第百五十四話 Side米崎 勇気
『もう米崎君! 逃げたらダメじゃない!』
『はは、勘弁してよ先輩。あんなの無理だって』
センチメンタルなど自分らしくないと思った。そんな感情など、とうの昔になくなったのだと思っていた。だがどうしてもあの日の後悔はいつも僕の脳裏をよぎる。怠惰であり努力を知らず、ただ頼っていた。
『ひい! こんなの勝てる訳ないよ!! 先輩逃げるんだ!』
『だめよ踏ん張りなさい! 米崎君! 私たちが学会で本当に認められるためにはダンジョンで知能を上げるのが一番いいってあなたが言い出したことでしょう! 実際そうだったわ!』
『そうだ米崎! 俺たちお前の言葉通り認められだしてる!』
『秀樹。頑張ろうよ! ここを超えたら四階層だよ! 学者が四階層なんてまだ世界中の誰も成し遂げてないことなんだから!』
『で、でも、これはいくらなんでも!?』
嫌になるほど弱かった。怖ければ逃げればいいと思っていた。それが生物として当たり前のことだと。
『くく、なんだ人間。ここにきて怯えたのか? 逃げたいならば逃がしてやるぞ。臆病者に興味はない』
それはとても大きくて強いゴブリンだった。ゴブリン大帝ラスト。様々な階層で、探索者の資質を試すために現れるという異形の化け物。弱きものを容赦なく切り捨てる災厄であり、ダンジョン摂理の一部でもある。
『ほ、本当ですか!?』
『ダメよ米崎君! 逃げたらもう戦えなくなる! 大丈夫! ダンジョンに入って分かるの! ここはとてもよくできてる! 努力すればクリアできるようになってるのよ!』
『秀樹。逃げたりしないよね?』
『こいつには絶対勝てない。逃げないとやばいんだ!』
僕の判断は今でも正しかったと思っている。確かにラストは勝てる相手ではなかった。だがダンジョンが試しているのはそこではない。勝てないとなればすぐに逃げ出すような弱者を、本当に勝てない敵を使ってふるいにかけていた。
先輩の言っていた言葉の方が正しかったのか。結局、あの日逃げたのは僕だけだった。そして僕以外誰も帰ってこなかった。
『君とまた会うなんて奇縁だね』
あれほど恐ろしかった存在を、六条君は味方へと引き込んだ。玲香君が『大鬼の頭だ』と研究室に運び込んできた存在。僕はその魂を調べて驚いたんだ。あの時のゴブリンに間違いなく、もう何者にも驚かないと思っていたのに驚いた。
『あの後、僕の仲間たちが……いや、そんな言葉を言う資格がないか。あの3人はどうなったのか教えてもらえるかな?』
その魂と会話できないかと試みた。だが大鬼は僕に対して口を開くことはなく、マーク君と馴染んでいって、彼の力となった。大鬼はマーク君に協力的で、2人はとても気が合うようだ。勇気ある彼が気に入ったのだろう。
『君からすれば僕の生き方は気に入らないか……』
僕はあの日から隠れることばかりが得意になった。勇気というものは身につかなかったんだ。それが悪いことだとは思わない。おかげで探索者にとって大事なスキル【意思疎通】を取り逃したというのにここまでこれた。
『僕は君からすれば、ずっと弱者のままなのだろうね』
【意思疎通】は二度とダンジョンから与えられることはなかった。そのおかげで【意思疎通】の仕組みを理解して自分のスキルにした。自分でスキルにした瞬間。ダンジョンはそれをステータスに載せてくれた。
魔法でもそれは同じことだ。取り逃しても後で身につけることができ、そうすればステータスとして記載される。そのことに気づいてから、知能を上げることに注力した。知能さえ上がればスキルも魔法も後でどうとでもなると思った。
それだけのことでどんどん強くなれる。
ダンジョンに他の要素など必要ない。
勇気も必要ない。
でも違った。
3日ほど前から待ちぼうけで、僕はいろんなことを考えていた。僕はずっと六条君たちの“住民名簿”を監視していた。レベル100になった瞬間。名簿に称号が刻まれるはずだから、見ていれば彼らがレベル100になった瞬間がわかる。
そして僕は見た。彼らの称号が現れる瞬間。彼らという存在がステージを一つあげた瞬間。そしてその一人に【勇者】が現れたことも見た。ダンジョンに好かれた者。そしてダンジョンに嫌われた者。その2人が同じ場所にいる。
それはまだ誰も経験したことがない状況。ならばほぼ間違いなく追い詰められる。大八洲の武官、もしくは大八洲の裏社会の人間によって初見殺しをされる。それは僕なりに日本の英傑たちや外国の英傑まで調べて確信したこと。
英傑はいずれもブロンズエリアに降りてきたタイミングで酷い目に遭っている。例外なくパーティー仲間を死なせている。それはダンジョンが彼らに課した1つの試練なのだろう。だがそれを回避してしまっても別にいいはずなのだ。
そして僕ならそれを回避できる。問題ないはずだ。今の英傑たちはいずれも第一世代だ。先人などいない。助けてくれる存在などいない。だからいくら大八洲国で制限が解放されても、助けを呼ぶことなどできなかった。
六条君のようにあらかじめ助っ人を用意しておくことがそもそも不可能だった。だが彼はそれをしている。
よし。予想通りだ。
目の前、2番ゲートから“桐山美鈴君”が出てくるのが見えた。僕はその瞬間、最大限に【探索界】を広げた。たとえどんな存在の動きでも絶対に見逃さないように気をつけた。六条君が英傑の器ならば今頃絶対に追い詰められている。
そして追い詰められているとすれば、僕に助けを求めるはず。敵はその行動をどこまで予想するだろう。おそらく100%予想すると見た。だから必ずここが狩場になるはずだ。僕は隠れながら美鈴君の様子を見守った。
今のところ敵対的勢力の気配はない。美鈴君を狙うものはいない。
『これはあの日の償いか?』
僕には勇気などかけらもない。何重にも何重にも安全策を講じないと、安心できず、臆病なまま強くなった。その点は僕とミカエラ君は似ている。ただ彼女は天然で、僕はとても考えないと行動できないタイプだ。
あの時、そういう自分を嫌というほど理解した。
「あ、えっと。私、六条祐太君のパーティー仲間の桐山美鈴と言います。所長の米崎さんはいらっしゃいますか?」
玲香君に電話をしていた。彼女はどうも六条君を気に入っているようで、理屈に合わないことを言う。ちゃんと僕の行動目的は伝えているはずなのだ。面倒だから姉妹でもめるなよ。男女の恋心というのは面倒だ。
僕は釘を刺す意味でも、さっさと美鈴君に玲香君の正体をばらしておいた。
「へえ、本当に助けを呼ぼうとして出てきたのか? 恐れ入ったぜ」
黒い猫とジャック君が2番ゲートから現れた。僕は黒い猫の鼻が見えた瞬間、姿を隠した。
《というわけで慌てるんじゃない》
男女の機微がわからない僕でも、姉の横恋慕などは伏せて、美鈴君に【意思疎通】を送った。
《す、すごー! 祐太より機転が利く人初めて見た!》
《それはどうも。褒めていただいて嬉しいよ。ただ気をつけなさい。あの猫君は【操り糸】で完全に操られているようだ。加えて僕の存在を知られてはいけない。そして僕はジャック君を殺せない。殺せたとしても殺せない。理由はわかるね?》
《私が1人でジャックを殺せるなんてことはありえない。だからジャックが帰ってこなかったら、私達が上位者からの支援が得られたと判断し、向こうは間違いなく増員してくる》
《そういうことだ》
勇者がいる以上、その殺害命令はダンジョンクエストになる。ダンジョンクエストは大八洲が受ける。国家として引き受けるものだ。戦力の補充は無限と考えていい。
「六条たちが追ってこねえ?」
ジャック君は六条君たちが後から追いかけてきて、それもまとめて粉砕するつもりだったはず。六条君達にレベル200の助けがくる前に片付けてしまおうと考えていたのだろう。そしてその時点で彼の仕事は終わるはずだった。
キークエストをこなしたジャック君は中レベル探索者となれるはずだった。だがジャック君の後から六条君たちは誰も出てこなかった。僕の行動を六条君たちに伝える探索者を一人だけ雇ったからだ。マーク君である。
うまく接触してくれたようだ。
《後は君があのゲートをくぐって再び大八洲国に戻ることができれば、ひとまずこちらの勝ちだ。うまくやりなさい》
《ふん! 頑張る! でもちゃんと助けてね!》
美鈴君が頷いた。彼女の手にただならぬ神気が漂う槍が握られた。あんなもの持っていただろうか……。見たことがなくて首をかしげた。
《それはなんだい?》
《へへー。虹カプセルのアイテムです!》
自慢げに彼女は言った。ガチャ運1でないと手に入らないとてつもない威力のある武具が存在している。そんな話がある。田中が持っているというのは有名だが、他の人間が持っているという話は聞いたことがなかった。
……そうか……これがダンジョンの縁に恵まれるというものか。あの鬼から逃げて以来、僕の周りには特別な変化など何一つなかった。知恵を絞ってクエストをなんとかこなす。ただそれだけの日々だった。
正直つまらなかった。英傑に起こるような、そこまでいかなくとも高レベル探索者が遭遇するような、変わった出来事など何もない。そうするとレベル200で僕は行き詰まってしまった。それ以上にどうしてもいけなくなった。
先輩、やはりダンジョンに勇気など必要なかったよ。
でも特別な何かが必要なのだということだけは分かった。
時間だけが過ぎた。
だから特別な何かを求めて三階層でずっと待っていた。
《くくくく。期待通りだ! 素晴らしい!》
《おお、いきなり変な意思を伝えて来ないでください!》
《ああ、失敬。だが思った以上だ。僕は彼に賭けて正解だったとますます確信した!》
《そ、そうなの?》
《ああ、僕もとても楽しみになってきたよ》
ジャック君から姿を隠しながら思わず笑みがこぼれた。ジャック君と美鈴君が対峙する。
「帰してやるわけにはいかないな。六条たちが誰も出てこないのは誤算だが、お前を殺す予定には変わりがない。一応聞いておくぜ。探索者をやめて家に引っ込む気はねえか? 契約書は用意してある。サインをしたら信用してやるぜ」
ジャック君はピラピラと契約書を出してきた。あれは本物だ。結構高いのによく用意できたものである。勇者パーティーの誰か一人ぐらいは、裏切ってくれるだろうと予想していたのか。
「私そういう怪しいものにはサインをするなって親から教えられてるの」
「そりゃごもっともだ。ならまあ、楽に殺してやるから抵抗するな【風刃二十連】」
美鈴君は慌てて弓を構えた。そして放つ。
「【精緻十三射】!」
13の矢が放たれる。槍をつがえて放つ。その威力は凄まじくレベルがこれだけ低いというのに【風刃】の風の刃を貫く。そしてそのまま矢がジャックへと迫る。間違いない。あの矢を食らえばジャック君といえど死ぬ。
「へえ、すごい威力じゃねえかよ!」
しかしジャックは風によって行動を加速した。全てかわしてしまう。そして十三本の矢で相殺しきれなかった風の刃が今度は美鈴君に襲いかかる。ジャック君はこれで美鈴君を仕留められたと思っただろう。
《【鉄隔壁レベル3】と叫びたまえ!》
「て、鉄隔壁レベル3!」
だが美鈴くんの前に、ジャック君の風の刃にも負けることのない1mほどの厚みのある巨大な鉄壁が現れた。それが風の刃を霧散させる。かなりの数を地面の中にしかけておいたブロンズ級の魔法陣である。その1つを美鈴君の前で発動させた。
「おお、すごっ」
「ち、やっぱ六条はガチャ運が相当いいか」
《米崎さん! これって認めていいですか!?》
《OKだ。まあ六条君の装備を見れば誰にでも予想できることだよ》
「そ、そう! 祐太は超ガチャ運いいんだから!」
ジャック君は今使用された魔法陣は、六条君に渡された魔法陣を使った。そう思うはずである。ここまではまだいい。もうそろそろジャック君はエンジンをかけてくる。そうなる前になんとしてでも大八洲国に逃げ込ませる。
「おいおい、なんだよあいつら」
「私見てた。あの人たち2番ゲートから出てきた人たちだよ」
「マジかよ。そんなやつらがこんなところでバトり出すなよ!」
「誰か警察呼べ!」
「バカ来るわけないだろ逃げろ! ここにいたら巻き込まれるぞ!」
「こいつらの喧嘩は戦争だってテレビで言ってた!」
探索者の戦闘などに巻き込まれてたまるものかと周囲が騒々しくなる。そして黒い猫が唸り出す。
「にゃああああ!」
「さてさて黒桜とかいう猫。ちょっと協力してくれよ」
僕の存在に気づかれるわけにはいかない。そして隠れている以上は限界がある。さっさとしないと殺されてしまう。だが黒い猫が何をするのか予想できない。ジャック君だけでもハードルが高いのに、この猫の魔力はなんだ。
どんどんと魔力が濃密になっていってる。シルバー級を超えてゴールド級に届いているぞ。
「あ、あん、なんだこの猫?」
操ったはずのジャック君が逆に戸惑いの声を上げた。そりゃそうである。この圧迫感。この息苦しさ。君。何を操ったんだ?
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