第百五十五話 Side米崎 黒桜
「レベル100の召喚獣じゃなかったのかよ」
ジャック君は目を見開いた。彼の注意が完全にあの猫の方に向いて、美鈴君の方には全く向いてなかった。
《美鈴君。今のうちにゲートをくぐりなさい》
《でも黒桜が!》
《あの猫は僕が必ず回収していく。それよりも君がさっさと行ってくれないと最悪な状況になるよ》
とにかく彼女を逃がさないことには話にならない。この事態。これこそ彼が英傑の器の証拠なのか。僕の認識が甘かったか。まさか普通の召喚獣にこんな化け物までいるとは……。というかまずい。どう考えてもこの召喚獣……。
《それとあの黒い大きな猫のことを誰にも言ってはいけないよ。おそらく六条君に言うこともおすすめしない》
《どうして?》
《それぐらい厄ネタだということだ。早くしろ》
《うぅ、絶対に回収してきてね!》
美鈴君が走り出した。ゲートに向かって、ジャック君はそれを邪魔するはずだった。しかし邪魔をしない。あっさりと美鈴君がゲートをくぐってしまう。これで本来はこちらの勝利のはず。だがそうじゃない。
「にゃあああああ!」
「君は黒桜とか言ったね」
なんとも面倒なことをしてくれる。レベル100の召喚獣がこれほどの力を有している。魔力が馬鹿げたほど増大して、辺りに濃密な気配となって立ち込める。この馬鹿猫。どれほどの魔力を持ってるんだ?
「何よ。あれ?」
「さあでかい猫?」
「うわー。尻尾が3本あるよ。なんか2本ぐらい根本から伸びてきてるー」
「バカ写真を撮るなって! あれ絶対召喚獣だって! 飼い主の人に怒られるぞ!」
衆人環視があっけに取られている。だがまだこんなやつらはいい。どうせ気配なんて感じることもできないのだから。でも、
「くくくく、はははは! 六条。お前こんなの初めてだぜ! なるほどルルティエラ様よ! キークエストっていうのはなかなか面白いもんなんだな!」
ジャック君に知られるのは考えうる中での最悪だ。ジャック君が操ったはずの黒桜を放置してゲートの中へと入っていこうとする。猫の桁外れの魔力。まるでブラックホールのように1点に集中して黒い塊が淀んでいる。
ジャック君はこんな化け物の相手をする気はないだろう。だが、この猫のことをジャック君が大八洲に報告したらどうなる? 基本的に大八洲は日本の探索者の3倍戦力を用意してくると聞く。となれば……考えたくもないような事態になる。
「逃さないよ」
できれば正面からは戦いたくない相手だというのに、
「あん?」
僕は手に自分の専用装備を出した。そして振り上げた。2番ゲートの前に待機させていた者。ジャック君の前に立ちはだかるように“ゾンビ”を出した。レベル200の特別製。他の有象無象とは違う虎の子。
「こんなところにゾンビ? しかも強い……」
ジャック君の手にも小型のナイフが現れた。あんな姿をしているが彼の専用装備の杖らしい。噂は聞いたことがある。名前は確か【切り裂き魔のナイフ】だったか。
「やれやれ嫌になるよ。いや、そうじゃないのか。これこそが僕の望んでいたことか。そう考えると喜ぶべきかなジャック君」
僕の声にジャック君が振り向いて、完全にその目に僕が映ってしまった。
「くく、どれぐらい楽しませれば気が済むんだよ。レベル100程度の小便臭い小娘殺すだけの簡単なお仕事のはずがよ。逃げた女が呼ぼうとしてたのはお前か。米崎?」
「なんのことかよく分からないな。僕はたまたまここに居合わせただけさ」
「とぼけるなよ。そんな言い訳が通じるわけないってお前だって分かってるだろ!」
「どうだろうね」
僕は専用装備のメスを構えた。【レイチェル博士のメス】。ブロンズ装備でまだストーリーは解放させることができていない。だがこのメスはとても性能がいいのだ。
「【空斬】!」
「【守れ】!」
巨大な空気の断裂が起きた。今までが全く本気でなかったかのように、僕を守ったゾンビと僕自身。そして、その後ろだけが守られた。後ろにある木々の全てがなぎ倒され山肌に深い傷が入る。
僕は猫を見た。あちらには攻撃していないな。苦しみもがいている。そしてなんとか【操り糸】を解除しようとしている。所詮はブロンズ級のアイテムである。あれほど濃密な魔力を放出されたら、遠くないうちに【操り糸】は切れる。
「よそ見かよ!」
再び放たれる空気の断裂。まだ物見遊山気分でいた馬鹿な探索者。いや探索者とも言い難い愚かな人間たちがジャック君の放った風に次々と吹き飛ばされていく。
「い、いやあああああ!」
「お、おい、邪魔だどけ!」
「殺した! こいつ殺した!」
優しいね。無関係な人間が巻き込まれないように遠くに吹っ飛ばしたか。慌てて全員逃げていく。ジャック君は逃げる者たちを無視して一気に近づいてくる。風でブーストしている。異常なほど速い。目の前にいた。
【風刃二十連】
そして僕のゾンビも削れていく。守っていた腕が吹き飛んだ。
「大事なものなのにあまり壊さないでくれるかな。壊したいなら無能を壊してくれよ」
「米崎。お前は所詮学者だろうが。俺の敵じゃねー。家でご自慢の研究でもしてろよ」
「ひどいね。僕だって外に出たいさ。日光浴をしないと体に悪いって知ってるかい?」
「今は夜だぜ博士! 大人しく帰りな!」
「やだね!」
彼がどういう仕事をするのか。知ったのは今が初めてだ。だが、隙がない。僕は正直戦闘向きではない。頭脳労働は得意だがこういうのは一番苦手だ。特に武闘派の彼を殺すのは僕には不可能だ。
「らしくないぞ博士! お前は危なくなったらすぐ逃げるって聞いてたぞ!」
「僕でもこういう時はあるのさ。今逃げるとさすがに僕としても致命的なんでね」
六条君から嫌われてはいけない。そう考えるあまり最近行儀よくなりすぎていたか。本来の僕らしくなかった。周囲を見渡す。さすがに全員逃げてるな。
「なんとかして君を殺さなきゃいけない」
僕はまるで楽団の指揮でもするようにメスを振った。土の中から100体ほどのゾンビが現れた。100体にもなるとどうしても繊細な操作ができなくなる。そうするとゾンビ本来の動きをしてしまう。
「なかなかグロテスクだねー。そうしてるとマッドサイエンティストみたいでイカしてるぜ」
「それはどうも。気をつけたまえ。その子達は生者を憎み襲う」
ゾンビの動きを解放する。そうするとゾンビが巨大な黒い猫まで襲っている。ああ、本当にめちゃくちゃになってしまったじゃないか。それでも探索者のゾンビたちが、僕が攻撃しろと指示している最も狙うべき相手。
ジャック君へと群がっていく。その肉を全て食らうために。永遠に癒されることのない飢餓を癒すために。
「ここで確実に死んでくれたまえ。君が生きていると非常に都合が悪い」
大八洲に君が帰らないのはまずい。本当ならば行動不能に陥らせることが理想だ。だが僕では殺すこともできるかどうか分からなかった。ましてや彼を自分の一番都合のいい状態にとどめてダメージを与えるなんてこと不可能だ。
「そう簡単に死ぬと思うな!」
ジャック君がナイフを横に振った。
【烈風塵塊】
【守れ】
風の塊が襲いかかってくる。僕の前をゾンビたちが瞬時に10体守った。そうすると風の塊に探索者のゾンビが飲み込まれて、寸断され塵となり、10体が全て消えてなくなる。
「まだまだ終わりじゃないぜ! 死体はまとめて燃えやがれ!」
【火災旋風】
火柱が吹き荒れる。上空へとあまりにも高く伸びる。魔力のこもったそれは普通の自然現象で起きる火災旋風とは違う。温度は1万度にも達して、その色が青色に輝いてあらゆる動くものを呑み込んでいく。
呑み込まれたゾンビたちがどんどんと炭化して役立たずになっていく。
「大事に蓄えていたゾンビに酷いことをする」
「俺が昇天させてやってるんだよ!」
「余計なお世話だ」
【集団魔法下】
だがそこは探索者のゾンビたちである。こちらもただでは焼かれない。あらゆる物体に下向きの力を与える魔法を全員で同時に唱える。火災旋風が一気に地面へと圧しつぶされていき、地面を溶かして鎮火した。
だがまだ彼は本気じゃない。装備スキルを使っていない。それがおそらく来る。
「やるねえ。行くぜ取っておき! お前の顔もこれで見納めだ!」
「嘘つきだね。君にそこまでの覚悟があるのか?」
いつか役に立つと思い、あらゆる探索者の情報を集め続けていた。その中でも彼の情報はよく入ってきた。本当に人を殺すから評判は最悪。でも彼が好きな人もいる。そういう人に彼の人柄を聞くとすこぶるよい。
そしてターゲット以外を相手にする時。ジャック君はすごく鈍る。切り札を出すまでに時間をかけすぎたね。間違って殺してしまわないように加減を見極めていたんだろう。おかげで馬鹿猫がもうすぐ解き放たれてしまうよ。
「装備スキル解放!」
「にゃごおおおおおおおおおおおお!」
猫は大きく鳴いた。その瞬間。黒桜君を縛っていた糸がちぎれていく。魔力の糸によって強烈に編み込まれた縛りがほどけていく。その様子にジャック君も気づいた。
「ちっ、お前のことはまた今度だ。今日のところは見逃してやる!」
「残念。判断が遅いよジャック君」
ジャック君は慌てて戦いを中断して逃げようとする。あの気配。ただごとではない。逃げなければ逆に殺されると思ったのだろう。その辺の嗅覚は彼も敏感だ。しかし遅い。君は甲府のゲートをくぐることにこだわりすぎたね。
「屈辱にゃごおおおおお!」
暗闇の中で黒い影が蠢いた。瞬時にジャック君の後ろに回る。
「このアホ猫速い!」
「誰がアホにゃ!」
「ぐげ!」
そしてジャック君の体を踏みつけた。
「クソッ! ずるいぞ米崎!」
ジャック君が車に轢かれたカエルみたいになっている。なまじ黒桜君が巨大なので余計にそう見えた。
「車に轢かれたカエルみたいだ」
「うるさい! こいつをどけろ!」
「君が思ったよりも感情的で助かったよ」
「ふざけんな! 俺は誰よりも冷静だ!」
「本当かい? とてもそんなふうには見えなかったけどね。実際こうして君の命は僕の手に握られているわけだ」
僕はしゃがむとじっと彼の顔を覗き込んだ。
「……殺せ。俺のドジだ。散々人を殺してきた俺が今更命乞いなんてしねえ」
ジャック君がとても格好良いことを言ってくる。
「まあそう言わずに聞きなさい。君はまだ若い。確か21歳だよね?」
「21歳でも関係あるか! 死ぬ覚悟はいつでもしている! それが俺なりの人を殺す覚悟だ!」
「あ、そう。でも、どうだろう」
きちんと交渉しなければいけない。黒桜君は気まずそうにそっぽを向いている。操られてしまったことがよほど恥ずかしいのだろう。それに【操り糸】を解くためとはいえあれはない。1歩間違えばこの程度の惨事ではすまなかった。
「ジャック君」
「なんだよ」
「僕は思うんだ。人を殺してきたから死んでもいい。そんな人間が居るなら見てみたいとね。少なくとも僕は人を殺したことがあるけど死にたいとは思わないな」
「それはお前に根性がないからだ!」
「意気地なしなのは認めるけどね。みんな死にたくないものだろ? だから君にちゃんと生き残る方法を僕が用意しよう」
「ざけんな! 誰が乗るか!」
「黒桜君」
「にゃ」
「ぐえっ、ちょっ」
僕の言葉を理解した巨大な猫に強く踏みつけられる。可哀想に。本当にあともうちょっとで綺麗に潰れそうだ。
「このままじっくりゆっくりと踏まれてゆくのも君の理想かもしれない。だが、ここに1枚の契約書がある。君が持っていたものと少し違う。ゴールド級の高級品さ」
僕は準備がいいので常に持ち歩いている契約書を出した。ゴールドクラスのガチャから出てくる人に約束事を守らせる契約書である。双方同意の上でなければ契約は成立しないが、ここに書かれた内容は絶対順守の強制力が働く。
「この契約書の内容だけどね。こんな内容でどうかな。
【私は一生涯エヴィー・ノヴァ・ティンバーレイクの召喚獣・黒桜の秘密を誰にも漏らさない。もちろん米崎秀樹についてのあらゆる秘密も黙っている。この秘密は大八洲側にばれない限り継続する】
この一文だけにサインする。君はそれだけで解放されるよ」
「……」
さすがに積極的に死にたいわけではないだろう。考えてるな。だとするならもう一押しだな。
「【以上の秘密は3ヶ月間保持するだけで良い】ならどうだい?」
「……3日なら別に」「話にならないな。黒桜君」「痛! ぐえっ! これ以上踏むな! 死んだらどうする!」
「いいじゃないか死にたいんだろ。黒桜君。そのまま殺してくれたまえ」
ジャック君の体が地面にめり込んでいく。地面のアスファルトが破壊されていき、ジャック君の体が圧縮されていってる。普通の人間ならとっくにミンチ状になっているだろうが、ジャック君はまだなんとか耐えていた。
「わ……分かった。分かった!」
「何が分かったのかね?」
「それで手を打つ!」
案外、日和るのが早かったな。まあ彼としても死ぬよりはマシだろう。個人で軍隊級の戦闘能力を有する探索者だが、本物の軍隊ではない。敵と内通したところで、罰則なんてない。あるのは彼自身の倫理観だけだ。
何よりもこの契約書にサインしたところで、僕や黒桜君の存在をジャック君は知っているのだ。その分キークエストの達成には近づいている。よほどの馬鹿でない限り、僕の出した条件ならば生き残る道を選ぶだろう。
「くそっ! 覚えてろよ! 絶対ぶっ殺してやるからな!」
「はいはい早く帰りたまえ。大八洲の武官には上手に話すんだよ。下手くそな言い訳をするんじゃないよ。なんなら演技指導でもしようか?」
「いるか! マジで覚えてろ!」
ジャック君は悔しがりながら2番ゲートをくぐっていく。それをしっかりと見届けた後、僕は黒桜君を見た。
「さて。あとは君だね。大八洲に帰るよ」
「にゃ、了解にゃ!」
「その前に向こうの状況を詳しく教えてくれたまえ」
「説明はもちろんするにゃ。でもその前に1つお願いがあるにゃ」
「なんだい?」
「できれば黒桜の力は祐太達にも黙っててほしいにゃ。言っちゃうととても困るにゃ」
「……ああ、大方そんなことだろうと思って美鈴君には口止めしておいたよ」
「お、お前マジで賢いにゃ!?」
「まあ君よりは賢いかもしれないね」
黒桜君は六条君にこのことがバレると強制送還魔法が発動してしまうらしい。さらに操られてしまった言い訳を聞き、今の六条君たちの状況を聞くと、先に帰ってもらい、少し間を置いてから姿は隠すことなく大八洲国に入ることにした。





