第百九十話 玲香とクミカ
「かなり慣れてきた?」
「おかげ様で。自分でもどうなることかと思ったけど意外と私って強いのね」
氷漬けにされたグリフォンが玲香の手前に氷像のように五体。襲いかかろうとした体勢のままで固まっている。玲香が手を握るとグリフォンは体ごとバラバラに崩れ落ちる。グリフォンの体内まで完全に氷漬けにした。
そうするとこんなことが起きるらしい。
「魂が99人分だ。その全てが玲香の可能性を伸ばすために使用されたんだ。弱くては困る」
99人の方の心もクミカの力で、少し流れてきた。全員、ダンジョンでは才能がなく、ある程度で頭打ちになった者達。ダンジョンではレベル限界と呼ばれるもの。それにぶつかると何をどうしてもレベルが上がらなくなる。
だから自衛隊や警察の道を選んだ。純粋で正しくあろうとして、その思いは護国のために注がれた。数字だけ聞いていたら分からなかったが、国や家族を守りたい。その思いはとてつもなく強い。
だからこそダンジョンから選ばれなかったことが悔しい。その99人は、ダンジョンに多少は好かれているらしい玲香と合わさることで、レベル限界を超えようとしている。
「弱くては困るね……そうなのよ。人の思いのために生きる。そういうの私の趣味じゃないんだけど」
「確かに嫌いそうだな」
玲香をあれから何度も何度も死にそうな目に遭わせた。いずれも死ぬ前に助けたが、そうしなければ死んでいた窮地も多い。でも結局危なくなれば俺が助けてくれる。そう思ってしまう部分は、最後の最後まで抜けなかった。
限界ギリギリまで追い詰める。どうしてもクミカがそれを嫌がるのが伝わってきた。クミカがいることで俺は強くなった。ただ、クミカの意識にも引っ張られてしまう。クミカは研究所でかなり玲香のお世話になっている。
そのせいで玲香には過保護なのだ。その心配が伝わると、俺もどうしても過保護になってしまった。
《すみません……》
《いいよ。少なくとも回復不能な怪我はさせることなく力の使い方を覚えさせることができた》
ミカエラはクズと呼んで差し支えのない3人を守りながら戦った。クリスティーナもアンナを助けながら戦っていた。そのおかげでクミカは仲間を助けることが得意だ。そのための魔法もかなり多く所持している。
五郎左衆壊滅クエストではそれがかなり役に立つ。それは間違いなかった。
「でも仕方ないから、私の限界までレベルが上がったら、自衛隊でも警察でも所属してあげるわよ。それでせいぜい日本をお守りしますよ」
99人の魂が自分の魂と繋がっている玲香とて、どうしても99人の意思には引っ張られるだろう。レベル200になる以前ならば、絶対しない考えを持っていた。
「そうしてくれ」
「ところで、一通り力の使い方が分かったわ。ちょっと休憩しない?」
玲香が提案してくる。2日ほどずっと戦闘訓練を繰り返し続けた。危ない時は助けたとはいえ2日間戦い続けたのである。精神的な負担は大きい。常人ならブラックなどはるかに超えてスパルタも超えて、過労死している。
「そうだな。少し休むか」
「よし」
玲香は嬉しそうである。年上という感じが段々しなくなっている。こっちが探索者の先輩で、後輩をしごいているみたいだ。
「やっと休めるわー」
地面に座り込むとメットを外した。足を伸ばす。簡単に脱げるのか、ボディスーツの部分も空気を入れたみたいな状態になり、肌のラインがよく分かるほどピチッとしていたのが、ダボダボになり、下半身の部分まで下ろしてしまう。
脱ぐと黒の下着姿だった。
パンツまで見えてしまっている。玲香は大人の女性だ。美鈴たちとは違う成熟した体をしている。そして間違いなく美女だ。下着姿を見れば思わず目が行く部分がある。だからって過剰に反応したところで、揶揄われるだけなので無視した。
女性の汗の匂いが鼻につく。嫌いではなかった。
「休憩入れたければ言えばよかったのに」
かなり年上のはずだが今のところ一度として敬語は使用していない。それを本人はむしろ心地よさそうにしている。ペコペコされるのは嫌いらしい。
「やる気ないのかって、君の機嫌を損ねて、また森に放り出されたら困るもの。それに見込みがないって諦められても困るしね」
「厳しいか?」
「全然。博士なんて『ダンジョンで戦闘訓練をしてきなさい』だけだもの。何一つ教えてくれないし、助けようともしてくれない。あの人はただ私を造っただけ。造った後は自分でなんとかしろ。できないなら死んでいいよ。そんな感じ」
「それは……」
米崎らしくは感じるが少し違う気がした。
「米崎はさ。ダンジョンの中でのその人の可能性を最大限に引き出したい。そのために自分が助言をするのはいい。でも、ああしろこうしろって指図すると可能性の最大限が崩れる。そう思ってる気がする」
「分かってる。でも、博士はあなたにはかなり親切にする。私なんて本当に放置なのよ」
「……」
でも、玲香がこのままではダメになると思ったから俺をここに来させたのだろう。その間は五郎左衆を壊滅させるために、俺がいない間でも準備を着々と進めている。それでも親切か親切じゃないかと言われたら、親切じゃない。
あれは性格だよな……。
「正直この忙しい時に、君を私なんかに付き合わせて悪いなとは思う。だから私は休みたいとは言いにくい」
「まあ実際そうだけど」
「酷いな。君は座らないの?」
「座るけど」
【気配遮断】でしばらく誰にも感知されないようにしておく。クミカが仲間全体に対する防御結界も保持しており、それが周囲に張り巡らされた。
【同化暗幕】
そう呼ばれる魔法で、周囲に魔力による膜を張り、それが外の景色と同化するのだ。そのことにより、よほど気配に敏感なモンスターでない限り、俺たちの存在を感じることができなくなる。
この魔法はミカエラの仲間である例の3人がしょっちゅう休憩を求めてくるので、身に着いた魔法という悲しい経緯がある。ただ汎用性はすこぶる高くて、俺としては助かる。
「便利ね。初めて見る魔法だけどちょっと暗くなるんだ」
魔法の特性上、夜ぐらいの暗さになる。でも探索者だと視界の確保は簡単だ。俺は玲香と離れて巨木にもたれた。クミカの能力を玲香は知らない。
玲香はかなりクミカと仲良くしていたようだが、クミカは安定するまで、自分の能力を使うどころではなかった。だから何も知らない。それでも、玲香はクミカがどうなったかを気にしている。ただ、米崎から、
『彼女に関しては全ての運用方針を六条君に任せることにしている。仲が良かったのは知ってる。ただ彼女がどうなるかの詮索を君は一切してはいけない』
そう命令されていた。玲香はレベル200になる対価として、米崎と契約書を交わし、絶対的な命令権を握られている。米崎が命令したことに逆らえない。だからクミカがどうなったのか、気になりながらも詮索はしてこなかった。
ゆえに、この魔法についても俺の魔法だと思っている。クミカは今の自分の状態を、例え玲香にでも教えたくないらしい。人に全面的に頼って生きることにした。その自分の生き方を玲香がどう思うかが怖い。
クリスティーナはアンナと特殊な状況下にいたため、女同士の関係を超えている。ゴブリン集落ではお互い慰め合わなければやってられなかったのだ。そのため男でも女でも異性としての魅力を感じるようになった。
そして優しくしてくれた玲香を好きになっており、余計に臆病なのだ。ともかく俺は夜程度の暗さの中で、玲香と隣り合うのは何かとまずい気がした。だから数メートル離れて腰を下ろした。
「あら、そんなに離れなくてもいいのに」
「いいんだ」
「隣同士で座りましょうよ」
「うるさい。ここまで賢く言うことを聞いてたんだからそこにいろ」
「ふふ、何よそれ。別に経験がないわけじゃないんでしょ。そんなに警戒しなくてもいいじゃない」
あっさり立ち上がると俺の横にきて恋人のように体重を預けてきた。玲香の考えていることは大体分かる。この女は男女の交わりについて、便利な道具程度にしか思っていない。好きじゃない相手だとしても、気持ちよければそれでいい。
そもそも肉体的な関係を愛と捉えていない。だから俺と関係を持っても別にいいと思ってる。博士が好きだが別にそれと肉体関係は一致していない。そしてそういう考え方を俺は警戒している。
【同化暗幕】の中では、少々ナニをしてもモンスターは気づかない。戦闘で溜まったストレスを解消できる。別に俺のことは好きじゃないけど、顔は良い。魅力値が高いならあっちも立派で、レベルも釣り合ってるから必ず気持ちいい。
玲香はそう考えるはず。
「美鈴の姉だろ」
「だから? 休憩に乗ったからスッキリしたいのかと思った」
「違う。お前が疲れてるんだと思っただけで、そんな気はない」
「つまらない男」
「もう手一杯なんだよ。そういうのはいい」
「むう」
この状態でもかなり危うい。玲香はここを完全に安全だと判断しているのか、スーツから離れて下着姿になっている。美鈴の姉だが胸が大きい。それが当たっている。
《心を読みますか?》
《読まない》
一瞬読んでみたいと思った。だがやめておいた。ミカエラがどうしておかしくなったのか。俺はそれをよく知っている。魂だけの状態だからそれほど強い意志ではない。だが日記からもかなり情報を得ていた。
相手の心を読む力は便利だが怖い。心を読めば読むほど止まらなくなる。強烈に読みたいという誘惑に耐えられない。その本能のままに見ていると、徐々に自分が考えていることが真実なのか、真実でないのか分からなくなる。
心を読んだ相手に否定されたと気づくだけで、死にたいほどの衝動にかられる。そして自分が死にたくない場合相手を殺してしまう。必要な時のみ、心を読む力を使う。
《それだけは絶対に守らなきゃいけない》
《畏まりました》
クミカは俺が少しだけ読んでみたいと思ったことに反応したのだ。便利なものは誘惑が強い。だが、無くても大丈夫なものを必要以上に欲してはいけない。それはきっと怖いことになる。
「玲香。戦いで分からないことはないか?」
話題を変えた。
「ふふ、やっと君の可愛いところを見つけた。気持ちがよければいいだけよ。難しく考えすぎじゃない?」
「その話題にはもう戻らない。質問に答えろ」
「教えてもらったことはきっちり全部頭の中に入ってるわよ」
「ならいいけど」
「ああ、そうだ。1つだけ聞いておきたいことがあったわ」
「うん?」
自分で言ったくせに警戒してしまった。何かまた妙なことを言い出さないか。
「あなたはレベル1000を目指してるのよね」
「ああ」
「私ね。博士が言うからっていうのもあるんだけど、あなたは本当にそうなるんじゃないかって思う。だから聞きたいのよ。あなたは神様になって何をしたいの?」
「……それはだな」
さらに玲香が身を寄せてきた。胸の形が大きく変わるほど引っ付いてくる。ちょうど暗闇の中でこのまま気持ち良くなりたいんだ。我慢せずにさっさと手を出せ。別に美鈴に言ったりしない。黙ってるからいいじゃない。
考えていることが手に取るように分かりながら、質問の方には返す言葉に詰まった。最初はバカにしてきたやつらを見返したかった。そうすることが何よりも大事だった。でも多分もう見返してる。今の俺を馬鹿にするやつはいない。
「それは……自分でも分からない。自分でもレベル1000になってみて、どうしたいのか思い浮かばない。以前はバカにしてきたやつらを見返したかった。でも今となっては中学時代の同級生なんて、こっちに憧れているぐらいだろう。最も嫌いなやつは殺したしな」
「殺した?」
「襲ってきたから殺した」
「なるほど……。正当防衛なら探索者じゃなくても罪にならないわね」
さらっと流してくれた。探索者は軍隊以上の力を持つだけに、争えば殺し合いになる。その辺の事情を玲香はよく理解している。国連職員として外国を飛び回り、かなりいろんな探索者のいざこざを見てきたのだ。
「ただ、俺の中にどうしてか知らないけど、強烈にレベル1000になりたいという思いがある。どうしてそうなりたいのか、自分がどうして急いでるのか、よくは分からない。でもそう思うんだ」
「あなたがそう言うなら、それにはきっと意味があるのでしょうね」
「どうだろう。自分が特別だって思いたいけど、それはきっと自惚れなんだろうって気もする」
「ふふ、あなたが特別じゃないなら、私はどうなるのよ」
いつも理知的な顔をしている。それが寂しそうだった。
「玲香はなんでここまでして探索者としての成功を求めたんだ?」
当然心を読んだから知ってる。でも聞いた。
「私の勤めていた場所にね。あなたと同じ年頃の上司が来たの。それがまた嫌味な女の子でね。こっちのこと『おばさん』とか言ってくるのよ」
「玲香でおばさん?」
俺と同じ年頃なら15歳以上だろう。玲香は米崎にお願いして魅力値を一切あげていない。それでもかなりの美女だ。そして大人の色香がある。正直とてもおばさんには見えない。
それでも口にしたのなら、その女の子には玲香に対するなんらかのコンプレックスがあったのだろう。
「そうよ。そして私はその子を超えてやりたかったのよ。何よりもいろんな国を見てきて、探索者として強くなれないことが、どれだけ怖い結果になるか。私はそれをよく知ってる。日本だって6英傑の行動次第では、いつ外国みたいな状況になるかも分からない。今の世の中、弱いままでいることは、自分の命を危険にさらしたまま裸でいるようなものなのよ」
「なるほど……」
「でも……」
でもの先にかなり複雑なものが入り混じっている。それも知ってる。頭の悪い人ではない。自分の状況もよく分かっている。99人の思いには絶対に応えなきゃいけない。米崎にも逆らえない。玲香が先に立ち上がった。
すっと目の前に玲香の顔が来た。唇が近づいてくる。避けようとした。でもなぜか体が止まった。そのまま唇が重なった。舌が入り込んできた。手が動いてしまい玲香のお尻を握っていた。
自分がどうして玲香に応じるのか理解できた。クミカは俺に逆らえない。そして俺もクミカが嬉しいと感じたことに逆らえない。心を繋いでいる以上、お互いの思いに強く引っ張られてしまう。
今、クミカはもっとも大好きな2人とすることに歓喜していた。





