第百九十八話 幻惑
レベル200の探索者。しかも切江も紫乃もシャルティーも、全員が近距離が得意らしい。それでレベルが40も違うと俺よりも遅いなんてことはなかった。俺を殺す気としか思えないような攻撃。
「ごめんね。ちょっと痛いけど少しだけ我慢してよ」
「六条! うっかり死なないようにしてくれよ!」
俺を傷つけないように戦ってくれる。そんなことはなかった。切江のレイピアがその数を増やして目の前から襲いかかってくる。巨大な斧を持つ紫乃が巨乳を揺らしながら、斧の斬撃を横から衝撃波として放つ。
「こっちに死なれたくないなら、死なないように気をつけろよ!」
「大丈夫大丈夫。すぐに治してあげる!」
まともに喰らえば死ぬような攻撃を平気で放つ。仙桃があるから少々の傷は治せると思っているようだ。俺の手札ではこの二人の攻撃を耐えきれない。だから懐に忍ばせた【飛行石】を発動すると空へ飛び上がった。
「【飛行石】ですね? 私も持ってますのよ!」
しかし後ろに気配を感じる。とても甘くて蠱惑的な声だった。振り向いた瞬間、紫色の水着のような装備を着た女がいて鞭を振りかぶっていた。シャルティーだ。同じ【飛行石】を使っているようで飛んでいる。
そして相手はもうスキルを発動させている。
「【毒蛇】おいでませ!」
「なんだ?」
俺は一瞬何が起きたのか分からなかった。鞭の攻撃が本物の蛇となって襲いかかってくる。20匹もいる。それが鞭の根元から生えたようになり、縦横無尽に動いている。こんなスキルもあるのかと驚きつつ、【炎蛇】で迎え撃つ。
でも、こちらの発動が遅かった。全て防ぐことはできない。当たれば致命的になるものだけ選択して防ぐ。本物のように動く鞭の蛇に、炎の蛇が絡み付くと本当に熱そうに苦しむ。防ぎきれなかった蛇が2匹胴体に噛みついた。
「ぐうっ」
焔将の胴鎧が肉を抉られることは防いでくれた。それでも牙が食い込んだ。
「ふふ、当たりましたわね! 終わりですわ!」
急に体が重くなる。状態異常スキルだ。威力がない分、毒が付与されている。ここまで装備を揃えた俺でもレベルが上の相手の攻撃を完全には防げない。
だが焔将の魔法護符が毒のデバフに対向していく。瞬時にカウンターワクチンを生成し、体内で毒を浄化していく。相手はさすがにそれには気づいてないはず。装備がいいからガチャ運4ぐらいには思っている。
そうだとしても、こいつらは俺のガチャ運を知らないようだ。何しろ俺ほど極端にガチャ運がいいと知っていれば、絶対に迂闊には近づかないはずなのだ。それぐらいブロンズあたりからガチャ運の良さは強さに直結してくる。
急激に頭がクリアになっていく。体が一瞬で回復している。毒が抜けている。これで隙をつけるか?
「シャルティー! こっちで確実に仕留めるよ! 念のために近づかないでくれ!」
切江が言う。
「OK!」
シャルティーが今度は鞭を大きく振りかぶった。
「くそ、ここまで頑張ってきたのにここまでかよっ」
毒が体が動かなくなっている。なんとか飛ぶことはできてる。でも、このままではやられると思って悔しそうな顔をする。うまく芝居をできてるのかは知らない。
「大丈夫。レベル160の探索者が200を相手に3対1なんて状況。一撃で決着がつかない方がおかしいぐらいですわ。最初の攻撃で死ななかっただけで十分。六条。あとはウチでゆっくりとレベルを上げなさい。私が優しく教えてあげますから。もちろん夜のこともね」
「こら! シャルティー今から色目使ってないで早くしろ!」
「そうだよ! 油断はしないでくれ!」
紫乃と切江が叫んだ。俺の猿芝居をシャルティーは信じ込んでる。翠聖様がクエストを出した相手。それは知っている。だから警戒してる。3人の圧倒的な攻撃で次々と来られたらそれだけで負けてたと思う。
でも慎重になってそうしない。俺はその間に他の探索者よりもアドバンテージのある自分の有利を生かすのだ。そのために2度目のブロンズガチャで出てきた美鈴にあげたものとは違う【転移石】。それをバレないように手に握る。
そして【転移石】を発動させるポイントを決めた。ポイントを決めて発動させるまでに10秒かかる。【転移石】はそれ以外にも使いにくい点がある。最初に転移ポイントとして定めた場所から10m外に出た時点で、転移がエラーしてしまうのだ。
だからこれから10秒、大きくは逃げられない。できるだけコンパクトに逃げる。相手の攻撃を見逃さないようにシャルティーをしっかりと見つめる。同時にシャルティーが俺を地上に打ち落とすためのスキルを叫んだ。
「装備スキル開放!」
【バジリスク!】
シャルティーの言葉と同時に一時的に空間の扉が開く。そこから太さが1mあろうかという蛇が姿を現した。そのまま襲いかかってくる。喰らえば今度こそ魔法護符でもすぐには回復しない毒になる。紙一重で躱した。
「え? あなた動けますの?」
俺の素早い動きに自分の毒が効いているはずなのにと戸惑いが浮かぶ。一対一ならここで一気に近づいてかなりのダメージを与えられる。俺が近づこうとした瞬間。
「そう思ったよ!」
真横に紫乃がいた。地面の土が盛り上がって、紫乃の足場になっている。土魔法をかなりうまく使えるようだ。紫乃の斧が俺の肩目掛けて振り下ろされてくる。そしてシャルティーの大蛇は俺を地面に叩き落とし損ねて、翻って向かってくる。
地上からも次々と邪魔なハエを撃ち落とそうとでもしているように、切江のレイピアから衝撃波を放たれる。大技を放つタイミングがない。できればクミカに間に入ってほしいところだが、クミカが一番多い4人を相手取っていた。
さすがにそれは期待できない。爆発的に【飛行石】に力を注ぎ込み、なんとか最小限の動きで躱す。無理をしたのが祟って【飛行石】が砕けた。幸いガチャから飛行石は“4つ”出た。まだ飛んでいられる。俺は焔将を振り上げる。
【炎隕石!】
焔将の装備スキルの中で一番簡単なものを唱える。炎をまとった隕石が空から降り注ぐ。
「なんの!」
【巨石群!】
しかし紫乃が巨石の群れを射出して俺の攻撃を撃ち落とした。
「なぜですの? 予想外ですわ。今のスピードはどうやって出したのかしら? 【飛行石】だとそんなことしたら壊れちゃうから飛んでられないはずですわ。でもまだ飛んでる。まさか【飛行石】が2つなんてことないですわよね?」
隙間なく襲ってくる3人の攻撃。どれを食らってもやばい。しかし、ようやく【転移石】が発動した。10秒かかるからぴったりのタイミングでは無理だった。攻撃が届くよりも随分早く俺の体は決めた場所へと転移した。
「消えた……え?」
外で3人の攻撃が合わさり、それぞれが衝突した音が響く。
「どこへ行ったの?」
「なあ、これって【転移石】だよな?」
「さっきの毒の無効化といい、彼はなんだかおかしいいね……」
「それどころじゃねえよ。切江。もしかして六条はガチャ運5ぐらいあるのか? 【飛行石】二つに【転移石】がないとこの動きは無理だぞ。しかもこんな一瞬でもったいないと思わないのか?」
警戒している。それでも互いのやり取りを【意思疎通】にしておらず、ビルの中に逃げただけの俺に声が聞こえてきた。完全に相手は俺の位置を見失った。そして俺はここに来て初めて使うスキルを唱えた。
【自然化】
これはエヴィー奪還クエストの報酬だ。この報酬を何にするか俺はかなり悩んだ。局長の話を聞く限り、よほどのことがない限り五郎左衆壊滅クエストは達成不可能だと言っていた。それぐらい五郎左衆は面倒な相手なのだという。
となると本当に自分の本来のスキルや魔法だけをとっていて、どうにかなる相手か。将来的に見ればマイナスになるかもしれない。そもそも自分の体に合ってないスキルを身につけても、その後成長せずに腐らせることになるらしい。
それでも、必要な気がした。自分本来のものではないスキル。
それが、
【自然化】
【気配遮断】と【透明化】の両方が統合された上位互換のスキルである。自然の中の空気と一体化し、自分の存在が限りなく希薄になる。ただ弱点もあって、自然には攻撃意志がない。だから攻撃しようという体勢になった瞬間。
相手は俺の存在に気づく。
そしてあまりに近づきすぎてもダメだ。攻撃する意志が0になればいいが、0にはできない。だから、近づきすぎれば相手は気づく。レベルが上だと余計そうなるらしい。
「ちょっと押さないでよ!」
「早くしろよ! この近くだぞ!」
「さっき隣のビルが崩れたわよ!」
ビルの中はまだ逃げようとする人間でごった返していた。早く逃げろ。多分このビルはすぐに破壊される。俺はそれを計算に入れてる。逃げてくれないと俺が巻き込んだことになってしまう。避難状況を見る。まだまだ人で溢れてる。
これは何百人か死ぬ。俺は正義のヒーローじゃないし、自分を普通の人間だと思う。それにこのタイミングが一番いいのだ。おそらくこのタイミングなら勝てるんだ。でもこのタイミングを逃すと、極端に勝率が下がる。
少なくともこの人たちが逃げ切るまでの時間を稼ぐ。そんなことをやっていたらまず間違いなくこっちが捕らえられる。そして戦いが長引けば間違いなくもっと死ぬ。あいつらはここの住人の命を命と思っていないようだ。
ごめんな……。
誰に謝ったのかは自分でも分からなかった。
俺はビルの中から出た。
3人が俺の気配を探っているのが見えた。
「いくらなんでも自前で【転移】は持ってないだろ。【転移石】ならそんな遠くじゃない。だとするとこの辺!」
紫乃が一番近くのビルに向かって斧を振り下ろした。俺がいたビルの1階部分が、ためらいもなく吹き飛ばされる。当然のようにビルが崩れてくる。さっきまで逃げようとしていた人たちが、自分が死んだことも分からず肉片になった。
逃げようとしていた女が、頭だけになって見えた。
俺はそれを見て何もできなかった。助ける方法はあった。俺が声を出せばビルは壊さなかったはずだ。でもそれだと惨事が大きくなるだけだと割り切る。そう割り切れるようになった自分。本当にヒーローでもなんでもない。
「紫乃。大雑把すぎますわよ。返って分からなくなるからそういうことをしないでくださいまし」
「はは、ごめん」
「困ったね。【転移石】だよね? 10m以上離れてないはずなんだけど全く分からない。近接職でここまで気配を消せるものかな」
「切江。彼には私たち全員の討伐が出されたのですよ。それだけの何かがあるということですわ」
「まあそういうことになるか。これは逃がしちゃったな。後で怒られそうだ」
彼女たちは俺を楽に殺せる実力がある。レベル200の中でもかなり質の高い3人だと思う。少なくとも久兵衛や狼牙より強い。普通の探索者ならそういう場合すぐに逃げる。だが五郎左衆はまだまだいる。
危ないからと逃げていたらクエスト達成など不可能。
逃げるわけにはいかない。何よりもこれで逃げたらビルの中の人間を助けられないからと結局見て見ぬふり。そんな自分が許せなくなる。切江達の目標がクミカとジャックに移らないうちに、再びガチャアイテムを使う。
【幻惑の粉】
うまくいってくれよ。紫乃がビルを壊してくれたことが幸いした。倒壊したビルがかなりの粉塵を発生させる。普通にやれば負ける。だからできるだけ近くのピルを破壊させて、その“粉塵”と【幻惑の粉】を紛れさせる。
自分で起こした粉塵なら警戒心が下がるだろう?
ジャックと土岐の頭の中にあった知識だが、普通の戦いでブロンズガチャのアイテムが使われることはまずない。みんなそれほど持ってないのだ。ブロンズガチャのアイテムはかなり重要なクエストや戦いでようやく手札として使う。
使うのは1つか2つ。3つ使ったら、それを使わなかったら死ぬというような状況だ。そしてそれを使うにしてもかなり慎重に使う。
【飛行石】【転移石】【幻惑の粉】
それを連続して手札としてきる。そして連続して使えるほどアイテム同士の相性がいいものを持っている。こんなケースはまずない。だから、
「ごほっ。うげー、めっちゃ煙を吸い込んだんだが! 誰だよビル壊したやつ!」
「あなたでしょ全く。けほっ。ジャリジャリしますわ」
「煙たいな。六条は仲間を見捨ててあっさり逃げたか。拍子抜けだったな。でもまあこういう性格の子なら、脅威にはならないし、あんまり魅力を感じないな。真面目な子を屈服させるのが楽しいのに、同じ不真面目じゃな。紫乃、シャルティー、残りの2人を始末してさっさと帰ろうか」
「はいよ」
「了解ですわ」
【幻惑の粉】は丸いカプセル状になっていて、3人の中心で中身の粉がはじけた。ビルの煙に紛れさせて、投擲した。彼女たちに見せる幻の内容は事前に【幻惑の粉】に念じて仕込むことができる。
それをやられると相手は五感で本当の光景を認識できなくなる。粉を思いっきり吸い込んでしまった瞬間から、幻を見てしまうのだ。見せられる時間は3分。その間に見る光景は残りのジャックとクミカを特に苦労せず予定通り始末する。
その光景に従って切江と紫乃とシャルティーの3人は、全く意味のない空にスキルや魔法を放った。そしてジャックとクミカが死んだ光景を見ている。俺から3人が見ている光景が見えるわけではないが、念じた内容は覚えている。
「OK。めっちゃ簡単な仕事だね。こんなのでいいのかな?」
「六条さえ生き残らせれば、無期限なクエストだからずっと出続けてるんだろ。そうすると翠聖様が自分の間違いを認めてクエストを撤回するまで、私たちは武官に追われることなく好き放題し続けられるってわけだ」
「紫乃。声が大きい」
シャルティーの注意に切江が肩をすくめる。
「まあ終わったんだし、いいじゃないか。本当は六条はこちらの手元で生かしておくのがベストだったんだけどね。まあ逃げられたものは仕方がない」
「それにしてもこんなものなのでしょうか?」
シャルティーが首をかしげた。
「レベル160だぜ。まあまあ驚かせてくれた方じゃねえの?」
「ですが赤子の手をひねるように簡単でしたわ。翠聖様ともあろうものが、こんなにこっちが簡単にこなせることをクエストとして出したのでしょうか」
この大八洲国において翠聖様というのはかなり賢い神様だと認識されている。それが出したクエストがこんなに簡単なのかと。そうやって3人が話している間も俺は一番近くの地面に降りたシャルティーへと近づいていく。
本当は切江がベストだ。でもおそらく切江は【幻惑の粉】をあまり吸い込んでいない。切江だけ一度も咽せることがなかったのが気になる。それにまだ問題がある。この3人は【幻惑の粉】で自分たちの五感を狂わされ幻を見ている。
でもまだ7人いる仲間の感覚まで狂ってるわけじゃない。だから誰もいない場所に向かって3人が攻撃し、まだ戦いは続いているのに談笑を始めた。他の7人が見ていればそう見えた。こちらに気づけば、誰かが注意する。
でも誰もこちらに向かってアクションを起こしてくる様子がない。ジャックとクミカがそれぞれに強いのだ。何よりも切江は上級幹部の1人である。それが一番重要人物とはいえレベル160の相手をしている。
誰も心配する必要があると思ってなかっただろう。3人はあっさりと戦いを終えたのだと思ってる。【自然化】は解くことなく、俺はシャルティーの真後ろまで来た。【幻惑の粉】は強い衝撃や殺意を感じると解ける。
また吸い込んだ量が少ないほど解けやすい。だから目標は紫乃かシャルティーでいい。巨乳で紫の装備を着た外国の女の人。エヴィーのような幼さは残っていない。シャルティーは幻の中で警戒してキョロキョロしている。
ここまでやっても、おそらく全く無防備な状態で攻撃できるのはシャルティーだけ。3人とも臨戦態勢を解いてない。俺が不意をついて攻撃してくる可能性を捨てきってない。
強い衝撃を与えればその瞬間、幻から目覚める。
きっとシャルティーは絶命する前に二人を起こす。
今の俺の強さでは2対1でもまだ厳しい。
1対1なら多分かなり余裕を持って勝てると思うが、2人生き残っただけで命がけになる。
必要なことなんだ。
俺は自分に言い訳をした。最もこれがいい方法なのだ。自分の手のひらには錠剤になっている【媚薬】が握られていた。強い殺意を起こすことなく敵を無力化し、2対1ではなく2対2になる。
さらに次の戦いで俺のガチャ運を警戒されたとしても、有利な条件がこちらにも増える。
これが最善なんだ。
俺は【媚薬】をシャルティーの口の中に放り込んだ。
「え?」
後ろから首を絞めて、羽交い締めにする。シャルティーの口を塞いで喋れなくした。
「むぐぅっ!?」
そして【念動力】で【媚薬】を操り、胃の中へと流し込んだ。【媚薬】が完全に効くのは10秒ほどかかる。この間にシャルティーの意思を受けて空間が開く。【バジリスク】が姿を現し、切江と紫乃の体を強引に俺から吹き飛ばした。
翻った【バジリスク】が俺に襲いかかってきて素早くシャルティーから離れる。
シャルティーが俺を見てくる。強く睨んできた。





