
驚いて瞬きをした。目を開ける。
「俺の家ですか?」
「違うのか?」
俺の家の中だった。南雲さんが手配してくれたインテリアデザイナーの人と相談して、伊万里が全部決めたという高級家具で整えられた贅沢な部屋。真っ暗で電気がついていなかった。カーテンも閉められている。
「いえ、俺の家です」
雷神がカーテンを開けた。急激に光が差し込んできて眩しい。よく晴れた東京の街並みが一望できた。
「なかなかいい趣味をしているな。嫌いではないぞ。探索者をやっていても粗末でいいなどというやつがいるがな。我はそういうやつは嫌いだ。金を持ったのだ。贅沢をすべきだろう。それこそ人の喜びだ」
「まあそれは俺も思います」
お金を持ちました。それでも禁欲的に生きてます。テレビに出る人がよく口にする言葉だ。最初はお金の使い方を知らないから、贅沢の楽しさも知らないから、禁欲的に生きても苦はない。でも徐々に消費の楽しさを知っていく。
そうするとだんだんとお金を使うのが楽しくなる。それでも禁欲的ですと口にしている嘘つきな人間は、きっと多いのだろうなと思った。
「きつい酒はあるか?」
「ちょっと見てきます」
ここに連れてきた時点で雷神から感じる殺気がかなり消えた。そのことで俺も先ほどから緊張していた心がかなり落ち着いた。お酒も確かあったのを覚えている。伊万里はかなりブランド好きで高級感のある趣味をしていた。
だからと言ってやたらめったに買い込むわけではないが、部屋をそういうもので統一する。それが好きなのだ。部屋のインテリアに使っていいと数億ほど渡したので余計だ。
ガラス張りの棚に高そうなウイスキーやワインが10本ほど並べられていた。
「マッカランの40年物にグレンファークラス50年にザ・ダルモア58年……お前の趣味ではなさそうだな。とりあえず高い酒を並べてみたという感じだ。ちょっと見栄っ張りな女がいるな。探索者になって金を持つとこういうことをするやつがよくいる」
「は、はは」
見抜かれてるな。伊万里ってこういうところは分かりやすいんだよな。
「好きなの選んでください。正直どうやって飲むのかもよく知りませんし」
「全て100万円を超えるような酒ばかりだ。好きに選んでいいのならマッカランにしておくか」
「……美味しいんですか?」
「これがまずいならどんな酒もまずいな」
マッカランの40年物とかいうのを雷神が手に取ると、俺だとせっかくの酒を台無しにするとでも思ったのか自分でグラスを用意して、冷蔵庫の中にあった氷を使い。グラスに酒を注いだ。どうしてか2つ分用意してくれていた。
「15歳でも探索者ならば飲めるだろう。最近では1000万円ほど出さねば買えない酒だ。味わって飲め」
「へえ、よく使うポーションと同じぐらいの値段だ。高いんですね」
「……」
「えっと、ありがとうございます」
グラスを受け取り、並んで座ると怖いのでちょっと離れた床に正座することにした。
「床に座ろうとするな」
雷神がソファーに座ると俺もその横に座るように促された。なぜか呆れられてる気がする。向かいにソファーがあれば良かったのだが、伊万里は俺と並んで座ることしか考えてない。向かいにソファーなどおいているわけがなかった。
「さて、面白い話を聞かせろ。くだらなければ気分が変わるぞ」
「は、はい」
口が渇く。東京の街並みを高い場所から一望して、高級な酒を飲む。きっともっと気分がいい状況で飲めたはずなのだが、緊張しすぎて酒の味もよくわからない。それなのに様になる仕草で足を組んだ雷神は、リラックスしているようだ。
「まず俺の持っている能力ですが……」
少し悩むがこれだけレベルが離れると嘘がほぼ100%バレる。肝心の部分を隠しながら本当のことを喋る。それも考えたが、そういう心の動きがわかってしまうのだ。探索者に嘘をついてはいけない。
自分も似たようなことをできるようになってきて、その意味が嫌というほど分かってきた。
《この状況になった時点で本当のことを言うしかありません》
《そうだな。わかった》
考えてしゃべることを決めて口を開いた。
「俺の能力は"24時間前に10文字までの文章を送ることができる"という能力です。使えるのは一度きり。もう一度は無理です。能力名……というよりもアイテムの名前は【明日の手紙】」
「時間干渉ということか?」
「はい」
「はっ。簡単に言う。それがどれほど高度なことかも知らぬであろう。よくそんなでたらめな能力……。で、元の時間軸はどうなる?」
「俺がその文字を送った場合。元の世界の24時間分は消え去ります」
どうするか悩んだが隠し事はなしにした。バレて『さっさと言え』ということを繰り返すのはナンセンスだ。交渉はもう終わっている。望まない形だったが最悪ではない。あとはできるだけ大きな対価をもらえるようにしたい。
「……」
雷神の酒を飲む手が止まった。グラスをテーブルの上に置く。
「実際に使ったんだな?」
「使いました。それで迦具夜の裏をかきました。でも迦具夜はどうやってかは不明ですが記憶の消失までは避けたようです。時間の消失という事態は、彼女にとってもかなりギリギリだったようで、不明な方法ではありますが、それを使うのは条件が必要なようでした。その条件が揃ってなければ、俺は少なくとも逃げることぐらいは選べたと思います」
「気に入られたと言っていたな。その後どうなったんだ?」
「五郎左衆の残りの首50人分をくれました」
「自分の手駒を皆殺しか。いや、あちらの状況を考えると、損切りされたか」
「そうみたいでした」
そして俺も手駒として、仲間が皆殺しにされて、五郎座の代わりに飼われる人生になりかけた。そのことは黙ってようかと思ったが、どこまでが相手に伝わってしまうのか、わからずに結局口にした。
「迦具夜に飼われることを回避した。それがうさぎの神にとっての一番大きな評価ポイントだったわけか。迷惑な話だ」
どの口が言うのだ。そう言いたかったがそれはさすがに黙っていた。
「しかし、時間が消失したならば我にも影響があったはず……それなのに使ったことに気づかなかった」
「レベル900台でも時間の消失に抵抗できるものは限られてるのかもしれません。またそれがあっても24時間分の肉体の消失は避けられないようでした」
「なるほど。時間か……」
「対価はもらえそうですか?」
「そうだな。お前の話は思った以上に有意義だ」
「よかったです……」
とりあえずホッと息をついた。
「【明日の手紙】があれば我は確実に12英傑の誰かを殺せる可能性が高い。なるほど……素晴らしい。時間移動。噂は聞いたことがある。しかし持っているという奴は初めて見た。真性の神々だけが使うものだと思っていたが……それを我のために使うか?」
「四英傑の誰かに狙いを定めるなら俺が死んでも断ります。でもそれ以外なら使おうと思います」
その方がこの場で殺されるよりはまだ未来がある。
「ふむ、六条祐太。お前我と一緒にレベル1000を超えぬか?」
しかし雷神が口にした言葉は、俺の予想とは違った。日本を助けるために何かをする。そのどれかに引っかかっているなら、それほど悪い話じゃない。それなのに雷神の言葉はそのことは置き去りにしていた。
「何を言い出すんですか……」
「気が変わった。それはお前が使え。南雲に提案してもそう言うだろうし我もそう言う。ダンジョンは必要だからお前に与えているものだ。お前はそれを自分で使わなければ、おそらくダンジョンの中で死ぬ。それは少々もったいないと感じた。だからそれはお前が使え。そして早くここまで来い。ここまで来たら我とともに英傑を殺そう」
「それは……無理ですよ。俺には仲間がいてそいつらと一緒に」
「バカか。レベル1000を誰でも超えられると思っているのか? 仲間とはどんどん強さの差が出てくる。賭けてもいい。お前についてこれる仲間は精々1人だ。他は置いていくしかない」
雷神は少しだけ寂しそうな顔になった。
「……そんな先のこと分からないでしょ」
「お前はそうであろうな。それにレベル900台にもなればお前も我に怯える子鹿ではなくなる。だからこの場では何も取らん。そしてこれは対価ではなく提案だ。我と組むのは嫌か?」
「それは……」
「この体、抱きたいなら抱かせてやるぞ? 我は強い男が好きだ。お前は将来、想像を超えて強くなる。迦具夜も大方それを見越して見逃したのであろう」
「……俺にそんな気はありません」
「池袋には南雲に会いに来たか?」
「そうです」
「この戦争はな。かなりまずい。正直我も面白くない。この国が蹂躙されればゆっくりと強さを追い求めることもできん。南雲はお前に何も教えてくれんだろうから教えておいてやろう。あいつらはできるだけの時間、防戦に努めるつもりだ」
「でも、それじゃあジリ貧になるんじゃ。それよりは8英傑のうちの誰か一人でも殺して」
「そんなものは全員考えてる。通用せんさ。ならば時間を稼ぐしかない」
「何の意味があるんですか?」
「さあな。4英傑は時間を稼ぎたがっている。8英傑はなんとかそれをさせないつもりだ。それだけは確かだ」
「確かだって」
この人なりに気付くから口にしてる。少なくとも俺の予想なんかよりははるかに確実だ。
「南雲は強いが相対的に見て英傑間の実力差はそれほどない。ならば知恵比べと行きたいところだが、頭では王という化け物がいる。あの女は面倒だ。ババアと知恵比べをしても、あの女の方が勝つ。ほんのわずかだが、あの女の方が利口だ」
そして俺がそこまで知っても仕方ない。俺も【明日の手紙】を自分のパーティーを危険にさらしてまで、日本のために使うことはできない。それに自分でもやっぱりしょせんレベル250だと思ってしまった。
「六条祐太。この戦争はおそらく3年ほどかかる。そして4英傑の誰か一人を完全に殺されて手打ちとなるだろう。我はそう見ている」
「一人ですか? 全滅はしないんですか?」
「ああ、レベル1000を超えたやつらはしぶとい。4英傑を全滅させるなど、それこそ向こうも何人が死ぬことか。そこまではやらんよ。やれば阿呆だ。だから3年でお前は間に合うようにしろ。3年後でも南雲たちは自由には動き回れん。そこを我とお前で8英傑を誰か一人殺す。そして晴れてお前と我で英傑の座に着く」
「……本当にそうなると思ってるんですか? 俺には全然そんな力ないんですよ」
「いいからやってみろ。提案してみる価値はあると思った」
3年……。俺の予感でもその時間が自分がレベル900台に到達する最短時間だと思った。でも12英傑の動きの速さはそれこそ俺の比じゃない。以前の大戦は6年間もやっていたが、それは人間が動きで、大勢の人が関わったからだ。
南雲さんは一瞬でアメリカに飛ぶ。他の英傑だって似たようなものだろう。それなのに3年? 本当にそんな時間があるのか?
「時間はあるんですね?」
「ある。お前はよくわからないだろうがな。英傑というのは本当になかなか死なん。殺しても死なん。ババアに至っては100回ぐらい殺さねば死なんだろう」
「そんなに?」
「そうだ。それがレベル1000を超えるということだ。あいつらは恐ろしくしぶとい。お前でももう心臓を失ったぐらいでは簡単には死ななくなっているぞ。違うか?」
「それは……」
さすがにその状態で放置されたら死ぬと思う。でも死ぬまでにかなり時間がかかる。そんな気はした。本当にだんだんと生物的にも化け物じみてくるんだ。そして雷神が嘘をついていないなら3年の時間はあるわけか。
だとすると俺はやはり一刻も早く強くなる。それが肝心だ。この人の頭の中はきっと自分が強くなることでいっぱいなんだろう。そのために色々なところに種をまいているだけなのかもしれない。
「どうする?」
「どうなるかわかりません。でもレベル900になって、本当についてきてくれる人がいなかったら、その時は声をかけます」
「よかろう。当てが外れたら千代女に金でも払って付き合わせるさ」
「……こんな戦争やめればいいのに」
思わず本心が出た。おかげで必要のない人たちの安全まで考える必要が出てくる。英傑は簡単に死なないとしても、一般人は簡単に死ぬ。この人と南雲さんが戦った時でも1万人も死んだ。
「その見方は一元的だな。8英傑がこれをやめれば日本が全てを取る。少なくとも向こうはそう思っているようだぞ。一般人などどれだけ巻き込まれて死ぬとしても、もう止まらんさ」
グラスに入った酒を飲み干した。どうしてかこちらに寄ってくる。雷神の顔が近づいてきた。
「お前は随分と顔がいいな」
「よく言われます」
「性欲を満たしたい気分だ」
「勘弁してください」
その場合強姦されるのは間違いなく俺だ。そう言ったのにそのまま唇が合わさる。ウイスキーの味。舌が入り込んできた。
《こういうことをよくするんですか?》
《動揺しないところは可愛くないな》
《強姦はよくありませんよ》
《満たしたい時に満たしたいことをする。それが人だ。嫌か?》
《嫌ですね》
手首を掴まれて抱きしめろと促される。仕方ないのでそうすると思った以上に細い腰をしていることに気づく。体がすり寄ってくると女なのだとわかった。それでもそれ以上しない。般若心経を頭の中で唱えた。
可能であれば悪霊退散できればいいなと思った。そしてなんとか冷静さを保ち続ける。次第に舌の動きが緩やかになる。俺がその気になりそうにないとわかると雷神から離れた。彼女は唾液に濡れた唇を舐めていた。
「普通の子だともうそろそろ夢中になってくるのだがな。さすがに手慣れているか。まあいい。今日は挨拶をするだけのつもりだったしな」
「挨拶でこれは欧米にもない習慣だと思います」
「六条祐太。このキスをよく覚えておけ。そして異国の迦具夜などという化け物にたぶらかされるなよ」
「そんな心配はさすがに必要ありませんよ。俺はあの女の人を許す気はないです」
「だといいがな」
その言葉と同時に、眩しいほどの火花がはじけた。
「また会おう」
もう誰もいなくなっていた。言葉だけが後で聞こえてきた。
「まだまだ遠いことだけは間違いないな」
ソファーにもう一度ドカッと腰を下ろして、自分の唇に触れた。お酒と甘い味がした。キスの上手な女の人だ。丁寧に相手が気持ちよくなるようにゆっくりと舌を交わす。レベルが高くても女の体は柔らかかった。
胸板に当たる乳房の感触もしっかりと伝わってきた。
「はあ」
盛大なため息をつく。
「意味がわからないほどモテる。いや、好きなんて意味ではないのだろうけど、唇の味を確かめられた」
目撃者は1人だけしかいない。
「クミカ。美鈴達は?」
俺は声に出した。
「まだダンジョンから出てきてはいないようです。3人分のガチャですし、もうしばらくかかるかと思います」
他に誰もいないのでひょっこりとクミカが首だけ出してきた。まだ出てきていないおかげで、美鈴たちに必要のない心配をかけることはなかったようだ。ただ後ろめたいことだけが増えていく。
「誰もがレベル1000を超えられるわけじゃないか……」
「それに偽りはないかと。今回の件でも他のパーティーメンバーとレベル差ができました。今後はそれが広がる可能性はかなり大きいものと思われます」
「それは嫌だな。俺は美鈴達とダンジョンの中に入りたい」
「それでも祐太様は美鈴様たちが、自分のところに到着するまで待っている時間はない。クミカはそう思います」
「ダンジョンって、みんな一緒に用意ドンして、一緒にゴールするわけじゃないんだな」
「まだ分かりません。榊様や伊万里様は追いついてくる可能性もあります」
それでもクミカは、美鈴やエヴィーはどこかでレベル差が開いてくる。そう思っているのが伝わる。あの二人は才能という面で、榊達には及ばないような気がする。何がその差を生むものか。
実際のところダンジョンの中での基準というのは誰にもわからなかった。ただ、将来雷神と組む。そんなことが本当に起きるんだろうか。やはりわからず、わからないことだらけで首を振った。
「とにかくこのことは秘密な」
「畏まりました」
すっと俺が動き出そうとしている意思を感じて、クミカが姿を消した。雷神がお酒を飲んだグラス。それを片付けるべきかと思ったが、今日は多分美鈴もここに来る。別の女がここにいた。それは100%バレる。
隠したところで隠しきれない。そもそも雷神とキスしたなどときっと誰も思わない。後で雷神と出会ったことだけは報告しておこう。そう思い今度こそ南雲さんに連絡を入れてみる。そうするとすぐに連絡が返ってきた。
【ここに来い】
探索者用のスマホに座標が指定されていた。俺は外に出るとすぐ近くのダンジョンショップへと歩き出した。





