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第百七十話 新クエスト

「翠聖様! このような下賎のものに気軽に話しかけては!」


 侍らしき姿をした犬の耳がついた男が慌てて声をかけた。かなり年老いて見えて、それでいて動きは非常に素早く、どこか洗練されていて、多分この人のレベルは相当高そうだった。


「構わぬではないか。どうせその目的だったのだから」

「いえ、それでも直接はなりません!」

「どうして?」

「ならぬものはならぬのです。そのような慣例は今までにございません。ここは拙者が代わりに口を聞きます。翠聖様は拙者の耳にのみ聞こえるようにお話しくだされ」

「阿呆。それはお前がそうしたいだけであろう。角剛、金剛。話が進まん。この阿呆を下げよ」

「「は!」」


 2人の見惚れるほど筋骨隆々の男たちが、両脇から年老いた犬人の侍を持ち上げた。何か叫んでいたが、口まで閉じられて連れて行かれる。ちょっと可哀想だ。だがそれを気にも止めず、翠聖様が語りかけてきた。


「童よ。お主がルルの遊び相手か?」

「……えっと?」


 ルルって誰? 誰のことか分からなかった。ルルなどという知り合いはいない。当然遊び相手であるわけもない。学生時代の遊び相手は指で数えるほど。その中にルルなんて可愛い名前の女の子はいない。


 名前からして大八洲国の人間ではない。そもそも翠聖様がきやすく呼ぶ相手がいるとしたら、俺の学生時代の知り合いのわけがない。必死に頭を巡らして……1人だけ、いや、1女神だけ思い当たる神様の知り合いがいる。


 いやでも知り合いですらない。顔も姿も知らない。声も本物かどうかわからない。ただいつも一方的に関わってくる女神。俺はそこまで思考を一気に巡らせて口を開いた。


「ルルというのは……ルルティエラ様のことでしょうか?」

「そうじゃ」

「……あの、俺はルルティエラ様は遊び相手の気がしないのですが」

「皆そう言う。だがルルはそう思っておらん」

「そうなんですか?」


 かなり緊張している。白虎様の時もそうだけど、俺は基本的に偉い人と喋るのは苦手だ。必要以上に敬語を使わなければと思うし、この言葉遣いであってるのかも分からない。何よりもこの相手異常なほど艶っぽい声をしている。


 常に魅了の魔法でも使っているのだろうか?


「ルルにずいぶんと執着され虐められておるようではないか」

「あ、ええ」


 そう答えてそれだけの用事かと思う。


「ふふ、お前さん、ルルの相手ばかりではしんどかろう。どれ、たまには他の相手もした方が良い。銀次」

「ここに」


 かなり目鼻立ちの整った見た目の良い男が跪いて、翠聖兎神の少し後ろに現れた。


「桃源の爺様が、何か相談しておったの」


 桃源の爺様。どこをとっても知ってる要素はなかった。


「……」

「どうした?」

「あ、いえ、それは、五郎左衆(ごろうざしゅう)のことでございましょうか?」


 緊張したように銀次と呼ばれた人は答えた。五郎座衆……それも知らない。


「おう、そうそう。そんな名前だったのう。(わらべ)。取るに足らぬことだ。わらわから童にクエストを出してあげよう」

「……クエストですか?」

「のう童、五郎座衆という子供達が、桃源郷というところで、なんぞ悪戯ばかりするらしい。そのせいで随分と爺様が困っているそうな。もう死にそうな爺様が、余生を余計なことで心煩うのも可哀想だ。童もそう思うであろう」


 すっとそばによられて耳元で囁かれた。吐息が耳にかかる。それだけのことで溶けてしまいそうなほど気持ちよかった。


「お、思います」

「ならばそいつらを叱ってまいれ。そうさの。童がそれをできれば、シルバーにしてやろう」

「……」


 銀次という人がこちらを見ていた。その瞳は物言いたげで、なんとなくだけどものすごく翠聖兎神という存在に無茶苦茶なことを言われている気がした。


《小僧。断れ。死ぬ——》


 俺の頭に【意思疎通】が届いた。その瞬間ぽんと銀次が頭を叩かれた。


「余計なことを言うでない。どの道、ルルもそれほど大差のないことを言うはずだ」

「いや……しかし、その……」

「なんじゃ?」

「失礼を承知で申します。その名を、このような公然とした場で出されるのは問題が多かろうと……」


 銀次という人は、何かを気にしている。何を気にしているのかと考えて、ひょっとしてと思うと冷や汗が流れた。


「うん?」

「このことが五郎左側に筒抜けになりまする。おそらく、このクエストはダンジョン側への申請が通らないのではありますまいか?」

「うん、そんなこと……」


 翠聖兎神が赤い瞳を閉じて何かを始めた。そしてしばらくして目を開く。


「ほんに通らん。面倒な。この程度でできぬという童に何を執心しておるか……」


 ピクピクとうさぎの耳が揺れた。考え込むと揺れるらしい。触ったら怒られるのだろう。


「まあよい」


 翠聖兎神は優雅に胸元に差し込んでいた扇子を取り出す。なんの扇子かは分からないが、それを軽く降った。


【忘れよ】


 その瞬間息をするのも苦しくなるほどの濃密な魔力があたりに満ちる。銀次の瞳が虚ろになる。銀次だけではない。周囲の人間全ての瞳が急に焦点が定まらなくなった。翠聖兎神はさらにもう一度扇子を振った。


【眠れ】


 すると俺の目につく全ての人間が瞳を閉じて、地面に崩れ落ちた。殺されたのかと思った。でも寝息が聞こえる。眠っているようだ。横に居たエヴィーも美鈴も伊万里も、例外はなかった。


 翠聖兎神の後ろをついてきていた行列の人間まで眠っていた。防音するとか色々方法があると思うが、そうするよりもこちらを選んだ。きっとどちらも大差のない労力なのだ。それほどに翠聖様という存在は隔絶した存在なのだろう。


【睡眠魔法】


 戦いの最中に眠れば終わりである。だからこそこのデバフを相手にかけるのは、かなり難しいらしい。ただ俺と翠聖様だけが起きていた。


「公に童に依頼を出すとお主はすぐに死ぬらしい。今、ルルに怒られた」

「そ、そうですか」


 次のクエストの相手はかなりやばい相手らしい。少なくとも俺の存在が分かっていれば、俺をすぐに殺せる。それぐらいの戦力を持っている相手のようだ。


「まあ今この場で長々と説明するのは面倒故、詳しいことは近藤に直接伝えておこう」

「局長さんのことですね。分かりました」

「童。六条祐太だな?」

「は、はい!」


 名前を呼ばれて心臓がドクンドクンと跳ねる。嬉しい。魅了の魔法にかけられたか。いや、あまりに存在の格が違うのだ。だからスターを見たファンみたいになってるんだ。恋するというより憧れているのだ。人はここまで行けるのかと。


「わらわは長く生き過ぎたゆえ、童たちにとっての死がどういうものかよく分からぬ。じゃがどうやら加減が違ったようじゃ。とはいえ出したものは引けぬのでな。制限はなくしておくゆえ、しっかり準備するんだえ」

「……」


 どうやら断れないようだ。普通、ブロンズエリアでは数あるクエストの中から自分にあったものを選ぶものらしい。しかし返却不可のクエストばかり出てる。なぜこんな変わったことばかり起きるのか。


 特別になりたいという思いはあった。それでもそれを仕組んでいる相手が気になった。何をルルティエラという存在は、これほどまでに俺にこだわってるんだろう。それともこれがルルティエラという存在にとって普通なのだろうか。


 俺が答えられずに考え込んでいると、翠聖様はこちらの瞳の中を覗き込んだ。


「これもまた巡り合わせ……」

「あの」


 俺が求めている答えをこの人は持ってるんだろうか。


「疑問があるのかえ?」

「いえ……俺って何か特別なところがありますか?」


 自分が特別な星の下に生まれてきたと思うほど、夢見がちな少年じゃない。でもここ最近は、自分には何かあるのかとすら思えていた。


「童はごく普通の星の下に生まれている。なのにルルは今回やたらと執着している。何かが童にはあるのであろう。心当たりはあるか?」


 全くと言っていいほど何も思いつかなくて首を振った。そんな心当たりがあるぐらいなら、きっと俺は学校で虐めになどあっていない。


「そうか……。では過去ではないのだな。童の顔……」


 さらに翠聖様が俺の目を覗き込んでくる。全てを見透かすような赤い瞳。俺はそれに魅了されていた。翠聖様の顔がどんどんと近づいてくる。あともう1ミリでも進めばキスでもしそうなぐらいの距離になる。


 俺は緊張で身動きができなかった。


「いや、まあ良い」


 そして期待したようなことは起きなかった。本当にくっつく直前で翠聖様は離れた。


「何か分かりましたか?」

「残念ながら何も。少なくとも童の瞳の奥には何もない。じゃが、過ぎたものを与えた。無事にこなせれば褒美として、わらわからその疑問、ルルに聞いてやろう。だから童も励めよ。まだ何も知らぬ童。終わればわらわの城に来い。わらわの手ずから報酬を渡してやろう」


 翠聖様は言葉を残した。そして時がまるで動き出したかのように、周りの人間が目を覚ました。まるでそんなことは何もなかったかのように翠聖様は通り過ぎていく。いなくなると今起きたことがまるで夢幻(ゆめまぼろし)のようだった。

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