第百七十六話 美鈴
「こうするのって久しぶりだね」
美鈴が言ってきた。部屋にいるのは美鈴だけで、他の人間はそれぞれ自分の部屋に帰ってしまった。結局俺は摩莉佳さんがパーティーに入ることを了承した。五郎左衆のクエストをしている間だけの短いパーティー仲間だ。
ただ、事実を言えば摩莉佳さんの真意を確かめるため、クーモと黒桜に局長のところまで走ってもらっている。武官にも裏切り者がいると言われているような五郎左衆である。摩莉佳さんは疑わなくても大丈夫とはとても思えなかった。
「私達これから危ないことするんだよね」
「ああ」
美鈴は浴衣姿で、胸元が少しはだけている。俺が右手を美鈴の形の良いお尻に持っていくと嫌がるそぶりもなく、むしろもっと触れ合いたいというように首に手を回してきた。
「人だって殺すのかな」
「怖いの?」
「うん……やっぱりエヴィーの言うようにモンスターと同じには見えないかな。特に日本人もいるって話だし、それを本当に殺すのかって思う」
「美鈴。今は迷ってもいいけど、その時になったら迷っちゃだめだよ」
甘えてくる美鈴の頭を撫でながら言った。
「分かってる。いざとなればちゃんと殺す。これまでだってそうしてきたもん。だって私にとっては悪いことをしてるどうでもいい日本人なんかより、祐太とエヴィーと伊万里ちゃん。あと、マークさんの方が大事だから……それに私祐太と一緒にどこまでも生きていたいから」
一時でも体を離したくないというように、美鈴はかなり力を込めて俺を抱きしめていた。そうすることが今は大事だ。最近はこういう時間はほとんど取れなかった。ゆっくりする時間がなかった。
そして多分この夜が終わればまた忙しくなる。こんなことをする時間もなくなる。
「俺も美鈴ともっともっと一緒に生きたい。100年でも200年でも……」
「私達ってさこれから先で喧嘩とかする時あるかな?」
「一度ぐらいはするんじゃないか」
「一度だけ?」
「ああ、一度だけ」
「ふふ、私たちはとんでもない仲良しだね。ねえ、こんな大きな国がダンジョンの中にあるなんて、なんだかずいぶん遠くまで来た気がする」
「そうだね」
「きっと祐太とだからこんなところまで来れたんだ」
「俺も美鈴とだからここまで来れたと思ってる」
食事が終わり、エヴィーと伊万里はいつの間にかいなくなっていた。男一人に女三人のパーティー。改めて普通は続かないと言われているハーレムパーティー。それが続いてここまでこれた。美鈴達が、お互いに妥協してくれたからだ。
例えば俺が三人のうちの誰かとこうなった時、他の二人は干渉しない。そんな暗黙の了解があるようだった。今も俺が知らないうちに伊万里とエヴィーがいなくなっていた。お互いがお互いの恋愛に干渉しない。
三人のうちの誰かが俺との繋がりを求めて止まらなくなる。前はエヴィーがそうなって、今は美鈴だった。美鈴から発情している匂いが漂っている。絶対に何があっても今日は俺としたい。そう思ってるんだと伝わってくる。
そういう時に残された2人は、干渉しないでくれる。それがこのハーレムパーティーを大過なく保たせてくれている。美鈴に強く抱きしめられると心臓の鼓動がよく伝わり、浴衣だけなので素肌の感触もよくわかった。
「俺さ。今でも眠って目が覚めれば、これが全部夢でさ。今日もまた学校に行って、面白くないなって思いながら授業を受けているんじゃないかって思う時がある」
「私もさ。普通に何も考えず女子高生してるんじゃないかって思う時あるよ。それぐらい変わっちゃったよね」
「本当だな」
美鈴にこんな口の聞き方をする。最初は苗字を呼び捨てにすることすら、緊張してできなかった。それがいつの間にかこの美鈴は自分の女になっているんだと思うのが当たり前になった。
「今の私たちが普通に学校に通ったらどうなるんだろうね」
「そりゃみんなビックリするんじゃないか? 俺って顔の性能だけは桁違いに上がったし、美鈴は元から綺麗だし。何よりもレベルがもうすぐ200だし」
昔アニメで、美男子が女の子を見つめると、それだけで女の子が卒倒するシーンがあった。当時はそんなものを見て、現実にはありえないことだと思っていた。でも今ならできる気がする。
そしてこの短期間での急激なレベルアップ。自分でも何か奇妙に思えるほどレベルが上がった。今の日本でレベル200といえば、それだけで尊敬される。お偉いさんが挨拶に来るという話も聞いたことがあった。
「摩莉佳さんも祐太に惚れてたりして?」
「さすがにそれはない」
赤面はする。でもどう考えてもハーレムパーティーである。まともな女は、どれだけ顔が良いと思っても、本気で靡いたりはしない。恋愛とは普通、よほど意図的にしない限り重ならないものである。
何よりもマークさんがいる。かなり気合を入れて、摩莉佳さんが部屋から出て行く瞬間、ついていく姿が見えた。黒服マッチョにサングラス。心がとても優しい人だ。だからうまくいくことを願った。そして【意思疎通】で声もかけた。
《マークさんファイト!》
《任せてくれ。俺も一発決めてくるぜ!》
なんの一発かと思ったけど深くは突っ込まなかった。
「摩莉佳さんに、好きって言われたらどうする?」
美鈴が恐ろしいことを言ってくる。そんなことされたらマークさんから死ぬほど恨まれるではないか。これ以上の好きは渋滞している。
「断る」
当然である。俺は下半身の節度に自信がある。
「どうして?」
「美鈴がいるから」
「伊万里ちゃんとエヴィーがいるからじゃなくて?」
「……」
言葉につまる。美鈴が俺の顔を見たまま唇を合わせてきた。別に答えを求めて聞いたことではないようだ。唇を重ねる時間は長かった。久しぶりに2人でゆっくりできる。だからいつまでもこうしていてよかった。
ゆっくりと舌が重なり合う。そのまま時間が過ぎていく。どれほど過ぎたのかわからなくなるほど長く。それはずっとそうしていた。それでも離れる時は来るもので、どちらからともなく離れた。でも美鈴はまだ離れるのは嫌だというように、体を密着させたままだ。
「ねえ祐太」
俺の肩に顎を乗せながら、美鈴が言う。
「何?」
「アンナさんがまだ生きてた頃にさ。クリスティーナさんとアンナさんがガチャゾーンに先にいたことがあるのを覚えてる?」
「うん?」
そう言われて俺は考えた。四階層ぐらいのことだったと思う。もうすぐ伊万里と合流するという時に、一旦ダンジョンから出ることにして、その時にガチャを回した。ちょうど先客にクリスティーナさんたちがいたのだ。
クリスティーナさんは専用装備が出たみたいでとても嬉しそうだったのを覚えている。でも俺は声をかけなかった。
「ああ、一度そんなことあったね」
「祐太はその時二人に声をかけなかった」
「うん、まあ、この顔だと色々あるしね」
自惚れではない。魅力80という世界のトップモデル・エヴィーよりも1高いこの顔は、本当に女の人を惹きつけてやまないのだ。女の人を俺が好きで好きでたまらなくする。恐ろしいほどの吸引力。俺がそれを感じたのは玲香の時だ。
彼女はなんというか俺の顔を見つめているうちに、だんだんとそういう気分になってきたように見えた。美鈴とエヴィーと伊万里は違うと信じていた。でも他の女の人はこの顔を見ると、かなりクラクラするようだ。
「私はあの時ね」
だが美鈴の話はその件とは全く関係なかった。そして俺が予想していたどれとも違った。それはあの時美鈴が口にした、
『あの人、背中に……』
という言葉の方だった。俺はその言葉を覚えていた。その言葉は妙に印象深かったのだ。まるで美鈴がクリスティーナさんたちの背中に幽霊でも見えたように聞こえたのだ。
「アンナさんの背中に“ドクロ”みたいなものが見えたの」
そして美鈴がその時のことを初めて口にした。
「……ドクロ?」
「うん、冗談じゃないからね。安っぽい霊感とか言う気もない。でもネットで調べたらね。【危険感知】のスキルが生える人には、そういう直感的なものが働く人が多いんだってことが書いてた」
「それって?」
「私は【危険感知】で自分の命の危険がわかる。でも、うっすらとだけど他人の命の危険も分かるんじゃないかな。だって結構はっきりとドクロは見えたし、アンナさんは本当に死んじゃったでしょ?」
「うん。死んだね」
「でもね。あの後私はデビットさんのことも見たの。でもデビットさんには何も見えなかったの。同じ時期に死んだデビットさんにドクロは見えてなかったの。だから、私、アンナさんが死んだ時、祐太に言おうと思ったけど、デビットさんには見えなかったから言わなかった」
「どうして?」
結構大事な能力のように思えた。
「だってもしドクロが見えたとしても、『あなたは生きてるかもしれないし死ぬかもしれません』って何の役にも立たないんだもん」
確かにこれが美鈴の言ってることでなければ、何かの霊感商法かと思うところだ。
「ひょっとして俺の後ろにドクロが見えているの?」
だから口にしたのかと思いドキリとした。
「見えてない。でもなんだかここ最近祐太とはずっと一緒にいられない気がしてる」
「どういう意味?」
「何度か急に祐太の顔がなくなってるように見える時があるの」
「俺の顔が……」
「でも、そう感じるのが、祐太のこと好きすぎるから、失うことに怯えているだけなのか。それともアンナさんの後ろにドクロを見た時と同じような能力なのか分かんなくてさ……ちょっと不安だった」
美鈴が立ち上がる。スラッとした綺麗な少女。俺はずっとこの子を学校の教室で憧れながら見ていた。
「露天風呂入ろっか?」
そして今は一緒にお風呂に入る。
「……ああ」
立ち上がると2人で背中を向け合いながら服を脱いだ。今となっては正面で向き合ってもいいが、2人でダンジョンに入った時からの癖だった。美鈴の衣擦れの音がする。昔はよくこの音にドキドキした。今も少しドキドキしてる。
音が止むと、美鈴は何か照れたみたいに慌てて温泉の中へと入っていって、何も言わないで体を洗いだした。それでなんだか俺まで恥ずかしくなって、美鈴の横で自分の体を洗った。
「祐太」
髪の毛を洗っている美鈴が声をかけてきた。真横で体を洗っているから、見ようと思えば美鈴のあらゆる部分が見えたけど、あえてそういうことはしなかった。
「何?」
「さっき言ったこと忘れて」
「うん……」
忘れろと言うにはあまりにも意味深長すぎて、忘れられる自信はなかった。
「自分でもあんまり自信ないんだ。100%当たるものじゃないし、全然見当違いのこと言ってるだけかもしれない。私と祐太が離れ離れになるわけないもんね」
「そうだよ。絶対そんなことない」
ダンジョンで起こるいろいろな事態。まさかダンジョンの中に国があるとは思わなかったし、こんなテロリスト集団のようなものの壊滅を依頼されるとも思わなかった。このダンジョンの中では本当に何が起きてもおかしくない。
それでも俺が美鈴から離れるとは思えなかった。【毘沙門天の弓槍】が出たことで、美鈴に火力問題が発生するとも思えない。お互いにダンジョンに入り続けるのだ。お互いに愛も確かめた。それなのに離れる理由などなかった。
「だよね。それに、もしそんなことがあって、祐太に『お前のことを捨てる』って言われても意地でもついて行くから」
「俺も意地でも連れて行くよ」
美鈴が髪を洗い流していく。そして長い髪を掻き上げると、その顔が見えた。なぜか顔が赤い。今更俺の顔を見て赤面しているのだ。美鈴はなぜかかなり緊張している様子でぎこちなく歩きながら、湯船の中に浸かった。
これは今日はダメっていうサインじゃないよな。お前と一緒にお風呂なんて入りたくない。今さらそんなことを言われるわけがない。そう思いながらも考える。
「祐太」
「うん?」
「恥ずかしいんだから早く来てよ」
「あ、おう」
何をそんなに照れてるんだ。こっちまで恥ずかしくなってくるだろう。でも迷惑がられているわけではない。だから俺も自分の体を洗い流して、湯船の方へと歩いていく。そして美鈴の真横に浸かった。
美鈴がピトッてくっついてくる。大好きだし、愛してる。そんな気持ちが伝わってくる。
「ねえ、もっとくっつこうよ」
「分かったよ」
美鈴の腰に手を回して引き寄せた。別に初めてのことじゃない。そんなに緊張はしてなかったのに、やはり美鈴の動きが硬くて、こっちまで緊張してしまう。美鈴が目を閉じてキスを求めてくる。俺はそれに答えようと顔を近づけた。
そして唇が触れ合おうとした瞬間。
「あ!」
何か美鈴が声を上げて、慌てて湯船から出てしまった。やはり何か間違ってたかと心配になる。しかし脱衣場を抜けて、美鈴は何か荷物をあさっているようだ。ようだというのは音が聞こえるだけで、何をしているか分からなかったからだ。
「はは、ごめん。肝心のお薬を飲むの忘れてた。相変わらず私ドジだよね」
なんだか赤くなって美鈴が引き返してくる。
「うん?」
俺は何を忘れていたのかわからなくて、曖昧な返事をした。薬……女の子は食事後にサプリメントでも飲むのだろうか。いや探索者にそんなものは必要ないはずなのだが……?
「祐太。ひょっとしてなんのことか分かってない?」
ちゃぽんと俺の横に再び美鈴が入ってきて、恥ずかしそうに尋ねてくる。なぜそんな顔に今更なるのかと考えるが、どうにも思い当たる節がなかった。そうしてると美鈴が、
「その……今日は最後までできるから……」
そう言ってくる。最後までの意味を考えて、
「……もしかして、“あの薬”を飲んできたの?」
俺は思い出す。
“あの薬”はいつのまにか無くなっていた。ガチャから1つしか出てこなかったから、どこかになくしてしまったのかと心配していた。しかし、美鈴が持っていたようだ。いや、美鈴だけが持つのを伊万里とエヴィーが許すだろうか?
「うん。摩莉佳さんに聞いたら、一度飲むと30日は大丈夫なんだって」
「そ、そうなんだ」
「祐太。ひょっとして最初は私じゃなくて伊万里ちゃんかエヴィーがいい?」
「いや、そんなことない」
誰が最初か。そんな贅沢を言えるか。何もかも曖昧にしてはっきりさせず、結局3人で解決してくれることに頼り切ってしまった。俺は男として情けない。それとは別の意味でも最初が誰かなんて言えなくなっていた。
美鈴もエヴィーも伊万里も、誰かを選べるほど、3人に対して好きという気持ちは、優劣をつけがたくなっていて、それは間違いなく今この場で言うべき言葉ではないのだろう。
「じゃあ何?」
「美鈴で良かった」
おそらくこの言葉は間違っていないはずだ。
「私が無理に言わせたみたい」
「そんなことはない!」
本当に一番に好きになったのは美鈴でそれだけは間違いない。
「分かってる。祐太がいろんな女にいい顔するからちょっと虐めたくなっただけ」
「うっ」
思い当たる節がありすぎて何も言えなかった。美鈴はそこから黙ってしまった。何かよほど恥ずかしいのか照れながら抱きついてくる。俺の方まで顔が赤くなってくる。何だろうかこの気持ち。美鈴から下半身が動いてきた。
『何もしてくれないなら私からしちゃうよ』
という感じだ。だから俺は……。





