第百六十五話 Side美鈴or米崎 優しさ
毘沙門天から矢槍を放ち、それがまっすぐに久兵衛の元へと向かっていく。もうすぐ当たるという寸前で、同じく槍を持った狒々蔵が私の攻撃を叩き落とす。そしてすぐにこちらに目をつけてきた。
茶色がかった髪色で3mほどの巨体。槍を持ち、探索能力と魔法も使えるという万能型。最初に遭遇した時はどうしても完全に撒くことができず、どこまでも、どこまでもこいつに追いかけ回されたのだ。あれはかなりの恐怖だった。
これはもう無理と思ったところで、エヴィーが捕獲されて呼び戻されたのだ。だから次は私がエヴィーを助けたかった。【爆雷槍】が当たらなかったことは想定内である。レベル125では狒々蔵とまだ正面から戦えない。
「やっぱり当たらないよね。でも、それでいい」
いつもなら詳しい作戦は祐太やエヴィーから教えてもらう。でも今回は私が暗号を覚えきれなかったから、直接話し合える環境にあった米崎から全て聞いた。
『いいかい。君がやるべきことは残された赤竜と狒々の召喚獣のうち、狒々を引きつけることだ。それさえできればあとは僕が全てうまくやる』
『エヴィーを助けるのは?』
『僕がやるよ』
『米崎さんがするの……』
『その目線。君が何を言いたいのかはよく分かるよ。しかしエヴィー君も白馬に乗った王子様が助けに来てくれるとはまさか思うまいよ。それよりも馬鹿なことを考えていてしくじるなよ』
多分、ちょっと怒らせた。つい顔に出ちゃうのは悪い癖だ。でもそれもこれもエヴィーが本当に助かるんだと自信を持てたからだ。
「正直ちょっと感謝してる。ありがとうね博士」
【誘導貫通射!】
【誘導貫通射!】
【誘導貫通射!】
狒々蔵に向かってさらなる攻撃を加える。そうすると狒々蔵は久兵衛から私の迎撃指示が出たのだろう。急速に接近してくる。5㎞程度の距離ではレベル200の召喚獣にとってはすぐだろう。しかしそれを簡単に近づけないのが私の仕事だ。
3連続で放った【誘導貫通射】が狒々蔵を射貫こうと追いかける。毘沙門天の攻撃力ならば、命中すれば例えレベル200でも貫く。当たりたくはないのだろう。狒々蔵が3本の矢槍から逃げる。
でもいくら武器がよくても、私と狒々蔵のレベル差はいかんともしがたい。音速をはるかに超えた猿がふざけた挑発行為をした私に制裁を加えてやろうと思って、その中でも徐々に近づいてくる。そんな時、
《女! 死にたくなければ降伏せよ!》
久兵衛からの【意思疎通】が届く。この言葉、久兵衛はまだ私たちに対しての優位性までは奪われていないと思っている。でも、もう私の目から見てもこの救出劇は最後まで終わっているのだ。
《エヴィーを返してくれたら降伏する!》
それでもまだ私は尻尾を出すなと厳命されている。
『勝てると確信してからが最も大事な部分だ。君のその可愛いお尻はまだ見せるんじゃないよ』
『はーい』
さて、あんまりお芝居って得意じゃないけど、バレないようにしないとね。それにしても、レベル200を相手に人質を1人救出しようと思うと、ここまですごい労力が必要だったのか。正直私じゃこの状況にはならなかった。
きっとこれが私だったら、泣く泣く伊万里ちゃんに、『探索者をやめてくれ』とお願いしていた。そしてそれがきっと今までの勇者たちだったんだ。
《美鈴。いいの。無理しないで!》
作戦を知らないエヴィーもそう伝えてくる。大丈夫。助けるまでもうすぐだから。そして、
《桐山美鈴》
同じく作戦を知らない久兵衛が【意思疎通】を再び送ってきた。
《何か策略があるのであろう。だが貴様たちのレベルではどれほど策を巡らしたところで、こちらに勝てる道理がない。さっさと諦めよ》
拳銃を持っている人間に丸腰の人間は勝てない。そう、みんな信じていた。主婦はヘビー級チャンピオンに勝てないし、軍隊が個人の戦闘能力に負けることがないと思っていた。自分の中にある常識はなかなか変更できないから厄介なんだ。
《無茶だって分かってる。でも私たちは探索者を諦められない。そしてエヴィーも諦められない!》
私は久兵衛に強く【意思疎通】を飛ばした。それは私なりの伊万里ちゃんも探索者を諦めさせないという宣言でもあった。
《では仕方ない。狒々蔵。容赦の必要はない。殺せ。殺したらすぐに戻ってこい》
《御意》
あえてこちらに聞こえるようにしている。【誘導貫通射】の矢槍を狒々蔵はあえて掴んで見せた。圧倒的な差があるぞと見せつけている。この人達は多分優しいんだ。だから女の子の私を殺したくない。できれば降伏しろと思ってる。
モンスターに本気の殺意を向けられ続けてきた私には、この人たちの殺意の鈍さがなんとなく伝わってきてしまう。
【精緻十三射!】
私の弓から放たれた矢槍が13本、ガトリングの弾丸のように弾幕を張り、こちらに走ってくる狒々蔵に『近づかないで!』と言うように撃ち落とそうとする。しかし狒々蔵はどんどんと近づいてきて、近くで見ると改めて巨大な猿がいた。
怖がっている女の子の目の前までついに来てしまった。もう殺すしかないと覚悟を決めたのだろう。巨大な猿が槍を構えた。ここに来るまでに降伏しなかったお前が悪いと、
「こ、殺したら恨むからね!」
「抜かせ小娘! 恨むなら恨むがいい!」
槍が振り下ろされた。それでも急所を外して狙おうとしている。ああ、本当に優しいお猿さんだ。
Side米崎
僕の存在には気づけないか。探索能力に優れたハエを傍から離す。それなりに勇気のいる決断だっただろう。僕ならしない決断だし、相手の位置が分からないなんて怖くて仕方がない。だからこそ僕はそれが得意だよ。
久兵衛君。君はたくさんミスをした。すぐに『エヴィー君を殺す』と脅してこなかったこと。六条君にこだわりすぎたこと。そしてそもそもジャック君が外で負けているかもしれないと予想できなかったこと。
全部が全部、無理からぬこと。
でも、六条君というダンジョンに好かれた男を相手にするならば、そこまで予想しなければいけなかった。【盗聴】【強制探知】【妨害網】。彼らは初めて遭遇したものにかなり早い段階で対応したんだろう。
僕ならその時点で、警戒度を跳ね上げた。
君の判断はなかなか早いのにね。
その内容が間違っているから、君たちは負けるのだよ。
「随分、慌てているみたいね」
エヴィー君は椅子に座らされて縛られた状態だった。それでも美鈴君が危険な状態にならないようにと、できるだけ久兵衛の気を引こうとしている。
「……」
だが久兵衛は取り合わない。当然だ。安い挑発に乗る性格ではないのだろう。
「どうしてお返事がもらえないのかしら? ひょっとして祐太達に手子摺ってるとか? まさかレベル100を相手にそんなことないわよね?」
必死にイラつかせるように喋っている。美鈴君を殺されないように彼女なりに必死なのだろう。久兵衛はそれに取り合わない。だが少しは聞いてしまう。この男は今、狒々蔵とアーニャとベゼルの様子を、かなり頻繁に確認している。
おそらく召喚獣と視界共有も行っている。あちこちの心配をしなければいけなくて大変だろう。もうすぐその苦労も終わる。何しろ僕は君の真横にいる。自分の身の回りの警戒は赤竜のリュカがしてくれると思っているんだろう。
「だが、君。この乗り物は索敵が苦手だろう」
すっと久兵衛の首に自分の専用装備【レイチェル博士のメス】を吸い付くように当てた。
「く、りゅ! ぐう!」
僕はそのままメスを久兵衛の首の中にめり込ませた。そして頸動脈を切り、そのままメスの先で中枢神経に触れる。こうすると人間は体中に激痛が走り、動きが一時的に麻痺する。ほら、首から下が動かないだろう?
「これ結構難しいんだよ。ギリギリ喋れるように体が動かなくするんだ」
「貴様!」
目の前の赤竜が振り向いてきた。怒って向かってこようとする。だがそれを止めたのは、久兵衛だった。
「やめよ!」
かなり苦しいだろうに叫んだ。ピューピューと噴水のように首から血が吹いている。僕の手は血で汚れた。君が生きている証だね。
「だが、久兵衛!」
「リュカ君。主人を呼び捨てにするのは良くないな。久兵衛君も召喚獣の主従関係ははっきりさせておかないと、頭の悪い子が育つよ」
「ぐう!」
メスを少しひねる。久兵衛の手足が痙攣する。最も痛いようにしたのだから、かなりの激痛だろう。
「主! 貴様!」
「よい。良いのだ。リュカ。おそらくもう負けてる。この期に及んでジタバタするでない」
「しかし!」
「頭の悪い子だね。主人はそこそこ賢いのに君たちは本当に馬鹿なのか? 召喚獣は召喚主を抑えられたら終わりだ。これまでの経験で一度もこんなことなかったとか言うんじゃないだろうね。その度に君はそんなに頭の悪いことを言ったのかい? よく生きて来られたものだ」
もう一度わざと痛くした。あまりに痛くて久兵衛が痙攣を起こしだす。
「リュカ君。このままレベル200の探索者が痛みによって死ぬのか実験してみようか?」
「ま、待て、分かった。もう動こうとしない」
リュカの動きが止まった。ピクリとも動こうとしない。それでいい。それでこそ召喚獣というものだ。
「さて、久兵衛君。狒々蔵に攻撃をやめさせてくれるかな。美鈴君もアレを抑え続けるのはしんどいだろう。もちろん手元には戻さないでくれたまえ。面倒な説明をもう一度したいとは思わない。召喚自体を解いてしまうんだ。ああ、それと一応、六条君を見に行かせたアーニャ君とベゼル君も還してくれるかな」
「……【還れ】」
リュカについては言わなくても分かったようで、その姿を消した。これで久兵衛の召喚獣は四体とも還ったようだ。予想通りに終わるか。やはりこの者たちではないな。全く予想以上のことが起きなかった。
「利口だ。さてと」
僕は久兵衛の首に刺していたメスを消した。中枢神経を傷つけられたショックで、体を動かすことができなくなった久兵衛は、そのまま地面に崩れ落ちた。これ以上痛めつける意味がないので、地面に丁寧に寝かせてやる。
久兵衛はこれで無力化できた。残っている敵対勢力はこれで土岐とジャックである。どちらも遠い。こちらの異変に気づけば向かってくるだろうが、その時には僕たちはここにいない。
「何か妙なことはされていないかな?」
僕はエヴィー君に声をかけた。
「ええ、大丈夫。その男は殺したの?」
こんなことをされていたというのに久兵衛の心配をしているようだ。僕は喋りながらもエヴィー君の縛り付けられていた紐を解いていく。高分子ポリエチレン繊維よりもまだ強度の高い大八洲の技術で作られた拘束具である。
大八洲の奇妙な形の巨大建造物には大体こいつが使われている。ヒヒイロカネと言われるもので0.01㎜の厚さしかなくても地球上の技術ではどうやっても切断できないという優れ物だ。この国ではこれの生産に成功している。
こんなふうに人間の拘束にも利用できるほど造ることができるのだから大したものだ。それを解いて自由にした。
「殺してはいないけどね。放置すれば失血で死ぬだろうね」
「あの、ドクター米崎。この人たち私に酷いことは一度もしなかったの」
「そうか。それは良かったね」
「そうね。うん。良かったわ。だから……」
エヴィー君は久兵衛を助けてあげてはダメか? と言いたいようだ。でも、それがただのリスクだということを理解している。だから、口にしない。それは高得点である。
「うわーエヴィー!」
そして美鈴君が傍に来た。真っ先にエヴィー君に抱きつく。感情表現がとても豊かだ。
「良かった。本当にエヴィーだ。元気なエヴィーと会えた!」
「美鈴、苦労をかけたわね」
「ううん。私こそごめんね。あの時逃げることしかできなかった」
二人で喜びを分かち合う。
「どこも痛いところない?」
「私は大丈夫よ。むしろ……」
二人が離れると首から血を大量に流して死にそうな男が、地面に横たわるのが目に入る。痛がることですら武士の恥。そう言いたいのだろう。黙ってただ死ぬまで耐えていた。確実に死にそうなのに助けてくれとも言わない。
久兵衛は僕と違ってとても潔の良い男のようだ。
「助けてあげたりしたら……」
美鈴君にちらっとこっちを見られた。君は口にしてもしまうところがマイナスだ。口にする以上は助ける理由を述べるべきである。ただ可哀想だから助けたいなど下の下である。
「理由は?」
「可哀想だし……」
人間を出来れば殺したくないとも付け加えたそうである。散々モンスターは殺してきただろうに……。
「僕は君たちへの命令権を持たない。自由にすればいいさ。一応、彼に許可は取っておくんだよ」
「いいの?」
意外そうにエヴィー君が僕のことを見てきた。それで君たちが僕のことを優しい人間だと思ってくれるなら、もちろんいい。
「もちろん」
「そ、そう。じゃあ祐太」
エヴィー君はしばらく六条君と【意思疎通】で喋っていた。おそらく許可が出たのだろうほっとした顔をしている。彼はまだかなり大変だと思うけどね。
【リーン!】
【意思疎通】が終わるとエヴィー君が召喚獣を呼んだ。魔法陣が現れてそこから人としか見えないものが現れる。青い色をした中学生程度の見た目。髪の長い人型の召喚獣である。
「主、何?」
ボケッとしながらもこちらに警戒を向けている。リーン君は僕をまだ仲間と認めていないようだ。
「私たちが十分に離れたらこの人にこれを飲ませてあげて。飲ませたらすぐに連絡しなさい。召喚解除して戻すから」
「了~」
リーン君は主の命令に従うことを了承した。こうすればこちらは危険を犯さずに久兵衛を助けることができる。久兵衛がリーン君にポーションを飲ませてもらって動けるようになった時、すでに我々は【翠聖都】の中にいる。
そして、予想通りならば、六条君から【意思疎通】が届く頃だ。
《米崎。少しいいか?》
ふむ、これは“伊万里君”のことだろうな。彼女が六条君のことを思っていれば思っているほどこのタイミングが一番危険だ。エヴィー君が無事に救出され、レベル150に上がれる瞬間。彼女は間違いなく六条君の前から姿を消す。
自分がいなければ六条君は安全だと考えるからだ。そしてそれは勇者殺しのクエストが出た“次の者”もお見通しだろう。またそれを予測できるものが選ばれたはずである。彼女の【光天道】に対応できるもの。僕なら“彼”を選ぶな。
そして間違いなくこのクエストにおけるルルティエラの本命はこの瞬間だ。
《南でも北でも言われた場所に行くよ》
そこまでの思考を省略して僕は口にした。
《……北で頼む。あと——》
六条君からの【意思疎通】を楽しく思う。彼との無駄話も嫌いではないが、彼の無駄のない部分も嫌いではなかった。
「すまぬ……」
体が麻痺して立てない久兵衛が地面に横たわりながら言ってきた。
この男はどうせ生きていたところで切腹するのだろう。2度も格下に負けたとあっては武官として終わりだ。それを本人も分かっていながらも、主の元に帰ってちゃんと裁きを受ける。それが彼らにとって大事なことなのだ。
理解しがたい人種だと思いながら、久兵衛に対して六条君の伝言を【意思疎通】で伝えた。やはり彼はいい。助けることは情ではなくちゃんと理由があるのだから。





