第百八十五話 影
「……」
俺はあまりの光景に言葉もなく黙ってしまった。殺した? 一言言われただけだろ? ミカエラがしたのか?
「ふむ、能力を問題なく使えるようだね。上々だ」
でも米崎は平常運転だった。むしろミカエラの能力をクリスティーナさんがちゃんと使えることが、嬉しいようである。
「いやいやいやいや! 他に言うことあるだろ!? 一人殺しちゃったぞ! いいのかよ!?」
「別にいいよ」
「何をそんなに簡単に言ってるんだよ。一言言っただけで殺される方はたまったもんじゃないだろ」
「僕は彼女に『服を持ってこい』と言っただけだ。『声をかけろ』と言ったわけではない。どうせ君が男前だとでも思って浮かれていたんだろう。無駄なことをせずに危険だと分かっているんだから、さっさと向こうへ行けばよかったのさ」
「殺されたんだぞ。それなのにそんな言い方……どんな職場環境だよ。働き手がいなくなるぞ。ブラックなんてもんじゃない」
「働きたいという人間はたくさんいるし、その辺の心配はしてないよ」
「いや、お前……」
そういえば、この男はこういう感じだった。基本的に人の命の価値をそこまで高いものだと思っていない。死んだら替わりを補充すればいい。それ以上の感情は持たない。米崎に何を言っても無駄そうだ。
「クリスティーナ。今、なぜあの女を殺したんだ!」
きつく言う。正直イライラしていた。
「怒っているのですか?」
赤と青の瞳が怯えているように見えた。
怒っている?
そう聞かれると正直怒っていない。今目にしただけの女性研究者に対する思い入れはなかった。だがそういう問題ではない。一言気に食わないことを言っただけの人間を殺すようではとても連れ歩けない。
俺はクリスティーナさんを大八洲国に連れて行きたいのだ。研究所で水槽の中に浮かんでいてほしいわけではない。
「とりあえず俺からも離れてくれ」
「嫌です。ずっとこうしていたい。こうしているだけで目が痛くなくなりました。クリスティーナは痛いのが嫌なのです。何よりもいい匂いがします。それに“あなたは私を好きでいてくれてる”。それがたとえこの魂に向けられた思いだとしても、私の心は安らぐ。だからずっとこうしているのが幸せです」
「俺がミカエラを好き……どうして分かる。いや……」
クリスティーナさんはミカエラの能力を使いこなしている。そして、俺の心を読んだ。心は今読まれたのか、それとも、水槽の中で瞳を開けた瞬間か。米崎はきっと心が読めないようにしているんだろうな。
そういうところに抜かりのある男ではない。でも俺は相手はミカエラではないのだと思い、痛々しい姿もあって油断した。魔法護符はしていたのに突破したのか。
「答えになっていないぞ」
「……『気持ちの悪い女の子。イケメンに抱きついてる。気持ち悪い。私も抱きつきたい。研究ばっかりで疲れた。たまには遊びに行きたい。この女のせいで全然いけない。欲しい物がたくさんあるのに。今なら買えるのに。でも1ヶ月働くだけで1000万とかボロすぎ。それに無料で人工レベルアップができた。この化け物女の相手をもう少しだけすれば、私は人生の勝ち組』」
クリスティーナさんは拗ねたようにそんなことを言ってきた。
「この女の人がそう思っていたから殺したのか?」
「はい。私はなんと言われてもいいのです。でも祐太様に不浄な目を向けるなど許されません」
「うんうん。とても良い傾向だ。心を読む力もかなり安定している。君が来た途端にこれだ。よほど好かれてるんだね」
クリスティーナさんは全く悪いと思っていないようだ。米崎も、女の研究者が死んだと言っても、死亡に伴う補償金でも遺族に支払えばそれでいい。それぐらいに考えているようだった。
「こんな調子で何人か殺してるのか?」
「今ので7人目かな……。問題ないよ。全員それに見合うだけの報酬は提示してある。それに全員レベルが上がったことで、頭が良くなったというだけの者たちだ。人材的な損失もない。命のリスクありで募集をかけ、応募してきたのはどれもこれも借金で首が回らなくなった馬鹿者ばっかりさ。死んだとしても文句は言わないという契約もしてある。誰も動揺していないだろう?」
米崎がそう言ってモニター室に目を向けた。確かに変わったところはない。女の研究者が死んだというのに、むしろウキウキしているように見えた。ニコニコしながら話し合っているのだ。
「なぜ笑ってる?」
「重要なデータには一切触れさせていないのだけどね。君が来て、この怖い環境も終わりだって理解したんだろう。これでこの化け物と付き合う仕事から解放される。後は大金をもらって、こんな危ないところからはさっさとおさらばだ。レベル20ならどこの企業も選り取り見取り。まあそんなところだろう」
「なるほど。同情するほどの人間ではないと……」
本当に重要で大事な研究者たちは、もっと安全なところで、研究をしているというわけか。
「クリスティーナさん……この人にも親はいた」
「それは……」
「二度と無駄に人を殺さないようにしてください。殺すのは俺が命令した時だけ。それでいいですか?」
「……はい。反省します。ですからクリスティーナを嫌いにはならないでください」
米崎は安定していると言うが、とても安定しているようには見えなかった。心を読むことでその相手の心に翻弄される。これで五郎左衆のような犯罪者の心を読めと言ったらどうなるか。最悪、ミカエラのように狂ってしまうかもしれない。
「あの、それは大丈夫です。クリスティーナはあなたさえ傍にいたらきっと耐えれますわ」
「また勝手に人の心を読む」
「だって……祐太様の心は気持ちがいいのです」
俺の心のどの辺が気持ちいいのか。かなり性格が歪みまくっている自信はあるのだが。
「そういうところも好みです」
「はあ」
どうやら『読むな』と言っても読むらしい。でも、それによって俺の頭を爆発させようとは思わないらしい。むしろ俺の心を常に読んでいることで、クリスティーナさんは精神が安定するようだ。
四六時中、心をモニターされる。そうしないと心の均衡が保てない。それほどまでに心が弱っていたということ。クリスティーナさんの心が弱っていることは、俺も分かってた。それでも彼女にミカエラの魂を託した。
結果としてこういう状況になった。俺には何一つ非がないと言い切れなかった。せめてもの贖罪に心を見せ続ける。どの道、ミカエラの力を得るということはそういうことだったのか。
「クリスティーナ君。少しこちらを向きなさい。あと服を早くもう1着持ってきなさい」
モニター室がざわついた。当たり前のことだが誰も持ってきたくないようだ。かなりの確率で頭を吹っ飛ばしてくる。そんな女に近づきたい男も女もこの世に存在しないだろう。
「あの、博士」
だがクリスティーナさんが口を開いた。
「多分、大丈夫です」
そして彼女は指を鳴らした。そうすると、どこからともなく見たことのある服が、クリスティーナさんの何も着ていない体に着せられた。それは黒いゴスロリ服だった。見間違うことのない服だ。
ミカエラが着ていたものと同じ服だ。
おそらくミカエラの専用装備だ。跡形もなく消えたと思っていたが、この期間で復活したのか?
「そうか。ミカエラ君の専用装備をそのまま使えるんだね」
「跡形もなく消し去ったと思ったんだが……。こんなふうに復活するものなんだな」
「いいや、完全になくなると復活しないよ。よほど特殊な条件が発生しない限りね。ふむ……ダンジョンが手伝ったか……」
米崎がその専用装備に触れた。米崎自身のステータスを出すと、ステータスにキーボードが現れた。キーボードを出して何か打ち込みだした。そしてしばらく考え込みだした。
「——何か分かったか?」
「……これブロンズだね。よく見ると彼女が着ていたものと少し違うようだ。白い布が混じってる」
「ミカエラが着ていたのはストーン装備であって、こっちはブロンズ装備ってことか?」
「ああ、どちらもあまり見た目が変わらなかったようだね」
「あの、そうです。ミカエラはストーン装備がかなり気に入っていて、全て揃うと人魂装備だから声をかけてくれるって、喜んでいました。だから常に着ていたようです。ブロンズ装備は出たけどほとんど着ることがなく、今も揃っているのは武器とスカートと上着だけだそうです。他の服はミカエラの持ち物です」
「クリスティーナくん」
「はい」
「そういうことはすぐに言いたまえ。無駄な労力じゃないか」
「すみません……」
何か変わったことが起きたのかと米崎は興味津々に調べたのに、大したことではなくて、ムッとしたようだ。クリスティーナさんも米崎に怒られると素直に謝るようだ。そんな二人を見ながらも、俺はクリスティーナさんの姿を見ていた。
「ミカエラ……」
クリスティーナさんがゴスロリ服を着ていると余計にミカエラに見えた。違うところは白銀の髪を持つ少女というところだけだ。それくらい顔立ちがミカエラの方に寄ってきていた。
「そんなによく似合ってますか?」
頬を染めながら聞いてくる。喋らなくても通じ合うところは便利がいいと言うべきか、なんと言うべきか。このまま本当にずっと心を読み続けるつもりだろうか。しかも抱きついたままだし。
「あの、この状態はさすがにまずいんだけど」
こんな状態で、美鈴たちのところに帰ったらどんな反応をされるか。特に伊万里が怖い。伊万里は美鈴とエヴィーに関して耐えてくれた。ただ、クリスティーナさんに関しては、かなり際どい気がする。
クリスティーナさんって、美鈴やエヴィーと違って、人の機微に疎そうだ。伊万里の逆鱗を簡単に踏み抜くだろう。
「大丈夫です」
彼女は俺の考えたことに返事してきた。
「何が?」
いくらなんでも絶対に怒られると思った。それに絶対大丈夫じゃない。いや、でも、彼女は俺の心を読みながら喋っているのだ。そこまで勘違いしてないはず。
「そうです。祐太様、私を侮るなかれ。こう見えても人の機微には聡いのです」
クリスティーナさんの額に瞳が閉じた状態で現れた。ミカエラがよく利用していた第3の瞳だ。それを開く。白い部分のない真っ黒な瞳だった。これを見ると殺されないかとドキドキしてしまう。
かなり危険な能力を持っていた瞳であると覚えている。だが、クリスティーナさんから敵意が向かってくるとは思えず、どうしたものかと戸惑う。黒い瞳が光る。そうしてクリスティーナさんがつぶやいた。
【影纏】
何かのスキルだということだけは分かる。クリスティーナさんの体が、俺と自分の影の中に取り込まれ地面の中へと沈んでいく。奇妙な現象だった。そのまま1人の女性の体が影の中に消えてしまう。
それを見て本当にミカエラは俺に対して、実力の半分も見せてなかったんだなと思った。こんなもの最初から使われてたら、きっと俺にはなんのチャンスもなかったはずだ。そして彼女は間違いなくこのクエストに必要だった。
「ほお、こんな能力もあったのか」
米崎が感心しながら見つめる。
《影の中に別次元を創り出してその中に移動してしまう。そういう能力だそうです。これでずっと祐太様と一緒にいてはダメでしょうか? 私の中にいるミカエラもそれを望んでいます。常にあなたと共にあり、心を見続けるままで良いのなら、何もかもあなたの言葉に従うと》
「心を監視し続ける……」
「六条君。さすがに嫌かな?」
「うん……。普通なら嫌なんだろうな」
「と言うと?」
《喜んでる?》
彼女から戸惑いの感覚が伝わってくる。
「喜んでる……そうか……やっぱりそうなんだな」
奇妙な感覚だ。人に心を読まれる。そのことを俺はあまり嫌がっていないのだ。むしろ安心している。自分の心だ。とんでもなくぐちゃぐちゃなのはよく知ってる。それを見ても俺と共に居たい人間がいる。
それは、つまり、この2人には自分の何を見せても大丈夫ということだろう。そのことを安心している。こんな俺の感情を理解できる人など……。
《私は理解できます》
そうか。これも理解してもらえるのか。
しばらく黙った。
次の一言で全てが決まる。
きっと『結婚しよう』という言葉よりも、重い意味がある。
「……分かった。じゃあ、2人はずっと俺のそばから離れずにいるんだ。ただし条件がある」
《分かってます。私は常に影の中。例え誰の前であろうと表に出ようとはしません》
「たとえそれが仲間でもだ。守れるか?」
《はい。たとえあなたが他の女性とお会いしている時でも、ずっと黙って影の中にいると約束できます。もちろん手を出したりもしません》
「そうか……」
「うまく話はまとまりそうだね」
米崎が言った。俺は殺された女の人の死体がまだあるのを見つめる。後で墓を作ってあげようと思った。
「米崎」
「うん?」
「俺はこの状況を嬉しいと思っている。頭がおかしいと思うか?」
「いや、どうだろうね。僕は誰かとそういう状態になったことは一度もないのでね。なかなか難しいところだ。ただ、若くしてどんどんと力を手に入れていく君には、そういう相手が必要なのだろう。所謂、捌け口になるもの。全てを知った上で受け止めてくれるもの」
「甘えたいのか」
そういう気持ちは人よりも強いのかもしれない。自分を誰よりも正しい人間だとは思わない。強くなっていくほどに醜くなっていく部分がある。それを全て溜め込まずに見てもらえるのだと思うと安心している。
「おそらくね。ともかく思った以上にうまくいって良かった。君がいれば一時的には落ち着いても、長期的には不安定なままかと思っていた。だが、君と共にあることで、精神的な揺らぎがなくなる。これなら、戦力としての勘定にも入れやすい」
「ああ、ところで玲香さんは?」
他の女性の名前が出た時、どういう反応を示してくるか。クリスティーナさんを注意深く見守る。だが急に暴走しだすという気配はなかった。ただ【意思疎通】で連絡が来た。
《祐太様。博士。私のことはこれからクミカとお呼びください》
「クミカ?」
米崎を見ると同じように首をかしげた。
《はい。クリスティーナであり、ミカエラでもある。マーク様は鬼の魂が何一つ声を上げてこないようですが、私は違います。どうしてもミカエラ様の心が混じるのです。ですから、クミカはそれを受け入れるという私の意思です。私は私でなくなりたい。だからそう呼んでください》
「……本当にいいのか?」
《はい。私は喜んでいるのです。全て嫌になっていた心が癒される。私は強く美しい祐太様とミカエラと一緒がいいのです。ようやく全てを任せて生きられる。自分で考えなくていい。祐太様に従い、体はミカエラに従う。私はただ従うだけでいい。それはなんと幸福なことでしょう》
「君らしいといえば君らしいね。とても真似できない生き方だけど、そうしたいと言うならそうすればいい。クミカ君」
「俺もクリスティーナさんがそれでいいなら、これからはクミカと呼ぶよ」
《ありがとうございます》
そこからクミカは黙った。まるで存在しないように黙った。でもなんとなく俺の心の中を覗いて2人で楽しんでいるのが分かる。俺の心などどれほど見ても楽しくないと思うのだが、クミカが楽しいと思えるのなら、それでいいと思った。
「六条君。こんな感じに仕上がったけど気に入ったかい?」
「……俺にとってもこれで良かったんだと思う」
人として間違った生き方。クミカに正しいところなどないかもしれない。でも、クミカを構成する二人はどちらもかなり以前から壊れていたのだ。そんな二人が一緒になって生きていく。それにはこれしかなかった。
きっと100年か200年の時間が経って、その心が癒されたら、クミカをみんなに紹介してあげようと思った。それまでに彼女を見ることができるのは、きっと、それは、これから死ぬ人間だけだろう。





