第百五十七話 Side久兵衛
「また食べんのか?」
「こう見えても探索者だもの。食事は必要ないわ」
驚くほど綺麗な少女だった。大八洲でこれほど綺麗なのは貴族ばかりである。どれだけ探しても通常ではいないような美しさ。この歳で未婚の身には堪える。足と手を椅子にくくりつけ探索者の腕力でもほどけないように特別製を使っている。
拘束しているとトイレなどで、困りごとが出てくるが、それらの世話は唯一の女性型召喚獣アーニャにさせていた。食べたら出さねばならない。それが嫌なのもあるのだろうか。まあ確かに24時間程度食べなかったところで死にはしない。
「あまり不安がらなくて良いのよ。久兵衛は優しい。きっと殺したりなんてしないわ」
アーニャがエヴィーと名乗った少女に言った。狒々蔵。赤竜リュカ。ハエのベゼル。そしてこのアーニャ。この四体が私の召喚獣だった。アーニャは人型の猫である。猫耳が生えており、一番の古株でもう20年来の付き合いとなる。
こやつがいたせいで婚期を逃したとも言える。
ここのところ、それがしはめっきりと禿げあがり、老けてきたというのに、初めて召喚したあの時とあいも変わらず姿が少女のままだった。アーニャと歩いていると普通の猫人と間違えられて、ロリコンなどとよく言われるのだ。
それがどうも女性受けを悪くするらしい。まあとある事情からロリコンは否定できぬのだが……。
「勝手なことを言うな。殺さねばならん時もある」
「ま! 冗談でも怖いことを言うものではないです!」
「冗談ではないのだアーニャ」
それにしてもベゼルから入ってくる情報があまりよろしくない。通常の探索者であれば、どのような者であろうと、もう決着はついているはずだった。何しろ、相手はまだブロンズエリアに来て24時間も経っていない。
こちらの常識など何も知らないはず。それなのに今のところ有効な手はこの少女を捕らえたことのみである。ダンジョンに好かれたもの。そして勇者。どちらの相手もするのは初めてだ。
情報ではわずか半年でここまで来てしまったという。それがしとは対照的な存在。大八洲の人間ならば滅多にこの者たちのような無茶をするものはいない。それは一部の選ばれた者たちにのみ許された言わば贅沢。やれば死ぬはずの行為。
《通常であれば彼らと同じことをすればとっくに死んでるよね》
《だからって俺たちまで参戦するのかよ。気に食わねえ!》
《すまぬな。狼牙。土岐》
桐山美鈴が日本に救援を呼びにいった。レベル130という鬼人。上位者の子供という線はない日本からの救援である。角があるなどありえないこと。転生を果たしているのならばレベル500を超えるはずなのだが、角がある。
日本では急速にこちらの研究が進んでいるらしく、疑似的な転生を試みたのかもしれないとの推測をするしかなかった。
《あなどってはならぬ。鬼がいるのだぞ。それにこの者たちは何かそれがし達とは輝きが違う》
《選ばれし者ってか。吐き気がするぜ》
《勇者はともかくダンジョンから好かれたものだけはやばいよ。なんで生きてるのっていう状況で生きてるらしいから》
救援者に鬼が現れたこと、東堂伊万里側のレベル125へのアップ。この2つのことから、こちらはパーティー仲間である狼人間である狼牙と、ドワーフである土岐を増員した。正直いくらなんでも過剰すぎて申請は通らないかと思った。
相手が勇者であったとしても、ルルティエラ様は可能性をゼロにするようなことはお許しにならない。だから確かな証拠のもと、探索局側に増援申請を行わなければいけない。証拠はジャックの証言のみである。
さすがにこの申請は通らないかと思った。しかし申請に許可が下りた。思いのほか早くレベル200を2人も増やせたのだ。自分たちでも過剰ではないのかと思える戦力を用意できた。
《おかげで俺も晴れてシルバークラスに上がれるんだから、ありがたいといえばありがたいけどよ。こんなので上がっても仲間に笑われるぜ》
《まあいいじゃないか、これは思わぬ棚ぼただ。ダンジョンクエストとなればかなりの報酬も期待できる。今までちまちましてたのが嘘かと思えるほどらしいよ》
《狼牙。土岐。侮らぬことだ。それがしも最初あの者たちを見た時、楽な仕事だと思った。あのまま一月以上大森林の中に閉じ込め、徹底的に弱らせた後に狩るつもりであった。それが気づきもしない間に【翠聖都】に到着されていたのだ》
《だからってレベル200が4人体制だよ》
《いくらなんでも、もうクエスト達成確実だろ》
さすがに他の2人は気合が入らぬようだった。レベル125のものが3人。そしてレベル130のものが1人。レベル100は1人捕らえて、黒桜と呼ばれる召喚獣も先ほどこの美しい少女の元に戻してもらった。
エヴィーとしても召喚獣から情報を得られるわけだから、戻すことに文句はなかったであろう。黒桜の【操り糸】が、外れてしまったのは想定外だったが、日本の協力者ジャックからも、
『ラッキーパンチだ。ちょっと油断しすぎた』
と聞いている。詳しい情報を聞こうと思ったが、
『これだけレベル差があって、ちょっと慎重すぎだろオッサン』
と言われてしまった。まあ確かに対策を講じすぎて、黒桜という召喚獣がかなりジャック殿の邪魔をしてしまったようだ。ジャック殿が不機嫌になるのも仕方がない。虎の子と思って取っておいた【操り糸】。
だが、やはり慣れないアイテムなど使うべきではなかったか。売れば高いというのにもったいないことである。とはいえ慎重すぎて損をすることはない。これが、それがしの持論だ。まあ若い者にはなかなか理解できぬらしい。
「ねえ」
と異国の少女が綺麗な声で尋ねてきた。
「何か用か?」
若い女子と話すのも久しぶり。この年になって声が弾まぬように気をつけた。
「あなたはどうして伊万里を殺そうとしているの?」
今までほとんど喋らずにいた少女。猫の召喚獣を戻して何か仲間の情報を得たのか。聞き出したいところではあるが、拷問など行うのは武士の恥。かといえ素直には喋らぬだろう。まあ、少々議論してみるのもよかろう。
「残念ながら、それがしはその理由を知らん。ただ大八洲の神々は、勇者を悪と断じるらしい。神々の考えなど、それがしの与り知るところではない。まあそれがしが聞いたところで遠すぎて声など届くまいがな」
「呆れた。言われたからしているだけなのね。理由も知らずに人を殺そうとするなんて、正気とは思えないわ」
「侍とはそういうものよ。お館様に忠義を尽くす。そこに考えなどいらぬ。そもそも、この件はダンジョンクエストだ。ならば、どれほど忌避する行為であろうと、大八洲の誰かが引き受けることだ。それは、つまり、お前の仲間はいずれは死ぬ運命とも言える」
「それはどうかしら」
そんな言葉は全く気に留めないというふうにツンとしていた。
「そんな態度も無知ゆえにできることだ。今、貴様らが置かれている状況は自分で考えるよりもはるかに悪いぞ」
「ふん」
「何をどう思っているのかは知らぬ。だがこれは本当のことなのだ。お主も無駄に足掻くな。万が一にも我らが失敗したとしても、次はより強く、より残虐なものたちが用意される。おそらくそれはもっと殺すことに手慣れた者達であろう。そう、お前たちを皆殺しにしても気にも止めぬものが、きっと次には選ばれるのだぞ。抗ったところで苦しみが酷くなるだけだ」
「……」
ちと脅しすぎたか。少女は黙ってしまった。だが嘘ではない。ルルティエラ様とはそれほど優しくないのだ。特に勇者がいる場合は徹底していると聞く。大八洲国に勇者は100年に一度ほど現れるという。
「100年前に現れた勇者の話は未だに残っておる。その勇者はずいぶんと優秀だったらしく1度目と2度目のクエストをしのいだ後、3度目のクエストで公の者たちから交代した非合法の者たちに勇者どころか全員が皆殺しにされたそうだ」
レベルが上がったものたちはたいてい115歳ぐらいまで生きる。貴族に至っては500年生きる。神は千年以上生きるものもザラである。100年程度昔の話は普通にそしてリアルに残っていた。
「わ……私たちはそれでも伊万里を助ける。ルルティエラがなんだっていうのよ」
そう言い切った少女の瞳には怯えが浮かんでいた。それでもまだ気持ちは揺らいでいないように見えた。
「大した子供よな。その考えは我らとは違うな。我らは長きに渡ってそれこそお主らの神話で語り継がれる時代から、ルルティエラ様と共に生きてきたのだ。その歴史は3700年。それはあまりにも長い。ルルティエラ様が我らにあらゆるものを与えた。猿とそれほど変わらぬ我らに食べ物を与え、知識を与え、そして争う方法も与えた」
それは遠い昔の話。この少女はルルティエラ様を呼び捨てにするが、我らの中にルルティエラ様を呼び捨てにするものなどいない。その存在は自然そのもの。確かに存在するという話を聞く。貴族はあったこともあるのだという。
12柱の神々ならば交流もあるのだそうだ。だが我らとはあまりに遠い存在。そんなものからクエストが発注された。大八洲で武官をしていてもそれは生涯に一度あるかないかというようなことである。
「故にこの役目だけは果たしきらねばならぬ。本当にそれがしが優しくて慈悲をかけるなどと思わぬことだ」
「そうなのでしょうね」
「……」
お互い黙ってしまい、時だけが過ぎていく。あのお館様より呼び出しを受けた日。空は晴れていた。完全に天候を操ることができる大八洲では雨というのは夜に1時間だけ降る。昼間はいつも晴れだった。
ジャック殿の話では日本には昼間の雨どころか雪という伝説上の気象現象もあるらしい。できれば一度行ってみたいものである。今は我らに入国すら許されていない地。その地からの者を“殺せ”という話を聞いたのは数日前のことだった。
「御用がありと聞き受け参上いたしました。何用でございましょうか?」
猫寝家の殿様。貴族としても人としてもまだ若く歳はようやく100歳を超えたところ。見た目もとても若い猫人の少女。猫寝様。私の召喚獣はどういうわけかこの主人とそっくりだった。猫寝様はまだ貴族になりたての方である。
貴族には下々の者のように世襲などというものがない。ただ転生を果たし貴族になれば、500年間貴族であり続ける。死ねば代替わりが起こるが、それは血によって継がれるのではない。
988家ある貴族家に空きが出ればレベル500で止まっている実力者たちが、その席を争ってキークエストを行う。半年に一度あると言われるその機会に、我が主、猫寝様が参加し見事勝ち抜いたのだ。
詳細は知らない。ただそうなのだと伝え聞く。貴族としてはまだ若い猫寝様は、あまりに若くて周りに舐められていた。それが、あの日はとてもはしゃいでいた。ダンジョンからのクエストが出たのだという。
997家の数ある貴族を置き去りにして、一番若いとも言われる猫寝様にそのクエストが出たらしい。
「久兵衛、喜べ。お主にキークエストが出たぞ」
開口一番そう言われた。
「……左様でございますか」
正直嫌だった。
「どうした嬉しくないのか?」
幼い顔で首をかしげる。これに弱いから、それがしはロリコンなどと言われるのだろう。
「それがし、シルバーへ登ることはもう諦めておりましたので。歳も歳になりもうしたからな」
「久兵衛いくつになったの?」
威厳があるようにと作っている口調が戻っている。こういうところがこの方は可愛いのだ。
「只人のまま四十を超えました」
「なんだまだ若いじゃない。じゃない。なんだまだ若いではないか」
芝居が長く続かぬな。と思いながらも今日も可愛いと思った。その美しき相貌を見上げた。7尾もある猫又へと転生を遂げた猫寝様。私はこの主に惚れていた。この方に一生ついていくと心に決めていた。
だがそれがしは凡愚である。今更になってキークエストなどと言われても正直戸惑いが大きかった。しかしルルティエラ様直々のクエストとのことだ。
「ルルティエラ様が直々にクエスト? なぜでありましょう?」
猫寝家は貴族として出来たばかりである。家臣も数えるほどしかいない。凡愚であるそれがしより強い家臣もいないというありさまである。貴族といえど、吹けば飛ぶような家である。そんなことだからどこかの傘下に入るしかない。
通常であれば猫種の貴族の頂点。レベル698のお松大権現様よりクエストが出る。それを細々とこなしながら、徐々に徐々に貴族としての力を貯めていくのだ。
「4足飛びでございましょう。お松大権現様はよろしいのですか?」
更にその上には貴族の家が2つもあり、12柱を入れれば大事な方が4つ飛んでいることになる。通常であればありえないことである。それが何をどうすればルルティエラ様からのクエストなどというものが、猫寝様に出るのか理解しがたかった。





