第百六十六話 追跡
目が見えない。瞼は閉じていたのに眼球まで焼かれたか。腕はどうなった? 感覚がない。自分でも笑えてくるほどひどい状態だ。足は少しだけ残ってくれたか。どの道この状態ではダルマと大差がない。
アグニ……すごいとは思っていたがここまですごい武器なのか。アグニ自体が協力してくれたことで、俺が出せる限界を超えた。おかげで体が使い物にならないほどのダメージを受けた。きっと痛みもあるはずだが、それを感じない。
多分、アドレナリンが出過ぎた一時的なものだ。もうすぐ死ぬほど痛くなる。その前に米崎が用意してくれたエリクサーを飲まないと……。“マジックバッグ”が腰に巻かれていることを【念動力】で確かめる。
【念動力】で触れたものは、不思議と感じることができる。おそらく【念動力】のスキルが脳みそに直接信号を送っているんだ。おかげでこの状態でも【念動力】で触れば位置をつかめる。俺はバッグを開けた。
「(どこだ?)」
声に出そうとしたが声になってなかった。米崎が手に入れてくれたエリクサーの赤い瓶。見えないがエリクサーの瓶は高級感のある形をしているのでどれか分かった。俺はそれを取り出す。のんびりしている時間はない。
早くしないと久兵衛は多分もうこちらへ偵察を出したはず。探索者の移動速度ならこの場に来るのにそれほど時間はかからない。一滴も地面に溢さないように赤い瓶を口に当て、その状態で蓋を開け、口の中へと流し込んでいく。
体中に生命力が漲っていく感覚。生気が戻ってくる。最初に瞳が焼かれているのが再生されていくのが分かる。手と足が生えていく。にょきにょきと自分の手足が生えていく感覚がする。それはなんだか奇妙だ。
瞼も髪も再生されて、自分の体を確認した。
「真っ裸だな」
服は消し炭となって消え去り、焔将の胴鎧と美火丸の首飾り。それとマジックバッグ以外は何も残っていなかった。自分の状態もかなりのものだが、周囲はそれ以上だった。力を制御できず、全く抑えられないことで爆発してしまった。
俺は周りを見渡す。
何が起きたのかというほど、アグニが大森林の地面をえぐりとっていた。長さ100m以上、幅は10m以上ある傷跡。地面が抉れて溶岩のようにドロドロで、周囲の大森林の木々が燃え盛っている。自分自身も煮えたぎる溶岩の上にいた。
熱いとは思わなかった。美火丸の【炎無効】の効果で溶岩ぐらいの熱さなら平気なようだ。だからそのまま平気な顔で、溶岩となった地面の上で立ち上がった。
「狼人間は……何一つ残ってないか」
彼が生きていた証拠のすべてはこの世から跡形もなく消滅している。米崎と美鈴がエヴィーを取り戻す際に、誰一人として死なないようにする。それには、久兵衛の傍からできるだけ召喚獣を離さなければならなかった。
そのためにここまでした。中途半端な方法では、久兵衛は自分の手元から召喚獣を離さない。
「上手くいっただろうな」
ここまでしても久兵衛が何も動揺しなかったら、それは悪夢である。だが、さすがにそれはないだろう。ブロンズ級のものが、シルバーどころかゴールドの気配を感じたら、恐怖する。少なくとも俺ならそうだ。
《米崎。どうだ?》
《OK。予定通りだ。アーニャとベゼルが離れてくれた。こちらの思惑通り君の様子を確かめに行ってくれた。君は早くそこから離脱したまえ。土岐もそちらに向かうとのことだ。長居してると殺されるよ》
《ああ、言われなくてもそうするよ》
アーニャ、ベゼル、土岐。人名が出てきた。ベゼルが例の偵察型のハエのことだろう。和名の土岐がこの国の武官でおそらく間違いない。では残りのアーニャはまだ俺が知らない久兵衛の近接型召喚獣か。
まあ今はそんなことどうでもいい。
レベル200を3体も相手にしたら今度こそ死んでしまう。もう現状でレベル200を相手にできる方法はない。それにこの状況になると予想して、逃げる時間を確保できるようにとも思って、東門から出たのだ。ここはさっさと逃げるに限る。
俺は服を取り出してさっさと着ると走り出した。森の中を駆け抜けながら考える。エヴィーはこれでほぼ間違いなく取り戻すことができる。あとは、
「伊万里だよな」
絶対に今頃、俺の前から姿を消そうと考えているはずだ。伊万里と何年一緒に生きてきたことか。普通の家族として生きてきたんじゃない。親父が家からいなくなってからは、子供が2人で生きてきたのだ。
あの親父は金銭的な援助以上のことは何もしなかった。本当に子供2人だった。だからお互いがお互いのことを嫌というほど理解している。伊万里はレベル150になれるこのタイミングで、俺のことを考えて1人になろうとする。
勘違いなら、この俺の焦りは無駄に終わる。でもそれならそれでいい。伊万里が俺と一緒にいてくれるならそれでいい。でも伊万里はうぬぼれている。【光天道】があるからそれができると思ってる。
でもその道を選べばほぼ間違いなく伊万里は殺されると俺は思ってる。人生を否定的に生きてきた俺と、なんでも挑みかかって乗り越えて生きてきた伊万里とそこは違う。ダンジョンが本気で勇者を殺したいなら、このタイミングを逃さない。
どうしてか俺はそんな気がして仕方がない。
『勇者は死ぬし、ダンジョンから好かれたものは生き残る。両者は同じ扱いを受けているように見えて、結果はまるで違う』
そう聞いていた。聞いた時は疑問だったが、今はその理由が分かる。ダンジョンが殺そうと思っている勇者の心の隙をついて、クエストを発注する。そんなことをいつまでも続けられたら、逃げ続けられるわけがない。
まだ俺が傍にいたから手加減していたのだろう。
離れるならその必要もなくなる。
刺客を誰に選ぶだろうか?
おそらく【光天道】で逃げられない相手。そして伊万里がどういう行動に出るか予想できる人。伊万里を全く知らないのならば無理だろうが、高レベル探索者で伊万里と少しだけ喋った人がいる。
高レベル探索者なら、戦いに関しての勘はもっと鋭いはず。少し触れ合っただけでその人がどう動くか? 俺が伊万里を理解する以上に分かるのではないか。
「伊万里に【翠聖都】から出ないという選択肢がある以上、ダンジョンは自分のルールを逸脱しない」
なぜかダンジョンのその考え方も俺は理解できた。
その可能性を俺の中で否定できない。伊万里には【翠聖都】から出ないという選択肢が常に残されている。だから、極端な話、ダンジョンが誰にクエストを出しても、伊万里はノーチャンスではないだろう。
【翠聖都】の中に残るという簡単なことをすればいいだけなのだから。でも仲間思いの勇者ほどそうしない。仲間思いの勇者ほどもっと強くなって、刺客に対抗できるほど強くなろう。仲間を巻き込まずに強くなろう。
そして戦闘行為禁止区域の外に出て殺される。
「俺たちにもクエストは出るはず」
さすがに仲間を止めるだけだから、今回のような破格の報酬は期待できないが、少しはレベルが上がるはずだ。そこまで考えて伊万里に暗号化した【意思疎通】を送ってみる。
《……》
全く届いている感覚がしなかった。着信拒否をされた状態だ。
「伊万里。俺は大丈夫だ。早まるなよ」
俺は偵察の土岐達に出会わないように気をつけながらも、南門へと急いだ。伊万里は俺から逃げるとすれば、かなり行ける場所が多い。本州にも別の大八洲の都市に行くこともできる。
《マークさん。ちょっといいですか?》
《あ……あん?》
マークさんからは不意を突かれたような声が返ってきた。マークさんは大鬼の魂の質が相当良かったようで、知能のステータスがかなり高い。何気に俺よりも高く、暗号通信もばっちり覚えていた。
《おう。どうした?》
《伊万里はどうしてますか?》
《イマリか? へへ》
マークさん少し浮かれてるな。
《楽しいことでもありましたか?》
《いや、イマリがな。『ユウタの計画は絶対成功する』っていろいろ説明してくれてよ。俺もその自信が出てきてな。『できるだけ私たちは早く強くなっておいた方がいい』って言うからよ。先に探索局に来てたんだ。悪いがちょっと先に報酬を受け取らせてもらった。今さっきのことなんだけど、いいよな?》
《……》
伊万里への【意思疎通】は……。やっぱり出ないな。どうする……。
《なあユウタ。デビットのやつ……このことを知ったら喜んでくれるかな》
マークさんは伊万里の性格など知らない。思い込むと突っ走るタイプで、俺のためなら死にかねないことも平気でやる。あんな可愛い顔して探索者でもない頃に熊を殺したのだ。
現状自分が俺の死ぬ原因になりかねないとなれば、自分が死んでも俺の前から消える。とはいえ俺は現状、門に向かって急ぐことしかできない。
《あれ?》
マークさんの【意思疎通】の中に焦りを感じる。
《どうかしましたか?》
嫌な予感がしながら俺はマークさんに尋ねた。
《いや、すまん。イマリが見当たらない。ちっ、ジャックもいない! すぐに探す!》
マークさんが慌てている。伊万里め。俺がマークさんに連絡した様子を察知して、その瞬間逃げたな。意地でも消える気だ。転移駅に到着するまでに見つけないと、転移駅でどこかに行かれたら、本当にどこにいるのか分からなくなる。
《マークさん。近くの【転移駅】に走ってください。伊万里は多分そこにいる》
《りょ、了解!》
マークさんはすぐに動いてくれる。まだエヴィーの救出は完了していない。つまり久兵衛側はまだ失敗したとは認められてないはずなのに、この状況で伊万里達は報酬が受け取れた。ダンジョンは久兵衛たちに見切りをつけたのか。
だとするともう次の探索者にクエストが出されたはず。諦めるんだ伊万里。向こうの方が一手早い。俺は南門へと精一杯急いだ。そんな時またマークさんから【意思疎通】が届いた。
《ユウタ。転移駅に到着した。だが、『転移駅が故障した』って放送してるぞ》
《マークさん、周りの誰でもいいから確認してください。転移駅の故障はよくあることなのかを》
《うんっと。ちょっと待てよ。周りのやつらが『珍しいこともあるもんだ』って言ってるな。1秒でも遅れることは珍しいらしい。俺は引き続きイマリを探す。どこだ……ラスト。頼む。俺の大事なやつらなんだ。ちょっと協力してくれ……》
マークさん、ラストと喋れるのか? マークさんのその言葉を聞きながら、もう一つ連絡が届いた。米崎だった。無事にエヴィーが取り戻されたという報告だった。予想以上に素早く終えてくれたようだ。
そのことに安堵するとともに、米崎とあれこれ話し込んだまま走る。美鈴とエヴィーは【翠聖都】の中に入り、とにかく報酬を受け取ってもらう。レベル150になればここでの安全性がかなり確保される。
まずその状態になってもらわないとまた攫われることになりかねない。それを言うなら自分もなんだが……。くっそ、伊万里に報酬渡すのは早すぎだろ。伊万里が俺に見つからないように急いでることを見越したな。
《……北で頼む。あと——》
米崎との【意思疎通】が終わった。転移駅が故障。ただの故障ならいいが、考えている通りの人にクエストが出ているとしたら、転移駅の故障を偽装できるかもしれない。
でも、このタイミング。
こちらのことも監視していたのか。
ダンジョンが、久兵衛たちをクエスト失敗の扱いにして、勇者殺しの役目を次の人間に委譲した。委譲された瞬間、その役目を引き継いだ探索者は速やかに動き出した。自分の権限を利用して逃亡阻止のために【転移駅】を使えなくする。
籠の鳥にした状態で、【翠聖都】の東西南北の門の前で待ち構える。しかしさすがにやりすぎだと思えるようなことが、転移駅の故障で現実味を増してる。
「勇者に関してはなりふり構わないってことか……」
《ユウタ! イマリの気配を掴んだ!》
よくやったマークさん。
《しかしなんだこれ? どうしてイマリがジャックと一緒に自分から全力で、俺から逃げるみたいに走ってるんだ?》
《全力で追ってください! 【翠聖都】の中から出ようとしたらぶん殴って止めてくれてもいいです!》
《え? ええ? そんなことして俺イマリから嫌われないか!?》
《良いから! というかどっち!》
《どっち?》
《東西南北!》
《ああ、北だ!》
さすが伊万里だ。俺が向かう方向をよく分かってる。正直言って俺には伊万里が何をしようとするかまでは分かったが、どこの門を目指すかまでは分からなかった。伊万里。ダメだ。俺が分かることをダンジョンが分からないと思うな。
俺は間に合うことを願って南門へと走った。そこから【転移駅】を使う。なんとか間に合うことを願った。





