第百六十九話 翠聖様
《じゃあ局長は、伊万里を殺す気はなかった?》
そういうところは冷酷な人だと思っていた。だが思いのほか情もある人だったのか。だがそういう問題ではない。昔より現実的になったというだけ。それだけなのだ。だから米崎もそう言った。
《僕があの場にいなければ、そのまま北門を出て伊万里君の首を斬り取って終わりにしたんじゃないかな。僕がいないということは、君は気づいていない、もしくは気づいても間に合わないってことになる》
《北門を出て、何も知らないまま死ぬ方が楽なぐらい。局長はそう言ってる》
《そう。きっと君に次のクエストは無理だ。残酷に死ぬよりはその原因を狩り取ろう。そんなところかな》
伊万里との【意思疎通】ができるようになった。伊万里はまだ何か考えているようで、あまり多くを語りたがらない。だが、米崎に連絡すると事の詳細を教えてくれた。伊万里の命はギリギリのところで繋がっている。
これからに怯える気持ちはある。池本に怯えていたのが嘘かと思えるほど、怖い人たちとばかり関わる。次はもう少し楽になるかと思えば、いつも厳しくなっていく。どこかでちょっと躓けば……。
《ところで、からくり族にお金を渡したか?》
《正解。やっぱり君と話すと、話が早くて助かるよ》
からくり族。大八洲国の奴隷身分。日常生活ほとんど全てがからくり族によって回っている。人間との違いは、人間に創られた存在か、そうでないか。いわゆる俺たちの世界に、ロボットが完全な形でできたとしたらこうなる。
そういう存在である。多分、からくり族の創造主に対する服従設定はかなり緩い。日常生活のほとんど全てがからくり族によって動いているなら、そうしなければならないのだ。故障しているはずの転移駅をお金をもらって利用させてあげる。
それが許されるほど、緩い。自由度がないと、日常生活全てを任せるのは支障が出てしまう。それはきっとルルティエラの悪口を大八洲国の人間が言い、逆心を示してもいいのと同じで……、それにきっと、その方が面白いから……。
《いくら渡した?》
《まさか返すなんて言わないでくれよ》
《どうして? この国の金は大事だろ?》
《そうでもないさ。僕にとっては端金。僕は今日のこの日のために探索に役立つことは全てやってきたのだからね。当然、ここでもお金を手に入れる方法を確保しているよ。少々非効率な方法ではあるがね》
《今回はかなり助けられた気がする》
《僕は結構楽しんでる。何よりも僕がどうしても手に入れられない部分を君が補う。それが一番の報酬だと思っているのさ》
米崎がどうしても望んでも手に入らなかったもの。ダンジョンに好かれるということ。それがあるだけで十分なのだという。ここは言葉に甘えておこう。実際の問題として、俺は大八洲のお金はあまり持ってない。
出すと言っても出せない。それにしても、こんな文明の進んだ世界で、米崎はどうやってお金を作った? そこまでガチャ運がいいような話も聞かない。ただ知能が異常なほど高いだけの男。戦闘能力は低い。
でもだからこそ優秀すぎるほど優秀だ。正直、期待していた以上だ。
知能。
あまり注目していなかったステータスだが、米崎を見ているとかなり重要なステータスなんだなと思える。戦うにしても何をするにしても、頭が良くて損をすることはない。
「意識的に上がるようにか……」
どうすれば上がるのか分からなかった。あまり学校の成績が良くなかった俺にそれは期待できない。いや、でも、うちのパーティーで一番知能のステータスが高い黒桜はアレだしな。黒桜は、
「今回は十分働いた。ちょっと働きすぎたにゃ」
と抜かして俺の肩の上でだらけている。まあ結果的にそれほどマイナスにはならなかったので、いいのだけれどふてぶてしいやつだ。
「どうしたの?」
エヴィーと腕を組んで歩いていた。美鈴は久兵衛達から助けられたばかりのエヴィーに譲ろうという腹なのか。後ろからラーイに乗ってついてきている。転移駅をくぐり西門近くの探索局まで来ていた。
今は転移駅の前の広場で伊万里達を待っているところだ。
「いや、エヴィーが無事で良かったと思ってるよ」
「ふふ、何度言われても嬉しいわ。ねえ、今夜は」
「すまない。しばらく忙しい」
「もう!」
エヴィーの綺麗な顔が残念そうにしている。きっと世界のトップモデルの中でも、ここまでレベルがあげられたモデルは滅多にいないだろう。それゆえに奇跡的なほど美しくなった。今となってはモデルの中では世界一美しいんだろう。
そんな少女に露骨に誘われているのに、断ることの方が多い。嫌なのではない。しなければいけないことが多いだけだ。局長さんの言葉が気になる。次のクエストは今回以上に準備がいると思っていなければ、やばい。
何も考えずに行き当たりばったりで臨んだら、まず間違いなく全滅する。自分のこの足りない頭をフル活用して、届くかどうか……。そういう次元のクエストが来ると思った。考えていたら転移駅からマークさんと伊万里が出てきた。
伊万里は俺と目が合うと少しバツが悪そうに目をそらしていた。
「あれ? もう一人は?」
米崎の姿が見えず、エヴィーが聞いてきた。名前を出さなかったのはまだ米崎の存在が、秘密かもしれないと思ったからだろう。
「研究所に用事があるって帰ったよ。俺も報酬を受け取ったら来てほしいって言われてるんだ」
あれだけ働いておいて米崎の報酬はゼロである。ブロンズエリアでどれだけ頑張っても、米崎はもう報酬がもらえないらしい。だが次も悪いが働いてもらわなきゃいけない。
『もちろんいくらでも使ってくれたまえ』
と、そのことは喜んで了承してくれていた。
「そうなの?」
「ああ、しばらく別行動になると思う。その間にエヴィーと美鈴達には、大八洲にあるはずのドワーフ工房を見つけておいてほしいんだ」
「ああ、クエストも大事だけど、白蓮様を探さなきゃいけないのよね」
「ドワーフ工房が、簡単に見つかるならそれでいいし、探してもなかなか見つからないようなら、マークさんに一度俺と連絡を取りに外に出てもらってくれてもいい」
それをしなくてもいいと思っている。何もかも自分の考えだけで動かすのは無理だ。ドワーフ工房を見つけるのは任せようと思っていた。
「私たちは?」
「一人行動をしていいのはマークさんだけだ。マークさんなら、一人でもなんとか逃げるぐらいはできる。でもエヴィー達はやめておくんだ。どういうやつらが次のクエスト相手か分からない。もし、誰かが敵に捕まっても、次は助けるまでに何もしないなんて相手じゃないかもしれない」
久兵衛たちはかなり良心的な誘拐犯だった。エヴィーの扱いは丁寧だったというし、監禁中の細かいことの世話は全てアーニャという女性の召喚獣がしていたらしい。むしろ俺の方がなりふりかまってなかったとも言える。
「できるだけ4人一組で動くようにね」
俺は任せると思いながらも心配でいろいろ言ってしまう。
「うん。了解」
美鈴が言った。ラーイと気づいたら横に並んでた。
「あと、基本的にエヴィーの指示でみんな動く。エヴィー、俺のいない時は頼んでおくよ」
そしてまたもう1つ言ってしまう。
「ふふ、了解」
でも、エヴィーの機嫌はむしろ良くなった。
「伊万里もエヴィーの指示に従うでいいよね?」
「……うん」
まだ少し拗ねてる。伊万里は昔からこういう状態になるとかなり引きずる方だ。ちゃんと話を聞くべきなのだろうが、もう少し間を開けてからと思っている。こういうことを先延ばしにしてしまう。基本的に俺はそうだ。
相手の気持ちをちゃんと確かめるのが怖い。
《まあ俺が到着した時は盛大にピーピー泣いてたからな。ここに連れてくるまでも大変だったんだぜ。自分は迷惑だ。死んだ方がいいとか。博士は完全無視だしよ》
《ありがとうございました》
《まあでも、気持ちは分からんでもない。集中的に狙われるから外に出るのもかなり気を使う。おまけにそれの対応をしてくれるのは、祐太だ。エヴィーは自分のせいで誘拐されたと考えれば、どうしていいかわからなくなるわな》
黒服マッチョのマークさんが【意思疎通】でそう言う。
《マークさん。でも少しの間任せておけますか?》
《ああ、聞いてる。次の方が面倒そうなんだろ。いろいろ準備しなきゃいけないしな。伊万里から絶対離れないようにする》
伊万里の面倒はしばらくこの人に任しておこう。そう思えるぐらいにマークさんのことは信用していた。それにクーモに大きさを変えるスキルを習得してもらえるようにお願いしていた。それで常に伊万里に張り付いてもらうのだ。
「祐太。とりあえず私が助けられたんだからもうちょっと気を抜いて」
「う……うん」
確かに張り詰めすぎると逆に緊張の糸が切れた時にまずい。硬くなっている頬がエヴィーによって引っ張られた。
俺たちはそのまま翠聖都の繁華な道を気楽な気分で歩いた。今のこの時、この国を楽しみたかった。地球よりも進んだ文明。それが存在している。それなのにファンタジーな力を持った人ほど、権力があるという世界。
この世界を地球の人はまだ知らない。日本の総理大臣も、アメリカの大統領も、誰であろうとここまで来なければ、ここのことを知らない。それがどれほどのマイナスになるのか、まだ誰も知らずに生きている。
「分からないことがまだまだ多いな」
「祐太」
エヴィーが声を出した。
「うん?」
「レベル100も超えたし、私も家族だけはこっちに呼ぼうかと思ってるの」
「ああ、そういえば前からそんなこと言ってたよね」
「いい?」
「もちろん」
「よかった」
「エヴィーの家族のことなんだから、改めて聞かなくても良かったのに」
「まあそうなんだけどね。色々とあるのよ」
色々とか……深く聞くのは怖い気がしてそれ以上は突っ込まなかった。探索局が見えてくる。相変わらずやたら背の高い奇妙な形の建物だ。
「初めて見たけどエキセントリックの形だわ」
そういえばエヴィーはまだ翠聖都を知らないんだったな。なにげに転移駅でもかなり驚いていた。後でデートがてらに転移門を潜らせてあげよう。そんなことを考えていた。そうすると人混みがふとざわめき始めた。
《翠…………お成…………聖……………り…》
何かの声が頭に響いたのだ。
「誰か来る?」
周りの人達が一斉に慌ただしく動き出す。
「おい、そこの格好良い兄ちゃん。こっち、こっち」
「あ、はい」
この国の探索者の誰かだろうか。帯をしめただけの着流し姿。男のような女に手を捕まれて、大人しくそれに従う。そして道の向こうから確かに何か来るのを感じた。それは、そんなに荒々しい気配じゃなかった。
穏やかで優しくて、それでいて強大で、空気全体が何かに包み込まれたようだった。
「あんたら最近来た日本人だろ。こういう時は素早く道の真ん中開けろ。【翠聖様】が“行幸”されるんだよ」
「翠聖兎神様お成りー。翠聖兎神様お成りー」
《翠聖兎神様お成りー。翠聖兎神様お成りー》
そんな声が今度ははっきりと頭にも耳にも直接届いた。いつもの女の人の声じゃなくて男の人。【意思疎通】をオープンチャンネルで、手当たり次第に送っている。周囲でのんびり歩いていた人たち全員が、これを邪魔してはいけないと分かっているようだった。
この世界においての神様。敬われ、尊ばれ、恐れられる。
【翠聖兎神】
もう1000年を超えて生きている兎の神様。
誰もひそひそ声すら発することがなくなる。
外国人のエヴィーやマークさんも空気を読んで静かだった。
「ね、ねえ頭とかって下げなくていいの?」
周りの誰もが道を譲っただけで、頭を下げている姿は見えなかった。美鈴は時代劇の影響なのか、こういう時は頭を下げるものじゃないかと思ったようだ。
「神様によって色々だ。翠聖様は頭を下げると人の顔が見えないからって、下げないように言い渡してるんだよ」
その疑問に着流し姿の女が教えてくれた。
「それはまた気さくな神様なんですね」
「気さく……」
「美鈴。他に誰も喋ってないよ」
「あ、うん。了解」
あたりはシンッと静まり返る。誰一人として物音を立てない。だからその音はよく響いた。木製の下駄を履いているのだろう。石畳にカンッという音。その存在は誰かが先に歩くということもなく、一番前を歩いていた。
兎の耳に赤い瞳。そして、その神様は白だった。白の着物。そして肌も白くて、目に飛び込んでくる姿は、気怠げな表情。着物の胸元がはだけて妖艶だ。いつか見たことがあるエルフさんもこの世のものとは思えないほど綺麗だった。
でもこの翠聖兎神もそれと同じぐらい妖しい美しさを持っている。俺たちのまだはるか先にいる存在。何千年も生きてきたという。きっと傾国の美女妲己というのが本当に存在していたら、この人だったんじゃないかと思えた。
誰もがその姿を陶然と見ている。男どころか女すらも魅了して、その貴婦人は歩いていく。まるで現実感のない神々しさを放って、その後ろを行列のようにお付きのものたちがついている。
永遠にも思える。ゆっくり歩いているようにも思える。だけどそれは思った以上に速くて、胡蝶の夢のように通り過ぎて行こうとした。
「ふむ、こやつか」
それは、だから、夢の中から聞こえてきたような気がした。





