第二十一話 ファーストキス
「150kmー! 祐太やったね! 私たち走りきったよ!」
「階段、見つけることが目的だけど、見つからなかったね」
「い、言わないで。急にしんどくなるから」
二人とも汗だくだった。ダンジョンの中はずっと天気が固定されている。炎天下の中をずっと走り続けた。もう汗びっしょりである。その場に座り込むとあまりの暑さで、二人ともボディアーマーも取ってしまった。
美鈴にいたってはズボンまで脱いでしまい白のタンクトップにスパッツだ。俺の方はTシャツとカーゴパンツである。二人ともその服が汗で濡れていないところはないというぐらいびしょびしょだった。
「な、なかなか見つかるもんじゃないね」
美鈴のブラが透けて見えるし、下だってパンティーが透けてる。俺は見ていいものかどうか悩みながらも、どうしても視界に入ってしまいながら喋った。
「現実は甘くないかー。でもまあガチャコインも手に入るし実入りは悪くないんじゃない?」
美鈴はタンクトップをパタパタさせながら俺にもたれかかってきた。暑いからボディアーマーまで取ってしまったのに、くっついてしまったら暑くないんだろうか。だからって俺から離れる気は全くないが。暑いの最高である。
「それはそうだね。でもガチャゾーンの入り口付近でゆっくりしない方がいいと思う。池袋でストーンガチャの所に行くのなんて俺達だけだし、目立って仕方ないよ。ガチャは明日の朝回そう」
「一回だけは私も回していいでしょ?」
「それぐらいはいいけど」
「今はやっぱり駄目かなー」
「今23時だよ。だいぶ少なくなってきてるとは思うけど、まだ探索者がショップとかにいる時間帯だ。穂積たちだって朝よりもいる可能性が高い。帰りの入り口付近を通るだけでも危ないんだから、ガチャを引くためにゆっくりするなんて自殺行為だ。ガチャは大事でも命かけるほどのことじゃないよ。明日明日」
「ぶうー、でも、わかったー」
「それで考えたんだけど、だいぶ慣れたし帰りは明日の予行演習代わりにお互い助け合えないぐらいの距離で離れて走ろうか」
「なるほど。そうすれば穂積たちのせいで探索できていない10km以内の探索は行きと帰りでできるって寸法ね」
「察しが良くて助かるよ」
「いえいえ、祐太が賢くて助かります」
ダンジョンの出入り口まで地図アプリの足跡で自分たちの道を確認した。ちょうどその場所から500m離れて、俺と美鈴自体も距離を置いた。これで帰りだけは穂積たちのせいで探索できなかった10㎞圏内の探索にもなる。
それにしても元気なことである。
これだけ走ってもまだ走れるのだ。俺は500m先にいる 美鈴を見ることができた。お互いに手を振って穂積たちのために離れていた入り口から10km圏内の中を走り出す。一人ずつで走るとかなり勝手が違った。
何より10km圏内なのでゴブリンを殺すことができないから逃げるしかない。だから離れた位置にいる美鈴が疲れてゴブリンに追いつかれないか無事を確認しながら走った。
「――ほ、会わなくてよかった」
出入り口付近を通り抜ける瞬間が一番危ない。
穂積たちがいないか緊張した。そのままダンジョンショップには人混みがまだかなりあった。ショップはあまり寄っていかない方がいいと思い、ゴブリンの血がついていたのでシャワーだけ利用させてもらいすぐに出た。
外に出るとダンジョンとは打って変わって、1月の寒さが押し寄せてくる。パーカーと裏地のあるチノパンを履いて、美鈴と並んで歩き出す。美鈴は手を繋いで来て池袋の駅で電車に二人で乗った。
二人とも荷物は背負っていないので普通の乗客として紛れることができた。荷物は二人でダンジョンショップのロッカーを借りて全部預けているのだ。
「明日のガチャ何出るかなー」
「そればっかり」
「だって1回だけでも楽しみなんだもん。祐太は楽しみじゃないの?」
電車内でくっついて座り、屈託のない顔で楽しげに覗き込まれる。周囲の乗客からチッと舌打ちが聞こえた。美鈴は可愛くて俺はイケメンではない。なんでこんな男にこんな彼女がいるのかと怨嗟の声が聞こえてきそうだ。
その気持ちが痛いほどわかる俺は、それでも優越感に浸った。それにしても美鈴は恋人でもない俺と距離が近い子である。こういう距離で普段から人と接するのだろうか。 他の男に対してはどうなんだろう。
それがとてつもなく気になり考えていたら、国分寺駅に着いていた。電車から降りると、二人で国分寺駅を出る。
帰り道が分かれるところまで歩いて、
「美鈴、明日も寝坊しないようにね」
「ポーションを飲んだし大丈夫」
10万円のポーションをダンジョンショップのシャワールームでお互い一本ずつ飲んでいた。体力の回復効果もあり、体に溜まった疲労が効率よく回復する。
スポーツ選手がよく使う方法で、このおかげでかなりオーバーワークの練習もできるらしい。
「美鈴、じゃあね」
別れる瞬間は寂しいけど明日もまた会えると思うと嬉しかった。
「ちょっと待って祐太」
「うん?」
「祐太、私とキスしてみない?」
急に美鈴がそんなことを言ってきた。すっかり太陽が落ちて、あたりには家の中から漏れてくる光と、街灯の光。街灯の光は淡く美しく美鈴を照らしていた。人の姿もまばらで、外は1月なので枯葉が落ちていた。
ポニーテールを揺らして、黒いコートを着て、何気なく喋っている。その唇が妙に印象的だった。
「はい?」
俺は冗談でも言われたのかと首を傾げた。
「だから、キスしてみたい気分なの」
「はい?」
「嫌なの? 言っとくけどファーストキスだからね。出会って3日でキスでも尻軽とか思わないでね」
「それは思わないけど、なんで急に突然」
動揺した。と言うか何を言われているのかピンと来ていなかった。美鈴は確かにキスと言ったのか? その言葉があまりにも現実感がなくて、美鈴とこうやって楽しく過ごせていること自体がやっぱり夢だったんじゃないかと思った。
「突然じゃダメ?」
「俺たち付き合ってすらいないんだよ」
「じゃあ今日から恋人同士ってことで」
「いやそんな簡単に、え?」
「簡単でいいの」
「美鈴、わかってる? 相手は俺だよ?」
「もちろん。祐太だから言ってるし」
「それがよくわからない。だって俺だよ?」
美鈴も俺が学校で虐められてたことは知っているはずなのだ。そんな男子と何が悲しくて付き合いたいとかキスをしたいと思うのだ。
「私って格好いい男子とか、それこそ塾で講師してたイケメン大学生とかに告白されたことあるんだけどね。全然さっぱりそんな気にならなかった。小春があの人好きとか芸能人のこれが格好良いとか言うのを聞いても全然ピンとこなくてさ。何がいいの?って、理解できなかったんだよね。だから私って恋愛感情ないのかなってずっと思ってたんだ」
「そうなの?」
「祐太は違うの?」
「俺はずっと好きな人いたから」
目の前の美鈴のことが好きだったとは言えなかった。
「そうなんだ。じゃダメか。ものすごくキスしたい気分なんだけど残念」
「あ、いや、その」
それは俺だってしたい。しかし美鈴は恋愛感情から言っているわけではなさそうだ。ただダンジョンにいる間、命が危険にさらされている状況下で、そういう気持ちが高まってる。そういう感じに思えた。
「好きとかって意味じゃないんだよね?」
「よくわからん。でも祐太と今ものすごくしたい気分かなって。芽依お姉ちゃんは『そういう場合はちゃんとエッチをするのが一番よ』って言うんだけどね。さすがにそれは節操なさすぎでしょ?」
「それはまあ凄いお姉ちゃんだね」
「あっちの方だと珍しくないそうだよ。祐太も好きな子とエッチなことしたい?」
「そりゃ……したいよ」
この言い方だとなんだか誤解されそうな気がする。だからって性欲がない男だと思われるのも嫌だった。絶対に今こそ告白するタイミングだと思う。そして成功しそうな気がする。
でも、もし成功しても、友達ならまだいいが、美鈴ほどの綺麗な女の子と恋人なんかになっても、全くうまくいく自信がなかった。美鈴に飽きられたらこの関係は終わりである。もう二人でダンジョンに入れなくなる。
万が一にもダンジョンという特別な環境で性欲が高まっているだけなら、きっとそうなる。美鈴とこうして喋れなくなるのがどうしても怖かった。考えてると美鈴の顔が目の前にあった。そして近づいてくる。
美鈴のきれいな顔が近づいてくる。
どんどん近づいてくる。
ピンク色の唇が綺麗だった。
え? 何してるのこの子?
このままじゃ俺の唇とくっついてしまうぞ?
というか俺、まだ何も返事してないよ?
唇が触れ合った。キスしていた。美鈴から首に腕を回された。ぎゅっと抱きしめられて、体が密着してくる。胸が押し付けられて柔らかいと思った。一体自分は何をしているのか。通りかかるおっちゃんがこちらを凝視していて電柱にぶつかった。
それでも美鈴の体が柔らかい事だけは間違いなくて、唇も甘い事だけは間違いなかった。ずっとこうしていたい。あの憧れた桐山さんの綺麗な顔が目の前にある。今ゴブリンに襲われたらきっとかなりやばい。
いや、ここはダンジョンの中じゃないのか。どれくらいそうしていたのか。1分だけなのか。10分なのか。1時間にも思えた。強く押し付けられた唇が離れた。
美鈴はそれでもまだ俺の体を抱きしめたままだった。体が密着している。さすがにここまでくればピンとくるし興奮しないわけがなくて、色々大変なことになって俺も美鈴に押し付けていた。
「へへへ、その子より私の方が好きになったっしょ?」
「あ、ええ?」
「おや、ならないか? でも許してね。私、もう自分の感情には嘘つかないって決めてるの。でもどうしても嫌なら言って。でも嫌じゃないなら……。帰るか!」
美鈴が叫んだ。顔が真っ赤で恥ずかしさを堪えているんだとわかった。その姿はキスしてから自分のやった事の大変さに気付いたようでもあった。
「美鈴、離してくれないと帰れないよ」
美鈴が俺に抱きついたままだった。軽く震えていた。寒いからじゃないだろう。なんだかんだで今日美鈴はいっぱいいっぱいだったのだと分かった。
「お、おお、そうだった。あれ、なんか手が離れないぞ」
強くなりたいし、ダンジョンで探索者をやっていきたい。だからって、本当に怖いことは間違いない。だから誰かが傍にいてほしい。その時にたまたま俺がいた。離れようとする美鈴の体が小刻みに震えていた。
俺は自分の考えが間違ってないと分かった。急にモテ期が来たわけではなくてホッとすると言うか残念と言うか。却って気分が落ち着いて、こっちからも美鈴を抱きしめた。やはり美鈴は柔らかいと思った。
「美鈴。ゆっくり行こう。高レベル探索者なんてまだまだはるかに先だよ。だんだんと慣れていって、強くなればいいんだ。一緒に頑張ろう」
「あ、うん、そうだね。ごめん。なんかいろいろ恥ずかしい。好きな人いるのに変なことしてごめん」
「いいよ。それより、明日もいつもの時間で」
「うん、明日もいつもの時間で」
美鈴が落ち着いてきてようやく離れた。自分から告白する勇気があればきっとこの時にしていたのだろう。でも無理だった。自分のこの感情が理解できないまま、俺は家路に就いた。





