第百六十一話 暗号通信
相手が使えるものはこちらも使える。俺が米崎の協力が必要だと思った最大の理由はそこだった。そもそもエヴィーを助けたいと思ったところで問題がある。肝心のエヴィーがどこにいるか分からないのだ。
何しろ【翠聖兎神の大森林】は広い。日本の国土の50倍。地球で一番広い国はロシアだが、そのロシアよりもまだ広いのだ。この広大な大森林の中で1人の人間を見つける。考えれば考えるほど途方もない話だった。
『エヴィーをとにかく助けに行かないと』
それでも俺はそう思って焦っていた。でもいざ、行動に移そうとして、
『でも、どこに行けばいいんだ?』
となってしまったのだ。向こうの標的は伊万里だ。当然伊万里の引き渡しの連絡はジャックを通じて久兵衛側から伝えられてきた。伊万里の引き渡し場所として指定されたポイントは西門から300kmの位置である。
探索者でなかった頃の俺なら、歩けば休憩も入れて1週間以上余裕でかかる距離だ。それでも大森林の広さを考えるとごく近いのだ。エヴィーがいる場所はそこから極端に離れた場所ではないはずだと予測は立てた。
それでも探索者の移動速度を考えると伊万里の引き渡し場所とエヴィーが拉致監禁されている場所が、1000㎞離れていてもおかしくないのだ。日本の土地より広い範囲に、エヴィーはいるかもしれない。探しても見つかりっこない範囲だ。
この時点で普通なら詰んでた。
エヴィーが期限切れで殺されるわけにもいかず、伊万里が探索者をやめるしかなかった。
そうしないで済んだ理由が米崎だった。俺は、
『【意思疎通】を【強制探知】と【盗聴】する方法を持っていたりする?』
と米崎に聞いた。米崎は俺のその問いにあっさりと、
『もちろん持ってるよ』
と答えた。そして敵に対して圧倒的なアドバンテージが得られたのだ。大八洲にきて24時間も経っていない探索者が、これを手に入れてると敵は思うだろうか? 100%思わないと言い切れる。
こちらがそんなことをしているとは夢にも思わない。だからこそ敵には米崎の協力を知られてはいけない。そしてそのために米崎は死にかねないリスクも厭わずジャックを黙らせた。
そんなことを思い出しながら、俺は大森林の中を【気配遮断】で姿を消すこともなく、走り抜けていた。こうすれば気配を読むスキルを持っているものからすれば、俺の気配がこの距離でも気づくぐらいだろう。
今回俺が立てた作戦で、俺の役目は囮だ。レベル200の敵に対して囮。本来は自殺行為。それを自殺行為じゃないようにしなければいけない。大森林には今まで見てきたよりも強いモンスターの姿がちらほらと見える。
それに対して、
「燃えてくれ」
【焔将の刀】を抜く。巨大な花の化け物がうねっていた。焔将は美火丸以上に刀身が赤くなり、花の化け物を斬り裂く。そうすると花全体が炎に包まれて大きく燃え上がった。高々と炎を舞い上がらせ、俺は次々とそれを行った。
伊万里の引き渡し場所として指定された場所から最も遠い東門から出た。そこから引き渡し場所に近づいていく。時速は500kmぐらい。今の俺なら歩いてるぐらいのスピード。
「急ぐ必要はない」
鋭いツノのような牙を持つ猪が襲いかかってきたのを真っ二つに斬り裂いた。それも燃え上がらせた。次々に自分が進んで行く場所が明るく照らされるように、自分がここにいると誰にでも分かるように燃やした。
あからさまな誘導行為を久兵衛はどう判断する。無視するだろうか。それとも様子を見に来るだろうか。おそらく来る。不意打ちされないように【探索網】を広げる。手に汗がにじむ。緊張しているのが分かった。
〔エヴィー君の位置が分かったよ〕
そして待望の連絡が米崎からきた。俺はその通信を脳で処理して、意味のある言葉とした。
〔やはり久兵衛という人物のそばで囚われているようだ。ポイントを指定しておく〕
〔了解。助かった〕
今の米崎の通信は、【意思疎通】を“暗号化”したものだ。この暗号化は大八洲の武官がよく使うものらしい。俺たちの【意思疎通】が全て盗み取られるのは、この暗号化を全くしないからでもあったらしい。
俺がそれに気づいたのはごく簡単な考えからだった。
そもそも盗聴などがあるなら、ここの探索者はどうやって【意思疎通】を使っているのかと思ったのだ。いくら大八洲同士の探索者だって、自分の連絡履歴を全てオープンにしたいわけではないだろう。
ふと思った疑問を米崎に尋ねたらあっさりと『そりゃ暗号化してるんだよ』と教えられた。ならば『それを自分たちも使えないのか?』と聞いたのだ。
そして、
『使えるよ』
とあっさり返事が来た。
『どうやって?』
と聞くと米崎は大抵教えてくれる。ただこちらが全く気づかなかったことに関しては教えてくれない。その線引きは俺が気づいたか気づかないかによるらしい。そしてそうでないといけないのだと米崎は考えているようだ。
『ダンジョンに好かれているものの考えで行くべきだ』
そう言っていた。俺はその言葉にダンジョンに対する薄気味悪さを感じながらも、暗号化の方法を尋ねた。
『暗号化文章を頭の中で作って圧縮して【意思疎通】で送るんだ。君ならきっとできる』
米崎が教えてくれたのは、ごく基本的な素数を用いた暗号化技術だった。米崎は別のもう少し複雑なものを使っているらしいが、今回そこまで難しくする必要はない。と比較的すぐに覚えられるものを教えてくれたのだ。
それでも結構難しくて俺は手こずったが、元から頭の良かった伊万里はすぐに覚えた。美鈴は数学が特に苦手らしく基本は理解したが久兵衛たちにバレないレベルのものが覚えられなかった。まあ美鈴は米崎と行動するから問題ないだろう。
でも俺は覚えないわけにはいかない。こんなところで学校の勉強を思い出すとは、
『《どうして分からないのかが理解できない。ダンジョンに関しては頭がいいのに、こういうことはバカなのか?》』
と米崎から言われ、
『《米崎の説明は難しい!》』
と、つい本音が出て、伊万里が選手交代して教えてくれてなんとか覚えた。この暗号化技術を使うと、かなり、向こうは俺たちの情報を抜くことが難しくなるそうだ。それどころか【意思疎通】の発信元を追うことも困難になるらしい。
『どうして? 向こうも使ってるんだよね?』
と美鈴が聞いた。
『暗号化していない通信を拾えば僕たちのものだとすぐに分かる。だが僕たちが暗号化を使うと、どの通信が僕たちのものなのか判断するのが非常に難しくなるんだよ。何しろ【意思疎通】は大八洲の探索者ほぼ全てが使っているからね。電波のように見えないけれど、暗号化された念波があちこちから飛び回っているわけだ』
『米崎は久兵衛達の通信が分かるのか?』
と俺も聞いた。いくら【翠聖都】の中でもあまりオープン回線にしない方がいいと言われたので、それぞれ個人個人のやり取りになっていた。だから美鈴に細かいことを直接伝えられてなかったが、まあ詳細は米崎が美鈴に教えるだろう。
『時間をかければね』
米崎はだいたいなんでも出来るんだなと思った。そうして勝てる要素が積み上がっていった。だがまだ勝てる要素が完璧ではなかった。それは根本的な戦闘能力の低さだった。こればかりはレベル差があるので仕方ない。
多分ここまで来ても、誰か一人ぐらい犠牲にしないと勝てないぐらい戦力差がある。とはいえ死ぬわけにはいかない。根性論はできれば避けたかった。そこで何かレベル200に通用する有用なものはないかと考え続けた。
今まで出会ってきたアイテムを1つ1つ検証してみた。【奈落の花】は真っ先に米崎に聞いたが、すぐには手に入らない。それぐらいやばいものらしい。色々と有用なものが頭に浮かぶが、どれも手に入れるのに時間がかかる。
その中で一つこれはいいのではと思うものがあった。
『〇〇〇ってすぐに手に入れられるんじゃないか?』
俺は米崎に聞いてみた。
『へえ、どうして“それ”をすぐに手に入れられると思ったんだい?』
『だって普通に店で売ってるから、お金さえあれば買えるかなって』
『ふむ。確かにそうだ。あれは普通に店で売ってるね。きっと国はよほど処分に困っているんだろうね』
『米崎なら買えるか?』
『ふふ、面白いね。買ってこようじゃないか』
それから米崎は日本に帰り、たった1時間ほどで店売りの“それ”を買ってきた。日本政府はそれが売れるのを怖がってるとも言われている品。だから普通であれば購入できない。ましてや今回の作戦に間に合うような時間では無理だと思える。
でも俺はそれでも買えると思った。
『あれはいわば不良債権のようなものだろ?』
そう思ったからだ。
『そう。その通りだ。あれはその表現で正しいよ。何しろ他国のルビー級探索者の専用装備だ。そのものが日本に戦争を仕掛けてきた。それをフォーリンが撃退し、殺さない代わりに奪ったものだ』
『専用装備ということは本人じゃないとかなり威力が半減するよな?』
『おそらく半分も力は出ないだろうね。本人じゃないものが専用装備を装備したところで、格が2つぐらい落ちると考えていい』
『それでも、シルバーの専用装備ぐらいには強いんだ』
『いや、多分君は相性が良さそうだから、もう少し威力が出るよ。ただ本人じゃないとかなり負担が大きいと思うよ』
“それ”は元々日本政府としては国内の探索者に対してなら売ろうと考えていたらしい。しかしそれを買えるレベルの探索者となると上級探索者になる。つまり持っていたものと同じルビー級である。
だがルビー級の探索者が、今さらシルバーの威力しか出ない武器など必要ない。そしてあるいは可能性のあるシルバーの探索者も、体の負担になるような武器はいらない。唯一必要になるとすれば、その威力に魅力があるもの。
要はブロンズ級の探索者なのだが、ブロンズ級の探索者にはそれは高すぎて買えない。しかし1人だけバカみたいな資金力があるやつがいる。米崎だ。そしてそれが必要な人間が俺だ。
『ダンジョンに好かれていると縁に恵まれる』
かつて南雲さんが言った言葉が思い出される。
それは俺がこの時に必要になるだろうと用意されていたような武器だと思えた。あの最初にダンジョンショップに寄った時に見たとてつもない輝きを放つ武器。俺はそれを大事にマジックバッグに入れてある。
エヴィーの元へと一直線に向かいながら、何十体目かになるモンスターを切り伏せた。そしてそのたびに狼煙のようにモンスターが燃え上がる。これで余計無視できなくなってくるだろう。
俺が走っている先は伊万里の引き渡しを指定された場所ではなく、エヴィーが居る場所。久兵衛は居所がばれたのだと分かっただろう。とすれば俺が気になるはず。思っていたら何かが来る気配がした。かなりの広範囲に対しての攻撃。
範囲魔法だ。
俺は迷わず【飛行石】を使い空へと飛んだ。辺り一体の地面が捲れ上がって、何かに食われたような傷跡が残る。そして森の奥から歩いてくるものがいた。
「信じられないバカがいるんだな」
俺のことを飛んで火に入る夏の虫とでも言いたそうだ。予想していた通り、俺を相手取るため追加要員として呼び寄せられたはずの狼人間。特に俺が空を飛んでいることに対して、気にも止めてない。
「こんなに分かるように移動するとかお前バカか? それによ。どうやって気づいた? 教えろよ。いや無理やりでも聞き出すけどな」
狼の牙を生やしている。顔自体は人間のようだった。耳と体毛が若干人よりも多い。統合階層で見た狼人間よりも人間に近かった。それがかなり軽装の鎧を着ている。俺はといえば【焔将の胴鎧】だけでは格好がつかない。
なので、他の部分には美火丸の専用装備を首飾りから現出させていた。俺は美火丸に、まだまだお前にはお世話になりそうだと触れる。
【いくらでも頼れ】
そんな声が頭に響いた。
「教えるわけないだろ」
俺は狼人間に言葉を返した。
「じゃあ痛めつけて無理やりだな。死ぬ寸前まで虐めてやるよ」
「仲間の命のためだ。俺も命をかけてるよ」
「ちっ、そういうのはイラつくぜ」
向こうは武道家タイプのようで、手には何も持っていなかった。ただ爪の付いたガントレットをつけて、足にも蹴りの威力が増しそうな先の尖った靴を履いていた。ブロンズ級の専用装備をおそらく見たところ3つ。
爪と胴鎧と履物。他はストーン級の装備。明らかに見た目が違うので分かった。レベル200で3つしか揃えられていないのか。やはりブロンズ装備はブロンズガチャからはなかなか出てこないようだ。
「エヴィーを大人しく返してくれないか?」
一応戦う前に聞いておいた。正直こいつらに対して恨みはない。できれば殺し合いは避けたかった。
「はあ!? 格下のくせに寝言は寝てから言え!」
当然ふざけた提案だと思われただけだった。向こうがスキルを唱える。
【餓狼!】
一瞬巨大な牙を生やした口が現出して、そのアギトを上空にいた俺に向かって開く。俺を食べようとしているのだ。襲いかかってくる。【鉄隔壁】を空中に出して対抗するが、出てきた分厚い金庫のような鉄の壁を紙のように食いちぎった。
さらに空中で浮かぶ俺の胴体を頭から丸ごと噛み砕こうとしてくる。それに対して俺が叫ぶ。
「装備スキル開放! 【煉獄斬!】」
糸が格子状になって炎をまといこの世に現れる。アウラの糸と美火丸の炎。それが敵の巨大の牙のある口を包み込み、斬り刻み燃え上がる。SPが一気に減って立ちくらみする。まだSP100を超えなくてもここまで苦しいか。
「これぐらいで死ぬと思うなよ!」
「はん! その程度でふらついてて大丈夫か三下!」
今度は上空にいる俺に向かって直接近づいてくる。空気を蹴り飛ばして走って見せた。レベル200になると俺が飛んでるからって戦えないなんてことはなくなるらしい。そんなデタラメな移動術なのに目の前に来るのは速い。
「死ねよ! 【牙餓鬼二十三撃!】」
敵の拳が一気に目の前を埋め尽くして襲いかかる。俺はそれに対して逃げなかった。飛び上がっていた体を急降下させて狼人間に近づいていく。そして再びスキルを放った。
【炎蛇十六連撃!】
炎の蛇が16匹現れ、全てが変則的に敵の拳に襲いかかった。





