第百八十三話 歯車
「米崎はよく、あの人にうまく対応できるな」
「そんなに難しくはないさ」
「いや、でも、あれは疲れないか?」
「まあ特徴的ではあるね。千代女様は基本的になんでもできる方だから、ああいう変わったところがあってちょうどバランスが取れるんじゃないかな」
俺が苦労した千代女様の対応。米崎は簡単にかわしていた。雷神様からなんとか無事に助けてもらってここまで来れた。千代女様のおかげであることは間違いない。だがどうにもあの人の独特のノリにはついて行きかねた。
俺は昔からノリは悪い方なのだ。だからといって無下にはできない。自分の周りにいる人間は全員可愛くないと愚痴りだす千代女様に、俺は可愛くあることが、どれだけ大事なことなのかと、ありがたくも教えられた。
そして、
『お仕事ご苦労様でした千代女様』
なぜか俺は人工レベルアップ研究所のエントランスホールで、千代女様と正座で向かい合って話をしている。自衛隊の誰一人として話しかけてこない。見かけるとみんな即行で逃げていた。みんな怖いんだな。
俺も怖い。というより、これはなんの修行をさせられているのかと考え始めたところにようやく米崎が来てくれた。
『米崎ちゃん』
米崎をそういう呼び方で呼ぶのは、きっと後にも先にもこの人だけだ。笑ってしまいそうになる俺の表情筋が、全力で耐えていた。
『どうでしたか六条君は?』
『確かに面白そうな子ね。近くにいてよかったわ。豊国ちゃんも思った以上に簡単に引いてくれたし』
『あの方とあなたが、本気で戦うことにならなくてよかった』
『ええ……祐太ちゃん』
スッと見られる。怖い。別の意味で怖い。
『はい!』
『お姉ちゃん忙しいからもう行かなきゃいけないの。寂しくない?』
『寂しいです』
こう言わないと逆に長くなる。俺がエントランスホールで、正座で話し合いをして1つ得た真理であった。
『そうなの? じゃあもう少し一緒にいてあげようか?』
『えっ』
『えって何? 迷惑?』
『千代女様。その子とは、これから少々用事があるのです。あなたに会えないことは僕もとても寂しいけど、あなたにも仕事がある。違いますか?』
『はあ、そうなのよね。祐太ちゃん。また何かあれば呼びなさい。1回1000億円でいつでもお姉ちゃんが駆けつけてあげる』
千代女様は去り際にそう言っていた。雷神様がどこに行ったのかは分からない。今でもあの顔を思い出すと胸が苦しくなる。相当強い魔力を込められたようだ。次にあった時にはもう少し精神干渉への耐性をつけておかないとやばい。
まあさすがにブロンズの探索者を相手に、わざわざ会いに来たりはしないだろうと思う。あとはこちらから接触しなければいいのだ。横浜になんて行くことはないから、もう会うこともない。俺はそう信じた。
「どうも僕はピンとこないらしくてね。君が羨ましいよ」
「まあ確かに米崎から『お姉ちゃん』とか言われてもな……」
ちょっと想像したくない絵面しか浮かばなかった。まあだからといって自分も大概なものだと思うが。俺なんかに『お姉ちゃん』と言われて何が嬉しかったのだろう。謎だ。
「まああの人自分の気に入った相手になら、お金を払えば動いてくれるから」
「1000億っていうのは本当なのか?」
気になって聞いた。
「本当だよ。ここのバックについてもらうのも有料だし」
「いくら?」
「1年契約で1兆円。しかも千代女様の名前を使うだけでね。出動案件は別途手当だからちゃんと後で払わなきゃね。現金な人だけど、どれだけお金を積んでも外国のお仕事は受けないんだ。あの人は筋金入りの愛国主義者さん」
「なんか米崎に対する借りが増えすぎて怖いんだが……」
アグニに今回の件。そしてエリクサー。俺は米崎にお金を返せるのか心配になってきた。借りが無限大に増えていく。でも出費を嫌って綱渡りのような作戦を立てるわけにはいかない。
「僕への借金は無利子だし返済期限などないよ。まあ、そもそも、君の仲間としての出費でもある。必要経費と割り切っているさ」
「ならいいんだけど……。千代女様ってどこで知り合ったんだ?」
「国家規模のダンジョンプロジェクトになると千代女様が、自分から接触してくるんだ。『有料ですけど私があなたを守ってあげましょう』ってね。あの人はそんな感じで、日本のダンジョン関連の技術が国外に流出しないように管理してるんだよ。盗もうとした人間は全員殺されてる」
「頼もしいんだな……」
やっぱり、『暗殺しちゃうぞ』は冗談で言ってるわけじゃないんだ。
「そりゃそうさ。森神様は経済の守り手。忍神様は情報の守り手。天使様と鬼様と龍神様は武の守り手。雷神様は裏稼業の守り手。そんな感じで日本は動いてる。それをサポートする高レベル探索者と共にね。日本が今までむちゃくちゃにならなかった原因でもある」
「すごいんだな……」
そういうことに憧れて、俺はレベル1000を目指してる。届くのだろうか。届きそうな気もする。でも意外と途中で野垂れ死にそうな気もする。もしそうなっても本望だと思えるだろうか。
「それよりも僕が聞きたいのは君の話だ。レベル160まで上がったまでは知ってる。あれから、新しいクエストが出たかい? それともまだ?」
「大丈夫だ。新しいクエストが出たよ。そのクエストを無事クリアできればレベル200にしてもらえるらしい。おまけにキークエストにもなっているらしく、終わったらシルバーになれるんだと」
これに関しては局長さんも驚いていた。いくらキークエストを確実にこなせると思われるものにでも、キークエストはキークエストとしてちゃんと出るものなのだそうだ。
「基本的にあの国は慣例主義なんだけどね。その約束事を破るとは……。ルルティエラ様からのクエストかい?」
「いや、翠聖様だった。第三層まで行幸されて直接声をかけてもらえた。他の人間は記憶を消されて眠らされていた」
「……ふむ」
米崎はしばらく考えていた。そして口を開いた。
「すまないけど、それ、僕もパーティー仲間に入れてもらえるかな?」
「お前はもう仲間だろ?」
何を今更言うのかと目をぱちくりさせた。米崎の研究室で、今日は玲香さんがいないのか、以前来た時よりもはるかに研究資料などが散乱していた。「適当に自分の手でよけて座りたまえ」と言われたのでそうしている。
コーヒーが米崎の手によって机の上に置かれた。俺はペコリと頭を下げて一口飲んだ。
「ああ、僕もそのつもりだ。だがそうではない。それがキークエストとなるのなら、僕も正式に受けておかなければいけないんだよ」
「キークエストはまだだったの?」
てっきり、それももう終わっているのかと思っていた。
「ふふ、あれ、なかなか出ないんだよ。キークエストが出るには条件があるんだよ。今まで出た全てのクエストをきちんとこなしていることが最低条件。それでも普通の探索者という扱いだと、10年待ちなんていうのがザラだ。全てS判定のものでも年内に出てくれると嬉しいなって感じさ」
米崎がニコニコして喋っていた。なるほど米崎があそこで進めなくなってしまった理由がよくわかった。
「つまり米崎はいくら待ってもキークエストが受けられないのか?」
「お察しの通りだ。僕はゴブリン大帝から逃げた。つまり1つのクエストを完全に失効している。キークエストはどれほど待っても出ない。偉そうなことを言っていたが、実は自分だけ置いていかれないかと結構ヒヤヒヤしていたんだよ」
「ふふ……分かった。後で探索局にちゃんと申請して仲間にしておく。できるだけ極秘に進めたいから米崎は探索局に行かなくていい。摩莉佳さんという人が、手続きはちゃんとしてくれるはずだ」
「助かるよ。今回の貸しは、これで無しということにしておこう」
「それも分かった」
米崎にしては珍しく、本当にほっとしているみたいだった。たった一度、ダンジョンの中から逃げ出してしまった。それが後々に対してここまで尾を引くとは思わなかっただろう。普通ならそこで諦めるところだが、この男は諦めなかったわけだ。
ともかく俺の今の状況を米崎に話しておいた。現在俺の仲間の誰が何をしているのか、そして五郎左衆の捜査資料も含めて全てステータスを通じて送信しておいた。米崎は捜査資料に目を通し、しばらく黙った。
それほど時間はかかっていない。
黙っていたのは10分ほどで、かなり膨大な量があったが、全て頭の中に入ったのか口を開いた。
「——五郎左衆か……」
「勝てると思うか?」
「まあやるしかないね。捜査資料を見る限り、大八洲国では情状酌量の余地のない集団だ。皆殺しにしてもいいという点が実にやりやすい。ただ、こちらに被害を出さず、向こうだけ一方的に全員死んでもらう。それができるかどうかは君次第だ。もちろん協力はしよう」
「頼むよ」
何がなんでもこれを乗り越えなければいけない。無理でもなんでもやるしかなかった。
「細かい作戦は?」
「全員で行う」
「分かった。ではこの問題はここまででいいね」
このままクリスティーナの様子を見に行きたいところではあったが、それよりもまず、今の日本の状況を米崎から教えてもらうことにした。
ニュースやテレビ、ネットなどで情報収集はしたけど、どこまでが本当のことなのかも分からなかった。何よりもテレビもネットも誤った情報が多い。それは嫌というほどダンジョンで学んでいた。
「今回の騒動については知ってるのか?」
まずはそう切り出した。大八洲国のこともあれだけ調べた男である。国内の情勢についてはできる限り情報収集しているはず。
「6英傑が4英傑に喧嘩をふっかけてきている件だよね?」
「ああ」
「まあ一般人よりは知ってるよ。こう見えても色々な情報が集まってくる立場でね」
「じゃあ、この騒動を誰が仕掛けてきてるか知ってるか?」
ネットやテレビで見る限り、かなり不可解な事案だ。そもそも6英傑同士の繋がりがよく分からない。カインと死神は手を組むはずのない間柄のはず。何よりも独立独歩で動くことの多い英傑が、こんなふうにがっちり手を組んでる。
「こんなの誰かが音頭を取らなければ無理なはずだ」
「首謀者は知ってるよ」
米崎があっさりと口にした。
「誰?」
「他ならぬ君には教えておこう。この騒動の首謀者はね。麒麟だ」
「麒麟って王のこと?」
12英傑の中で、自分の国のダンジョンに入っていないものが2人いる。麒麟の王と饕餮だ。ダンジョン閉鎖主義の中国を無理やりこじ開けることもなく、ベルリンのダンジョンに入っているかなり変わった英傑である。
麒麟がダンジョンをこじ開ければ、中国の人口は膨大だ。諸外国に勝つために確実に命を気にせず探索をするものがたくさん現れたはず。なのに未だにそれはされていなかった。麒麟ならば簡単にできるはずなのになぜしない?
かねてから不思議に思っていた。それどころか王は政府に従順だ。だからこそあれほどの大国でありながら閉鎖主義を貫いていられるのだ。
「そうだ。完全にダンジョンに出遅れてしまった中国。その希望の星だね。饕餮は少々見た目が怖すぎるんでね。彼女の方が抜群に人気がある。そして彼女は中国のためならばなんでもしてくれる優しい女性というイメージがあるよね」
「ああ、麒麟であることも相まって慈母神なんて言われることもあるよな」
「だが彼女の本質は違う」
米崎はそれを知っているようだった。
「優しそうに見えるけど……」
「僕も千代女様の言葉を鵜呑みにするのはどうかと思うけどね。でも、その言葉によれば狡猾で計算高く誰かのために動くような人物ではないそうだ」
「彼女こそ中国人のあるべき姿とか、言われてなかったっけ?」
「ふふ、まさか。彼女はそんなに可愛い女の子じゃないよ。第一探索者が国のために一生懸命なんて、そんな変わったことするわけないじゃないか」
「いや、少なくとも4英傑はそうだろ?」
米崎から「さすがに君も子供らしい理想を持ってるんだね」と肩をすくめられた。
「なんだよ。じゃあなんのために動くんだ?」
「決まってる。君や僕と同じだよ。自分のためさ」
「分かりやすいな」
「そうだ。そして王は特にその傾向が強い。自分の利益のためならあらゆることをする。たとえこの日本が海の藻屑となり沈んだとしても、彼女はきっと顔色一つ変えず、やりきるだろう。面倒なことに彼女は動く時に必ず勝算を考えるそうだ。まして、どうもかなり勝算が高いと思って動いているようだ」
「それも千代女様が?」
「いいや、千代女様の情報と僕なりに他からも集めた情報の総計だよ。そもそも彼女には違和感がある」
「違和感……」
「ああ、僕が彼女に抱いた違和感は、どうして中国のダンジョンを開放しないのか? どうして、あの政治体制を守るのか? 4英傑は日本を握った。ロロンはアメリカだ。太陽神はインド。カインは欧州全体。死神はロシア。でも、麒麟は何もしなかった。それは千代女様の情報を聞く限り、彼女の人物像とは合致しない」
「確かにおかしくはあるよな……。そもそも麒麟が助けることがなければ自然と閉鎖主義は崩壊してたよな」
「そこから僕の疑問も始まってる。状況を見る限り、彼女は“今日のこの日”を狙ってたんじゃないかなと思うんだ。彼女はね。“今日のこの日”のために一つ一つ確実に詰めてきている。僕の目から見るとそうだ」
米崎は俺が考えているよりもはるかに、日本は1人の女の子によって追い詰められてきていると思っているようだった。だが俺は日本人として聞いていて面白い話ではなかった。だから日本贔屓で口を開いた。
「そうか? どう考えてもこんなことしたら6英傑側にも被害がいくと思うんだけどな。南雲さんはどんなことがあっても大人しく殺されるタイプの人じゃない」
「確かに彼はそうだ。彼を本気で殺そうと思えば、向こうだってただではすまない。龍炎竜美の破壊的な力はそれぐらい強い。でも、そうじゃない人が1人いるだろう」
「それって森神様?」
4英傑の中には戦いが苦手なものが1人だけいる。それが森神様で、この人だけは英傑の中で、攻撃力をあまり持たないと言われていた。それでいてサポートや守りに関しては圧倒的なほど強いらしい。
「その通りだ」
「狙いは南雲さんじゃないのか?」
「あんな面倒な男を狙うわけないじゃないか。どんな方法を使ったところで自分たちだって死ぬに決まってる。でも森神なら条件さえ揃えば被害がゼロで殺せるかもしれない。殺せたらどれだけ嬉しいか。12英傑の席が1つ開くんだよ。その席に王は自陣営の探索者を座らせたいんだ。他の英傑達もおそらく同じ考えだろう」
「じゃあ日本は米崎が言うほど被害が出ないのか?」
森神様のことはあまり詳しく知らなかった。いつもカメラの遠くからしか映らなかったし、綺麗だという噂はあるが、写真も出回ってなかった。なんとなく、もしかするとという人はいたが、やはりそこまでの思い入れはなかった。
「被害は出るよ」
「なんで?」
「王はね。そういう人物ではない。本当に自分以外はどうでもいいらしい。僕はそういう結論に達している」
「それって?」
「そういう人物がこの機会をその程度で終わらせるとは思えないな。王はできればこの機会に大きく巨大になってしまった日本の探索者全体に打撃を与えたいと思っているだろう。それに1人と言わず日本の英傑は全員殺したいんだよ」
「欲張りな」
「こんな機会は二度とない。叩くべき時に徹底的に叩くのは戦い方としては間違っていないよ。ただそれがうまくいくかどうかは僕も知らない。どこまでやる気なのかもね。ただ表立っては森神様1人を殺す。そう言って6英傑をまとめたと思われる。そして実際は……」
「そうか……」
そこまで聞いて麒麟が何をしようとしているのか。俺の中にも思いつくことがあった。それは多分米崎と同じなのだろう。でも、この件について、俺は、どんな方法であろうと手の出しようがなさそうである。
ただ、そう遠くないうちにかなり大きな戦争が起きる。日本という小さな島国はそれに耐えなければ滅びるかもしれない。せっかくダンジョン関連では勝ちすぎているというぐらい勝ちすぎていたのに、だからこそこうなるか。
勝ちすぎて狙われる。いつもこの国はそれに弱かった。そして俺には何もできることはない。それが分かりながらも、何かできるのではないかと考えてしまう自分がいた。
この時の俺はまだ自分がどうなるかなんて知らなかった。





