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第百八十七話 便利で難儀

 クミカはまるで存在しないかのように、静かだった。ようやく考えることから解放された。その喜びで今はただ静かに眠っている。もともと2人とも精神的にはかなり際どい状態だった。それがようやく落ち着ける場所を持った。



『外側を完全にシャットアウトしているようだ。この状態だと君が声をかけなければ、外で何が起きてるかも認識できないだろう』

『クミカの気配は外に漏れない。同時に、クミカは影の外のことを一切知らない。そういうことか』

『うむ。その認識で間違っていないと思う。ただ君の心を常に見つめ続けているんだから、君の精神状態についてはとても敏感だ。おそらく君が敵意を抱いた瞬間。彼女も戦闘態勢に入るだろう』

『俺を通して外を見ているとも言えるわけか』

『そうなるね』



 俺が見ている外の景色をクミカが見る。それが壊れかけていたクミカがたどり着いたこの世との関わり方。やはりこの上なく歪んでいる。自分自身の目ではなく、俺の目からでしか外を見たくないのだ。



『半分引きこもりだな』

『というよりも全力で引きこもりだろう』



 その言葉が当たっている。人工レベルアップ研究所から出て、甲府に戻り、再びストーンエリアから下の階層へと降りることにした。というのも、



『ついでに彼女(玲香君)もちゃちゃっと大八洲国に入国できるようにしてくれ。どうも入国許可書が発行されないようだ。いろいろ試したが僕では全くダメだった』

『簡単に言うなよ。方法なんて分からないぞ』

『大丈夫さ。君がいるんだ。なんとかなるだろう』



 なんというアバウトな任せ方だ。米崎は、俺たちが逗留している温泉街に先乗りしておくそうだ。入国許可書さえ発行されれば、そのままブロンズエリアに降りて、【翠聖兎神の大森林】から【翠聖都】に入った方がいいらしい。


 それが正規の手続きであり、大森林を抜ける手間を嫌って、ピラミッド地下迷宮の最奥、女神像の前に現れる階段を利用せずに引き返す。そして甲府にある2番ゲートから入る。それは禁止行為になるらしい。



『新規のパーティーメンバーが入ったパーティーは、よくやるんだけどね。入ることができずに、もう一度女神像の前までくる。そんなバカらしい手間をかけているパーティーを何度か見たことがある』



 それは却って面倒だ。米崎の言葉に従って玲香が大森林を抜ける手伝いをしてあげるしかない。まあ白虎様に乗り、大森林というハードミッションをすっ飛ばした。そのツケが今頃来た。そう考えればやむを得ないが、


「時間がないんだけどな」



『心配するな下準備は始めておく』



 米崎が気楽に言った言葉を思い出しながら、俺は玲香のいる場所。あの巨大な女神像があった場所へと向かっていた。今では懐かしさすら感じるゴブリンライダーを殺しながら、新人探索者の羨望のまなざしにちょっといい気分になる。


 俺や米崎と同じ、甲府ダンジョンでレベル200になった玲香の体の調整は行われている。さすがにレベル200の体なので、モンスターには苦戦しない。そういう意味では楽だ。でも、2階層以降にあるクエスト発注は0であった。


 まあ当たり前の話だが、レベル200の探索者に10階層までのクエストが出るわけがない。それでも、誰にでもあると言われる下へと降りる階段は、ダンジョンの10階層まではちゃんと現れて、降りることができた。



「——入国許可証がないから10階層から下に降りられないか……」


 それを聞いて10階層で悶々としているはずの玲香の元へと来ていた。見覚えのある神殿が見えてくる。ピラミッドの地下迷宮を今のステータスでゴリ押すのは簡単で、1日でここまで来れた。


 何度かモンスターとは遭遇した。しかしクミカにここなら自由に力を使ってもいいと許可したら、モンスターが可哀想になるぐらいことごとく頭を爆発させて回った。


《頭爆発させる以外の方法ってないの?》

《これが一番消費が少ないです》

《そうなんだ》


 呆れるほど強い。レベル160になっても勝てる気がしない。クミカはガチになると相手が攻撃されたことに気づかないうちに頭を爆発させてしまう。俺の目に見えているだけで、どんなに離れててもモンスターの心も読めるようだ。


「寝ている子は寝ているままでか」


 周囲を見渡す。12英傑と女神の像がある荘厳な場所。そして覚えのある気配を感じる。


「どうして、現れないの……」


 パワードスーツを着た女が女神像の前で地面を叩きつける。レベル200の力で叩きつけると神殿全体が揺れた。実力的には十分に降りる力がある。それなのに降りる許可が出ない。正規の手順を踏んでいないレベルアップ。


 不都合が何も起きない方が逆に不自然だ。


「来てくれたの」


 声をかける前に相手は気づいた。こちらは気配を隠しているわけでもないのだから、レベル200なら気づいて当然だ。


「玲香。どうだ?」


 かなり年上の女性にこのしゃべり方。美鈴の姉であることも考えると、これでいいのかと緊張する。本人から玲香と呼べと言われたが、以前と比べてフランクすぎるだろうか。どうにもやはり対人関係は苦手だ。


「あなたが来るまでに絶対に開いてみせると思ったんだけどね」


 こちらを見て笑ってくる。どうやら言葉遣いは間違えてないらしい。ほっとする。


「でも開かなかった。嫌になるのよ。自分が大したことがないって知るのは。あの子でもできたこと。私ならもっと簡単にできると思ったのに、バカみたいよ」

「美鈴は玲香のことすごい姉だって言ってたけどな」

「あの子の前ではできればそう居たかった。でも今は自信がないわ。ホント、妹ってだけで目障りに感じてしまうのはどうしてかしらね」

「近親憎悪?」


 美鈴のことなのに引っかかることもなく聞いていた。身近なものが憎い。それに関しては思い当たることがありすぎた。


「そうね……。美鈴は昔から私とは全くベクトルの違う子でね。あの子、裏と表がほとんど一緒なのよ。そういうところが好きになれなかった。こっちがそう思ってること全然気づかないしね」

「美鈴らしい」


 玲香がかぶっていたパワードスーツのメットを外す。彼女の顔が現れた。レベル200だとここまで来るのに特に疲れることはない。それでもやつれているように見える。それはここまでの道のりが、それなりに大変だったと言ってるようだ。


《クミカ》

《畏まりました》


 俺はクミカが、何をどこまでできるのか知っておきたかった。だから、玲香の心を読めと命令した。明確に【意思疎通】で伝えなくても、心ではっきりとこの相手の心を読んでみたいと思ったら、それだけでクミカには伝わる。


 クミカは便利な女。


 俺がそう思うとクミカが至福を感じていることが伝わってくる。クミカにとり、俺に必要とされることが生きていく全て。必要とされなくなることが何よりも怖い。そう思っていることが伝わる。


 そしてそれと同時に玲香の心の中が【意思疎通】を通じてダイレクトに俺の頭の中に流れてくる。男の経験人数は12人。いずれも本当に好きになってしたわけではなく、することが利益になると思ったからした。


 それだけの関係。最初に経験したのは中学生の頃。担任の教師が求めてきた。断ると面倒なことになりそうだったので、ばれない範囲で適当にあしらった。男というものに価値を見出さず、かといって女というものにも価値を見出さない。


 自分自身こそが一番と思い生きてきた。それが躓いたのが、自分よりも年下の女の子が上司になった時。ダンジョンが現れたことで、人生はひっくり返った。ダンジョンに入ってしょっぱなでミスをし、自分のステータスを壊滅的にした。


 それらのことが頭の中に次々と流れ込んでくる。


 なるほどミカエラはこれを出会う人全てに行って狂ってしまったわけか。


 今は……、


《クミカ。大丈夫か?》

《はい。祐太様と二人の私。三人で見ていると楽しいです》

《そうか。苦しければすぐに言うんだぞ》

《はい。その時は甘えます》


 クミカは全く問題なく玲香の心を全て覗いた。【意思疎通】を通じて人の人生が全て頭の中に流れ込む。ミカエラの時はここまで深くは読んでなかったらしい。ここまで読む前に頭を爆発させてしまったそうだ。


 でも俺と一緒だと冷静でいられる。そのことにクミカ自身も安堵し、俺と共に一生を生きていける喜びに陶酔している。俺と何もかも溶け合って一緒になりたい。それほどまでに強烈に心を寄せてきているのが伝わる。


「一度だけ博士が一緒にここまで来てくれたの。そうすると博士の階段が現れた。でも私はその階段から降りられなかった」


《もういいぞ》

《はい。必要ならばいつでもお呼びください》


 目の前の女性を裸にする以上に裸にした。しかし相手は気づいてもいなかった。俺はミカエラに心を読まれた時に違和感を感じたが、どうやらそれは、ミカエラの心が乱れていたことと、美火丸の魔法護符のおかげだったらしい。


 魔法護符を持ち合わせておらず、クミカの心が幸福で満たされている時、心を読まれていることにすら相手は気づかないらしい。思っていた以上の有用性。これでクミカを影から出さなくても、俺の戦術幅が広がる。


「ちゃんと手順を踏んで下まで降りたんだよね?」


 裸にする以上に裸にしたことなどすっとぼけて俺は言う。


「ええ、博士からも『できるだけ自分で階段も見つけて、正規の手順通りなさい』と言われたの。ここまでの階段はその方法でちゃんと現れた。でも、ここだけは違った」

「ここでは入国許可証がないと無理か……。玲香には統合階層のクエストがそもそもなかったんだもんな」

「いつもそう。結局私にはこれ以上がない」

「弱気なことを」


 今までどれほど強気に生きてきた女なのか、家族以上に知っている。こんな言葉など今まで一度も吐いたことがない。それでも今はかなり弱気になってる。博士に会いたいと考えていることも察しがついた。


 博士からはかなり虐められている。舐めた口を聞いて一度殺されかけたこともある。でもそれが大層良かったらしい。深層心理にどうやらかなりM気質があるようで、博士から冷たくされるたびに感じる。


 難儀な女である。


 俺にはこれっぽっちも好意を抱いておらず、俺に惚れてるように見えるのは彼女の処世術だ。男はこういうふうにしておくとだいたい簡単に騙せてしまう。そしてこれに全く動じない男に、ゾクゾクしてしまう。


 きっと博士にこれをやったら相当イライラされたことだろう。


 嫌ってくる男にほど感じてしまう。


 やはりかなり難儀な女だ。


 俺は女神像へと近づいていく。ルルティエラという存在。知れば知るほどよくわからなくなる女神。今見ると不思議とどこかで見たような顔にも思えた。俺は目の前まで近づいた。喜んでいるように感じられるのは、気のせいだろう。


 ちょうど今さっき、玲香に対して完全に勘違いしていたことに気づいたところ。女神が自分に何か特別な思いを抱いているなどと、自惚れたものだ。我がことながら恥じた。巨大な女神像に触れた。やはり人肌のぬくもりを感じる。


 そうすると後ろの方で地面が揺れ出す。あの時と同じだった。俺が来たことに反応して、階段が再び現れた。


「簡単に出るのね」

「まあ出てくれないと困るけどね」

「問題は私がこれを降りられるかよね……。ここまで来るまでにモンスターもできるだけ倒した。でもコインが1枚も出ないの」

「まあレベル200じゃな。俺もここまでモンスターを100体ぐらいは倒したけど、コインは0だった」

「そう……」

「さて降りられるか試すしかない」

「分かってるけど……」


 米崎の時と同じように、また降りることができないのではと思うと怖い。それでも俺は女神像の前から、階段の前まで行き、手招きした。どの道試さないことには話にならない。


「大丈夫だって」

「自分が降りられるからって気楽に言うわ」


 玲香はよほど自分の結果を見るのが怖いのか、階段に近づきたがらない。ステータスを見れば許可証が出ているかどうかで一目瞭然なのだが、それはもっと怖いらしい。心を読んだので知ってる。これ以上自分が無価値だったとは知りたくない。


 そんなことばかり考えて怯えているのだ。何よりもそれによって博士から見捨てられないかと恐怖している。


「先に降りるよ」

「ま、待ってよ。急いでるのは知ってる。でももう少しだけ覚悟を決めさせて」


 先ほどからクミカが玲香に注意を向けている。どうも知り合いらしい。お世話になった相手なので助けてあげたいと思っているらしい。でもレベルアップの処置なら強制的にできても、無理矢理ここに連れてくるわけにはいかない。


 ダンジョンに入ることを強制してはいけない。それがここでも通用するルールなのかは知らない。でも玲香はそうしなければいけない。彼女の糧となった魂99人。その魂たちはどれも、彼女に呆れつつも、自分の足でしっかりと歩いてくれと願っている。


「ここで待つ」

「……」


 彼女が自分を生み出すために99人死んだことに、なんの感情も抱いていないのなら、きっとそのまま動かない。でもそうではない。よく知っている。見ず知らずの99人が死んだ程度。今更この人が死にすぎる世の中にとって大した意味はない。


 でも、自分の中に取り込んだ玲香にとって……違う。


「はあ……あなたのように優しい人より、厳しくしてくれる方が動きやすいわ」


 ゆっくりと動き出した。


「そういうのは苦手だな」

「でしょうね。あんまり想像できないもの」


 だから俺には興味がこれっぽっちもないんだろう。彼女が近づいてくる。どうしてこんなことになってしまったんだ。自分のためだけに生きていたのに、99人も背負うことになってしまった。ここで自分がダメになれば99人がダメになる。


 本当にあの博士(バカ)


「お待たせ」

「それほどは待ってません」

「……降りてみる」


 そう言って踏み出し、確かに何か壁のようなものでもあるのか、玲香の足が階段の下に降りていかなかった。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 10階層の階段が現れる場所が誰でも同じなのであれば、穂積たちが10階層の階段を見つけられず南雲さんに手伝ってもらった時も、実際は南雲さんが階段を一緒に探したわけではなく、その場所を穂積…
[一言] 覚悟がないってことなんかね。 マークやクミカが降りられるのなら降りられない道理がないし。
[一言] 初手を失敗したにしては……というお気に入り傾向のある子でもダメなのか。
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