第百六十八話 Side伊万里 迷子
私はジャックから簡単に逃げられたことで、なんだ捕まらないじゃないかと思った。私が逃げようと思えばいつでも逃げれた。それならこのまま翠聖都の外に逃げよう。地下高速道路の案内板を見て、翠聖都にある別の転移駅を探す。
見つけた。
直進10km。
今の私ならすぐそこだ。出口が見えてきて、左にそれて外に出た。周囲を見渡すとそこそこ賑やかな場所だ。店先から香ばしい焼き鳥の匂いがする。焼きとうもろこしに天津甘栗。出店を通り抜けると転移駅が見えた。
さすがにここなら故障してないだろう。
【ご利用のお客様にお知らせします。現在転移駅はシステムの一部に重大なバグが見つかり、大規模メンテナンス中となっております。空間転移希望のお客様の安全とより快適な利用を考え、一刻も早い復旧を心がけております。今しばらくお待ちください。ご理解ご協力のほどよろしくお願いいたします】
いつもよく聞くダンジョンの女の人の声で、アナウンスが流れていた。
「はあ、どうして?」
一瞬嫌な予感がよぎる。もしかして私のためにこうなっているのではと。ダンジョンが嫌っている勇者のためならありうるか。でも私のクエストが出されるのは久兵衛たちが失敗したとしても、次はせいぜいシルバーの人たちだろう。
シルバーの人たちにこんなことができる権限があるわけない。
「純粋に私にツキがないだけ……」
あまり引きは弱い方ではないと思っていたが、そうでもなかったか。
「復旧にどれぐらいかかるんだろう。1日ぐらいかかるとすれば……祐太が私を見つける可能性は……」
あると思った。あいつは私のことに関して妙に勘が働く。だってあいつは昔、私が祐太を嫌いだった頃。祐太と二人なのが嫌で、本気で家出した時、電車で渋谷にまで行ってたのにすぐに人混みの中にいる私を見つけたのだ。
『気持ち悪! なんでいるのよ!』
『えっと、その、ごめん。お腹空いてないかと思って』
街中でお弁当を渡されて、地面に叩きつけてやった。家出にお弁当とかふざけるなと思った。結局お腹が空いて、警察にも補導されそうになるしで、帰るしかなくなった。でも、祐太は暖かいご飯を用意して家で待っていてくれた。
私は、それがますます癇に触って、余計に腹を立てた。
やっぱり私はあいつに嫌われることしかしてないと改めて思う。
それに祐太には翠聖都の中にいる限り簡単に見つけられる気がする。なぜか私の行動パターンが祐太はよく分かってるんだ。だから、祐太から逃げるなら翠聖都から逃げるしかない。もうこうなったら門から森に逃げる。
大森林は広いだけあり、その中に小規模な都市が点在している。そして、そこにも転移駅はあるのだ。
「いくらなんでも、まだ次の勇者殺しの探索者は準備段階だよね」
その準備段階の間に大森林をさっさと抜けて、地方都市に入り、そこから一度でも転移すれば……。そして、そこでまたなんとか祐太と一緒になれるように強くなれれば……。
「何してるんだろう……」
正直自分でもかなりバカなことしてると思った。
転移駅が故障していて、再び北門に向かい、私を探しているマークさんと遭遇することもなく、私はそのまま北門付近まで来てしまった。マークさんは、もう私なんてどうでもいいのかもしれない。だから途中で出会わなかった。
「——北門エリアは田舎だったっけ……?」
妙に静かなのがちょっと気味悪かった。ビルのような高さの和風建築がちらほらとある。和風ファンタジーに出てくるような縦長の建築物だ。その中に北の探索局の一際大きな建物もあった。
「田舎じゃないよね? なんで人がいないんだろう。今日は休みの日とか?」
北門に向かって、石畳の道を歩き出す。北門自体はたくさんの建物の陰になっていてまだ見えなかったけど、100mほどある壁はしっかりと見えた。あれを越えると本当にもう後戻りできない。
本当にこれでいいの?
でも勇者の称号がある限り、私はひたすら迷惑な女だ。
ジャックの言う通りだ。仲間に頼っているだけじゃなく、勇者を自分でなんとかしないと私はみんなから邪魔者だと思われるだけだ。それでも祐太が私を好きならそれでいいけど、それもかなり望みの薄い希望だと思った。
「よお。お嬢ちゃん1人かい?」
ふと、声をかけられた。私は驚いてビクッとなる。何しろその声が真横から急にして、私は警戒態勢をとる。
「あれ……」
そこに見覚えのある人がいた。
「俺が誰だか覚えているか?」
一度だけ見たことがある人。でも忘れるわけのない人。熊人でプロレスラーが履くようなパンツとベストを着ているだけの局長さん。北門の付近まで来ていたから、この人がいるのは意外だ。確かこの人は西エリアの責任者のはず。
「えっと、局長の近藤さんですよね?」
この人は貴族だからルビー級の探索者。いくらなんでも私のクエストなんて出るわけもない相手。私はホッとして、そしていつも通りの良い子ちゃんの仮面をかぶる。これがまだ少しは祐太に好きでいてくれる私。
ふと、北門近くの転移駅も通る。
【ご利用のお客様にお知らせします。現在転移駅はシステムの一部に重大なバグが見つかり、大規模メンテナンス中となっております。空間転移希望のお客様の安全とより快適な利用を考え、一刻も早い復旧を心がけております。今しばらくお待ちください。ご理解ご協力のほどよろしくお願いいたします】
誰もいない無人駅でその女の人の声だけが、虚しく響いていた。
「どうしてこんなに誰もいないんですかね」
なんだか頭がグルグルする。祐太のことを考えていると頭の中でいろんな人の声が聞こえる気がして、とにかく逃げなきゃとばかり考えてる。
「そういえば妙だな。この辺はもっと賑やかな場所なんだがな」
「局長さんはどうしてここにいるんですか?」
お前は嫌われてるんだから。
好かれているわけがないんだ。
これからもっとみんなから嫌われる。
「何、つまらん雑用を頼まれてな。ちょいと北門の外まで出るんだ。お嬢ちゃん1人なら一緒に行くかい?」
ここの貴族がどういう人たちなのか私はよく知らないけど、少なくともこの人は優しい人だ。その優しい声が今の私の心にはよく響いた。
「いいんですか?」
ラッキーだなって思った。何しろこの人と一緒なら私は絶対安全だ。心細くて仕方なかった。祐太に好かれていると思っていた時は、山籠もりだって一人でできた。でも嫌われてると思ってから一人でいるのが怖かった。
それでも私は、祐太とは一緒にいられないから、ここから大森林に出て【玄武街】という小都市まで行きたいんだ。
「ああ、【玄武街】という場所まで出張だ」
「わー、丁度、私もそこに行こうと思ってたんです」
「ならちょうどいいじゃないか。森の一人歩きは危ない。俺とご一緒するかい。まあこんな熊でも怖くなければだがね」
この人は祐太のお父さんみたいな人だ。ちょっと不器用だけど信用できる。それに多分この人、日本出身のあの人だよね。それならますます信用できる。きっと私じゃ考えられないぐらい強いんだろうな。
そんなことを考える。
気さくに話しかけてくる局長さんと笑いながら歩いた。祐太と離れることを決めてちょっと泣きたい気分だったから、この人にかなり救われたなと思った。そうだ。玄武街に着いたらこの人に事情を相談してみようと考えた。
この人ならきっと祐太のお父さんみたいに私の相談を色々聞いてくれる。
石畳の道を歩く。
巨大な壁とともに、大きな門が見えてくる。
ここから出る。
1人になる。
寂しい。
でも……。
「少しそこで止まれ」
私の体が動かなくなる。
その言葉を口にした局長さんが一人で歩き出して、ようやく人がいた。
門番の人だ。
慌てて門を開けた。
局長さんがそのまま門の外に一人で出た。
「このまま斬り捨てて楽にしてやろうかと思ったが、これほど子供ではそれもな……、さて」
巨大な門が全開した。
「どうする?」
「どうするって」
局長さんは浅葱色の羽織とグレーの袴が現れて、額に鉢金を巻いていた。新撰組みたいでかっこいいなと思った。
「まだ分からないか。想像以上に鈍いな。男のことになるとあまり周りが見えなくなるか……」
こちらを見てくる。ジャック以上に私のことを見透かしているような深く暗い瞳だった。その瞳で見られると、とても気分が悪かった。
「はっきり言ってやろう。御上の勅命である」
「勅命……はは、本当に新選組みたいですね」
「ああ、俺以外は誰もこちらに来なかったがな。それでもまだ俺はこんなことを続けているんだ。なあ、東堂伊万里。勇者殺しをせよとの勅命をこの【近藤勇】が受けたのだ」
腰に刀が現れた。居合の構えになる。はっきりと私に殺意を向けてるんだと分かった。
「死んでくれや」
「どうして……そんなわけない。次にクエストが出る人たちはシルバー級のはずだよ」
祐太のことばかり考えていたのが急に現実に戻ってくる。目の前で刀を構えている人がいる。それは見た目以上に大きく見えた。この巨大な門の前で通る隙間もないほど、巨大な熊が立ちはだかってるみたいだ。
「まあ確かに無茶苦茶な命令だ。だが逃げ道はあるぜ。俺の拘束期間は1日だけだ」
「1日……」
「こんな任務だ。上がるレベルもたったの1だ。誉れとなることもない任務。だがそれを守るのが俺の生き方でな。門から出ればたとえ赤子であろうと斬る。だから出るな。それだけでいい」
「そんなことって……」
「お前がここから出れば全て終わる。男の努力も無に帰る」
「でも私がいたら祐太が死んじゃう」
「ふん、嘘をつけ。そんな心配をしたんじゃないだろう。ただ、耐えきれずに逃げただけの小娘。どうする?」
改めて局長さんからこちらを見られた。局長さんはただそこにいる。私が本当に逃げているだけなんだって知ってる。この行動は誰のためにもならないって知ってる。
「祐太に黙っててくれる?」
「やつへの報告義務はないな。たとえどんな女が好きだろうとそれはあの男の器量だろうよ」
「黙っててくれるの?」
「言ってしまうかもな。いや言ってやろう。そうしたら出るか?」
ああ、これは出た瞬間に死ぬ。【光天道】なんてこの人には通用しない。あれには限界距離がある。SPが切れたらどうしてもそれを補充する必要があり、SPポーションを飲む間、私は【光天道】が使えない。
多分その間に余裕で殺される。いや、それ以前にも問題がある。私の敷いた【光天道】は意外と脆いのだ。移動する前にそれを壊されるだけでも、私は移動に失敗する。0.001秒も見せない弱点。
でも、この人なら簡単にそのわずかな隙に私を斬れる。
私は自分の首がはっきり地面に落ちてるのを幻視した。
足が震えてくる。
山の中で祐太の為に本物の熊を相手にしてもこんなに怖くなかった。でもこの人は本物の熊よりも怖い。私は地面に膝をついた。立っていられなかった。そしてただ震えた。やっぱり私はただの怖がりだ。怖いと何もできないんだ。
「ちっ」
局長さんは私が地面で震えているだけになると、面白くなさそうに構えを戻した。
「おい、米崎秀樹」
「何かな?」
ふと、また横から声がした。白衣を着た米崎さんが私の様子を観察していた。この人、いたの? じゃあ私がどうするかただ見ていたの?
「この娘さんを男のところまで送ってやれ」
「もういいのかい? クエスト失効は貴族の恥だろう」
「ふん、どうせルルティエラ様の無茶ぶりだ。震える女を斬ったら、虎徹が泣く。それよりも俺の次だぞ。これでうまくいかなかったら、いよいよ女神殿は、情のないものたちを選ぶ」
「だろうね」
「東堂伊万里。悪かったな」
局長さんが私の方に歩いてくる。頭にポンと優しく手を置かれた。
「男も女もない世界なのだがな。どうも俺は昔の癖が抜けん。お前のような女が何ができると思ってしまう。震えているだけで、死ぬこともできんなら、素直にあの男を頼っておけ。この観察好きの男がここにいるということは、お前の男はこれに気づいたんだ。俺のこの行動が予測できるならば、あるいはお前の男にはお前を守れる可能性がある」
「……」
「ではな」
そう言うとそのまま門から離れて翠聖都の中へと戻っていく。私はなぜか涙が溢れてきて泣き崩れていた。米崎さんは特に何を言うわけでもなく。強いて言うなら、さっさと泣き止んでくれないかな面倒臭い。というような顔をしていた。
だから私は悔しくて大泣きしてやった。





