第百五十六話 決行前
「なぜ、ジャックにバレた?」
「というより、どこまでバレてるかも問題だよ」
「そうだな。クソ!」
ジャックが急に俺たちのそばから離れて、ゲートの方へと走り出したのだ。速すぎてとても追いつけなかった。それでも、なんらかの方法で俺たちが助っ人を呼ぶことが露見したのだとすぐに判断した。判断が遅れれば美鈴が死ぬ。
「とにかく追いかけるぞ! 伊万里。【光天道】による先行は禁止! 俺と一緒に動くんだ!」
「了解!」
だから俺たちも慌ててその後を追おうとした。しかし、もう外に出るという寸前で思いもよらぬ人からの【意思疎通】が入ったのだ。
《ユウタ! ストップだ!》
それは懐かしさのある声だった。
《誰?》
いや知ってる。
《俺だ。マークだ。博士からの連絡だ。『何があってもゲートをくぐって日本に出てはいけない』だってよ。博士がすでにゲートの前で待機している。ミスズは安全だ》
《本当にマークさん?》
だとすると米崎の意図によるものか。まさか米崎はこの盤面を読んでいたのか? 俺たちが焦って外に釣り出される状況になると分かっていたというのか? あの男未来でも見えるのか?
《ああ、間違いなくマークだよ。お前たちの話はいろいろ聞いてるぜ。結構な目に遭ってきたのも知ってる。だが信用してくれ。『今は僕を信じて出てこないでくれ』って博士が言ってたんだ》
《マークさんをここに配置するぐらいなら、本人はここにいないんですか?》
そうすればそもそも美鈴が外に出る必要がなかった。
《あの人は顔が売れすぎてここに潜伏することはできないらしい。ウロチョロしてたら間違いなく連行されるってよ。あの人はいろんな意味でここでも目をつけられてるらしいんだ。良くも悪くも頭が良すぎるんだってよ》
《それはまた嫌味でもなく素で言いそうですね》
やはり米崎のやっていることはここでも特殊なのか。いや、それよりも、【意思疎通】には名簿が存在しており、そこにも確かにマークさんの名前があった。何よりも【意思疎通】は、相手の感情まで伝えてくる。
伝わる感情でマークさんが、とても懐かしい気持ちになり、俺と会いたいと思っていた気持ちが共感される。そうするとデビットさんのこととか色々思い出して、俺も胸が熱くなった。
《マークさん。信用します。でも、確認ばかりで悪いんですが【意思疎通】は使っていいんですか?》
それでも俺はこれだけは聞いておいた。
《構わないらしいぜ。【盗聴】だって? 会話の盗み聞きとか諜報機関かっての。タチが悪いよな。でも博士の話じゃ、戦闘禁止区域では【盗聴】も【強制探知】も使用禁止らしい。『このクエストに限ってそれが解禁される。なんてことはないだろう』だってよ》
目の前を観光気分で通り過ぎていく頭に角が生えたマッチョの黒人がいた。少なくない人がその黒人に驚いている。背中に翼が生えていても、耳が長くても、顔がクマでも驚かない大八洲の住人だが、黒人には驚いているようだ。
そりゃそうである。日本の探索者は全員日本人だ。大八洲の人間も日本人“風”だ。だからどちらの人間もマークさんに驚いている。おかげで俺たちが少しぐらいマークさんを凝視してしまっていても、誰も奇妙に思わなかった。
《これで信用できたか?》
《ええ。本当にお久しぶりです。頭に角が生えたんですね》
《ああ、なんだかめちゃくちゃ懐かしい気がするぜ。そうそう角が生えたんだ。最高にクールだろ?》
《え、ええ、まあ》
そのままお互い近づいて話したい。そういう衝動が強烈に起こった。それでもそれをしていいのならばマークさんが真っ先に俺に近寄ってきただろう。それをしない以上は、やはり直接的な交流を持たない方がいいのだ。
《色々事情を聞かせてもらっても? それに大鬼の魂がちゃんと馴染んだんですか?》
《ああ——》
マークさんは話してくれた。玲香さんが持ち帰ってきた大鬼とミカエラの魂。魂の入れ物、角のある巨大な頭、青と赤の瞳。その中でも、マークさんにとって重要だったのは角のある巨大な頭だ。さらにその中でも一番強く魂が残っていた角。
その角がマークさんの頭に移植されたらしい。
《お陰で俺は転生したわけでもないのに疑似鬼だ》
《へえ、なんだか面白いことになってるんですね。いいなあ。それって日本ではどういう扱いになるんですか?》
《さあな。よく分からんけどとにかく俺も低レベル探索者の仲間入りだ。称号も【鬼人】だ。博士の話だと鬼というのはとても強くなる可能性を秘めている種族だそうだ。おそらくこの鬼も、元はもっとはるかに強い鬼だったらしい》
《あいつまだ強かったの?》
田中は鬼という種族のままレベル1000を超えている。鬼にはそれだけ可能性があるのは有名だ。しかしラストってそんなに強いの? レベル自体が抑えられていたことといい、なぜそんな状態になっていたのだ。
《さあな。なんでかは知らないが、魂の強さの割にはかなり体やステータスが弱く調整されていたらしい。おかげで俺の今のレベルは130だ。お前たちに協力するにはちょうどいいレベルだろ》
《協力してくれるんですか?》
《もちろんだ。嫌と言われても無理やりついていくぞ》
《そんなこと言いませんよ。とても嬉しいです。体の方は大丈夫なんですか?》
玲香さんは米崎によって人工レベルアップをしてもらった後、魂からの訴えのようなものを聞くらしい。それがどういうものかは俺には想像できないが、楽しいものとは思えなかった。
《安心してくれよ。レイカと違って、俺と一緒になった鬼は協力的でな。今のところ問題なく馴染んでくれてる》
《そうか……》
なんというかラストはいろんな意味で潔い鬼だった。無駄に暴れたりするのはあの鬼の性格とは違う気がする。何よりもあの鬼は死にたがっていたのだという。命にすがっていないのだろう。それでも、気になることはあった。
《マークさん。別の生物の魂を自分に取り込んだら、その取り込んだ相手と喋れたりするんですか?》
俺はそれが気になった。もし可能ならばミカエラも死んでいないことになる。そしてミカエラが死んでいないのなら、正直嬉しかった。まだ話してやりたかったことがたくさんあるのだ。
《それは無理だ。博士の話では喋るという行為は脳みそがあって初めて出来ることなんだってよ。魂だけでは人は喋れないらしい。それどころか魂だけでは自分という自己を確立することすら難しいんだってよ。その結果、一緒になった魂も俺の脳みそを代用するんだって》
《それは大丈夫なんですか?》
《正直俺もよく分からん。自信持って大丈夫とも言えねえ。ただ相手は死んでるし、俺は生きてる。かなりの部分で優先権は俺にあるって話だ。でも『ちょっとぐらいは混じってしまうかもね』とも言ってたな》
《つまりラストであり、マークさんでもあると?》
《そう言えちまうのかな。ただ俺は俺って感じがものすごくするんだけどな》
かなりよく分からない状態なんだな。米崎自身もこの状態がどういうことになるのか。本当のところはよく分かっていないんじゃないのか。ただマークさんを見る限り、ラストが生きている状態とはかなり違って見えた。
俺がマークさんの状態に、思わず夢中になっている時だった。伊万里が怒ったように叫んだ。
「祐太。美鈴さんが入ってきたよ!」
目を向けるとかなり焦った様子の美鈴がいた。そうだよ。それどころじゃないだろ。しっかりしろ俺。だが、その後すぐに黒桜が現れて、米崎は少し時間をおいてから入ってくるとのことで、俺たちは先に【翠聖都】へと帰ることになった。
なぜか日本のラジオ体操の音が聞こえた。俺と伊万里は【翠聖樹】の下にある公園のベンチに座っていた。【翠聖樹】の葉の下には人工太陽が昇り始めて、気持ちの良い朝だ。
【翠聖樹】の壁のように見える木の幹。そこに【翠聖兎神】が住む第一層へと繋がる大きな城が見える。俺たちが今いる公園は芝生が敷き詰められ、人々の憩いの場所らしく、青々とした景色の中で、朝の体操をしている集団もいた。
米崎と美鈴は同じ場所にいて、俺たちとは100㎞以上離れている。マークに至ってはすでに【翠聖都】を出る巨大門の前まで先行していた。
《先に言っておくけどエヴィー君の救出に関しては、きちんと六条君の考えたプランでいくよ。僕に頼らないでくれたまえ》
《いやいや、できれば米崎にプランがあるなら、それを採用したいんだが》
俺は米崎の頭の良さに信用を置いていた。ジャックとの話を聞く限り、学者としての知識だけでなく、その頭の良さは戦いの場においても生かされている。主導権を取られるのは嬉しくないが、全員の命もかかっている。
俺自身には自分がリーダーでなければいけないなんて思いもない。だからできれば米崎のプランでいきたいのだ。
《僕はね。君のそのダンジョンに好かれているという部分が、ダンジョンにおける何よりも大事な資質だと考えている。僕には求めても決して与えられることがなかったもの。知恵がどれほど回ってもレベル200ですら超えられないんだよ》
米崎に100㎞以上離れた場所からそんなことを【意思疎通】で言われ、俺は思わず向かいの席を見た。そこには俺と伊万里以外の人物。仲間でもなんでもない。間違いなく“敵”がいた。
「なんだよ魔眼殺し。どうせ米崎から聞いて安心して【意思疎通】を使って会議中なんだろう。俺も混ぜろよ」
ニヤニヤとジャックがこっちを見つめていた。実に楽しそうに余裕をかまして公園の木のテーブルに肘をついている。甘い物好きなのかアイスクリームを頬張る。「お前も食うか?」と薦めてくるから「いらん」と言っておいた。
《こいつに、もうちょっと制限をかけられなかったのか?》
《僕もそうしたいのは山々だったけどね。大八洲の武官。久兵衛だったね。そいつに彼が契約で縛られているとばれた時点で終わりだ。見ての通り芝居はすこぶる下手そうな直情型だ。変に制限をかけるとバレる》
《殺し屋のくせに直情型とか……》
《久兵衛にジャックのことがばれたら、ジャックはクエストから外され、能力も分からない大八洲のレベル200が代わりとなって現れる。僕らとしてはどちらの方が困るだろう》
《そっちの方が困るな》
「米崎と何を話してるか教えろよ。おーい」
「うるさい。教えるわけないだろ!」
美鈴は今回の作戦もあって、米崎の近くにいる。ハエは美鈴の方を監視しているようだった。思考分割を使ってみんなと【意思疎通】をしながら、ジャックと話していた。気を抜くとこいつに意識を取られる。馴れ馴れしいやつである。
こういうやつは嫌いだ。
そうだ。田中ファンだからって友達になりたいわけじゃないんだ。別に田中の話で盛り上がりたいとか思ってないんだ。
《米崎。俺たちは前回のクエストでレベルが125に上がった。向こうはこれによって戦力を増強してくるかな?》
《まず間違いなくするだろう。レベル200がもう1人増えると考えた方がいい》
やっぱりそうなるか。こっちのレベルが上がっても、その分だけ見事に補強してくるところが遠慮がない。あの門番をしていた狼人間かドワーフだろうか。
《じゃあマークさんを公然と仲間として扱った場合はどうなる?》
できれば俺はマークさんにもクエスト報酬を渡したかった。そのためにはきちんとパーティー仲間として扱った方がいい。そうすれば探索局側に申請する形でマークさんにも報酬が入るのだ。ただその場合の向こうの戦力増強が気になった。
《なるほど。美鈴君が日本に行った目的が、マーク君を呼ぶためだったと敵に思わせることができる。悪くないね。むしろそうした方がいいか。ただやはり向こう側の人員を増やす口実になるだろうね》
《そうなるよな。でも幸い米崎のことはバレなかったわけだしな》
美鈴が外に出たことがばれた理由は、黒桜が【操り糸】で操られて美鈴の目的を言ってしまったかららしい。だが黒桜に聞いてみたところ【操り糸】を使われたのは、美鈴と別れた後だった。つまり情報はほとんど渡さなくてすんだ。
美鈴と別れた後、黒桜は一人だからと羽を伸ばし、出店でおまんじゅうを頼んで、そのおいしさに頬がとろけていたところに【操り糸】で見事に操られてしまったらしい。
「黒桜一生の不覚にゃ」
まだ連れ戻されることなく伊万里の膝の上にいる黒桜が呟いた。そして美鈴が日本に渡って助っ人を呼びに行ったのだと知ったハエは、自身は喋れないため、ジャックの元まで飛んでいき、黒桜と共にジャックが外に出てきた。
《喋れないっていうのは、やっぱりクーモと似てるね》
美鈴が言った。どうも喋れないのは虫型召喚獣の宿命らしい。さらにハエは行動ミスを一つ犯した。【操り糸】が解けると思ってなかったハエは、黒桜から何もかも聞き出すことを後回しにしてしまったのだ。
結果として俺たちは紙一重で助かった。ミスはしたが最悪というところまでは行かなかったのだ。そしてハエは、こちらの情報を何もかも聞き出す最大のチャンスを逃してしまった。
「お前どうやって、今回のことを秘密にしながら久兵衛に説明したんだ?」
「それはお前、企業秘密だ」
ジャックとそんなやり取りをしながらも、俺はみんなとともにプランを練っていく。
《【操り糸】を黒桜が最初から使われなかったのは、やっぱり痕跡が分かるのか?》
《正解。明らかに使われているとわかる状態になるよ。【操り糸】だと感情が抜け落ちた喋り方になる。【媚薬】だと惚れさせられた相手のことばかり喋りだすね。久兵衛はそのせいで黒桜君を最初から操るわけにはいかなかった。あくまでもハエ君が存在を君たちに知られた場合の次善の策だったのだろう》
俺は大体の情報が頭に入って、それから、どうするべきか結論を出した。
《じゃあ伊万里。いろいろ考えてみたんだが、ここに残ってくれないか?》
《私が残るの?》
伊万里のクリッとした目が不思議そうに俺を見てきた。
《そうだ。正直不安は残る。でもそうすると少なくともジャックはここに居続けるしかない》
《……》
敵の狙いはエヴィーではない。それを助けようと戦闘禁止区域から出てくる伊万里である。そして出てきたが最後、徹底的に敵は狙いを伊万里に絞ってくる。その状況は非常に対処しにくいと思うのだ。
《逆に私がここに居続ければ、向こうの戦力が減るわけか》
《そうだ。こいつがな》
俺は目の前で美味しそうにアイスクリームを食べているジャックを見た。
《こいつ多分、久兵衛より強いぞ》
《それは確かに》
伊万里もそう思うようだった。ジャックは人が良さそうに見えて底知れないものがある。何よりもこいつは殺すと決めた人間を必ず殺している。だからこそ伊万里がこの戦闘禁止区域に残る。それが全員の危険を一番下げる。俺はそう信じた。





