第百九十三話 純愛
「すみません。ちょっといいですか?」
受付嬢2人に声をかけた。ずいぶん胸元が大きく開いた服だ。
その受付嬢が、
「いらっしゃいませ。恐れ入りますが、お名前と所属企業をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
そんなことを言ってくる。こういうのは苦手だが頑張ろう。そう思って受付嬢の顔を見た。ハッキリとたじろぐのが分かる。この性能の良い顔に反応したようだ。第三層よりも第四層の方が驚くんだと、ここまでの道のりでも分かった。
ダンジョンでレベルがあげられなかった人が、ここに住んでるわけだから、それも当然だ。こちらの顔を見たまま顔を赤くしている受付嬢。この反応も何回目のことか。顔が良くなった以外は自分は何も変わっていないのだ。
そのことを玲香にいろいろ聞いてもらって理解し、気にせず話を進めた。
「六条祐太です。所属企業はありません」
「六条様……ああ、予約の……承っております。すぐに係のものに繋ぎますので少々お待ちください」
受付嬢の対応自体はマニュアル通りだ。忙しく動いていた人たちの視線がこちらに注がれた。どうにもやはりこの顔は目立つ。面倒だから少しだけ【天変の指輪】で魅力を下げた。急にみんな興味をなくしたように歩き出した。
《ねえ、予約って?》
《第二層の猫寝家に外の人間が何度も行くのは目立つ。だから、久兵衛たちが秘密会合を行う場所を第四層のオフィスビルに確保したらしい。まあ割り勘だけどな。玲香、お金は?》
《大丈夫。博士から一億貨支給されてるわ。ここなら秘密を保てるの?》
《ああ、秘密であるかどうか受付の人間は知らないそうだ。俺もよく分からないけど、空間的に断絶された特殊な部屋があって、例え探索者でも盗聴が出来ないし、誰がその部屋に入ったかも分からないようになってるらしい》
《仰々しいわね。そこまでする?》
《久兵衛たちにすればシルバーになるためとはいえ自分の心を読まれるんだ。これぐらいの安全確保はしておきたいんだろう》
《まあそうか。心を読まれるか……》
こんな話をしている玲香の心を全て読んでしまっている。玲香本人はそのことを知らない。玲香とここまでの関係になってしまった今、クミカの能力の実験台に使ってしまったことは悪かったと思う。だが、だからこそ安心して関係をもてた。
心を読んでしまってなければ玲香に気を許せなかっただろう。クミカの実験に使ったから余計に気を許せた。玲香のことならその体の隅々から、考え方の傾向まで、伊万里以上に知ってしまった。
そう考えると、この世は何がどうなって縁が繋がるのか分からないものだ。
「あの人みたいね」
「ああ」
しばらくすると案内をするための人間が、現れた。作られたような特徴のない顔をした男で、それにも理由がある。俺と玲香が、その後についていく。
男は何度かエレベーターを乗り継いで、徐々に人気のない場所へと向かっていく。それにも理由があって5回エレベーターを乗り継いだところで、完全に人気がなくなる。そこは部屋も何もない飾り気のない廊下だった。
案内をしていた男の人が止まった。その男の人が壁に触れると何もなかった場所に扉が現れる。扉の上には【秘密会議場】と書かれていた。
「こちらとなります。出て行く際に係の者にご連絡は必要ありません。料金のお支払いについてですが」
「ああ、分かってる。引き落としてくれ」
「了解しました」
男性はステータスを出し、操作を始めた。そうすると頭の中にいつもの女の人の声が響いた。
【使用用途不明の請求が来ております。126万貨の引き落としに応じますか?】
【応じる】と心の中で念じる。そうすると、お金が引き落とされて、それで契約が成立したのだろう。目の前の男の体がサラサラと砂のように消えていく。10秒もかからずに、床の上に砂だけが盛り上がっていた。
「これは何?」
「簡単なプログラムを命じられたロボットらしい。一切の記録が残らないように案内が終わると、こうやって自壊してしまうんだって」
「なんだか可哀想ね」
「確かに。まあ、ここの人たちにとっては使い捨ての道具の一種なんだろう」
「あのレベルの動きをするロボットを造ろうと思ったら地球だと1億じゃ無理でしょうね」
それがロボットの代金も含めて一人126万である。お金の価値は感覚的に地球と同じだという。そう考えるとかなり安い。
「これで安全なのかと言われるとよく分からないけどな。玲香。入るぞ」
「あ……え、ええ。いいわよ」
扉に手を触れる。そうするとそのまま手が中へと入った。玲香と顔を見合わせる。扉に手が突き抜ける現象に不思議な気分になった。
「ね、ねえ」
「どうした?」
「あ、いえ……」
玲香は躊躇している。玲香がビビリなのもよく知ってる。そういう時には俺と手を握りたいと思っていることも分かった。仕方がないから手を出した。かなり安心して俺の手を強く握ってくる。そのまま2人で中へと入った。
「来たか。六条」
声をかけてきた男がいた。武士が城内で、正式に着用するような装束を着て、思ったよりも穏やかな顔をしている久兵衛である。部屋は茶室だった。久兵衛は精神統一の一環なのか茶を点てていた。
「今回はそれがしの我が儘を聞いてくれたことに感謝する。座ってくれ。あまりうまいとは言えぬが。多少、茶の心得がある」
席を勧められて座る。当然こういう場所では正座なのだろうかと思ったが、男があぐらをかくのはここでもそうらしい。俺が座ると2人見覚えのある姿があった。1人は土岐である。
「はあ、やだなー」
土岐は心の底からうんざりしている。相変わらず低い身長で、嘆く姿はなんとも子供を思わせた。そして部屋にはもう一人いた。事前に聞いていたから驚きはしないが、やはりどきりとする姿だった。
「よ。元気にしてたか?」
それは鬼神のスカジャンを着て、鼻にピアスをしていた。額の【殺】の入れ墨も相変わらずだ。何をするのか聞いたはずだが、こちらは特に緊張した様子もなかった。
「お前が狼牙の代わりか?」
「ああ、おっさんとはちょっとした知り合いでな。『野良など辞めて、武官にならないか』って以前から誘われてたんだよ。全然その気はなかったんだが、お前のおかげでシルバーの目が完全に消えただろ。そんで、それもいいかと思った」
「相変わらずなんだな」
「まあそんなにすぐにやること変えられねえよ」
ジャックが言葉を区切った。そうすると土岐が口を開いた。
「安心していいよ。ジャックを仲間にしたくないなら1ヶ月間、ここに閉じ込めることができるから。簡易牢獄にもなってくれるんだよ。君が僕たちの心を読んで、仲間にするには不安だって思った人が出た場合。そのまま僕たちはここから出られない。1ヶ月ここで待ち惚けというわけだ。もちろん全員ダメはなしだよ」
猫寝家としてもシルバーの探索者は1人でもいいから欲しい。この話を久兵衛を含む誰か一人の心の中の状況のためにダメにしたくはない。そのための監獄としても使えるように、ここは用意された。
そのまま監禁となればさらに追加料金が必要になり、とにかく金のかかる部屋なのだ。というのも探索者はクエストによって様々なことに対応しなければいけない。その探索者の要望に、細かく応えるためにこの部屋は造り出されたらしい。
「略式になるが、長々とやるのは嫌であろう」
久兵衛が点ててくれたお茶をそれぞれに飲んでいく。作法など全く知らなかった。知ってるらしい土岐と玲香を見よう見まねで、ジャックとともに真似しながら苦いと感じる茶を飲んだ。
「——結構すぐ終わるんだな」
久兵衛が片付けるのを見てそう思った。
「正式だとフレンチのフルコースを食べるよりも時間がかかるわよ」
「マジか……」
全部終わって今は足を伸ばしてそれぞれにくつろぐ。まさかこの状況で玲香といちゃつく訳にもいかず、かと言ってコミュ障の俺である。ジャックに田中のことを話したいなと思いながらも、言葉をかけられずにどうしようかと悩んだ。
「最後までよく黙って付き合ってくれたな。感謝する」
久兵衛が俺の前にあぐらをかいて座った。
「いいよ。俺も自分がやられるなら嫌だし」
実際はクミカが今もずっと俺の心を見たままだ。それでも、クミカだから良いと思うだけで、これが久兵衛に見せるなら、俺も死ぬほど嫌である。気持ちは分かるから無駄だと思えるような時間も黙って付き合った。
「六条祐太。もう一度言うが、それがしの心は他の誰にも言わないと約束できるな」
じっと睨むように俺の目を見てきた。久兵衛は結構迫力のある顔をしている。それでもモンスターのことを思えばマシである。しっかりと目を逸らさずに俺も言葉を返した。
「ああ、それは約束する」
「そうか……では、それがしから頼む」
久兵衛がまず一番最初と覚悟を決めていたようだ。順番はあらかじめ話し合っていたのか。他の人間も文句はないようだ。
《クミカ。どうだ?》
《いけます。心を読むのに邪魔になる。護符なども持っていないようです》
実際のところ心を読むことを俺ができるわけではない。行うのはクミカだ。俺の瞳を通して心を読む力を使える。
「心を読まれるにあたって何かしなければいけないことはあるか?」
「いや特にない。そのまま俺の目を見ておいてくれ」
「うむ。ふう、よし、それがしも武官の端くれ、覚悟は決めた。やれ!」
俺と玲香は、念のために土岐とジャックが、妙な動きを取らないか気を配っておく。玲香と俺とクミカ。そんなことはないとは思うが、こんな空間なので万が一襲われるリスクも考えていた。
《玲香。油断はするなよ》
《了解。一応動きを拘束できる魔法を待機させておくわ》
《クミカ。俺以外の心を読んでも大丈夫だな?》
《はい。祐太様と同じものを見るのなら怖くはありません》
ハッキリと俺の神経系を通って、クミカの力の流れを感じる。自分の瞳が薄くだが青く光っているのが分かった。俺の瞳を通して久兵衛の心がクミカの中へと入っていく。クミカがそれを【意思疎通】でさらに俺に繋げてくる。
久兵衛という人間がどういう人生をたどってきたのか。その最近の記憶が俺の頭の中に入り込んでくる。意外なことに久兵衛は童貞だった。プロを含めて女性経験がない。とはいえ機会がなかったとか、モテなかったわけではない。
かなり執拗に迫られたことも一度や二度ではなかった。今も、猫寝家の筆頭として、女への人気はある。また若いパーティーを育てているらしく、久兵衛を好きでずっと慕っている女の子もいる。何よりも久兵衛には女の召喚獣がいる。
召喚獣が異性の場合、ほぼ100%主が好きになる。そして主と関係を持つのが普通だ。女の召喚獣アーニャも久兵衛と関係を求めた。しかし久兵衛はそれに応えていない。いずれも袖にするせいで、二人は狼牙に持っていかれた。
土岐が、俺によって狼牙が死んでむしろ清々したような顔をしていたのは、これも原因だったようだ。
《おかしい。男としてそれはない。言い寄ってくる女がいるのに童貞のまま生きる意味が分からない》
俺は自分自身に当てはめた。こんな清廉潔白なやつがいるわけがない。男は魅力的な女の子を見るとどうしてもしたくなるものだ。ましてや自分が童貞なのに、それでも興味がないなんてありえん。
《祐太様。久兵衛に裏切りの目はなさそうです。あまり人の心を深くまで読むのは、プライバシーの観点からよくありません。これ以上は必要ありませんし、やめておいてもいいと思いますが》
《クミカ。お前は何を言ってるんだ。もうちょっと深くまで見よう。何かがおかしい。ひょっとすると同性愛者なのかもしれない。だとすると俺の貞操に危険があるかもしれない》
《ふふ、祐太様可愛い。そうじゃないってすぐ分かったはずなのに》
《うっ。いいからもっと昔の記憶から調べるんだ》
《畏まりました》
久兵衛の記憶。生まれてすぐの記憶。クミカは俺に言われるまま、久兵衛が赤ん坊の頃まで遡ってくれた。久兵衛の両親は猫寝家に仕える探索者であり、久兵衛は猫寝様に赤子の頃から育てられた。
《育てられた? おっさんなのにあんな小さい女の子に?》
俺は猫寝様の姿を思い出した。土岐と同じぐらい小さい女の子で、とても子育てができるようには見えなかった。
《あれでも100歳を超えているようですよ》
猫寝様は探索者として早くに成功した天才。だがレベル500を境に急に伸び悩んだ。レベル限界の壁に当たり、レベルが526になって、そこから全くレベルが上がらなくなった。以来50年、猫寝様の成長は止まった。
ステータス的にはまだ上にいけるはずが、どういうわけかレベルが上がらなくなったのだ。そのため猫寝様は随分辛い思いをした。最初はこぞって、猫寝家に仕官した探索者が次から次に離れていき、それでも残ったのが久兵衛の両親だった。
『本当に良いの? レベル526なんかで止まる中途半端な私に仕えても、何もいいことなんてないわよ』
『我ら夫婦はあなた様に助けていただいた身。食うに困った時、食べさせてくださったではないですか。あれがどれほど嬉しかったことか』
その子供である久兵衛を猫寝様はそれはそれは大事にした。両親が探索に出かけていない時は、久兵衛を他の誰にも預けることなく、猫寝様は全ての世話を見た。お風呂にも入れてくれたし、久兵衛が泣けば一緒に寝てもくれた。
猫寝様はレベル限界が思ったよりも早かったとはいえ、それでもルビー級探索者である。探索者以外のものを雇うことはいくらでもできた。
それでも、猫寝様は久兵衛が可愛くて仕方なかったらしく、中学生になってもまだお風呂に一緒に入っていたほどだ。いつまでたってもお風呂に一緒に入ろうとする猫寝様に、久兵衛はだいぶ苦労したらしい。
ただそれは嫌いだったからではなく、大人になってきた久兵衛が、いつまでも若くて可愛いままの猫寝様に、恋慕を抱くようになったからだ。しかしそんな幸せな日々も、ある日急に終わりを告げた。
『すまぬ久兵衛。私のせいだ。私がお前の父と母に無理をさせたのだ』
猫寝様が久兵衛がちょうど探索者になる直前に涙を流しながら謝ってきたことがある。15歳になったあの日。両親が死んだという知らせが来た。ゴールドまでもう少しというところまで来ていた両親。
久兵衛にとって自慢の両親だった。それが死んだ。あまりのショックで久兵衛は何も手につかなくなった。探索者になれる日は過ぎていたのに、何もせずにふさぎ込んだ。だが、それ以上に落ち込んだのは猫寝様だった。
『久兵衛。お主はもう探索者にならなくて良い。私のそばでずっといてくれ』
そんな言葉を言ってくるほど猫寝様は心を痛めた。何事においても全て久兵衛を呼び、一時期は食事の世話までした。しかしこのままではお互いにダメになる。両親が死んでから1年が過ぎ、久兵衛は猫寝様に言った。
『猫寝様。それがしはやはり探索者になりまする』
『しかし、久兵衛。お主が死んだら私は生きていく自信がない。探索者などならなくても良い。頼むからそばにいてくれ』
『決して死にはしませぬ。だからどうかお許しくだされ。そしてそれがしはいずれ……あなた様を……」
その先だけは口にすることができなかった。ルビー級とは天賦の才があってそれでもなかなかなれないと言われているものなのだ。猫寝様をもらいたければそこまで行かなければならない。
『愛しています』
とは簡単に口にできる相手ではなかった。
ただ、猫寝様はなぜか真っ赤になって頷いてくれた。誓いを立てて、久兵衛は探索者になった。しかし少なくとも10階層までのダンジョンで、死なないようにと安全策を取りすぎると、ステータスの上がりが悪くなってしまう。
それはこの世界でも変わらないことのようだ。猫寝様とした“死なない”という約束が、足かせとなり、レベル200を境に久兵衛はステータス不足で上に行けなくなってしまった。それから月日がただむなしく過ぎた。
貴族にとっては大したことがない年月も、久兵衛にとっては若者がおっさんになってしまうほどの歳月が流れてしまう。いつ頃からか久兵衛は自分の誓いを忘れてしまった。何よりもレベル200で止まってしまった自分にはすぎた夢だった。
だから自分が先に死んでしまうので、せめて猫寝様を大事に思ってくれる後進を育てようと、孤児院の子供を積極的に育て、今では13のパーティーが、猫寝家の探索者として育ってきている。
これで自分の人生が終わっても猫寝様は安心だと思った。
しかし、それはここに来る直前までのことだった。猫寝様に呼び出され、言われたのだ。
『久兵衛。私はもう待ちきれない。ルビーとかもういい。このクエストが終わったら結婚しよ』
真っ赤になってそう言われた。猫寝様はあの日の自分の言葉を告白だと受け取り、ずっとその日が来るのを待ってくれていた。ずっと忘れずにそのことを大事にしてくれていたのだ。それを知って自分が恥ずかしくなった。
《……》
《素敵。私もいずれ祐太様と……》
そして俺は久兵衛と猫寝様のその誓いを守る純愛ぶりを見て、心にかなりのダメージを負った。クミカの言うことをちゃんと聞いて、最後まで見なければよかった。童貞で他の女から言い寄られてもいるのに、見向きもしない。
言ってみれば俺がエヴィーや伊万里に全くなびかなかった世界線に久兵衛はいる。しかも何十年もそれを貫くことができた。こんな人間が本当にいるのだと思うと、俺は心の底から久兵衛は本当に心の綺麗な人間だと思った。





