第百六十七話 Side伊万里 逃亡
祐太はもっと私のことが嫌いなんだと思ってた。自分は好かれるようなことを何もしてこなかったし、好きになったのだって私の都合だった。それに祐太は私の大事な部分をどれだけ触らせてあげても何もしてくれなかった。
本当に心の底から嫌われてる。でも祐太は優しいから一緒にいてくれる。それにずっと甘えていた。でもそれが少しだけ違うと最近思うようになった。私が祐太にどれだけ近づいても許してくれるようになったから。
でもその理由が多分、美鈴さんとエヴィーさんであることが悔しかった。
「今までがボーナスみたいなものだったんだ」
「うん? どうした?」
「イマリ。まああいつらなら大丈夫だ。気楽に待とうぜ」
ジャックとマークさんがこっちを見てきた。
「別に……」
私は自分の心を知られないようにいつもする。こんな心を知られたら、私のことをみんな嫌いになる。そう思うから隠すんだ。そんな私を見透かしたようにジャックが口を開いた。
「なあ、東堂ちゃんよー。お前はマジでこのままでいいのか? 毎回こんな平和な場所で待ち続けるだけかよ。その間、お仲間は死にそうな思いをし続けてるんだぜ。それなのに、勇者のお前がここにいるってことは、お前は守られてるだけってことだ。なあ、お前、勇者ってのは称号だけか?」
こいつは嫌なやつだ。さっきから私に現実ばかり突きつけてくる。しきりに外に出るように促してくる。ジャックの言葉通りだった。みんなに守られてこんなところにずっといて、自分の勇者の称号が消えてしまうんじゃないかと。
それも心配だった。
「気にするなよイマリ。今回のこれは作戦上一番、そうすることが安全ってだけのことだ。毎回毎回こんなふうに引きこもってるわけじゃないんだ。それより、これでレベルだって上がる。レベルが上がれば、ここで居続ける必要もない。そしたら、全員一緒に晴れて行動できるって事だ」
マークさんはそう言ってくれる。私は平気だよという顔を作る。私は自分の顔を作るのが得意だから、ジャックはそれほど自分の言葉が効果を発揮していないと思ってる。でも私は意外とダメージを受けている。
祐太に親のいない苦しみを全てぶつけていた私である。自分の心の制御は下手だ。そして私が一番怖がってしまうのは、祐太に嫌われること。祐太から『お前が邪魔だ』って言われるのが怖い。それがこの世の何者よりも怖いのだ。
「東堂ちゃんよー。お前今ここでずっといてたら、きっとまた次もずっとここにいることになるぜ。毎回、みんなが命がけで戦っている中で、安全な場所でお大臣様気取ってるのかよ? お前のせいで、命がけで頑張らされている仲間は今きっと、死ぬほどお前のこと恨んでるんじゃないのか? なあ、お前本当にここでいいのかよ。こんなところで寝てていいのかよ」
「おい、やめろ」
今の言葉はさすがにちょっとひどいと思う。でも黙ってたらマークさんが勝手に怒ってくれる。
「黙ってろよ。俺はこの女と話してるんだ。この根性なしのちんちくりんとな。お前だって実はこいつにムカついてるんだろ? こいつのせいで、ここでじっとさせられてるってよ。この女のこと、実は『お前なんてさっさと死ね』って思ってるんだろ?」
「はあ!? テメエ! ぶっ殺す!」
マークさんの怒りが頂点に達して、ジャックの胸ぐらを掴んだ。春のうららかな陽気だった。過ごしやすい風が頬を撫で、清らかな朝日が体に心地よい。完全に天気が制御された空間。公園にいた周りの人が何事かとこちらを見ている。
私の心にはジャックの言葉が突き刺さり続ける。仲間の心配をしてるんじゃない。祐太の心配はしてる。でもそれ以上に、ジャックの言葉通り本当に自分がこんな平和な場所にいて、祐太から嫌われるんじゃないかと。
それが怖くて仕方ない。
「落ち着けよ外人さん。お前説明聞いてたか? 【翠聖都】の中でその拳を一発でも俺のほっぺに入れたら、その瞬間ポリスに捕まって終わりだぜ」
挑発してる。できればマークさんを私から離したいんだ。きっとジャックはジャックで焦ってる。自分が米崎のことを黙っているせいで、かなりまずいことになっている。だから私を外に出して、殺してクエストを終わらせたい。
「くそ! お前こんな小さい女の子をそんな言葉で責め続けて楽しいのか!」
「楽しい楽しくないじゃねえよ。現実を教えてやってるだけだ。本当のことだぜ。ダンジョンが本気で、勇者を殺すなら、この女お前らにとっては超邪魔な女だぜ」
「だからその言葉を!」
マークさんが本気で殴ろうとして、その拳を震えながらも止めた。ここで自分が殴って捕まったら、本当に私はジャックと二人になる。マークさんはそうなるわけにはいかない。
この人も優しい。
だからこそ私はマークさんと離れる方法を考えていた。
マークさんがそばにいる限り私は逃げられない。
だから、私は何気なく立ち上がった。
そして翠聖樹の下の公園から出て歩き出す。
なんだ? と不思議に思いながら2人がついてくる。
祐太の作戦通りに事が運べば、おそらくこれぐらいのタイミングで、探索局で報酬をもらえるんじゃないかと思って、報酬を受け取りに行った。私の予想では祐太の【意思疎通】が届いてからだと思った。
だが、どういうわけかそれよりも早くもらえた。さらに私に祐太の【意思疎通】は届かなくて、マークさんに届いた。逃げるかどうかまだ私は迷ってたけど、私じゃなくマークさんへ先に祐太からの連絡が入った。
そのことが、祐太からの嫌われかけてるんじゃないかと思えた。
こんなところでゆっくりしてたら本当に祐太に嫌われかけてる。
それが本当になったら私は誰を頼って生きていけばいいんだ。
「けっ、あいつら失敗したか……クソが」
私たちは報酬を受け取れた。そのことでジャックは自分たちの失敗を悟った。
「あなたが、かなりの戦犯ね」
今まで散々言われたから言ってやった。半分八つ当たりだった。その間もずっと自分がどうするべきか考えた。一瞬ジャックを殺してしまえば、まだ私は頑張っていたことにできるかと思った。でも、こいつはもうクエストを失効している。
今更殺しても意味がない。もう少し早く殺していれば……。
「分かってる。責任は取る」
「どうやって? 言葉だけじゃ意味がないんじゃないの?」
ジャックに言われた言葉を言い返しながらずっと考える。
「お前には関係ないことだ。だが分かってる」
ジャックとそんな話をしている時、マークさんは羨ましくも祐太からの【意思疎通】で私から意識が外れていた。マークさんは意外と抜け目のない人で、翠聖樹下の公園で一度も私から意識を逸らさなかった。
この人から離れたいと思っても私はできなかった。この人はいい人で、私たちに自分のステータスをまず開示してくれた。その教えてもらったステータスがかなり優秀で、厄介なのだ。
だから、私はマークさんに分からないように動いた。
それを目ざとくジャックも見ていた。探索局の外に出て走り出す。転移駅を次々と渡れば祐太のそばから離れられる。
どうしてそうしようとするのか?
祐太から『邪魔だ』と言われるのが怖いからに決まってる。
たったそれだけのことで?
バカな。
その言葉を言われただけで私は死んでしまう。まだ私は死にたくない。それを少しでも先延ばししたい。ノープランで動いている。祐太から嫌われないためなら、全力で祐太から逃げる。この行動は自分の中で矛盾がない。
とにかくまず転移駅を1つでもくぐりたい。そう思ったが転移駅が“故障”していた。
「え? なんで……」
よりによってこんなタイミングで故障なんてついてないなんてものじゃない。どうする? ここで故障が直るのを待っていたら、マークさんに追いつかれる。捕まったら逃げられない。
「どうするよ? ちょっとは仲間から離れようとしたのは褒めてやるよ。でもここで何気なくしれっと仲間と合流っていうんじゃ情けねえよな」
しっかりとついてきていたジャックが私に言ってくる。私は祐太に良い子だと思われたい。悪い子だと思われたくない。そのためなら、なんだってする。多分まだ祐太から決定的に本当に嫌われていない今の現状を守りたい。
私は走り出した。
「どこ行くんだよ?」
「放っておいてよ!」
祐太は私の行動をどこまで予想するだろう。私は逃げ出すぐらいのことを思うだろうか。私は祐太が大好きだけど、祐太が私をどう思っているのかいまいち理解できなかった。それに【意思疎通】をマークさんだけに送った。
「どうするつもりだ? どうにかして頑張って仲間に頼らず自分で強くなるつもりか?」
「だったらどうするの?」
そこまで考えてない。ただ今は祐太の言葉を聞くのが怖くて逃げてるんだ。何よりもいつ邪魔に思われちゃうか分からない。私はさっきまでは澄ました顔をしていたけど、今度ははっきりとジャックを睨んだ。
「いいや」
でも思ったよりもジャックは平気そうだった。私が睨んだことをなんとも思ってないみたいだった。
「正直お前は結構ずるいタイプの女だと思ったからよ。こういう行動は見直したぜ」
そしてそんなことを言ってくる。やめろ。前の見方であってる。私は祐太に好かれることだけで生きていける女だ。それが毎日の生きる糧だ。
「くっ」
私はもう一度ジャックを睨んだ。鬱陶しい。いや、いいか。ついてくるなら翠聖都の外で殺してしまおう。そうすればそのいらないことばかりしゃべる口も閉じる。今まで散々言われてきたお返しをしてやる。
「ついてこないで」
レベル150なら多分こいつに勝てると思った。きっとこいつは私や祐太ほど強くない。せいぜいレベルアップの質は美鈴さんぐらいだ。それに美鈴さんの話では、この男は魔法使いタイプだ。それならスピードでどうとでもなる。
「そう言われるとついて行きたくなるな」
私の後ろを余裕そうについてくる。これぐらいのスピードはさすがに出せるか。私は地下を通っている探索者用の高速道路に入った。全力で飛ばすが、それでも追いかけてくる。こいつ結構速い。あれ? 勝てるだろうか……。
ダメだ。頭がグルグルする。祐太が関わってくると私は冷静さがなくなる。どうしてこの男を殺そうと思ったんだっけ?
《ずっとついてきたら私と殺し合いになるわよ》
スピードが音速を超えて、普通にしゃべれなくなり、【意思疎通】を送った。【意思疎通】は目についている相手と、名簿に登録した相手に送ることができた。
《なんだお前、俺と殺し合いか? 俺はさっき確認してきたがクエストを失効していたぜ。キークエストの失敗でシルバーになる夢は潰えた。正直ダンジョン様が『お前を殺せ』と言わなくなったんなら、無理にお前を殺す必要もなくなった。それなのに俺と殺し合いをするのか?》
《すると言ったら?》
《なんのためにそんなことをする?》
私を試すようにジャックが見てきた。
《祐太のため》
私はそう言い返した。
《ふーん。まあいいぜ。お前を殺せばひょっとすると久兵衛たちは死ななくていいかもしれん。俺も俺なりの責任を取らせてもらいたいんでな。殺し合ってくれるっていうなら喜んで受けて立つぜ》
《できるの?》
《お前が翠聖都の外に出ればな》
《本当に?》
《……》
私の言葉にジャックが言葉を返さなかった。それよりもふと後ろを振り向いた。
《どうかした?》
《お前探索能力低いだろ? お前のところの“鬼”が追いかけてきてるぞ》
確かに私は探索能力が低い。だからマークさんに気づかなかった。だが言われると確かに追いかけてきているのを感じる。マークさんやっぱりかなり速い。そういえば、さっきの報酬でスピードを優先するスキルを取ってたな。
私は別のスキルにした。スピードならば【光天道】で十分だと思ったから、とにかく勇者を殺しにくる人たちから逃げられるスキルを選んだ。でも追いかけてきているマークさんも私に【意思疎通】を送ってくれなかった。
どうしてみんな声をかけてくれなくなったの?
やっぱり、もう嫌われてる……。
それが一番怖かった。
私は衝動的に一番右のレーンに移った。
《お、おい、馬鹿!》
ジャックが慌てて叫んだ。どうしてこの男の【意思疎通】だけが届くんだ。私を見透かしてるみたいで一番聞きたくないのに。
《うるさい! お前は黙れ!》
私はありったけの怒りと殺意を込めて【意思疎通】を送った。
《何を怒ってるこのバカ! お前! そこは高レベルのやつらのレーンだ!》
《知ってる!》
《知ってるなら戻れ! 滅多に通るやつはいない! でも通ったらやばい!》
でもそれもこれも何もかもどうでも良かった。とにかくこの場から私は逃げるんだ。
《どけ!》
「へ?」
私は何事かと思った。思いながら振り向いた。何かが来る。分かる。何かとてつもない気配を放つものが後ろにいた。そしてそれが真横にいた。でも見えない。恐ろしげな雰囲気だけそのままで、存在がかすみのように希薄だ。
《戻れバカ!》
《……》
ジャックからそう言われたけどここで戻ったら確実にマークさんに捕まる。そうして何を言われるのかが怖い。私は【光天道】を使った。できるだけSPを残しておきたかったけど、このままじゃマークさんから逃げ切れない。
《やめろ! お前さっきの転移駅の故障がどういう!——》
ジャックの声がそこで途絶えた。何か言おうとしているみたいだけど、【意思疎通】は名簿登録していない相手とは、見えていない限り話せない。私がジャックの視界の外に一瞬で逃げたんだ。だから声が届かなくなった。





