第十九話 殺害現場
「池袋ダンジョンに戻ろう」
「わかった。祐太が決めたならそうする」
「1日たてば、殺された死体だってダンジョンに吸収されて、なくなってるはずだ。穂積もありもしない死体を確かめに来たりはしないだろうし、ダンジョンで殺したんだから罪を犯したわけじゃない。そもそも隠す気があるとも思えない」
「そんなにしょっちゅう殺ってるわけじゃないでしょうしね」
「でも万が一がある。予防線として、これからも毎日始発の電車に乗って、誰よりも早くダンジョンに入る。そして入り口近くでは、できるだけゴブリンを倒さないようにしよう」
「ああ、それはそうね。向こうは1階層には誰もいないと思ってるんだもんね。 ゴブリンの死体をもし見たら、誰かいるって思って穂積たちが私たちを探す可能性もあるか」
俺の考えをすぐに美鈴が察してくれた。だんだんと通じあえてきてる気がした。
「よし、じゃあ出ようか」
「OK」
決めたらさっさと行動しなきゃいけない。穂積の顔も俺は知らない。南雲さんは見えていたみたいだが、遠すぎて俺は穂積の顔が見えなかった。だから早く行って、とにかくさっさとダンジョンに潜らなきゃいけない。そう思って池袋ダンジョンに向かった。
「じゃあ行くよ」
池袋ダンジョンについて、ちょっとだけ買い物をして、またあのレジのお姉さんがいて、なぜか睨まれた。そしてダンジョンの入り口の前に立った。
「うん」
ダンジョンに入ること自体は慣れていたが、それでも穂積たちのこともあると思うと緊張した。美鈴から手を繋いでくる。周りはまだ仄暗くて、ダンジョン周辺に人影はなかった。恋人繋ぎのような手の繋ぎ方を美鈴が求めてきて改めてしっかりと握る。
一応ポリカーボネートの盾は買い直して背中のバックパックにくくりつけてある。そのせいで昨日よりも背中が重い。ダンジョンの入り口をくぐった。人が殺された場所。俺はそれに対して、自然と手を合わせてご冥福をお祈りした。
「行こうか」
「うん。 もう6時だから急ぎでね」
美鈴も手を合わせて拝んで、そして再び手を繋いでくると、どうしても穂積たちが気になり、草原を進むスピードが速くなる。
ヌーの群れの近くを通る。少し離れた場所でインパラが何をしているのかと見てきた。そのインパラを襲おうとしているゴブリンがいた。それでも美鈴は無雑作にインパラの方に進んで行こうとした。
「美鈴、ゴブリンがいる。ゴブリンだって十分まだ俺たちにとっては危ないんだから周りの確認はしっかりしておかないと」
「う、うん、そうだね。ごめん。なんかやっぱりちょっと怖いかも」
目をつけられたら絶対にどうにもできないレベル100以上と思われる人たち。入り口からはさっさと離れてしまおうと、俺たちはランニングして進み出した。
最初の頃はレベルが上がるとかなり変わる。昨日の夜確かめた限りでは100mを8秒台で走れるようになっていた。伊万里に見せると速い速いと喜んでいた。持久力も上がっているようで、長距離ランナーのように飛ばしても息が切れてこない。
「すごい違い」
ゴブリンにも見つからないように若干姿勢を低くしつつ急いでいた。2本角が特徴的なトムソンガゼルが横を並走してくる。ダンジョンの中で天敵であるゴブリンを狩ってくれるのは人間だとわかっているのか、人懐っこいやつである。
景色がどんどん後ろへ流れていく。トムソンガゼルはスピードを弱めて走ってくれているようだが、それでもサバンナの動物と並走できるというのはすごかった。
「この子達の本気より穂積は速いんだろうね」
「レベル100になると、地上のどの生物よりも速く動けるようになるらしいよ。オリンピックのレベル100の部門すごかったし」
「100mの世界記録。2秒切ってたよね」
去年初めて探索者の参加が認められた東京オリンピックの盛り上がりはすごかった。とんでもないスピードで動き、人とは思えないようなパワーを発揮する探索者の選手たちに、会場中が大盛り上がりだった。
「でも探索者にとってレベル100ってそんなにすごい話じゃないんだよね。穂積もそれ以上のレベルがあるみたいだし。オリンピック選手達よりも穂積の方が強いって思っといた方がいいかな。穂積は感知系の能力とかもあるの?」
「あるとは思うよ。まあそれでも10kmも離れたら大丈夫だと思うけど」
「本当に会いたくないね」
「全くもって」
それでも俺は美鈴が自分を頼りにしてくれていることに、嬉しさも感じていた。馬鹿な話かもしれないが、見つかったら終わりなのに頼られてることが嬉しいのだ。しかしそんなことを考えている余裕があったのも、草原を走り出して3kmを通り過ぎたあたりまでだった。
「ちょ、ちょっと待って! 祐太!」
美鈴が叫んだ。後ろを振り返ると肩で息をした美鈴が疲れ切って地面に手をついていた。
「はあはあ」
激しく肩で呼吸している。
「ごめん。急ぎすぎた」
「い、いいの。気持ちはわかる」
そう言葉にしている俺も肩で息をしていた。最初はまだよかったのだ。しかしフィールド内にはゴブリンがいる。姿勢を低くして走るのも、最初のうちだけで疲れてやってられなくなり、そうするとゴブリン達の目に止まる。
ゴブリン達はこちらを見つけると、後の体力など考えずに全速力で追いかけてくる。それを殺せれば簡単なのだが、死体を残したくない俺たちは逃げるしかない。そうすると全速力を出さなきゃいけなくなり、そんなことをしていると必要以上に疲れた。
「でも、止まるのは良くない。せめて歩こう」
「う、うん」
俺は美鈴のところまで戻って、その手を握った。レベル3になったとはいえ、まだ俺と美鈴では体力に差があった。
「はあはあ」
「もうちょっとペース落とす?」
「いい。大丈夫。そ、それにしても1階層でこんなに大変なんだね。トップ組の人達ってよく50階層なんて降りられたもんだわ」
「言えてる。2階層に降りるともうクエストもあるらしいし」
ゴブリンに警戒しながらのダンジョン内の移動はかなり大変だった。草むらから不意打ちで仕掛けてこられたり、矢がいつのまにか放たれている時もある。その上で、下に降りる階段も探さなきゃいけない。
「あれは……」
「どうしたの?」
そんな折、俺は、とある血だらけの荷物が目に入った。草原にそれは無造作に散乱していた。
「何なのあれ?」
「穂積たちが人を殺してたのはこの辺だったんだ。それ、穂積たちに殺された被害者の荷物だ」
穂積たちが人殺しをしていた場所に来てしまった。ダンジョンは、ダンジョン内で死んだ人の肉をモンスターが食べ、骨も1日もあれば分解して土に帰してしまう。それはモンスターでも草食動物でも一緒だった。
しかしダンジョンが吸収するのに時間がかかるものがあった。装備品である。生物の体と違い無機物のものは吸収されるのに1週間はかかると言われていた。俺は血だらけのバックパックや衣服が散らばっているのを目に留めた。
「これ穂積って人に刺された痕かな?」
「多分、ゴブリンはさすがに死体を刺したりはしないだろうし」
バックパックに渇いて茶褐色になった血がついていた。バックパックを背中から貫かれた穴が開いている。バックパックの中身が散乱して、近くに被害者がポーションを飲んだのか空の瓶が転がっていた。
証拠隠滅もせずに雑に殺されている。そうやって放置していても誰もそれを見て人間の犯行かゴブリンに殺されたのか見分けなんてつかない。だから放っておけば、何の問題もない。何よりもダンジョン内では人を殺しても罪がない。
「い、行こう」
「祐太、ちょっと待って」
俺はダンジョンに入った時からここが気になって自分から近づいて行った。それなのに恐怖に駆られて早く離れようと思った。だが、美鈴がそのバックパックへと近づいた。そして中身を探りだした。
「美鈴、そんなことしてて穂積たちが来たら大変だよ」
「分かってるけど、正体がわからない相手を怖がってるだけって言うのもどうかと思うのよ。だから被害者の荷物調べたら、ちょっとぐらい何かわからないかなっと思って」
雑に破られた衣服が散乱していた。どうやら女物の衣服だった。美鈴がバックパックをあさっているので俺はそちらの衣服に目を向ける。Tシャツに、カーゴパンツを履いていた。ブラジャーとパンティーもそのままだ。
俺は美鈴の言うことにも一理あると思った。何よりも自分のビビり癖が嫌いだった。だから自分も何かしようと思って、その中のパンティを手にとって確かめた。
「そういうことだよな」
思わずまじまじ見てしまう。液体が乾いてカピカピになっている。自分もよく目にするものだからすぐにわかった。遠目からだとよくわからなかったのだが、
「エッチ」
「美鈴が荷物を調べ出すからだろ。美鈴の言う通り、よく考えたら調べたほうがいいと思ったから協力してるんだよ。 美鈴は男があれした痕跡なんて触りたくないだろ」
「うん、触りたくない。あ、でも、そういうのが嫌いって言ってるんじゃないからね」
「そ、そんなこと聞いてないだろ。で、でも、エッチなことが目的ってことでいいのか? だとしたら殺す必要ある?」
「頭のおかしくなった探索者の人達って。かなりやばい考え方をするみたいだよ。友達に小春っているんだけど」
「知ってる。榊さんだよね」
クラスメイトで美鈴とよく話している榊小春という女子を思い出した。そばかすのあるおさげの女子で、正直あまり良い印象のある女子ではなかった。まあ俺はクラスの中で良い印象を持ってる相手がほとんどいないのだが。
「小春の話だと、普通に女の人とするだけじゃ物足りなくて、致命傷を負わせて死ぬ寸前まで追い詰めて、ポーション飲ませて回復させて、そういうの楽しむ人もいるんだって」
「じゃああの空のポーション瓶ってそういうこと?」
俺は近くに落ちていたポーションの瓶を拾った。穂積たちのことが気になるから、あまりここにいたくない。だが、ここまで来たらちゃんと調べたかった。
一方で美鈴はさらにバックパックの中身を全部出してしまった。食料やポーションの瓶がまだあった。ポーションとしてはあまり高いものではないが、それでも100万円クラスのものが3本ある。そのポーションをもったいないからと美鈴が取り出した。
「そういうのよくないと思うよ」
「生真面目なこと言わない。こんなところでダンジョンに吸収されるのなんて意味ないでしょ。この人はもう使えないんだし、もらっとこ」
「犯罪だよ」
「ここじゃ犯罪はないんだよ」
「そうだけどさ」
「それに私たちが買うものよりもいいものじゃない? 値段分かる?」
「一本100万円」
「うわー」
周りを警戒しながらも俺は美鈴が気になる。美鈴はポーションを自分のバックパックに入れ、俺の方に1本渡してくれた。少し迷ったが俺は拝んでから自分のバックパックに入れ、美鈴が他にも何かないか探した。他には探索に役立ちそうなものはなかったが、
「免許証だ。この人のかな? まあそれ以外ないよね」
「そんなのまで残ってたの?」
「千川華代さんだって。45……いや46歳。探索者にしては結構なお年の人だね? 免許証の写真は結構美人さんだ」
美鈴は免許証とさらに財布まで回収してしまう。
「泥棒」
「祐太。こっちは命がかかってるんだよ。お上品なことばっかり言わない」
「美鈴って、そういうところあるよね」
「どういう意味よー」
美鈴は他には目ぼしいものがなかったので、散乱していた衣服もまとめてバックパックに入れてしまうと血がつかないように間に布を挟んで肩に担いだ。
「美鈴、そんなの持ってどうするの?」
「だってここに置いとくと色々漁ったこと、もしかしたら穂積達にばれるかもしれないし、10km離れてから放置しようと思うの」
「それなら免許証とか本人だってわかるものはこっちで持って帰ってあげよう。俺たちのレベルが上がって、穂積たちのことを気にしなくてよくなったら、遺族に返してあげたいし」
「おうぅ、そう。私もそう思ったの」
そんなことは全然考えてなかったという顔で美鈴はうなずいた。
「財布の中身は使っちゃだめだよ。ポーションも今は使わしてもらうかもしれないけど、後でちゃんと買い足して遺族に渡すよ」
「わ、わかってますー。祐太、私を何だと思ってるかな」
俺たちは再び移動を開始した。スマホで移動速度がわかるようにして、レベル1の頃の全力疾走ほどの速度で走る。これぐらいだと美鈴もそこまで疲れないようだ。それにしてもポーションが残っていたことは嬉しい反面、悲しい知らせだと思った。
100万円のポーション。低レベル探索者ならば絶対に回収していくはずだ。それを平気で3本も残している。穂積たちはひょっとすると……中レベル探索者。はっきり言ってそれは人外の領域だった。
「美鈴、財布には何か入ってた?」
「えっとねー」
美鈴が走りながら先ほど拝借した財布を出して中身を改め出した。
「レシートいっぱい。結構派手にお金使ってたみたい。やっぱり探索者? ブランドも結構買ってる。グッ〇、シャ〇ル、レシートに書いてあるのは2枚で驚きの80万円ぐらいね。OLじゃ買えないかな。あ、会社の名刺。Dコレ。千川さんは係長だって」
「それ知ってる。ダンジョンアイテムを販売してる会社だ」
「会社に命令されてダンジョンに入ってた?」
「いや、ダンジョンに入ったってことは会社に"命令"されて入ったわけじゃないはずだ。それだと入れないから。ひょっとしてナンパかな?」
「というよりは強姦だけど。まぁちょっとは色々わかったよね。やっぱ調べて良かったでしょ?」
「うん。まあ」
分かれば分かるほど穂積は、危険な人間だと分かってきた。やはりここに来たのは間違いか。今からでも帰るべきか。いや、後悔するな。迷うな。
俺は池袋のダンジョンショップで1000万円のポーションを1本だけ売って、これだけは大事だったので買っておいた新しいスマホを出した。





